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日本作家奇人列伝(38)作家は変人ばかり。三島由紀夫、志賀直哉、壇一雄、野村胡堂、久生十蘭、土井晩翠、草野心平・・

   

日本作家奇人列伝(38)
作家はなくて7クセ、変人ばかり。三島由紀夫、
志賀直哉、壇一雄、野村胡堂、久生十蘭、土井晩翠、草野心平・・
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
『銭形平次』の作者、野村胡堂(一八八二-一九六三)は捕物作家であると同時に、クラシックの音楽評論家、「あらえびす」の筆名でも有名。クラシックレコードを約二万枚収集しており、日本一のコレクションといわれた。
 
 保存する場所に困り、家を増築、一階にレコードを保存、二、三階を書庫と書斎にして執筆、つかれると防音装置をほどこした一階でクラシックを開いていた。
 
 胡堂は趣味が広く、安藤広重の初版本の版画や図鑑、江戸の切絵図の図案家としても知られていた。
 胡堂は『銭形平次捕物帖』を二十七年間、月刊誌「オール読物」に連載した。これは連載の記録であろう。しかも、きちょう面な判で押したような執筆ぶりだった。
 
 胡堂は毎回、伊豆の伊東のなじみの旅館に行って書き続けた。締切り日の毎月二十五日の二日前になると、夫人同伴で四百字詰めの原稿用紙一冊(五十枚)とパーカーを持っていく。一回分は四十七枚半だった。
 二十三日は構想を練って、二十四日午前九時から夕方までに一気に書き上げる。四十七枚半のところで、一枚の書きつぶしも出さずにピッタリ筆をおく。残りの原稿用紙は手紙に使って、所用をしたためる。
 
 二十五日の朝は午前八時二十五分伊東発の列車に必ず乗り、一等車の前から三番目の左側の窓ぎわにいつも座っていた。さらに、伊東で買った駅弁のフタの飯粒を一つずつ口にしている頃、富士山が見え始める。富士を眺めながら弁当をゆっくり食べる。二十七年間寸分も狂わずこの生活を続けたというから恐しい。
 
 胡堂は昭和三十年代によく後輩作家に意見していた。
 「作家の職業は不安定なので、何が何でも二千万円貯金しなさい。そうすればあくせく書きまくらなくても利息で生活できる。そうすれば創作に打ち込める」
 
 胡堂はソニーの大株主で、当時資産は七億円という大金持ちだった。ソニーの井深大社長の母堂と胡堂の夫人が同期生で、ソニーがまだ中小企業で苦しんでいる頃、窮状を救うため株を買ったのだが、成長とともに増資でふくれ上がり一躍大株主となった。
 
久生十蘭(一九〇二-一九五七)は第二十六回直木賞を柴田錬三郎とともに受賞。推理小説や大衆小説などに多彩な才能を発揮、博覧強記でも知られた。
 
 本人は「クノオ・ヒサオ」と称していたが、実は「クウトラン」のペンネームであった。
 
 無名の貧乏時代に、ペン一本では全く食えず、その通り「食うとらん」に当て字をしたペンネームであった。
 久生は異常な凝り性で、あることを辞書で調べているうち、関連したことがらに興味を持つと、他の辞典から書籍へ次々に深入りしていき、執筆しているのも忘れてしまった。
 執筆中に気にかかる点があると、いかに締切りが迫っていても、納得のいくまで調べるため編集者泣かせでもあった。
 
 久生は鎌倉に住んでいた。「朝日」に小説を連載した時、この凝り性を何度も発揮して、文化部記者を困らせた。当時、久生は駅止め便を利用して、原稿を東京駅へ送っていたが、なかなか着かない。
 文化部員は鎌倉までかけつけ、一回分の原稿ができるまで待機して、原稿を持って社へ上がった。
 
 ある時、原稿が来ないのでかけつけると、たった今、駅止めで原稿便を送った、という。社に引き返すと原稿は来ていない。久生が苦しまざれにウソを言ったのである。
 新聞小説にはさし絵がついている。原稿をさし絵画家にみせて、書いてもらうのである。
 
 カンカンに怒った部員はとってかえして、久生の家の玄関先で、「原稿ができるまで何時間でもここに居座る」と、タンカを切った。
 久生は追いつめられた心境になり、夫人を呼び「いつか機関銃を戸棚にしまって置いただろう。あれを持ってこい。この男を撃ち殺してやる」とドナった。
 
昭和32年10月に久生は食道がんでなくなった。亡くなる前い昼も夜も人を集めて麻雀に没頭した。食事が全く通らなっても、最期まで人を集めてパイをうっていた。
 
詩人の草野心平(一九〇三-一九八八)は詩では当然のごとくメシが食えず、東京・本郷で居酒屋をやっていた。その名は貧乏詩人そのままの「火の車」であった。
 
 ある時、客が主人の草野に「せっぱっまった」とはどんな意味か、と尋ねた。草野は「がまんにがまんをしていたお嬢さんが、思わずプーと(オナラ)をもらしたようなもんでしょう」と答えた。
 
詩人土井晩翠一八八七一一九五二)は英文学者で評論家の中野好夫(一九〇三-一九八五)の岳父であった。
中野によると、土井は大変セッカチな性分だった。晩翠が六十歳の時の話だが、中野と駅に降りて一緒に陸橋をわたったが、晩翠は階段の上り口で、袴の股立を両手でからげて、アッという間に二段、三段とかけのぼっていき、降りる時も同じだった。これには中野もアッケにとられた。
 
 中野の妻、信が晩翠の二女であった。信の話では、信がまだ子供の頃、転んで「イターィ、イターイ」と青葉をのばしながら泣いたところ、晩翠が飛んできて叱りつけた。
 「イタイッと泣け」と言葉を短くするように怒ったのである。このセッカチ癖は、年取ってからも直らず、中野宅を訪問しても早いこと早いこと。
 
 〝ガラガラビシャーン″と玄関の表戸があき、「信ちゃん、信ちゃん」と呼ぶ声がしていたかと思うと、ドダドタと廊下で足音がして、マントを半分脱ぎかけた晩翠が表の居間を通りこして、奥座敷に座り込んでいた、という。
 帰りも全くあわただしく、話もロクに聞かず、つむじ風のように立ち去った、という。
 
 晩翠のもう一つの癖はメモ魔であること。何でもかんでも他人にはつまらぬ必要ないと思われることまでフトコロから手帳を出して書き込んだ。
2「何、汽車賃は五円か!」「いい部屋だね。坪八十円か!」と手帳を出してコチョコチョとメモしており、中野がすっかり忘れていたことが、晩翠のメモとして残っており、大変役立った。
 
 放浪の作家、無頼派といわれた壇一雄一九一二-一九七六)はいつも黙ってブラッと放浪に旅立った。発作的に。
 
 若い頃の大晦日の日、床屋に行き、ふと、京都へ行き祇園界わいの芸妓屋に行きたくなったら、ドテラのまま夜汽車に乗って、むろん家族にも告げずに、行った。年をとると、家にもある程度は告げるようになった。
 晩年、ポルトガルへ行き、一人で何も書かず暮した時は「ちょっと、ヨーロッパへ行く」と女房に知らせた。
 「どのくらいですか」
 「三カ月か半年かな」
 こんな調子でプラリと出かけ、一年半も帰ってこなかった。
 
三島由紀夫(一九二五-一九七〇)は大変なカニ嫌いだった。作家の座談会でカニ酢が出ると、真っ青になり「それを下げてくれ」と編集者にどなった、という。
 
 ところがカニ嫌いの三島も、どういうわけかエビは大好物だった。自決する前日、三島は一緒に死んだ森田必勝とともに、赤坂のエビ料理専門店「鶴丸」で別れの宴をはった。
 大きな種子島産の伊勢エビを二人は平らげて、死へ赴いた。
 
 〝小説の神様〟といわれた志賀直哉(一八八三-一九七一)はイカモノ食いであった。

昆虫を平気で食べ、中でも鉄砲虫が好きだった。「サナギより成虫のほうがうまい。生きたやつを食べるとコリコリという音がして……」と友人で釣名人で食道楽の福田蘭童に自慢した。イチジクも好きだが、イチジクの幹に、穴をあけてすんでいるカミキリ虫の方が大好物であった。

 
 志賀は結婚式や葬式に出席するのが大嫌いで、葬式はどんな義理があろうと参列しない主義であった。親友の広津和郎が亡くなった時も葬式に志賀は来なかった。
 出棺の日。広津の安らかな死に顔の回りは、白菊で埋まった。棺は親戚縁者によって釘づけにされ、柩にのせられ、火葬場に運ばれようとした瞬間、女の声が響いた。
 
 「待ってちょうだい。出棺するのを」釘づけされた棺をみて、「早く開けてちょうだい。志賀先生がお見えになったのよ」と叫んだ。
 志賀はメガネをはずし、開けられた棺の中の広津の顔を無言で凝視し、「広津君」と一こと言った。そして、泣きくずれた。
 
 
 
 

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