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<裁判員研修ノート⑩>冤罪を生み続ける構造は変わったのか―裁判官・検察官・警察官の冤罪天国の実態は?

      2020/01/09

<裁判員研修ノート⑩>
冤罪を生み続ける構造は変わったのか―
裁判官・検察官・警察官の冤罪天国の実態

前坂 俊之(ジャーナリスト)
 

<月刊「証言と記録」1979年12月号掲載>

 
 
ある憤死と検事の「哀悼の意」の矛盾
 
 先ごろ(一九七九年三月六日)、仙台地裁で松山事件の再蕃開始決定があった。その三週間ほど前には、徳島ラジオ商殺し事件で五度目の再審請求をしていた冨士茂子さん(六九歳)が決定を見ずにガンで非業の最期を遂げた。松山事件の斎藤幸夫さん、冨士さんもほぼ四半世紀に及ぶ雪冤の叫びであった。
 
 冨士さんはどんなに無念であったろうか。死んでも死に切れぬ断腸の想いは想像に余りる。斎藤さんとて、二十四歳で獄中に閉じ込められこれから先、無罪になっても踏みにじられた青春が返るはずはない。無罪の代償はあまりにも大きい。家族やすべての人間関係もズタズタにされ、裁判費用などで無一文にされた末の「無罪」という結末が裁判という公正、正義の結果とすれば、誤判とは何と残酷なものであろうか。
 
 裁かれる者の悲惨さは、言語に絶するであろう。裁くものと裁かれる者の天地の差。徳
島事件や松山事件を見ると、裁く者が誤った場合でも永遠に裁かれないのかと、つくづく非条理を感じる。徳島事件で冨士さんの逝去に当たって、当時の取調べを行った検事の、次のような談話が載っている。
 F・近畿公安調査局長(当時の徳島地検検事)の話「本人にとっても、決定を前に亡くなったことは残念だろうと思う。私自身は今でも有罪を確信しているが、冨士さんの死に対しては深く哀悼の意を表したい」一(徳島新聞11月16日朝刊)=傍点筆者=。冨士さんの徴役十二年が第二審で確定後に、有罪の柱となった少年店員二人が〝公判で偽証した″と告白した。以後、4回の再審請求は、この偽証告白を新証拠にして行われたが、いずれも裁判所は棄却した。
 
もともと冨士さんを犯人とする物証はきわめて少ない上に、最も重要な有罪の証言となった二人の少年店員も冨士さん犯人説を否定したのである。それなのに、裁判所・検察庁は、確定判決が引っくり返えるのは裁判、検察の権威にかかわると思っているのか、かたくなに再審の門を開くのを拒んでいるのである。
 こんなおかしな話があろうか。「本件に関して国民裁判はすでに無罪の判決を下している」(和島岩吾・元日弁連会長)という、何ともアベコベの悲劇なのである。
 
 いずれにしても、1980年夏には徳島地裁の結論が出る。再審開始になった時、F局長は「あくまで有罪を確信している」とくり返すのだろうか。1960年(昭和三十五)年五月二十五日、日本弁護士連合会人権擁護委員会は日弁連会長名で、法務大臣、検事総長宛に「冨士
茂子担当取調検察官Fら二人に対して断固たる処置をとられたい」との勧告書を出した。しかし、法務大臣も、検事総長もその後、何の処置もとった形跡がない。
 
 冨士さんは、それから十九年も雪冤に身を焦がしながら、命尽きた。一方、F検事は、順調に出世の階段を登り、高官のポストを占めた。無実の罪に突き落とされ苦界の中で噴死した被害者と、一方、加害者の検事は有罪を確信しながら、安全な場所から無責任な「哀悼の意」を表している。冨士さんを犯人と確信するなら、なぜ哀悼の意を表さねばならないのか。犯人なのに性こりもなく執ように再審に訴え、世論をまどわせる不届きな者ではないのか。哀悼の意など必要はあるまい。矛盾だらけの事件解明は、最後の談話まで論旨一貫していないのではないか。
 
 そして、松山事件でも仙台地検は仙台高裁に即時拡告して争うことになった。いつにな
ったら、誤判や冤罪の真の責任者が裁かれるのだろうか。法の正義は実現されるのだろうか、慄然たる思いである。
 
■恐るべき官尊民卑の実態
 
 昭和戦後(1945年以降)、数多くの冤罪事件が起きたが、警察官や検察官、裁判官の責任がきちんと追及され、責任をはっきりとったケースは驚くほど少ない。大方の事件が灰色無罪というあいまいな形で処理された。国家賠償請求によって、責任がはっきり示された例は、松川事件その他数えるほどしかない。
 戦前は天皇の名の下に裁判は行われ、敗戦によっても、裁判官は戦犯からもはずされ、戦争責任は全く追及されなかった。戦後は天皇ではなく、独善的司法官僚による裁判が同じような形でくり返されている。
 交通事故で、過失によってけがをさせた場合でも、業務上過失致傷が適用される。しかし、裁判官が『自由心証主義』なる偏見や自白偏重によって、「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の大鉄則を守らず、確かな物証もないのに重罰や死刑やを下しても、何ら責任を追及されていない。
 例えば、裁判官を裁く制度である裁判官弾劾制度をみてみよう。1947年(昭和二十二)年にこの制度が施行されて以来、二十年間で、二〇二九件の訴えがあった。このうちの約半数は、誤判・不当裁判を理由にする弾劾であった。
 
 これに対して、実際に訴追された裁判官は四人、訴追猶予は六人である。しかも、訴追されて罷免になったのは、たった二人しかいない。約1000件の訴えに対して、責任迫及されて罷免された裁判官はわずか1人という勘定である。
 
その罷免されたケースは、どんな内容かをみてみよう。
 
●帯広簡易裁判所判事・高田住夫(仮名) 昭和三一年四月六日に罷免決定。判事は二七年(註・昭和。以下、引用部分は同じ)年九月頃より二九年三月下旬までの間、令状請求の都度署名押印する煩を避けるため、あらかじめ裁判官の署名押印をした逮捕状、緊急逮捕状、捜査差押許可状、鑑定処分許可状等の各種令状を確認することなく、その結果同庁書記官補及び雇等において数件の令状請求事件に関し、同人等に、右令状十数枚を庁外に持ち出され、新聞社、全司法職員組合等に入手される結果となった。
 
また、二七年九月ごろ、知人の依頼を受け裁判所に事件として係属していない私人間の紛争事件に介入し、自己の地位を利用して早期解決をはかり、同十一月その事件が刑事事件となって逮捕状が請求されるや、他庁の裁判官に向けて請求させる等回避措置をとることなく、自ら逮捕状を発付した。
●厚木簡易裁判所判事・寺山道治(仮名) 三一年九月三〇日罷免。寺山判事は三〇年四月、調停事件の現地調停の帰途、調停事件の当事者である申立人所有のオート三輪車に便乗し、途中、申立人が接待するものであること知りながら、酒食の供応を受けた。
このことが、横浜地裁所長に対し、投書がなされたことを知ると、調停事件の被申立人の親戚方に清酒を持参、供養して、投書者が何者であるか調査を依頼したり、更に、三二年六月、裁判官訴追委員会の調査を受けるに至るや、その翌日、2ヵ年も放置していた会食の費用を急きょ払った。=以上、「裁判官弾劾制度運営二十年」1967(昭和四二)年八月刊・裁判官訴追委員会事務局発行より。
 
 以上の二件は、どちらかというとハレンチ的な色彩の強いケースである。裁判官の逮捕状の取扱いは人権擁護の観点から、極めて慎重であるべきだし、厳正・公正であるべきことはいうまでもなく、このような裁判官は失格である。
 しかし、誤判の訴えが半分もありながら、裁判官の〝自由心証″という名の偏見・差別によって、誤判を受けたケースの弾劾が全くないのはどういうわけだろうか。
確かに司法の独立という面から、裁判官には強い身分保障の保障があり、政治的な色彩の強い弾劾制度を一概に推賞するわけにはいかない。が、裁判官の身分保障が、いくら誤判をしても責任はとらぬという独善的な特権であっていいはずはない。
 さらに、裁くものと裁かれるものの圧倒的な差異は裁判官だけでなく、警察官の人権侵害と職権乱用のケースをみれば、一層歴然とする。まず、警察官の人権侵害がどのくらいあるのかみてみよう。
 
法務省人権擁護局の警察官による人権侵害の受理件数は、昭和40年四三四件▽41年四七二件▽42年五三八件▽43年四九六件▽44年四一三件▽45年三百十件▽46年二百五十件 ▽47年一八五件▽48年一八五件▽49年一六五件▽50年一五七件である。
 
年々件数的には減ってはいるが、人権擁護局まで訴えず泣き寝入りしている者も勘定に入れれば、この数字の何倍もになるであろう。
 
 さらに、公務員の職権乱用をこれに重ねてみる。数字は受理数と、カッコ内は起訴した件数である。
 
昭和四〇年三八二件(一) ▽四一年八三一件(二) ▽四二年四八六件(0) ▽四三年四0五件(一) ▽四四年四二一件(一三) ▽四五年七二二件(一) ▽四六年六〇六件(一) ▽四七年一二三三件(二) ▽四八年八六四件(0) ▽四九年八七七件(二) ▽五〇年一一三四件(0)となっている。
 
 この数字をみてみなさんはどう思われるだろうか。
公務員の職権乱用の起訴率は、1969(昭44)年の三・一%が最高で、年々の平均はせいぜい0・二~0・一一%。年によっては、0%という驚くべき低率なのである。職権乱用の訴えの中には、市民の告訴、告発の乱訴があるかも知れない。しかし、常識的にみても、この起訴率は低すぎはしないか。
 
 その謎を解くために、今度は市民の職権乱用ともいうべき公務執行妨害と比較してみる。公務執行妨害の起訴率は、昭和四四年三三・六%▽四五年一九・二%▽四七年二一・八%▽五〇年三五・一%となっている。
 この大きな差はどこから来ているのだろうか。官尊民卑の証拠そのものではないのか。市民が警察官に少しでもたてつけば、容赦なく捕まって裁判にかける。ところが、警察官らが市民に対して職権乱用しても起訴されない。警察と市民の圧倒的な人権の格差・不平等でをこの数字は浮彫りにしている。裁くものと裁かれるものの人権の落差がここにはっきりと示されているのではないだろうか。
これらのデータからいうと、市民の人権は警察官の二百分の一から、三百分の一なのである。「お上にたてつくとどうなるか」「長い者には巻かれろ」という、前近代的な日本社会の縮図がここにある。冤罪の下部構造は、このように制度的にすでに固定され、完成されているのだ。
 
■開かずの門のカンヌキになっている〝死んだ制度″
 
 これだけではない。職権乱用や公務員特別暴行陵虐罪が不起訴になった場合、裁判所に直接訴えて起訴してもらう、付審判請求という制度もある。この制度は、警察・検察官の起訴独占主義へのチェック制度である。検察官は、同じ身内ともいうべき警察官をかばう。官僚同士、権力の行使者としての慣れ合いやゆ着をただす制度でもある。
 
 職権乱用の超低率起訴に、当然、付審判請求する人は跡を絶たない。ところが、ここでも付審判請求によって準起訴になった者は、天文学的に少ない。
 1952年(昭和二七)年から1975年(昭和五〇)年までに、計六六六五件の受理がありながら、この中で付審判決定になったのはたった九件である。1977年(昭和五二)年にKがなったがこれを入れても10件である。
 
 九件(九人)の内訳は、巡査二、巡査部長四、警部補二、看守長一。このうち、二人は一審係続中(一九七八年二月現在)であり、裁判の結果、無罪になった者は二人、免訴一人、有罪は四人である。有罪になった四人はー
①           加害者と任意同行するにあたり、これを拒絶した被疑者に対し、けりたおすなどの暴行を加え、肩に関節捻座の傷害を与えた。(巡査部長。禁錮五月、二年猶予)。
②           放火未遂被疑事件の被疑者の取調べにあたり、その顔面を殴打するなどの暴行を加え自白を強要した。(巡査部長。禁錮八月、二年猶予)。
③           強盗傷人被疑事件の被疑者の取調べにあたり、被疑者に暴行を加え自白を強要した。(巡査。禁錮三年、一年猶予)。
④           宮城県庁職員Aを同人の弟の刑事々件にからんで仙台市内の旅館につれて行き、繰り返し共産党員との関係を問いただした。(巡査部長。罰金一万円)。=「準起訴手続の諸問題―日弁連人権擁護委員会第二部会」より=
 
これをみると、有罪四件は実刑が全くない上に、禁錮刑が上級審に行くほど軽くなったものが二件あり、一件は何と罰金一万円である。
 
●自白の強要、拷問によって、無実のまま死刑囚にされた冤罪者は、1979年(昭和五四)年に再審開始決定のされた財田川、免田、松山事件と少なくない。それに比べて、裁いた側はいかに刑が軽いか。罰せられないか。数字的にはっきりと証明されている。
 再審は、長い間〝狭き門″〝開かずの門″と呼ばれてきた。この開かずの門のカンヌキになっているのが、以上にあげた〝死んだ制度″である。民主主義国家と言う名のもとの官僚独善国家ではないのか。再審というというりっぱな制度がありながら、それを運営する側の、裁判官や検察官の人権意識そのものが死んでいる現状では、制度が生きるはずはない。
 
 1979年(昭和五四)年に連続した死刑確定囚の再審開始決定、即刻、検察側が抗告という、〝冤罪天国″の実態については、未だに徹底追及されていない。こちらは、市民の人権の無視。そしてやはりここでも官僚(司法官僚の、ただメンツだけのための)による人権侵害、司法殺人であり、税金の無駄使い、公費乱費である。裁判官、検察官、警察官の一体化した「公務員・官僚の冤罪天国〟は市民にとっては〝冤罪・牢獄地獄″にほかかならない。
      今にも参考に内容なのであえて原文のまま掲載しました。(まえさか・としゆき 毎日新聞記者)
 

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