前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(63)『インテリジェンスの父・川上操六』⑨の「日本最強のリーダーシップ」とは・・・・①

   

日本リーダーパワー史(63
 
名将・川上操六⑨の『最強・究極のリーダーシップ』とは(1)
 
 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
 川上は軍人らしからぬ温厚、眉目秀麗な男で、喜怒哀楽は顔には余り表わさない。
人に接するや態度も丁寧をきわめて礼を失わず、老若男女を問はず、いつも温容に接した。人の話をよく聞いて「話上手」と言うよりも『聞き上手』の典型であった。
 
川上の部下・宇都宮太郎はこう話した。

「大将より命ぜられて答申する毎に、大将は『これで結構だ。よく出来た』といつもほめられる。

誰れにでもそういうので、おだてかなと一時、思ったこともあるが、ほめられて悪い気のするものはない。又,大将は意見の相違があるときでも、多くは自身でこうせよ、ああせよ、こうせよとは言わずに、他人をしてかく修正してはどうかといってくる。私は川上将軍は偉人だと思う。将軍の信任厚ければ、将軍のために全身全霊を打込んで尽くさねばならぬと全員、思ったのだ』と。
宇都宮太郎は最も大将に私淑し、又最も大将より信任された1人であったが、惜しいかな、中道にして没した。
 
ある時、1日、南洋視察を終えて帰朝した書生あった。
大将に面会して、南洋の事情をいろいろ報告した。大将はこれを聴いて「それれだけか』と念を押して、最後に「よく南洋の事情を報告してくれた。また見聞したときには来て告げてくれ』と云はれた。同席していた副官・坂本左狂大佐が「あの書生の報告くらいは参謀本部で調査ずみで、よく知っている。

将軍が聞くのは時間のムダで益が無いと思う』というと、大将は『それはいかん。何が益になることもないとも限らんもの、よく云ふてくれたというておくときは、彼は喜んでわが味方となるであろう。それを反対に、よけいなことだ。そんなことは早くから判っていると、はねつけると、彼は怒って以後味方となってくれない。いつも反対するようになり、一人の敵を作ってしまう。あんな人は戦争が起これば先頭に立ち道案内してくれ、喜んでわれわれのスパイともなるものだ。それ故に一人でも味方のものをふやさなければならん。彼は心中喜んで友人などに話し、友人中にもまた、それを聞いてくるかもしれぬ。多くの事柄を多くの人より聞くうちには、何かためになることもあるであらう」と語られた。

 
 これに対して元帥・上原勇作は川上大将とその性格を全く異にする持主だった

。ある外国に駐在して帰朝した青年将校が上原に面会して、軍事上の事項を報告したときには、上原はこれに対して何等、容赦なく質問を連発する。しかも一たび、その話にあいまいな点でもあれば、単刀直入、突き込んでくる。報告するものは往々にしてその質問に答えることが出きなかった。

ある中将が上原に対して『川上将軍は帰朝者将校の報告を受けたときには、自ら知っていることでも、始めて聴いたのように対応して、満足感を与えられていた。元帥の如くやりこめるときは、折角苦心研究して来た報告者に面目を失うような思いをさせるではないか』と忠告をしたことがあったが、上原は最後まで聞く耳をもたなかった。
川上と上原では全く共の流儀を異にする人格者であった。
 
 
川上は人の非を言うことを好まぬ。他人に対して部下を非難することは、将軍の厳禁するところであった。

参謀本部に安田という給仕から雇員に登用されたものがあった。給仕としては川上の御用専任であった。ある日、川上は安田を呼び寄せて自ら4,5枚の文書の作成を命じた。数日の後、安田はこれを仕上げて将軍に提出した。

川上はこれを見て『よく出来た。なるほど、給仕にして置くのは惜しいと聞いていたが、その通りじゃ、よく出来た。なお一層盾勉強して書記にも進むべきだ。その腕はあるようだ』とほめた。あとで、坂本副官にはこう述べた。
 
『つまらぬよううだが、かく予よりほめられときは一層奮起して精進することは間違いない。副官が書記の手を経て指示するよりも、自分が直接に下命してよく出来たとほめてやると、副官などからほめられるのとは感じが違う。何でも機会を見てその時にほめる事があれば、これを逸せずしてやるべきだ』と。
 
この通り、将校などに命するときには、全く己れの室に呼んで直接に命するを例とした。
 
 
あるとき、坂本副官の将軍を訪問するや、談話中に近所の医師が来訪された。

川上はタバコ盆をその前に出そうとして、小間使(秘書)に『タバコ盆を持てこい』と命じた。小間使は心得たりとタバコ盆をいそいでもって来たが、川上の命じたものとは全く違っていた。坂本副官はこれを見て、「何んとまぬけな奴め。将軍が頭から大声で怒鳴るか!」とびくついていると将軍は平静そのもので黙ったまま、自らたっていって、ぴったりのタバコ盆をもってきた。

医師の辞去の後、抜本にいうには『この時、叱れば、客に対しても失礼となる。我が命じた手抜かりであり、平素の教え方が徹底のことに過ぎない。小間使(女中)は己れの不十分なることを自覚すれば足る。別に叱る必要もない』といわれた。
 
川上将軍はこんな話もした。
 
『仮りに今、お前はわが部下となったが、別の人が『坂本とはいかなる人ですか』と聞くのに、『彼は少々遅鈍(鈍い)の方にて、間に合はぬ男なり』といったとしよう。そうすれば、お前がその男のところに使いに出すと、彼はなるほど、先日、川上のいった精々遅鈍の男がきたのだな思うと、私の連絡も十分伝わらぬ。
これと反対に彼は頭のまわるよくできる人物で、こんな仕事をしておりますといえば、彼は敬意を表し、最初から敬意をもってあいさつするから、その命じた用事も好結果を得ることができる。女中や子弟などを客の前で叱るときは、平素のしつけの足らぬことを人に知らせるのと同じであり、よほど自戒しなければならない」と語られた。
 
 
 
このように将軍は部下、将校に対して十二分に教育的な配慮を加えた訓示を与え、また命令を伝える場合にも順序を経べき事務などについては別だが、よく己れの室に招いて、直接命することが常であった。
 
しかも将軍の言葉は常規に拘泥せず、教訓的のものであった。松井庫之助中将が明治31年、フランスに派遣を命じられたときに、川上は「君に重大なる任務がある。訓令などに拘泥せず、よく国際情勢の推移、大勢に注意せよ」といわれた。渡辺満太郎(陸軍中将)がこれまたフランスに派遣された際も、将軍を訪問して訓示を乞うたが『学校の成績如何に拘らず、所信に由りて国家のためにその目的を貰徹されたい」と云われた。いかに、川上が部下、将校の育成に深い甚なる注意を払っていたかわかる。
 
<参考文献>   徳富蘇峰「川上操六」大空社(1988年)
                              
                                                                     (つづく)
 

 - 人物研究 , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
知的巨人の百歳学(153)記事再録★『昭和経済大国』を築いた男・松下幸之助(94歳)の名言30選」/★『松下の生涯は波乱万丈/『経済大国サクセスストーリー』● 『企業は社会の公器である』 ● 『こけたら立たなあかん』● 『ダム経営は経営の基本である』● 『経営は総合芸術である』●『無税国家」は実現できる』●『長生きの秘けつは心配すること』

  2016/12/23 記事再録/『明治から150年― 日 …

no image
現代史の復習問題/「延々と続く日中衝突のルーツ➈』/記事再録『中国が侵略と言い張る『琉球処分にみる<対立>や台湾出兵について『日本の外交は中国の二枚舌外交とは全く違い、尊敬に値する寛容な国家である』と絶賛した「ニューヨーク・タイムズ」(1874年(明治7)12月6日付)』

2013年7月20日/日本リーダーパワー史(396)   中国が尖閣諸 …

『リモート京都観光動画』/『The Japanese landscape garden in Kyoto Nijo Castle/ 戦災を免れた優美な京都の国宝・二条城(世界文化遺産)ー外国人観光客で大賑わい』★『ー金色細工の唐門を通って二の丸御殿前へ』★『ー金色細工の唐門を通って二の丸御殿前へ』★『小堀遠州代表作の池泉回遊式庭園二の丸庭園を散歩する』

<2014/04/03撮影>   ★5 The Japanese la …

no image
『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐/水野広徳③』-『その後半生は軍事評論家、ジャーナリストとして「日米戦わば、日本は必ず敗れる」と日米非戦論を主張、軍縮を、軍部大臣開放論を唱えるた』★『太平洋戦争中は執筆禁止、疎開、1945年10月に71歳で死亡』★『世にこびず人におもねらず、我は、わが正しと思ふ道を歩まん』

日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリスト・水野広徳③  &nb …

no image
百歳学入門(76)日本長寿学の先駆者・本邦医学中興の祖・曲直瀬道三(86歳)の長寿養生俳句5訓を実践せよ

 百歳学入門(76) 日本長寿学の先駆者・曲直瀬道三(86歳)の長寿養 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(50)記事再録/『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉒『開戦3ゕ月前の「米ニューヨーク・タイムズ」の報道』★『国家間の抗争を最終的に決着させる唯一の道は戦争。日本が自国の権利と見なすものをロシアが絶えず侵している以上,戦争は不可避でさほど遠くもない』

   2017/08/19『日本戦争外交史の研究』/『世界史 …

★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊻★『児玉参謀次長が日露開戦と同時に命令したのは満州馬賊をシベリア鉄道の破壊工作に活用する 『特別任務班』の編成で福島に指示した。』★『青木宣純大佐を『特別任務班』隊長に任命』

 ★『明治裏面史』 – 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパ …

★『オンライン講座・国難突破力の研究②』★「日本史最大の国難・太平洋戦争敗戦からGHQ「日本占領」と「単独講和」を乗り越えて戦後日本の基礎を築いた吉田茂首相の<国難逆転突破力>③』★『ダレス米国務長官の強硬な再軍備要求を断固拒否した吉田茂のリーダーシップ・外交術を学べ(田中角栄の証言)』

「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑧」   2021/10/ …

no image
『野口恒の震災ウオッチ②』東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧陵」の業績ーー復興策の生きた教材-

『野口恒の震災ウオッチ②』   東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧 …

no image
百歳学入門(188)★『日野原重明先生(105歳)』★『92歳の時の毎日の生活ぶりだが、そのエネルギーと分刻みの緻密なスケジュールと仕事ぶりはまさに超人的!』

百歳学入門(188) 日野原重明(1911-2017、105歳) https:/ …