NHK「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(6)「燁子を救うのか私の義務」と宮崎龍介(東京朝日)
2015/01/01
当時の新聞などの報道と「男不平等」「公娼制度」など当時の女性の
差別の実態を見ながら、柳原白蓮の行動を逆照射していく
柳原白蓮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E7%99%BD%E8%93%AE
白蓮事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%93%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
宮崎龍介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E9%BE%8D%E4%BB%8B
燁子(あきこ)を救うのか私の義務、と宮崎龍介
〔大正10年10月22日 東京朝日〕
宮崎君の告白
相愛に結ばれた白蓮夫人と宮崎君とはこれかちの後は行くべき所まで行く覚悟であろうが、愛人宮崎君はどう考えているか。昨21日、小石川関口町の事務所に同君を訪ねると、やや驚ける態度にて.語った。
今更隠しても仕方がありません。燁子との一恋愛関係に就いては、僕は決して否定しません。三年前、別府で脚本刊行の交渉以来一知り合いになったので、それ以来僕等の間に自然とある親しみを抱くようになったのです。
燁子も可哀相だと同情します。10年間、伊藤家にあって、苛まれ田生活は今日、燁子が自覚の前提だから、むしる僕から見れば伊藤家に感謝してもよかろうと思って居ます。しかし、燁子は賛成しません。それだけ十年の荒らしに荒らされた生活の痛苦が偲ばれます。
或いは触るべき制裁がありましょう。しかし僕はどこまでも救ってやりたい。僕によって生きて行こうとするならば、救って行くのは僕の義務です。燁子は至って聡明な性質の女です。無論いまとなっては、行くべき所まで行くつもりです。
燁子はどこに行ったのか、僕としてはその行く先は知りませんというより外はお話はいたし兼ねます。ただ今後これに対していろいろの障害が凄い来ると思います。
第一、 僕の親父(宮崎滔天)なぞはあの通りの頑固者ですから、頭からどゃしつけられると思って居りますので、事件はすべて円満に解決するまで、それぞれ僕としても考えなくてはなりますまい。
二人はいずれ時を待って新生活に入るべく堅い決意をもって居るが、伊藤伝右衛門氏の今後執るべき態度はどうであろうかが興味ある1つの問題として保留されて居る。
実家へは帰らないと白蓮決意を述べる
<大正10年10月24日 大阪毎日>
もう実家へは帰りません。東京市外中野の山本氏方に身を寄せた夫人は、派手な藤紫の半襟に大島が小袖を重ね、その鹿に御里の柳原伯家の根引きの定紋をつけた茄子紺地の縮緬砂羽織を着流して心持ち癖のある濃い髪を七三に分けたのをかい撫でながら座についたが、
面はどこか暗い悩みが現われては居るが、事今日は妙に緊張して見えた。女史は今度のことについて語る。
九州から上京したのは7、8日前です。三十日伊藤の帰る時に、私が東京駅に見送っていたように伝えられれておりますが、私は宿の島屋で見送ったわけで東京駅には参りません。
そしてその日直ぐ、宿屋から女中と一緒に山本さん宅へ引き揚げてきました。片瀬の吉井さんの処へは参りませんでした。九州の伊藤へは21日に最終的な手紙を出した訳で、事今度のことは遅かれ早かれ、かようになるとは自分も思いい覚悟も致して居りましたが、まさかこう早く来ようとは思いませんでした。
最初私が伊藤の処に嫁いで行くことを承知したのは、その頃私は別に多くの人に交際したこともなく、かつ誰と結婚したいという望みの人もなかったので、誰と結婚するも同道であると思って居りましたのと、モウ1つ私は英和女学校に在学していたものですから、婦人でも慈善事業とか何とかその他いろいろの社会的事業をすることを好いこと一のように考えていたので、その社会事業を伊藤はさせてくれるというので、アレやコレやで伊藤の許へ参ったのであります。
ところが、その社会事業なども少しも実行されず、私が嫁いだ当時から暫くは私以外に主婦があったり、その他、いろいろ踏み付けられることがありました。
私はよほど前から伊藤と別れる決心をして居たのであります。九州を去る時に、その覚悟をして来たのでありますが、親しい友達その他、どちらへも少しもそのような話をもらしてはおりません。
久保さんの奥さんのところへは本日(22日)-初めて手紙を出したわけで、実家の柳原へは今度上京すると、暫らく桜田町の屋敷へも母のいる笠町の別邸へもちょつと行きましたが、今後のことは何も話してはいません。
私の身の上のいっさいは山本さん入お任せしているので、こちらに居りまして実家へは帰りません。
伊藤が訪ねて来たら会うのかというのですか? しかし伊藤は訪ねて参りはしますまい。伊藤と別れてから、宮崎さんの処へ嫁ぐというのですか?
それは今の処なんとも考えては居りません。ただ伊藤との離婚問題がありますから…・・。というて宮崎氏との関係についてはロをつぐん語らなかったが、
この場合これ以上お話しすることは苦痛であるから察してくれといい、心配そうなだれたが傍らの山本氏は酒杯を傾けながら「私が引き受けた限りは大丈夫だ。立派に伊藤から白蓮夫人をもらい受けて見せる』
と云えば夫人はキックリ結んだ羽織の紐を子供のように弄びながら、面羞ゆげにニッコリと微笑んだ。
関連記事
-
-
人気リクエスト記事再録 百歳学入門(185)-『画狂老人・葛飾北斎(90)の不老長寿物語』★『70、80洟垂れ小僧、洟垂れ娘に与える』★『クリエイティブ/熱狂人間は年など忘れて不老長寿になる』★『画業三昧で時間に追わて描きまくり、気がつけば百歳』
百歳学入門(185) 『画狂老人・葛飾北斎(90)の不老長寿物語』 ★『創造 …
-
-
知的巨人の百歳学(118)ー『米雑誌「ライフ」は1999年の特集企画で「過去1000年で最も偉大な功績をあげた世界の100人」の1人に葛飾北斎(90歳)』(下)★『北斎の生き方を尊敬し、「Silver Yutuber」となってビデオ片手に鎌倉、全国をぶらり散歩しながら1日1万歩目標に「現代版富嶽百景」を撮影、創造力アップ、長寿力アップに努力』
知的巨人の百歳学(118) 知的巨人の百歳学(117)ー『米雑誌「 …
-
-
日本リーダーパワー史(275)欧州連合(EU)の生みの親・クーデンホーフ・カレルギーの「お伽話の国、優雅の国、英雄の国」③
日本リーダーパワー史(275) 『ユーロ危機を考える日本の視点』③ …
-
-
★<人気リクエスト記事再録 2009/02/10>昭和戦後最大の冤罪事件の真犯人が語る『全告白・八海事件-これが真相だ(中)』(サンデー毎日1977年9月11日掲載>
2009/02/10 <サンデー毎日1977年9月11日掲載> 八海事件の真 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史(15)人気記事再録/『日本の最強の経済リーダーベスト10・本田宗一郎の名語録
記事再録/日本リーダーパワー史(80) 日本の最強の経済リーダーベスト10・本田 …
-
-
日本リーダーパワー史(133)空前絶後の名将・川上操六(22)その急死とインテリジェンス網の崩壊
日本リーダーパワー史(133) 空前絶後の名将・川上操六(22)その急死とイン …
-
-
『Z世代のためのオープン自由講座』★『ドイツ人医師ベルツによる日中韓500年東アジア史講義➂』★『伊藤博文の個人的な思い出④ー日本人の中で伊藤は韓国の一番の味方で、日本人は韓国で学校を建て、鉄道や道路や港を建設した』
2010/12/05 の 日本リーダーパワー史(107)記事再録 伊藤博文④-日 …
-
-
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集④●『他人の不幸による、漁夫の利を占めるな』小平浪平(日立製作所創業者)ら10本
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集④> 前 …
