前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(97)川上操六⑮ 日露戦争勝利の参謀本部スタッフ-勝つと断言する

      2015/02/16

日本リーダーパワー史(97)
川上操六⑮ 日露戦争のための参謀本部スタッフ
     
<アーネスト・サトウに日露戦争には勝つと断言>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
川上参謀次長は明治32年に急死するまで14年間にわたって参謀次長、参謀総長を歴任して、明治の日本の国家戦略を立案実行した。日清戦争は「朕の戦争にあらず」と明治天皇は開戦には反対だったが、川上は戦機を見誤らず先手必勝で出兵を指揮した。両雄の桂太郎大佐は明治33年まで十五年間も陸軍省次官、大臣を務めて日露開戦時は首相として軍政と国政の完全な掌握したと、前回に書いた。
日清戦争に勝利した後は、日露戦争に備えての参謀本部の大改革とインテリジェンス網を張り巡らせ、優秀な情報部員の育成に取り組んだことは、この連載で順次述べていく。
 明治25年当時のわが戦略情報収集の中心は陸軍参謀本部であり、その活躍した当時の主要人物を見ておく。
参謀次長、川上操六中将(当時43歳)が全指揮をとり、特に参謀本部には次のような優秀な人材を登用していた。
第一局(動員、編成、制度等担当)
   局長は初代の児玉源太郎大佐の後を受けて当時は大迫尚敏大佐(後の日露戦争では第七師団長として旅順二〇三高地奪取の戦功をたてた)。
 その次の局長には寺内正毅(後の陸相)大佐が後任となる。
 局員には田村恰与造(後に川上次長の後継者となる)、東条英教(東條英機の父)、山根武亮等の俊英を配置した。
第二局(作戦、情報等担当)
 局長は高橋維則大佐であり、部下局員には伊知地幸介少佐(駐独武官福島少佐の前任者)、柴五郎大尉と宇都宮太郎大尉(両名とも情報で後に大将となる)等の俊英参謀が配置されていた。
川上次長の特命で活躍した人材としては次のような人がいた。
1 福島安正少佐
2 上原勇作少佐―野津道貫中将の女婿に当る人である。明治十四年以来、約五ヶ年仏国駐在、主として陸軍の技術(工兵)等について詳しく調査研究した人である。この当時は川上次長の副官となる。明治二十六年フランス、シャム間の戦争には約三ケ月現地偵察を命ぜられている。
3 宇都宮太郎大尉―当初、川上次長の副官。明治二十六年に印度に派遣される。
4 明石元二郎大尉―欧州、特にドイツに派遣。
三、各地の前線において活躍した人
 フランス……池田正介中佐
 ドイツ……福島少佐の後任に大迫尚道少佐(前記尚敏大佐の弟、後に大将)
 ロシャ……楠瀬幸彦少佐(後に陸軍大臣)、萩野末吉大尉、黒沢源三郎、伊藤圭一
 インド、アフガニスタン、支那、朝鮮、シべリヤー松石安治大尉、津川謙光大尉、松浦鼎三大尉、橋本斉次郎中尉、仁平宣司中尉、石井忠利中尉
四、特命でドイツ留学(何れも大尉)―松川敏胤(後に大将)、上原 博、恒青息道、大井菊太郎、林 太郎、山本延身らである。
 極秘諜報従事者としては
1荒尾精と根津一が中支、特に漢口で活躍していた。
2 シベリヤで活躍中の工兵大尉・松浦鼎三は主としてウラジオで活躍し、丸山通と変名していた。
3 現在判明していない無名の戦士こそ、実は活躍の主体をなしており、情報の主力を集めた人々もこれらの者であることを忘れてはいけない。
次に紹介するのはイアン・C・ラックストン著「アーネスト・サトウの生涯―その日記と手紙より」(厳松堂出版、2003年刊)213Pにある一文である。
日露戦争の約10年前に川上はロシアをどう見ていたか、率直に語っており、その先見の明には改めて驚く。
1895年(明治28)十一月七日にサトウは東京からソールズベリー宛に手紙を書いている。
 『昨夜の晩餐会で参謀総長の川上(操六)陸軍中将に会いました。ロシアのことに話がおよぶと、彼はロシアは皆の考えているほど決して強くはないと言いました。ウラジオストクには三万人しかいないし、それも第一級の兵士ではない。シベリア鉄道が完成しても、本拠地からあれほど遠い距離を、補給線を延長して戦争を遂行できるのかどうか疑わしい。
日本の艦隊は現在はもちろん劣勢であるが、いま英国で建造している戦艦2隻[富士と八島]が引き渡されれば、全く違ってくる。以上のように言いました。彼が今後十年間に日本はもっと強くなるとほのめかした口振りから、私は彼が再び戦争する前に待ったほうが良いという意見だと推測しました。
しかし、もしロシアの海軍力が優勢だとしても、必要な場合は数時間で彼らを海峡から誘き出して、対馬を経て朝鮮へ軍隊を送り込むのは、いとも容易なことだと彼は言いました。朝鮮の海岸は対馬から見えているのです。彼は東アジアで英国がその勢力を主張することが心配だと意見を述べました。この言葉の中で彼が単に表明したのは、私が今まで話をした日本人の多くに共通した感情でした。私は特に意見を述べませんでした。朝鮮から撤兵するという発表は日本の新聞で特に注目を引きませんでした。』

 - 人物研究 ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
新刊発売『日本史有名人の家族の物語70人―誰も知らない家庭での姿』 新人物文庫 (667円+税)

  新刊『日本史有名人の家族の物語70人―誰も知らない家庭での姿』 & …

no image
リクエスト再掲載/日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信設備の兵站戦略こそ日清戦争必勝のカギ 「坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」

日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信 …

『Z世代のための『バガボンド』(放浪者、世捨て人)ー永井荷風の散歩人生と野垂れ死考 ③』★『「人生に三楽あり、一に読書、二に好色、三に飲酒」』★『乞食小屋同然の自宅の裸電球のクモの巣だらけの6畳間の万年床の中で洋服を着たまま81歳で死去した。』

  2015/08/02    …

no image
『リーダーシップの日本世界近現代史』(301)★『日本には元々「情報戦略」という場合の「情報」(インテリジェンス)と『戦略(ストラジティ)』の概念はなかった』★『<明治の奇跡>が<昭和の亡国>に転落していく<戦略思想不在>の歴史を克服できなければ、明日の日本はない』

 2017/12/01「戦略思想不在の歴史⑿」記事再録 「戦略思想から …

『Z世代のための朝鮮問題講座」(上)★「日本開国の父」「民主主義者」「アジア解放の先駆者」福沢諭吉の義侠心からの「韓国独立支援」はなぜ逆恨みされたか「井上角五郎伝」から読み解く①」★最新刊「時事新報社主 福沢諭吉」(平山洋著、法律文化社、466頁 22年11月刊) は福沢研究の決定版、古典である」

  「時事新報社主 福沢諭吉」(平山洋著、法律文化社、466頁 202 …

『Z世代のための歴史の復習問題・福沢諭吉研究』★福沢諭吉の『朝鮮独立党の処刑』(『時事新報』明治18年2月23/26日掲載)を読む➀『婦人女子、老翁、老婆、分別もない小児の首に、縄を掛けてこれを絞め殺すとは果していかなる国か』★『この社説が『脱亜論」のきっかけになり、日清戦争の引き金になった』

    2017/02/20 /日本リーダーパワー史(767 …

no image
日本リーダーパワー史(428)上原浩治投手の<土壇場完勝力>「どんどん行く、結果がどうであれ、1日ごとに気持ちを リセット、真っ向勝負<瞬殺>」

 日本リーダーパワー史(428)   「米ワールドシリーズで …

no image
 ★5日本リーダーパワー史(780)―『明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわたる対立、紛争、戦争のルーツは『朝鮮を属国化した中国」対「朝鮮を独立国と待遇した日本(当時の西欧各国)」とのパーセプション、コミュニケーションギャップの衝突である』★『  明治9年の森有礼と李鴻章の『朝鮮属国論』の外交交渉の見事なすれ違いにルーツがある』

 ★5日本リーダーパワー史(780) 明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわた …

no image
知的巨人たちの百歳学(181)記事再録/<料理研究家・飯田深雪(103歳)の生涯現役/健康長寿法>「毎日を創造する気持ちで過ごす生活に飽きはこない」「すべては祈りによって与えられた大きな恵みです」

2015/10/13/知的巨人たちの百歳学(129)の再掲載 103歳 料理研究 …

no image
日本リーダーパワー史(872)―『慰安婦問題をめぐる日韓合意をひっくり返した韓国政府の二重外交の歴史復習問題⑵』★『「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など の「日韓併合への道』報道連載(11回→20回まで)』

日本リーダーパワー史(872) 「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など & …