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日本リーダーパワー史(125) 辛亥革命百年(27) 内山完造の『日中コミュニケーションの突破力に学べ』

   

日本リーダーパワー史(125)
辛亥革命百年(27)内山完造の『日中コミュニケーション突破力に学べ』

前坂 俊之(ジャーナリスト) 
 
中国革命の旗手となった魯迅を体を張って助けた内山完造
 
内山完造(うちやま かんぞう、1885年1月11日 – 1959年9月20日)は岡山県後月郡吉井村(現・芳井町吉井)生まれ。12歳の時、大阪へ丁稚奉公に出た後、京都の商家で10年間働き、27歳でキリスト教に入信、28歳の時、大学目薬参天堂の上海出張員となった。
 
1917年(大正6年)、上海に内山書店を開業し、その内山書店は中国革命の旗手となった魯迅や郭沫若、谷崎潤一郎、佐藤春夫ら日中の知識人が頻繁に訪れ、サロンを形成した。
 
一九一九(大正八)年、中国共産党のスタートとなる反日・反帝国主義運動の「五・四運動」がおこり、日本の中国人留学生の多くが帰国した。日本留学で日本語が読めるようになった中国の知識人は日本の欧米の翻訳本を通して中国の近代化をはかろうとした。内山書店はそうした中国知識人や日本人でにぎわった。
 
 内山は中国人を信頼し差別なく「貸売り」をし、決して請求をしなかった。いまのローン販売の前身である。同書店の奥には茶席が設けており、ここがサロンとなって日中知識人たちの交流の場ともなった。
 
内山が魯迅と会ったのは一九二七(昭和二)年十月である。魯迅が弱体化する中国には革命が必要だとして、近代化した日本へ留学(明治37年、仙台、東京に10年にわたって滞在)し、医学を志し、後に文学者になったことは良く知られている。
 
中国革命を実現した毛沢東は魯迅を唯一の師と仰いでおり「革命の先頭に立った旗手は魯迅である。魯迅は大文学者、大思想家であり、魯迅の骨は硬かった。魯迅は、金力にも権力にも、武力にさえも頭を下げなかった。魯迅の歩いた路は正しかった。
吾々は魯迅の足跡を躇まねはならん。全国の青年よ魯迅精神に生きよ」
と青年に呼びかけたほどである。
 
魯迅の住居は、同書店に近くにあり、毎日のようにやってきては、完造や友人ら茶席を語らいの場とした。内山は魯迅を尊敬し、その出版も手掛けるなど魯迅が亡くなるまで十年にわたって魯迅を助けて親密な関係が続いた。
 
昭和6年9月には満州事変が、続いて上海事変も起こった。日中関係は最悪に陥り、上海で追われる身となった魯迅を内山は親身に世話して匿い、自分の名を使って憲兵隊から拘束される中国人を数多く助け、魯迅の弟を救った。
 
一九三六(昭和十一)年五月十九日、魯迅は55歳で亡くなったが、その葬式では宋慶齢(孫文夫人)、内山も列席、内山は「かれは予言者であった。その一言一句は、実に野にさけぶ人の声といった感じであった。先生は時に私の頭に烙印を押した。『道は始めにあるのではない、人が歩いて出来るものである』」との追悼の言葉を述べている。
 
冬の時代に「日中の重要な架け橋」の役割
 
内山は約40年にわたって日中のきびしい冬の時代に「日中の重要な架け橋」の役割を果たし、幅広く中国人と友情を結び、戦後は昭和25年に日中友好協会初代理事長に就任した。100年前に犬養毅らが孫文を助けて、辛亥革命が実現し、その後は日中戦争という最悪の事態に転落していく中で、唯一、困難を克服して民間外交を推進したキーマンが内山である。
その後の日中友好・国交回復のためにも尽力して、1959年(昭和34)に74歳で亡くなった。

内山は名エッセイイストであり、

歴史家と言ってもよい名著をたくさん執筆している。
中国での実生活を通じて1935年(昭和10)から1960年(昭和35)まで「生ける支那の姿」「一個日本人的中国観」「上海漫語」「上海夜話」「上海風語」「上海汗語」「同じ血の流れの友よ」「中国四十年」「そんへえ・おおへえ」「両 辺 倒」「平均有銭」「花 甲 録」など、15冊ほどの単行本を出版したのである。

その鋭い観察眼と体験論から幅広い中国論、歴史観、中国体験記、中国人論、日中コミュニケーション論などを流麗な筆で摘出しており、優れた日中文化論、日中異文化コミュニケーション論になっており、今読みなおしても大変読みごたえがある。今後の日中関係の発展のためにも、大変参考になる話し、教訓が満載である。

その中から、一つ紹介しよう。日本人と中国人との間の思想・思考・戦略・価値観・行動形式の越え難い日中コミュニケーションギャップを象徴している『小器用では大事は出来ない』というエッセーである。

梶原 景時(かじわら かげとき)といえば鎌倉時代初期の武将で、源頼朝の部下として信任厚く、「鎌倉の本体の武士」と称されていた。しかし、源義経と対立して、頼朝に讒言して、追放になって死に追いやった『大悪人』として800年に渡って義経びいきの日本人の間では評判が悪い。

この梶原 景時と義経との間での有名な『逆櫓』論争
についてである。

『平家物語』によれば、1185年(寿永4年)2月、源平合戦で頼朝から平家勢を追い打ちせよとの命令を受けた義経は戦奉行の梶原景時と大阪福島区の海岸で軍議を開いた。

この時、景時は、「船のへさきにも櫓を付けて、どの方向へもたやすく転回出来るようにしたい」と進言した。それに対して義経は、「はじめから逃げることを考えては縁起が悪い」と景時の意見を退けた。

暴風雨のために景時は出航を見合わせようとするが、義経は僅か5艘150騎で暴風雨をついて出航する。義経は通常3日の航路を6時間で徳島に着いて、平家の軍勢を屋島を急襲して打ち破った」(WiKi)

この故事から『逆櫓』は古来から腰ぬけ、退却は卑怯ものとして退けられてきた、日本の兵法には『逆櫓』は800年後の今日まで、日本においては物笑いの種となっているのである。
 
日中間での最初の戦争である日清戦争(明治27年)では勇敢にも倒れても、倒れても突撃して来る鬼神のような日本兵に支那軍はびっくり仰天し、決戦を前に全軍退却して逃げ出すケースが目立った。

また、日露戦争(明治38年)では日本の特攻戦法、死体累々、何万人もの屍を築いても203高地に体当たり攻撃をして旅順要塞をやっと陥落させ、日中戦争、太平洋戦争でも突撃、全滅作戦をくり返して来たが、これは『逆櫓』以来の日本のバカの1つおぼえの玉砕戦法なのである。
 
これからが
 
内山完造の『小器用では大事は出来ない』(日中異文化論)
 
「同じ血の流れの友よ」1948年刊)というエッセーである。
 
しかしながら考えねばならんことは、進むこともあり、退くこともせねばならんのが兵法である。進むだけが兵法なら、兵法なんて必要はないはずである。

不名誉ということと、戦争の目的である勝負ということの、地位の転倒であると思うが、日本人の実際は、

瓦全(がぜん)=《注・値うちのないものが完全な形で保存される意から》大したこともせずに生き長らえること。太平洋戦争中は「玉砕瓦全(立派な男子は潔く死ぬべきであり、瓦として無事に生き延びるより玉砕がよい)」と玉砕を兵士には強制された。=

恥として玉砕を名誉であるとするが故に、ついに今次の大敗北(太平洋戦争の)となったのである。
 
日本の船で、頭の方に櫓をつけたり、舵をつけたりするものは全然ないが、中国ではなんでもが実用的であるだけに、進軍も退陣もなんのへだてもありはせん。それかあらぬか、舟の櫓は舵の方が一本、その両側が二本、そして舟の軸にも、チャンと櫓がとりつけられてあって、
 
何日でもぎっこんぎっこんと漕いでおる。この図はちょっと日本ではみられない。また、帆は追風にのみ張るものと思うておったところが、中国の舟では逆風にも帆をあげて走るから、莫明其妙〔奇妙〕である。
ただし、この場合は舟の船路は電形にジグザグであるが、実にうまいものである。
 
もう一つ面白いのは、風がきつく波が高くて舟の方向転換がどうしても出来ない時に、中国の舟は舟の頭にチャンと舵を入れる様にしてあって、長い一枚の板を(特別製である)噛ませて、グウッと回すと、極めて容易に舟の方向がかわる。帆をあげて走る舟が風の具合でたいへんに傾く時がある。
 
その時は常に舟の脇腹につけておる、名はなんというか知らんが1枚の板の綱を放すと、それによって傾きが直るのである。かく考えて来る時に、舟の実用ということについては、われわれは学ばねばならんたくさんのものがある。
 
日本軍は退くということがないとは、今日までよく聞かされたことであるが、私は信じなかった。進むも退くも等しく戦法であると思っている私としては、日本軍は決してそんな猪勇ばかりではない、と思うたからである。
逆櫓の梶原が非常に冷笑されたのは、逆櫓でなくて、なんでも早く逃げなければならんとの内心のたくらみと見破られた点にある、と私は思う。
 
卑怯で逃げるのでなくて、戦法による退却に、なんの不面目があるか、なんの恥であろうか、進むも退くも正々堂々であるのだ。
 
 中国人の餅つきをみたが、太い半石をはめた杵(きね)の柄の本と先とをもって、一度振り上げて打ちこむ時に、自分の身体の重味を乗せてダット打ちこむのである。日本の杵は大体、腕でつくのであるが、中国の餅つきは身体でついておる様である。船頭の櫓の漕ぎ方も同じである。
 
自分の身体をそのままなげかけて漕いでおる。鋸(のこぎり)の使い方でも、日本人は手前まで引くのであるが、中国のは全身のカを身体とともにのしかかってゆく。カンナの使い方も同じだ。
 
なんでも決して腕だけではやらない。身体でやってゆく。日本人の仕事が細かくて小器用にできてるゆえんは、身体で仕事をしないで手先で仕事をしておるからである。私が日本文化はベニヤ板文化だと評するのも、同じ所にねらいがあるのだ。
 
一寸一パイ、おでんかん酒、すし、うどんのチョウチン文化というのも、つまり、同じ点についていうておるのである。
箱庭や盆栽や盆景は手先で出来るが、人生の大仕事はやはり身体でやらねばだめである。

この辺にも、われわれが学ばねばならんものがたくさんある。
 

この教訓とは何か

以上が内山の『逆櫓』論における、日中のコミュニケーションギャップである。
日本人は戦略的な思考がないということは、結局何も考えていないということである。
菅政権が「日中関係は戦略的な互恵関係にしたい』と外務省の作文を口だけで述べてるのをみても、戦略的に考えた上での
行動が尖閣列島問題や北方領土問題のドタバタ対応とすると、全く何も考えずにその場しのぎであり、役人の過去のワンパター
の踏襲行動そのものなのである。
太平洋戦争に見られる日本人のバンザイ突撃、全滅突撃戦法は、現在の旧自民党、現民主党政権のGDP最優先、1000兆円の
世界史上、最悪の財政赤字の積み上げ大作戦とまったくおなじものではないか。過去20年以上も、バカの1つ覚えのように経済再建、
成長分野の育成を掲げながら、ワンパターンの赤字予算ばかりを積み上げてきた。
ワンパターンとは中国語で「王八」と書く。この意味は『バカ』「ろくでなし」ということだ。
中国人がどのような目で、日本を見てきたのか、今も見ているのかー考え直す必要がある。
 
 
 
 
 
 
 

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