前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

世界リーダーパワー史(939)― 安倍首相が三選―歴代首相でトップの最長政権(2021年9月までの通算10年間弱)を達成するか』★『安倍首相の解決スピード不足と出口戦略がないために、現実の「人類史上初の超高齢化・少子化・人口減少、消滅自治体、国家財政のパンク、迫りくる巨大災害」にキャッチアップできていない。』

   

世界リーダーパワー史(939)

安倍首相が三選―歴代首相でトップの在任期間(21年9月までの通算10年弱)を達成するか

                 

9月20日投票の自民党総裁選挙では安倍首相が石破茂氏を破り3選を果たした。

任期は2021年9月までの3年間。これを全うすれば首相の在任期間は桂太郎(2886日)、佐藤栄作(2798日)、伊藤博文(2720日)吉田茂(2616日)、に次いで5位の安倍首相(2461日)は3567日となり、歴代長期首相を抜いて最長記録となる。

世界各国の政治制度を眺めると、立憲君主制、議会民主制などさまざまでトップは大統領、首相、その並立制などいろいろ、また在任期間も3年、4年、2期8年間までと違う。その点で首相の評価はその在任期間の長短よりも、何を国民、国家のために成し遂げたか、その政治突破力、結果力によって決まると思う。

その意味で、この5人の長期政権を達成した首相のリーダーシップとリーダーパワーを比較してみよう。

今年は明治維新から150年である。

1885年(明治18)に内閣制が導入され、初代総理は「赤電報(英語の電報)が読めなければ首相はつとまらない」と元老会議で最も若い伊藤博文(43歳)に決まった。

「薩長藩閥政治」の明治政府は「富国強兵」、「殖産振興」をスローガンに近代国家を目ざした。桂太郎は明治陸軍建設のリーダー格で山県有朋の第一の子分。1901年(明治34)に満州へ侵攻したロシアとの戦争に備えて首相に抜擢され、翌年、日英同盟を締結、明治36年10月に盟友の最強の軍師・児玉源太郎を参謀次長に据えて、半年後の37年2月に日露開戦に踏み切った。

伊藤博文、山県有朋、大山巖、山本権兵衛らの一致協力により「短期決戦」「早期和平」を目指し、米ルーズベルト大統領に講和を斡旋、1年7ヵ月で戦争を終結させた。桂首相の在任期間は計8年間ほどだが、明治の「坂の上の雲」を目指し、必死にのぼり、見事に国難を突破し、今日に至る日本発展の礎(いしずえ)を作ったことだけは間違いない。

 

自由民主党の父・吉田茂

一方、吉田茂は明治維新の元勲・大久保利通の2男の牧野伸顕(外相)の女婿である。

英国大使などをつとめた英米派の外交官僚で、終戦後の東久邇、幣原内閣で外相に就任、「戦争で負けた国が外交で勝つた歴史はある」と廃墟の中から日本再建に決然と取り組んだ。昭和2Ⅰ年4月の新憲法(別名マッカーサー憲法)制定後の

第一回総選挙後に第一次吉田内閣を組閣した。吉田はこの時、67歳で遅咲きの総理となった。

以後、日本占領下の国難を突破するため、歴代宰相で外交能力に最も優れた吉田はGHQ(連合国総司令部)のマツカサ―元帥との信頼関係を構築し、早期の日本独立、国際連合への復帰を目指した。

マッカーサーと昭和天皇の会談は計13回だが、吉田とマッカーサーとの面会回数は実に75回にものぼり、互いにジョークを応酬する仲良しとなった。この結果、朝鮮戦争の最中の1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和会議で吉田首相は単独講和を選択して講和条約を締結し、独立を果たし、国際社会にわずか6年でスピード復帰した。

 

この時、「米英、西欧陣営との単独講和か」「ソ連も含めた全面講和か」で国論、世論は真っ二つとなった。進歩的文化人、社会党、マスコミ、労組などは全面講和を主張して、吉田内閣に猛反対し、連日デモが続いた。
もし、この時、吉田首相が「単独講和」に踏み切らなければ、その後の日本の奇跡の経済成長と経済大国化はなかったであろう。
吉田首相は五次にわたる内閣で、「吉田ワンマン学校」といわれるほど大臣を粗製乱造し、その数、実に79人、延べ大臣は114人に上った。
しかし優秀な後継者の育成にもつとめ、この学校から池田勇人(所得倍増論)、佐藤栄作(沖縄返還)、田中角栄(日本列島改造論)らの歴代宰相を輩出し、戦後政治の本流を形成した。昭和20年代を通じ離合集散を繰り返した保守諸党が合同して、自由民主党を創立されたのは1955年(昭和30)のことだが、
吉田は「自由民主党の父」「昭和戦後の政治経済復興の父」なのである。

 

以上、桂、伊藤、吉田、佐藤に共通するリーダーシップは「国難突破力」であり、「長期戦略」「出口戦略」「インテリジェンス」「スピード解決力」にあると思う。

桂太郎は当時最強の軍事大国ロシアとの戦争を1年半で片をつけた。吉田は6年間で日本の独立と国際社会への復帰を成し遂げた。そのスピードや畏るべしである。

その意味で、安倍首相はこれまでの6年間で一体、何を達成したのか。

安倍一強体制下で宣言されたアベノミクスの経済成長戦略はデフレ脱却のため成長率2%、物価上昇率2%の目標はいまだ未達である。100歳元気時代なる不可能な国家目標をぶち上げて社会保険医療費増加の歯止めもできていない。財政再建はますます困難となっている。地球儀外交なるものも安倍首相の外遊回数の記録更新の割にはその成果は未達である。

安倍首相のリーダーパワーのスピード不足と出口戦略がないためで、現実の「超高齢化・少子化・人口減少、消滅自治体、国家財政のパンク」のスピードに追いつけていない。その点で、安倍首相は今後3年間で何が何でもよい結果を出さねければならない。

 

 - 人物研究, 現代史研究, IT・マスコミ論

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
世界リーダーパワー史(934)ー『迷走中のトランプ大統領のエアフォースワンはついに墜落寸前か!』★『政府高官たちは大統領失格のトランプ氏に対して憲法修正25条の適用を水面下で検討したものの、同条の適用は史上初となるため「憲法上の危機」を招くため、同氏の退任まで政権を正しい方向に導くことで一致した』

世界リーダーパワー史(934) 『迷走中のトランプ大統領のエアフォースワンはつい …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史」⑵(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか②『「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日本を攻めようにも風涛艱険で、 モンゴル軍が安全に進攻できるところではない』

「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日 …

『Z世代のための日本戦争学入門①』★『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉝総理大臣を入れない「大本営」、決断力ゼロの「最高戦争指導会議」の無責任体制➁』現在も「この統治システム不全は続いている』

2014/11/28  『来年は太平洋戦争敗戦から70年目』記事再編集 …

no image
速報(435)『日本のメルトダウン』(MIT)メディアラボの伊藤穣一所長の記者会見』(動画)『三木谷氏の「計画資本主義では出遅れ」

  速報(435)『日本のメルトダウン』   ●『 …

no image
日本リーダーパワー史(318)<本物のリーダーとは、この人をみよ>大津波を予想して私財を投じて大堤防を築いた濱口悟陵

日本リーダーパワー史(318)   <本物のリーダーとは、この人をみよ …

no image
日本リーダーパワー史(378) 日中韓三国志・『林董の「日本は開国以来、未だかつて真の外交の経験なし」

 日本リーダーパワー史(378)  <日中韓150年三国志― …

no image
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1052)>『世界から米国の「背信」、時代錯誤と大ブーイングを浴びたのが「パリ協定」離脱』★『環境破壊のならず者国家、1位米国、2位は韓国―パリ協定離脱宣言に非難ごうごう、 その当然すぎる理由』★『トランプはパリ協定離脱の正義を信じている 「核の脅威こそ究極の地球環境問題だ」』●『パリ協定「政権抜きで果たす」 米国の企業や大学で動き』

★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1052)> 世 …

no image
近現代史の重要復習問題/知的巨人の百歳学(158)-『渋沢栄一(91歳)の国民平和外交を潰した関東軍の満州事変の独断暴走が、日本を破滅(戦争)の道へ陥れた。この4ヵ月後に渋沢は亡くなった』

近現代史の重要復習問題/知的巨人の百歳学(158) 明治、大正、昭和で最高のトッ …

『Z世代のためのオープン自由講座』★『超高齢少子人口減少日本』★『センテナリアン(百寿者)は9万4526人、2047年には50万人を突破する」★『日野原重明(105歳)先生の生き方に学ぶ』

  センテナリアン(百寿者)―9万4526人、2047年には50万人を …

no image
速報(154)『日本のメルトダウン』『福島原発から45k地点でプルトニウム検出』『中間貯蔵施設という呼び名は大変不適切である』

速報(154)『日本のメルトダウン』   『福島原発から45キロの地点 …