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73回目の終戦/敗戦の日に「新聞の戦争責任を考える④」ー『反骨のジャーナリスト』桐生悠々の遺言「言いたいことではなく、言わなければならぬことをいう」

      2018/08/27

 

桐生悠々の遺言

「言わなければならぬことをいう」

 

「8月ジャーナリズム」という言葉がある。広島、長崎への原爆投下、終戦記念日の8月にはメディアが競って戦争をふりかえる特集記事を載せる。わたしにも、「戦時下の抵抗ジャーナリスト・桐生悠々について取材したい」と某テレビ局からから申し込みがあった。昔、私が桐生悠々について書いた一文を読んだらしい。

桐生悠々(1873 – 1941)を、今の若い人はどれだけ知っているだろうか。彼は「信濃毎日新聞」主筆当時の、一九三三(昭和八)年八月十一日に社説「関東防空大演習を嗤う」を書いた。

日米戦争の危機が叫ばれ始めたころの東京を空襲から守るための一大防空演習である。社説の内容は『爆撃機を東京に侵入させれば木造家屋の密集する都内は火の海となり、関東大震災以上の惨事となる。侵入前に撃墜せねばならない。また、夜間攻撃に対しては消灯して防空するというのは時代錯誤だ』というごく当たり前の論評だった。

ところが、大元帥たる天皇が統監する防空大演習を「あざけ笑う」とは何事かと問題化し、軍部からの謝罪文の掲載と桐生の退社を迫る不買運動が起きた。約2万部の『信毎』は必死で抵抗したが、8万人の長野在郷軍人会の不買運動に抗すべくもなく2ヵ月後に桐生は謝罪文を掲載し退社に追い込まれた。

桐生は「大阪毎日」「大阪朝日」「新愛知」(中日新聞の前身)、「信毎」と渡り歩いたベテラン記者だが、以後、大新聞社に属する組織ジャーナリストでは自由に書くことはもはや不可能と考えた。「私は言いたいことではなく、言わねばならないことをいったために生活権を奪われた」の桐生は書いている。

このため、自ら全責任を負う個人誌『他山の石』を翌年に創刊した。

『他山の石』は約四十頁の小冊子で毎月二回発行。部数は三百から四百五十部。値段は一部五十銭、維持会員は毎月三円。内容は翻訳の得意な桐生が広く外国の文献の概要を紹介、「論評欄」では政治や社会を縦横無尽に批判した。

この『他山の石』に立てこもって十三人の大家族を養いながら、一九四一(昭和十六)年九月までの八年間、ペン一本で軍ファシズムと孤立無援の戦いを挑んだ。

陸軍省内での白昼の永田鉄山軍務局長暗殺事件(相沢事件)(昭和10年8月)では「正にこれはギャング」として「この卑怯なる行為は、当世流行のギャングの仕業とも見ることができる。陸軍内のギャングも軍規粛正の名の下に、一掃すべき」糾弾した。

1936年(昭和11)の2・26事件では胸のすく批判を展開した。「だから言ったではないか、国体明徴より軍勅明徴が先きだと。だから言ったではないか、軍部の妄動を諫めなければ、その害は測り知れないと。今度こそ、国民は断じて彼等の罪を看過しないであろう」
この時、東京朝日新聞も反乱軍に襲われ、活字棚などをメチャメチャに破壊された。その朝日、毎日、読売、その他の新聞も軍のテロ、暴力に縮みあがって沈黙した中で、桐生はただ1人勇気をもって真正面から批判した。『他山の石』の声価は大いに上がった。
しかし、官憲からの監視はますますきびしくなり、以後、発禁につぐ発禁となった。
 

当初、四百部前後あった『他山の石』の購読者は1937年(昭和12)7月の日中戦争勃発後、読者が応召されたり、当局の弾圧が購読者が減る一方で経営は惨憺たるものとなった。悠々は貧乏のドン底に陥り、好きな酒を絶ち、百姓仕事で自給自足の生活を送り生活費を切りつめた。

太田雅夫著『評伝桐生悠々』(不二出版、一九八七年)によると、『他山の石』は合計百七十七冊が刊行されたが、そのうち発禁、削除は約16%にのぼった。

太平洋戦争 が始まる約三ヵ月前の一九四一年(昭和16)九月十日、悠々は口頭ガンのため六十九歳で亡くなった。愛知県県特高課と対立し、事前検閲を七月に拒否したため、八月以降、続けざまに発禁となり、壮絶な「他山の石」廃刊の辞を読者に送った。

「小生は喉頭ガンが悪化し、流動物すら喉を通らない状態で、この世を去らねばならぬ危機に陥った。しかし、この超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることにむしろ歓喜している。ただ小生が理想とした戦後の一大軍粛を見ることなく、この世を去るのは如何にも残念至極」

桐生の絶筆の「科学的新聞記者」(昭和16年9月5日号)ではこう書いている。

「枢軸国家の新聞を見るに、いずれもその民族,又は国家の特殊性に自己陶酔的になり、ニセモノの神秘主義が横行している。科学的知識が一般的に理解されなければ、近代社会は崩壊する。いまこそ科学的新聞が必要である。わが新聞記者に至っては、科学的知識には全然無知であるため、神がかりの神秘主義に終始している」。

最後に某テレビ局は桐生悠々の今日的な意義について質問してきた。

「今、ジャーナリストに求められるものは桐生のように「言わなければなららないことを言い切る」良心と勇気ではないか。それを科学的に客観的事実(物的証拠)に基づいて論理的に記事にすることと、事実を深く抉り出すための強力な取材力こそもとめられる」

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