前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(209)ー太平洋戦争敗戦時の畑俊六陸相(A級戦犯)の「国民に詫びる」

   

日本リーダーパワー史(209)
 
 
<政治家・官僚・リーダーの責任の取り方>

太平洋戦争敗戦の畑俊六陸相の「国民に詫びる」
「日本週報」第2号<昭和20(1945)年12月16日号>
 
①    戦争責任を国民に詫びる
②    トップとして下剋上を押えられなかった。
③    終戦という言葉で敗戦をごまかしてはならない。

☆今回の3/11以来の福島事故の責任についての『第3の敗戦』に当たって、民主党、自民党
などの政治家、東電、経産省、保安院の責任を徹底して追及せねばならない。『第2の敗戦』
で見せた軍人の責任の取り方とを歴史比較検証せよ★

 
                       前坂 俊之(ジャーナリスト)
 

ウイキペディアによると、

畑 俊六1879―1962)は元帥、陸軍軍人。明治43年、陸大を首席で卒業。参謀本部作戦課長兼軍令部参謀・航空本部長など作戦関係の要職を歴任し、昭和12年に陸軍大将に。南京事件に対して、松井石根大将らの交代を陸軍大臣に進言した。[2]翌・昭和13年に松井の代わりに中支那派遣軍司令官に。
 


 

昭和14年8月の阿部内閣の陸軍大臣に就任。次の米内内閣でも留任。日独伊三国同盟締結に絡んだ陸軍の命により単独辞職、後任陸相も出せず米内内閣瓦解の原因となった後年の東京裁判ではこの米内内閣倒閣の件が、俊六の罪状において最も重視されることとなる。

終戦間際の昭和20年(1945年)8月14日10時、昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集し、畑俊六(第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、永野修身(元軍令部総長)の3元帥より意見を聴取した際、杉山と永野が主戦論を張るなか、畑のみは反対を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させた。

東京裁判での畑俊六は・・

(東京裁判)では畑は米内内閣倒閣などの罪状を問われてA級戦犯で起訴された。米内は、陸相単独辞任は俊六本人の意思ではなく俊六は陸軍という組織の歯車の一つとして動かざるを得なかったことがわかており、かばう証言をした。そのため俊六は死刑を免れ終身刑の判決を受けた。6年間の服役後、仮釈出所した。

 - 人物研究 , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
●リクエスト再録記事『日本インテリジェンスの父』『日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信設備の兵站戦略こそ日清戦争必勝のカギ

日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信 …

no image
人気リクエスト記事再録『百歳学入門(204)』★『日本の食卓に長寿食トマトを広めた「トマトの父」・カゴメの創業者蟹江一太郎(96歳)の長寿健康・経営訓10ヵ条』

人気リクエスト記事再録『百歳学入門(204)』   百歳学入門(70) …

『リモート京都観光動画』/『The Japanese landscape garden in Kyoto Nijo Castle/ 戦災を免れた優美な京都の国宝・二条城(世界文化遺産)ー外国人観光客で大賑わい』★『ー金色細工の唐門を通って二の丸御殿前へ』★『ー金色細工の唐門を通って二の丸御殿前へ』★『小堀遠州代表作の池泉回遊式庭園二の丸庭園を散歩する』

<2014/04/03撮影>   ★5 The Japanese la …

★『日本経済外交150年史で、最も独創的,戦闘的な国際経営者は一体誰でしょうか講座①(❓) <答え>『出光興産創業者・出光佐三(95歳)』ではないかと思う。そのインテリジェンス(叡智)、独創力、決断力、勝負力、国難逆転突破力で、「日本株式会社の父・渋沢栄一翁」は別格として、他には見当たらない』

  『戦略的経営者・出光佐三(95歳)の国難・長寿逆転突破力①     …

no image
世界/日本リーダーパワー史(963)ー2019年は『地政学的不況』の深刻化で「世界的不況」に突入するのか』②『米中貿易戦争は軍事衝突に発展する可能性はないのか?・』

 世界/日本リーダーパワー史(963) 米中貿易戦争は軍事衝突に発展す …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史」⑶日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか③『現在の北朝鮮問題と同じケース、一国平和主義に閉じこもっていた鎌倉日本に対して世界大帝国『元』から朝貢(属国化)に来なければ武力攻撃して、日本を滅ぼすと恫喝してきた!、国難迫る!』

日本の「戦略思想不在の歴史」⑶ 日本で最初の対外戦争「元寇の役」の内幕 第4回目 …

no image
 ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟はなぜ結ばれたのか」⑥1902(明治35)年2月19日『ノース.チヤイナ・ヘラルド」『日英同盟の内幕』●『西太后が信頼した外国は①米国②日本➂英国で『日本は血縁関係の帝国同士で、 中国に対する友情をもって決して外れたことはない』★『袁世凱とその同僚の総督たちは日本派で日英同盟を 結ぶようイギリスに働きかけた。』

 ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟はなぜ結ばれたのか」⑥   …

no image
日本リーダーパワー史(86)日本最大の英雄・西郷隆盛の最強のリーダーシップとは何か』(下)

日本リーダーパワー史(86) 日本最大の英雄・西郷隆盛の最強のリーダーシップとは …

『昭和戦後の戦略的宰相の系譜講座』★中曽根康弘元首相の戦略とリーダーシップ』★『「戦後総決算」を唱え、国内的には明治以来の歴代内閣でいづれも実現できなかった行財政改革「JR,NTT,JTの民営化」を敢然と実行』★『「ロン・ヤス」の親密な日米関係だけでなく、韓国を電撃訪問し、日韓関係を一挙に改革し、胡耀邦氏と肝胆合い照らす仲となり、日中関係も最高の良好な関係を築いた、有言即実行型の戦後最高の首相だった』

    2019/12/14 &nbsp …

no image
『リーダーシップの世界日本近現代史』(283)★『新型コロナウイルス戦争について歴史的に参考にすべき日本インテリジェンス』★『日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(22) 『川上操六は日清戦争は避けがたいと予測、荒尾精の日清貿易研究所を設立しで情報部員を多数養成して開戦に備えた』

    2015/12/27日本リーダーパワー史( …