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<明治の新聞報道から見た大久保利通 ④ >維新の3傑ー『明治政府の基礎を作った男④』

      2016/11/10

明治の新聞報道から見た大久保利通 ④
明治維新の3傑ー
『明治政府の基礎を作った大久保利通④』

前坂 俊之(ジャーナリスト)


1878年5月23日
薩長土肥の四藩が己巳の歳正月を以て封土を奉還せしより、天下の列藩相継て何れも版籍を奉還し、府藩県の政体を布くに至りしと錐ども、兵力は依然として各藩の間に存し本軽うして末重く朝廷の力は以て各藩を制御するに足らずして動もすれば割拠分裂の患なきに非ざるにより、廃藩置県の一挙は実に当時に己むべからざるの要義たり、
而してこの変革を施さんとせは勢い薩長土の三藩を一致せしめ、然るのちこれを決行せざるべからず、これに於て朝廷明治三年十一月二十五日を以て岩倉大納言を勅使とし、島津久光、毛利敬親を召し、更に公を鹿児島に木戸公を山口に遭わさる、
久光公病に依て朝るすを得ず、大参事西郷隆盛をして代りて上京せしむ、幾許もなくして公、木戸公及び隆盛と共に高知に赴き大参事板垣正形を伴うて共に上京す、この月三藩の兵を敬して親兵とす、於是乎廃藩置県の基礎全く走る。六月二十五日朝廷一大変革を行わるるに際し、公その他の諸公と共に参議を免ぜられ、一日を置て大蔵卿に任ぜられたり。
この年十月八日外務卿岩倉具視を右大臣兼特命全権大使とせられ、公及び木戸、伊藤の二公は特命全権副使に任ぜられ、欧米各国に派遣する旨を命ぜらる。
これより先き明治元年正月十一日岡山藩日置帯刀の従者神戸にて英人を殺し、また同年二月十五日高知藩士仏人を堺に殺し、同月三十日林田某等英国公使が参朝の途中に狼籍する等の事ありて、外交の事態甚だ難儀なりしが、公及び木戸、小松の諸公が早く開国の目的を定められしにより、幸にその交際を保ちしも更に親睦を表するがため、いよいよ大使を派適せらるることに定まりしなりという。
同十一月八日東京を発して先ず米国に赴かれ、翌五年三月二十四日帰朝して条約改正の事を建議せられ、同じき五月十七日再び米国に到りそれより欧州を歴覧し、翌六年五月二十四日使命を全うして帰朝せらる。
この行たる両大州を周遊して大に宇内の形勢を悟り、奮然自得せられたる所ありという。この時に当り西郷、江藤、後藤、板垣、副島の諸参議征韓の論を主張して議殆ど決す、公、岩倉、木戸の諸公と共に堅くその不可なるを執議し、終に喪断に依て討たざるに決し、
西郷以下の諸参議皆職を辞す。
同十月十三日公参議に任ぜらる、十一月十日内務省を置れ、二十九日公を以て兼内務卿に任ず、七年二月江藤新平、島義勇等と佐賀に叛す、同九日公鎮撫の命を奉じて直ちに佐賀に赴き、日ならずして鎮定の功を奏し乱後の措置を指揮径画して三月一日東京に凱陣せらる。
これより先き明治四年台湾の生蕃琉球国の漂民を殺し、同六年また小田県の人民を劫してその物品を奪いたるより、朝廷兵を起してその罪を問うの議に決し、陸軍中将西郷従道を以て都督とし諸鎮台の兵に鹿児島の徴兵八百人を併せ三千六百五十八人を率いて長崎より出帆せんとする折柄、英米の両国の公使中立規則に拠りて、船艦並にその国人の傭役を辞せしを以て朝廷命を下して蕃地事務局総裁大隈重信公を召し還さる。
西郷中将騎虎の勢中ごろ止むべきに非ず、某は勅書を奉還して蕃地に打
人らん、清国異議を唱えは、脱艦賊徒を以て答えらるべしと争うて更に聞入れず、諸艦に出帆の期を令し石炭を頼み水を汲入れ今にも打立んとする折しも有功艦は二百人の兵を載せ期に先だち直門に向って出帆す、
事務局速にこれを東京に報ず、四月二十九日公命を奉じて即時に長崎に赴く、西郷中将なお在り、公中将を諭して雇入れし船艦及び雇役人等の約を解き、更に高砂杜寮の二艦を我に購い諸将に妄りに兵を用ゆること勿れと戒め再び東京に帰られたり。(以下次号) 

                

1878年5月24日

 西郷中将は明治七年五月十六日を以て長崎を開帆し生蕃の地に打入りて石門を抜き合長を撃殺し、遂に最も屈強の聞えある牡丹部落の巣窟を焼てその糧道を絶ちしを以て、諸酋長の来り降る者陸続として相継ぐ
に至れり。
元来政府が征台の兵を起されしは、去年副島大使を清国に通わされし時、その旨を総理衝門に告知され清延にては更に異議なき趣を返答せLに起しに、これに至りて清延は五月十一日を以て外務省に照会し、副島大使の談判は用兵の事迄には及はぎりしと言い、また郁弁天臣播なる
者は蕃地に至りて西郷都督に退軍を促がすに及びしかは、我政府は柳原公使を北京に遣わされLに清廷にては境土を侵越し、土地を焚
し条約を犯すの所業なりとまで言い、公使は昨年談判の次第と蕃地は清国の版図に非るを弁じて往復数回に捗ると錐も決せず、これに於て聖上更に公を以て特命全権弁理大臣とし委するに和戦の特権を以てし、
清延に至りて事を決せしむ、公は八月六日租税助吉原重俊、陸軍大佐福原和勝、権少内史金井之恭等を随えて東京を発し九月十日北京に着せられ、まず柳原公使が往復の書類を点検せらるるに、その大要は版図の罵否如何を論ずる書にして巳に残す所なきを以てかかる上ほ版図の実如何を詰問せんと考定せられ、その翌日照会の事終りて同十四日総理衝門に於て談判に及ばれたる要旨は、万国公法の正理に拠て、
巳に生蕃は貴国の版図なりと主張せらるるからは、行政教導等の実棟の該地に及びたるか、方今万国互に往来するの時に当り何れもその航客を保護するを緊要なりとす、然るに生蕃の残虐彼が如きも貴国これを懲戒するを知らず、仁義道徳を以て世界に称せらるる実は那処にあるかとの二条を眼目として、その版図の実なきを悟らしめんとするに在り。
然るに清延の大臣は或は台湾府誌を引き、或は近傍府県にて分轄する杯と答え、
数度の談判に捗れども結局の功を見ず、かくては幾度言うとも無益なりとて十月二十五日に及んで前日の目的に立戻りて帰朝すべき旨を申送られ、また樺山中佐を先発せしめて西郷都督にその旨を報ぜられ、両国の交際将にこれに破れんとせしに、支那駐割の英国公使ウェード氏両国の和解に力を尽し、終に五十万両の金額を我に僚うに決し、
同三十一日三条の条約調印終りて、十一月一日柳原公使以下随行の諸氏と共に北京を発し、同三日天津に着して、李鴻章を訪わる。鴻章欣んでこれを迎え共に和議の成るを祝す、翌日鴻章また公を訪う、公酒食を饗し洒間互に両国の物産及び貿易の利害を論ずるのち鴻章は近日領事を貴国に派するの所見なりと述べしとぞ。
翌十一月二十七日海路志なく東京に着せらる、大臣参議諸省の官員新橋停車場に出てこれを迎え、全都の人民家毎に国旗を掲げて公の帰朝を祝し、聖上は太政官に臨御なりて使事の上奏を聞し召れ、公が国権を全うして交誼を保ちしを 叡感あらせらるる旨を勅せらる。
蓋しこの時に当て清延は会て戦を期するの意なく和好を主張して曲名を我に負するの深意あるが如く、若し金額の多少に由て談判の破れたらんには、我義挙たるの本旨を失うの状なきに非ず、これ公が強弱損益を度外に措き名誉を損せず国権を落さざるを重んじ一刀両断に専決して疑われざりし所以にして、その目的は親しく或人に語られしことありという。
支那の葛藤巳に解けこれより内治に力を尽すべきの時に際せしと錐も、木戸公は先に山口に帰られ、板垣氏もまた高知に退き、維新の功臣漸く分離せんとするを見て、垂に職を辞して大坂に退隠せられたる井上馨君深くこれを欺き、
東西に奔走して終に諸公を大坂に会するの約を成し、八年二月公は伊藤公と共に東京より赴かれ、木戸公は山口より、板垣氏は高知より各々大坂に会せられて前途の事を議せられLが、諸公の議論一致せしを以て共に東京に上らる。幾許もなく木戸公、板垣氏も前後参議に任ぜられ、公は木戸、板垣、伊藤の諸公と共に政体取調御用を命ぜらる、四月十四日の聖詔はこれに依て発せられしなりとぞ。九年五月奥羽御巡幸の事あり、公御先供の命を奉じて先発せらる、
十年一月また西京に幸せらる、幾許ならずして鹿児島の変あり、公二月十三日を以て西京に赴き征討の事務に参ぜらる、賊勢漸く衰え 聖上東京に還幸あらに及び、公もまた後るること二日にして、八月二日東京に帰り、同二十一日内国勧業博覧会を閑かる、
賊乱平定するに及び十一月二日勲一等に叙し旭日大綬賞を授けられ、正三位に叙し年金七百四十円を賜わる。十一年五月十四日参朝の途中紀尾井町にて島田一郎以下六名の兇賊の為め刃に薨ぜらる、亨年四十七年十ヵ月なり。 

聖上股肱の臣を失うを悼ませ玉うこと一方ならず、即座に富小路侍従を勅使としてその邸に臨ませられ、また宮中の侍医を残らず遣わされたり、翌十五日右大臣正二位を追贈せられ、十七日神葬の式を以て青山の墓地に葬る。
抑々復古の功臣にしてその去就を筍もせず、兢然天下の重きを以て自ら任じ沈深剛毅事に臨んで能く断じ大節に当りて凄まざるほ、蓋し公の如き着なく殊に
維新の功臣漸々に凋零し去り、国家の元老を以て朝廷に存する者は公一人にして朝野を挙て天下の安危を託せし所なるに、図らずも凶変に罷られしは惜むにもなお余りある事共なり。
公は鹿児島の乱平いでより更に志を地方の政治に委ね、本年地方官会議の如きも内閣中或は行政会議に附すべしとの論議ありしと錐も、公は断然四月の聖詔によってこれを公議に附するに決せられたりという。また勧業授産の事は最も公の熱心せられたる所にして、薨去の前日に於ても
 楠本東京府知事、渡辺福岡県令、安場愛知県令を内務省に呼れて、士族の授産は尤も忽にすべからざれはその資本は今度の内国俵より幾分かを流用すべし、地方に依て便宜の法を施行せんこと余が希う所なり、こ旨を三氏より各県令へも伝えられよと内話あり、
またその一両日前にも勧業事務に付き日下の見込を明細に書き認めてある貴顕の方に贈られしとぞ。薨せらるの後ち親戚朋友の人々集まりて遺財を検せられしに、百四十円を余すのみにして借財は数多あり、何れも地券杯を抵当として後日の約を堅くせられしかは、相談の上先に公が鹿児島県庁へ学校資として贈られた八千円の金を取戻して遺族を養うの料とし、学校資は朋友の人々が代りてこれを贈らるるの目途なりとそ。この一事に就ても公の財を軽んじ家を思わず、只身を以て国に許されたる心事を推想すべくして涙の袖を湿すを覚えざる事にこそ。
 
 
 『内国産業の発達に心を入れたり』
 
  1878(明治11)年6月3日   「東京曙」
 
 故大久保公が総ての事務に尽力せられたるは今更いう迄もなきことながら、就中勧業のことは取りわけ深く心を入れられ、陸海軍々人の着服等以来内国産を用い舶来品を仰がぬようにせられんため諸器械を買入れ教師を雇い練習せしめられし功績ありて、追々には悉皆内国産にて使用に供するに至るべし、これ全く大久保公の尽力による所なりという。
 
 

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