前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊽★『青木宣純大佐は袁世凱の協力によって、諜報の協同化と『特別任務班』(馬賊遊撃隊)を編成した』★『日露戦争にもし日本が負ければ、大清帝国も滅亡する(袁世凱)』

      2017/08/12

★『明治裏面史』 –

『日清、日露戦争に勝利した明治人の

リーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊽

 ダウンロード

 児玉参謀次長の秘密命令を受けた青木大佐は素早く支度を整え、一週間の余裕もなく東京出発、直路、天津にいた袁世凱軍を訪ねた。

日ごろから肝胆相照らしていた袁世凱と会見し、日露戦争では①協同して諜報活動を行いたい②馬賊団を使用して『特別任務班』(馬賊ゲリラ遊撃隊の鉄道破壊工作)を組織することーに全面協力を求めた。

当時、袁世凱将軍の下で青木の後任として軍事顧問をしていた阪西利八郎大尉にも協力支援をお願いした。

 

袁は「馬賊団の情報に関してはすでに数十名の探偵員を旅順よりおこして満洲一帯の各地方に派遣している。その毎度の報告は今後怠たらず日本側に示すこととしよう。

馬賊の使用についてはその結成、蜂起を直隷省管外でするならば何等問題はなく、秘密裏の援助をおこなう」と即座に協力を約束した。

青木大佐は袁世凱から約束を取りつけたため、早くも北京に潜入して、明治3612月頃には北京要路の各方面と内密に折衝を開始した。

 

北京では日本公使館附武官たちと秘策を協議し、駐支公使の内田康哉

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%93%89

を初めとし、川島浪速

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E6%B5%AA%E9%80%9F

以下の日本人居留民から絶大な支援を取りつけた。

また青木大佐の下にはこの種の特別任務を遂行できるエキスパートを全軍から引き抜き、これらの将校は逐次、北京に送り込まれてきた。

井戸川辰三大尉

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%88%B8%E5%B7%9D%E8%BE%B0%E4%B8%89

 

は当時、支那奥地の四川で勤務中であったが直ちに北京にきた。井戸川大尉の意見具申で橋口勇馬少佐(近衛歩兵第二連隊大隊長) が東京から召致された。

津久井大尉、土井大尉、川崎大尉、佐藤大尉、伊藤大尉等の当時のベテランが顔を揃えた。

大急ぎで、青木大佐を筆頭として総勢71人の特別任務班の編成ができ上がったのは翌明治37年1月下旬。日露開戦の1週間ほど前のこと。

人的編成のほか、兵器弾薬と破壊用の器具、爆薬等の装備の全部を整えるまでの苦労も並大抵ではなかったが、ともかく開戦前に、一目でも早く敵の不準備に乗じて攻撃発進の準備を整えた。

 精鋭による編成と物(小銃・弾薬・爆薬・破壊器具等)資金さえ整えれば、疾風怒濤の勢いで北京を出発して各地に離散し、そこで現地購入可能な馬や防寒具、変装用の支那服、商人の使用する駄載用の箱、商品などを準備し、各人の爆破作業の役割分担も定めて、その訓練も旅行中に実施することにしていた。(島貫重節『戦略日露戦争』246P)

 

一方、盟友、青木大佐との密約をまもった袁世凱は協同諜報のため清国の将校や警察官をシベリアとの境界以内に秘密裏に配置した。その一人に 佩孚(ご はいふ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E4%BD%A9%E5%AD%9A

もいた。

呉は遼陽戦前後からロシア軍からマークされて捕えられて、奉天の牢獄に送りこまれたが、日本軍の奉天占領とともに、これより脱出して自由の身となった。

 

 当時、袁世凱の下には軍事顧問として阪西利八郎大尉(今の中将)がおり、袁の幕僚中には親日派の段芝貴がおり、順調ににことは進み、各地諜報員から毎日、総督府に届けられる情報は直ちにこれを阪西に示し、阪西大尉はこれを和文に直して天津駐屯軍司令官仙波太郎少将に手交しこれを大本営に打電した。

日露戦争の間、諜報上の袁世凱による協力は大きかった。日露開戦後の明治38年3月中旬、袁世凱は阪西少佐に対して、

『今回の戦争は日本の運命にいに大関係すると同時に、支那の運命をもかかっており、東アジアの大局はこれによって決まる。もし、日本が負けたならば、支那帝国はもはや存在することは出来なくなる。このために、日本の利益となると信ずれば、事の大小、軽重を問わず極力、協力して、財政を負担することも当然の処置である』(谷寿夫「機密日露戦史」280P)と述べていた。

(以上の参考、引用文献谷寿夫「機密日露戦史」原書房、1966年)島貫重節『戦略日露戦争』(上)原書房、1980年)

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルーツ⑧』記事再録/1894(明治27)年7月13日付『英国タイムズ』『(日清戦争2週間前)「朝鮮を占領したら、面倒を背負い込むだけ』★『日本が朝鮮を征服すれば,この国が厄介きわまりない獲物であることを思い知らされる一方,中国にはいつまでも敵意を抱かれることになる』

『中国紙『申報』などからみた『日中韓150年戦争史』㊽『英タイムズ』「(日清戦争 …

no image
(まとめ)—近代日中関係の創始者・孫文と『支援した熱血の日本人たち』—辛亥革命百年秘話

(まとめ)—近代日中関係の創始者・孫文と 『支援した熱血の日本人たち』—辛亥革命 …

no image
高杉晋吾レポート(26)ダム災害にさいなまれる紀伊半島⑩ダム難民(4)椿山ダムの巻

高杉晋吾レポート(26)     ダム災害にさいなまれる紀伊 …

no image
日本の最先端技術『見える化』チャンネルー『日本の情報関連技術の遅れは「企業の閉鎖性」が原因だ』」( 野口悠紀雄)●『日本の製造業はIoT時代にどうやって勝ち残っていくべきか』●『 アマゾン攻勢!「YouTubeに宣戦布告」の勝算―「ビデオダイレクト」が目指しているもの』●『iPhone7拍子抜けで見えた、アップル依存大国・日本に迫る脅威』

日本の最先端技術『見える化』チャンネルー   日本の情報関連技術の遅れ …

no image
 『リーダーシップの日本近現代史』(71)記事再録/『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉞ 『自立』したのは『中国』か、小国「日本」か」<1889(明治22)4月6日付>

2014/08/11 /『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓 …

no image
速報(318)研究会「TPP」本間正義 東大大学院教授、加藤隆俊国際金融情報センター理事長、田中明彦JICA理事長の会見

速報(318)『日本のメルトダウン』     ●『研究会「T …

no image
速報(304)『前田康博氏の世界一の授業「20世紀のロシア・中国・朝鮮・日本・米国の百年戦争の行方とは」(30分)ほか

速報(304)『日本のメルトダウン』   ★4『世界一の授業だよ!「2 …

no image
速報(328)『日本のメルトダウン』『最悪の核施設 六ヶ所再処理工場の排出規制、海底から放出し海洋汚染(小出裕章情報3本)

速報(328)『日本のメルトダウン』   ◎『7月26日 最悪の核施設 …

オンライン公開講座・なぜ日本社会政治経済制度は遅れてしまったかの研究(上)』★『福沢諭吉の言う<江戸時代の封建的な身分制度(士農工商)上下関係が未だにめんめんと生き残っている』★『福沢の故郷・大分<中津藩の武士の身分差別の実態(旧藩情=現代訳)は歴史的名著である』

★『 徳川封建時代の超格差社会で下級武士は百姓兼務、貧困化にあえぎ、笠張り、障子 …

no image
裁判員研修ノート⑤ 八海事件の真相は?!=真犯人は出所後にウソを告白した(上)

裁判員研修ノート⑤ 八海事件の真相は=真犯人は出所後にウソを告白した(上)    …