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日本リーダーパワー史(146)国難リテラシー・『大日本帝国最期の日』(敗戦の日) 陸軍省・参謀本部はどう行動したのか④

   

 日本リーダーパワー史(146)
 
国難リテラシー・『大日本帝国最期の日』(敗戦の日)
陸軍省・参謀本部はどう行動したのか④
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)

明治以来、日本は先進国に追いつくために『富国強兵』をスローガンに、日清、日露戦争、中国への進出、大東亜戦争という『エクスパンシズム』(拡大主義)を取り、アジア最大の覇権国家になった。その中心は山県有朋らが作った国民皆兵による日本陸軍という一大官僚組織、軍人組織であった。臣民(戦前、国民ではなく、天皇の赤子)がこれを全面的に支持した。
1945年(昭和20)8月に敗戦。戦後は焦土と化した中から立ち上がり、今度は軍事力ではなく経済力で、『富国経済振興』『輸出大国』をスローガンに、経済産業省、大蔵省、国土省などの官僚・経団連の官民一体による『所得倍増』『日本列島改造論』などの『エクスパンシズム』(拡大主義)で、自動車、家電製品の世界中への輸出拡大で1990年前には米国に並ぶまでの経済大国へ、再びのしあがった。
この工業製品づくりの基礎となったのは、電気であり石油、原子力である。今回の原発エネルギの最大利用が戦後の経済発展の原動力となったわけだが、戦前は軍事力が国を滅ぼしたように、今回は福島原発の暴発(国家的ミス)が日本を亡ぼすリスクが高まっているのである。
陸軍の責任も敗戦後、占領軍の手によっては裁かれたものの、日本人の手によっては徹底した責任追及、敗戦の検証が行われなかったことが、今回の福島原発事故の原因にもなっている。日本の政治・経済・軍事制度、官僚のシステム、国民の自治・政治意識、マスコミの欠陥など『ジャパンシステム』全体が再び今回の『第2の敗戦』を生んだのである。原発のメルトダウンだけでなく『日本のメトルダウン」のである。
いま、歴史からもう一度学ぶ必要がある。
 
 

<阿南陸相の徹底抗戦とその日の陸軍省・参謀本部>

1・・阿南陸軍大臣の最後の模索
閣議と御前会議であくまでも徹底抗戦を主張してやまなかった阿南惟幾(あなみこれちか)陸相、果してどこまで本気だったのか、はね上り将校の暴発を未然に防ぐ演出だったとする解釈は、それなりに説得力を持っている。自決が、その神秘性をいっそう深めたとしても・・十四日正午、「終戦の聖断下る!」の報は陸軍省、参謀本部を電撃のようにかけぬけた。ついに来るものがきた。

ぼう然自失する者、「承詔必謹」、大御心に従って行動すると決意する者、浮き足だつ者、ショックで放心する者、混乱とパニックが一挙に押し寄せて混乱の極にあった。すでに九日の第一回目の聖断以来、「断末魔になっても軍の抗戦意識は、平時の心理状態では想像もつかぬほど絶大なものであった」(『大東亜戦争の収拾』松谷誠著、芙蓉書房)という陸軍内の雰囲気をいかに鎮静させるか。
終戦の決定と同時にそれ以上に難しいのは、徹底抗戦の意識にコリ固まった陸海軍の武装解除であった。大御心を受けて終戦に向けて全陸軍をまとめて収拾しようとする阿南陸相、梅津参謀総長ら幹部たち。
一方、徹底抗戦を貫き、クーデターを起こしても、本土決戦に持ち込もうとする陸軍省軍務局などの若手、少壮組の抗戦派。この二つに分裂していき、「何が起こるかわからぬ混乱状態」に陥っていった。
すでに陸軍省の庭のあちこちからは、機密書類を焼く煙が立ちのぼっていた。東京湾の近くに来ているという米軍上陸船団のデマやウワサが、大きな渦となって飛びかった。
 
2・・混乱とパニックで、浮き足だつ
「明日にも上陸してくる!?」「東京が戦場と化す?」-敗戦のショックで放心状態にあった兵士や憲兵の中には、このデマを信じ込み、脅えて集団逃亡するものが出はじめた。
軍規弛緩による混乱とパニックで、浮き足だってきたのである。
阿南陸相の秘書官・林三郎は『終戦ごろの阿南さん』(『世界』昭和26 年8 月号)の中
でこう書いている。
「クーデターを計画した将校や八・一五事件を起こした将校も、この噂を信じていた。彼らは、米国は強力な上陸船団を背景にして、日本に無条件降伏を強要しており、その船団の上陸は、極めて近い将来に違いないと判断していた」
このため、上陸してきた米軍に大打撃を与えることにより、無条件降伏を緩和させることができると本気に考えていた。クーデターを計画した将校ばかりでなく、阿南陸相もこのウワサを本当と思い込んでいた節がある。
十四日正午、聖断が下ったあと総理官邸で昼食をとった阿南陸相はトイレで小用を足しながら、林秘書官に真剣な表情でたずねた。「東京湾にいる上陸船団に打撃を与えてから和平案に入る案はどう思うか」林は未確認情報として、反対したという。
この考えは、阿南の一時的な迷いといったものともとれるが、陛下の大御心に従い終戦するに当たり、陸軍の栄光と名誉を少しでも傷つけぬ方向での収拾を必死で模索していたのである。どのようにして混乱を最小限度にとどめるか、陸軍の項点に身を置くものとして最大の課題であった。阿南陸相の立場は鈴木首相以上に困難を極めていた。
十四日午後一時、阿南は陸軍省に帰った。
大臣室に若手将校ら約二十人が集まり、クーデターを計画中の軍務局の畑中健二少
佐、井田正孝中佐らも必死の形相で説明を待っていた。「即時終戦の聖断が下った。力およばず諸官の信頼に副えなかったことをおわびする」
 
3・・まず、この阿南を斬れ、斬ってからやれ
阿南がしぼり出すように言った。
一人が大臣の決心変更の理由を聞き質すと、阿南は『言うまいと思っていたが』と前
置きし、「畏くも陛下が、この阿南の手をとって、涙を流しながら『阿南よ、お前たちの気持ちはよく分る。苦しいであろうが我慢してくれ。
国体のことは大丈夫であると朕は確信するからお前もそう思ってもらいたい』と仰せられた。自分としてはこれ以上、何も申し上げる事はできなかった」
ここで一旦言葉を継いで、語気を強めて
「もし諸官で、これでも納得がいかぬというなら、まずこの阿南を斬れ。…阿南を斬っ
てからやれ」と激しく言い放った。(『雄話大東亜戦争の精神と宮城事件』西内雅、岩田正孝、日本工業新聞社刊)この時、畑中少佐が絶叫に似た大声をあげて泣き始めた。みんな一瞬アッケにとられた。阿南は中座していた首相官邸の閣議に向かった。
 

4・・参謀本部の八月十四日
一方、参謀本部も陸軍省ほどではなかったが、動揺が大きくなり始めた。
「比較的鎮静を感じさせた参謀本部内も今日(十四日)午後にいたって、さすがにいささか動揺の徴あり、廊下に血走るような隻眼涙ふく隻頬の往き来するにも会う」(『河辺虎四郎回想録』毎日新聞社刊、昭和五十四年)

この動揺を抑えて、陸軍省、参謀本部が一本にまとまるためには、署名して将校に厳達してほしいとの意見が参謀本部第一部長の宮崎周一中将から出された。
河辺はこれに賛成、若松陸軍次官の同意を得て、三人で陸軍大臣応接間で会談中であった杉山、畑両元帥、梅津参謀総長、土肥原教育総監のところへ入り、河辺次長が「陸軍としていかに今後進むべきであるか、を明確にお決め願いたい」と申し出た。
即座に「その通りだね」と畑元帥がと賛成したが、他は誰も発言しない。
河辺が「この際、何の議論もないと思います。聖断に従って行動するだけと存じますが…」というと、全員賛意を表わしたが、畑元帥だけが「僕は同意だ」と口に出した。直ちに「皇軍ハ飽クマデ聖断二従ヒ行動ス」と書き、これにサインしてもらった。帰ってきた阿南陸相も異議はなく、全員が署名し、捺印した。

梅津総長から「航空部隊の者がざわつく心配が多いから、航空総軍司令官にもみせていた方がよい」との指示で、航空総軍司令官、第一、第二総軍司令官も署名し、各軍に通達した。これで陸軍首脳の意志は統一された。
参謀本部では午後二時半から、将校全員に対し参謀総長が泣きながら語り、涙とともに説示した。

一方、陸軍省では午後三時から課員以上全員を第一会議室に集めて、阿南陸相が訓示。「今後、皇国の苦難はますます加重せられるが、諸官においてはもはや玉砕は任務を解決する道ではない。泥を食い、野にふしても、最後まで皇国護持のため奮闘せられたい」

午後一時からの閣議では終戦の詔勅の文面について審議したが、原案にあった「戦勢日に非なり」という個所について、阿南陸相から、変更の執拗な要求があり「戦局必しも好転せず」と修正、十四日午後十一時に公布の手続を終了した。前線の各軍への伝達は十四日午後六時、大臣、総長名で「帝国ノ戦争終結二関スル件」として発電された。
支部派遣軍からは「(終戦は)実行不可能。戦争遂行に邁進すべく御聖断あらんことを伏して祈る」との電報が返ってきた。事態はどう推移するか、未だ予断を許さぬ状況だった。

5・・阿南陸相は終戦への意志を自決で示す
一方、大御心と、いきり立つ少壮将校の抗戦意識の板バサミをどう折り合わせるか、阿南陸相の胸の内は決まっていた。
タイミングを見計らつて自決し、終戦の不可避なことを身をもつて全陸軍に知らせ燃え上がる抗戦意識に水を注ぐ。天皇の聖断と同じく、陸相の自決が不可欠とみえた。
十四日午後十一時、すべての終戦手続が終了したあと、阿南は首相官邸をたずね、鈴木首相にいとまごいをした。その前には、ことあるごとに対立した東郷外相にも、非をわび、同じくいとまごいをすませていた。
十五日午前七時十分、陸相官邸で割腹自殺した阿南は絶命した。衛生課長出月三郎大佐の鑑定では「下腹部へそ下一寸の所に左から右へ引いた創があった」
割腹から絶命までに時間がかかったのは頸動脈が切れていなかったためであった。

6・・『遺書』 一死以て大罪を謝し奉る
遺書と辞世の和歌が半紙に書かれていた。
「一死以て大罪を謝し奉る
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣阿南惟幾 花押」
「大君の深き恵に浴し身は言ひ遺すへき片言もなし
八月十四日夜、陸軍大将 惟幾」
阿南は自決に立ち合った竹下中佐に「十四日は父の命日であり、十五日には玉音放送があり、聴くのは忍びない」として、自決を決行した日付は、実際は十五日なのだが、十四日と書いていた。
また「大罪を謝し奉る」とは十五年戦争でついに敗北、終戦という事態を招いた陸軍の行為に対して、その代表としてお詫びしたもの、と竹下中佐はみている。
阿南の最期の様子は平常と全く変らず、疲労の色もなく、若松次官は「進退堂々、挙措典雅、悠々迫らず、いつも微笑をたたえた温顔を、最後の日まで変りなく保ちつづけたことに驚きを禁じ得ない」(『一死 大罪を謝す』角田房子著 新潮社)
阿南は自決は自分一人でいいとして、覚悟していた荒尾軍事課長らにクギを刺し、「これから大混乱の中を平静に終戦処理することが中央幕僚の任務だ。外地からの復員も早急に実現しなければならぬ。君たちはこの二大事業を完遂してほしい」と〝遺言″を残していた。
用意万端整えた上での見事な自決であった。連絡を受けた妻綾子の態度も落着いており、平生とかわりなかった。ちょうど前日(十四日)に戦死した阿南の二男惟是の戦友が訪れ、戦死の模様を報告したいとして阿南家に宿泊していた。
綾子は夫にこのことを何度も連絡したが、結局とれずじまいだった。
十五日朝、夫の自決を知らされた綾子は相次いで息子と夫の死に向かいあうことになった。

7・・阿南陸相の自決は終戦を具体的、強烈な形で全陸軍に告示した。

荒尾軍事課長は「全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ、全軍に最も強いショックを与え、鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思表示であった。
換言すれば大臣の自刃は、天皇の命令を最も忠実に伝える日本的方式であった」(同前掲書)
この結果、徹底抗戦や戦争継続の主張はピタリとやみ、終戦の現実を受け入れる劇的効果を上げたのである。
十五日、大陸令(第千三百八十一号) が発せられた。
1  大本営ノ企画スル所ハ、八月十四日、詔書ノ主旨ヲ完遂スルニアリ
2  各軍ハ、別二命令スル迄、各々現任務ヲ続行スベシ、但シ、積極的進攻作戦ヲ
中止スベシ。又軍紀ヲ振粛シ、団結ゴノ強固ニシテ、一途ノ行動二出デ……
また『機密終戦日誌』 には次の記述がある。
1  次官閣下以下二報告
2  十一時二十分、椎崎、畑中両君宮城前(二重橋卜坂下門トノ中間芝生)ニテ自
決、午後屍体ノ引取リニ行ク
3  大臣、椎崎、畑中三神ノ茶毘、通夜、コレテ以テ愛スル我ガ国ノ降伏経緯ヲ一応
潤筆ス
参謀本部所蔵「敗戦の記録」では十五日について、こう書いている。
「すべては終った。残されたことは退り際をよくするだけのことである。大東亜全域に各種それぞれちがった状況で散らばっている大陸軍を、どうして整斉と解体するか。
十四日の私にはとても考えられなかった。ほんとうに放心に近い心境であったが、最後の御奉公と気を取り直して……」
十五日夜、市ヶ谷台の海軍重砲西側で、阿南の遺体は茶毘に付された。陸軍省ではこの日、書類を焼く煙が一日中たちのぼっていた。
河辺参謀次長の日記にはー。
「斯クテ、我ガ大陸軍七十余年ノ盛衰ハ阿南大将ノ自決ヲ以テ終止符トナスベキカ」
帝国陸軍は精神主義を全面に押し出し将兵を教育してきた。そして最後は竹槍でもつて米軍を撃破すると絶叫したが、陸相の自決で降伏を徹底させたあたり、いかにも日本陸軍らしい最期ではあったといえる。
                            (つづく)

<前坂俊之『大日本帝国の最期』 新人物往来社 2003年7月刊より転載>
 
 

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