前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊶★『明治37(1904)/2/4日、日露開戦を決定する御前会議が開催』●『明治天皇は苦悩のあまり、10日ほど前から食事の量が三分の一に減り、眠れぬ日が続いた。』★『国難がいよいよ切迫してまいりました。万一わが軍に利あらざれば、畏れながら陛下におかれましても、重大なるご覚悟が必要のときです。このままロシアの侵圧を許せば、わが国の存立も重大な危機に陥る(伊藤博文奏上)』

      2017/07/27

 

『明治裏面史』 ★

『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、

リスク管理 、インテリジェンス㊶

『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力と責任⑫』★ 

  

開戦時期決定に関する陸軍統帥部の努力

 日露両国の交渉は、根本的な主張の食い違いがあり、平和解決の望みは少なく、3612月末に至っても解決出来なかった。

この間、参謀本部は政戦両面で速かに開戦を決行する方針だったが、政府当局の真意は国論の統一と戦争準備がまだ整っていないことと、日露交渉に尚一抹の希望をつないでいたため、時期尚早として参謀本部の方針を受け入れなかった。

両国の交渉はロシア側が遅延をかさねて、回答せず37年1月12日、参謀本部の戦争準備をすでに完成し、海軍当局も1月20日を以って戦備を完了すべきと通告して来た。

1月中旬、某新聞記者が児玉次長に『戦争開始時期』を質問してきた。児玉次長は直ちに二本の指を上げて答えたので、記者は一月二十日だろうと解釈してこの間答を翌日新聞紙の漫語欄に掲載した。次長の答えは、海軍の戦争準備が19日に完成することにより、陸軍の動員下令は翌20日のつもりであったのである。

 この危機における一日の遷延は、わが国のため千歳の不利あると同時にロシアに大きな利益をもたらす。

ところが、海軍は19日になって準備がいまだ成っていないといい、1月25日に延ばすといい、さらには1月中を要すとまで前言を翻し、開戦の期日を何度も先延ばした。

19日、参謀本部の食堂は憤慨に満ち満ちた。某参謀本部員の1人が

『明20日の回向院の大相撲(春興行)の総見を見に行こう』と提案して、全員で同意、児玉次長以下の部員一同で大相撲の参謀本部総見を行ったのである。これはロシアに対して,戦意がないこと示すカムフラージュと同時に、海軍に対する不満の表明でもあった。

この大相撲の最後取組には常陸山と荒岩との一戦があった。小柄の荒岩が大兵の常陸山を放り投げ、見物席から大喝采が上がり、しばらく止まなかった。参謀本部の面々から見ると、小男の日本が大男のロシアを倒した縁起のいい吉兆とうつって、帰途、部員は居酒屋に立寄り痛飲を重ねて深夜に及んだ。

 

陸軍省の部員がこれを聞き、同じく翌21日に大相撲総見を計画するものがあったが、寺内陸相より「この時局多難の際に、相撲見物とは何事ぞ!」と一喝せられ、参謀本部の前日の行動批判にまで及んだという。

児玉と寺内の肝ッ玉、器量の違いがここに表れている。

 

「和戦決定の責任は政略(政治家)の任にして軍部(軍人)の任にあらず」とドイツの戦略家・フルーメはいう。

これは「戦争は政治の一手段なり」とのクラウゼビッツの戦略論の本質だが、平和か戦争かの決定は軍事上の判断を重要視するべからずを忘れた偏論である。

日本政府が1月13日、ロシア政府に再考を促して以来、1月末に至ってもなお回答はこず、回答すべき時期をも明示しなかったが、その一方で、ロシアの極東での兵員動員は着々と進められ、一日を緩うするを許さぬものがあった。

参謀本部の諜報によると「ロシア参謀本部長及び陸軍大臣は作戦計画を立案し上奏裁可を得、又皇帝は極東総督に全権を委し、同総督は戦争に決心せしも目下、紅海にある増加艦隊の来著を待ち、かつシベリア第三軍団の編成が終り、旅順の船渠竣工するまで戦争開始を遷延する意図がある」(久松報)。

 このため大山総長は、開戦を遷延することはいたずらに敵の術中に陥ることになると、2月1日、ロシア軍に関する情況判断を上奏し、内閣に通報し、『今や一に戦略上の利害に基き、わが行動を決定して速かに先制の利を獲得すべきこと』を主張した。

 

ついに賽は投げられた。

明治371904)年2月4日、日露開戦を決定する御前会議が開かれた。

 その日、空が白みはじめたころ、明治天皇は、最も信頼していた枢密院議長・伊藤博文に、急遽参内を命じた。

 

 明治天皇は、白羽二重の寝衣のままで、普段、誰も入室を許されない私室「常の御殿」で、憔悴し切った表情で伊藤を待ちかねていた。天皇は苦悩のあまり、10日ほど前から食事の量が三分の一に減り、眠れぬ日が続いていた。この日も終夜眠れず、夜の明けるのを待ちかねてのお召しだった。

 駆けつけた伊藤に、「……本日重大事について、元老会議があるが、あらかじめ卿の意見を聞いておきたい」との御下問があった。

 御前に平伏した伊藤は、「国難がいよいよ切迫してまいりました。万一わが軍に利あらざれば、畏れながら陛下におかれましても、重大なるご覚悟が必要のときがくるやにしれませぬ。このままロシアの外力の侵圧を許せば、わが国の存立も、また重大なる危機に陥ります。

 幸いにわが忠誠な国民が十年間、臥薪嘗胆してきた成果を十分に発揮するならば、決して恐れるに足りません。今日はもはや断固たる御覚悟をなさるべき時機と考えます」と奉答した。

 2月4日午後140分から開かれた御前会議は夕刻まで続き、ついに開戦が決定した。

 明治天皇の御決断の瞬間は、森厳、凄烈空気が会場を圧した。しばらくの聞、沈黙が続いたが、伊藤博文が、「これから尻ばしょりで、ほっかぶりをし、握り飯をもって、数十年前の書生に返ったつもりで、御奉公するつもりでございます」

 と、おどけたしぐさで言うと、天皇ほか、山県有朋、桂太郎、山本権兵衛、小村寿太郎児玉源太郎、大山巌といった会議の面々は大笑いして、場の雰囲気は一気になごんだ。

会議終了後、奥に入った天皇はしばらく無言なままだったが、お側の者に、「いよいよロシアと国交を断絶することになった。不本意であるが、やむを得ない」とポッリともらした。明治天皇はこの日、何も食べずに過ごした。

以上は前坂俊之『明治37年のインテリジェンス戦争』(祥伝社 49-50P)

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

  関連記事

no image
★新連載<片野 勧の戦後史レポート>①「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)①『婦人参政権の獲得 ■平和なくして平等なし』(市川房枝の活躍)

  「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)① 片野 勧(フリージャーナリス …

no image
世界が尊敬した日本人①米国女性が愛したファースト・サムライ・立石斧次郎

1 2004、11,1 前坂俊之 1860年(万延元年)6月16日。ニューヨーク …

no image
名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑫『勝負師に年齢はない』(大山康晴)『愛嬌は処世上の必要条件』(大倉喜八郎)

<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集⑫           前坂 俊之 …

no image
『大正の言論弾圧事件』 日本初の政党内閣である大隈・板垣内閣『隈板内閣』で起きた尾崎行雄の共和演説事件

『大正の言論弾圧事件』 日本で初めての政党内閣である大隈・板垣内閣『隈板内閣』で …

no image
日本メルダウン脱出法(655)「日本が外国人労働者に見捨てられる日」「「日本は今こそ労働時間改革を」(英FT)

日本メルダウン脱出法(655)    ◎◎「日本が外国人労働者に見捨てられる日 …

no image
日本リーダーパワー史(358)『憲法9条(戦争・戦力放棄)の最初の発案者は一体誰なのか⑤』 マッカーサーか幣原喜重郎か?

日本リーダーパワー史(358)             <『わずか1週 …

no image
日本リーダーパワー史(787)「国難日本史の復習問題」 「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス④』★『日本史の決定的瞬間』★『撤退期限を無視して満州からさらに北韓に侵攻した傍若無人のロシアに対し東大7博士が早期開戦論を主張(七博士建白書事件)』

日本リーダーパワー史(787) 「国難日本史の復習問題」 「日清、日露戦争に勝利 …

no image
日本メルトダウン脱出法(874)『「伊勢志摩」が世界経済浮沈の鍵を握っている ー 先進国は財政出動に同調してくれるのか』●『東京五輪の「盛り下がりムード」は食い止められるのか?』●『過去最大の外債爆買いでも進まぬ円安、為替ヘッジが黒田日銀の妨げ』『大手企業志向が深く根付いている日本に「起業エコシステム」は根付くのか』

日本メルトダウン脱出法(874)   「伊勢志摩」が世界経済浮沈の鍵を …

no image
日本メルトダウン脱出法(588)「日銀はルビコン川を渡った。安倍首相は死線(ナローパス)突破のリーダーパワーを発揮せよ」

      日本メルトダウン脱 …

no image
日本リーダーパワー史(123)<辛亥革命百年(25)>犬養木堂と孫文の友情ー国民外交の重要性

日本リーダーパワー史(123) 辛亥革命百年(25)犬養木堂と孫文の友情 <日本 …