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日本リーダーパワー史(311)この国家非常時に最強のトップリーダー、山本五十六の不決断と勇気のなさ、失敗から学ぶ①

   

日本リーダーパワー史(311)
 
 
【世界最速の超老人国家】【国家倒産】【原発廃炉50年】―
この国家非常時にリーダー、政治家はどう行動すべ
きかなのかー海軍最強のリーダパワー・
山本五十六の不決断と勇気のなさ、失敗から学ぶ①
 
            前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
①、   日米戦争という一国の興亡に係る死活の問題についても、何も論議しないし、統一見解をださない。反対意見を無視する。
②、     日本人の習性「長いものに巻かれる」「あきらめ、仕方ないと既成の事実をみとめる」「リーダーは状況を変えるのが仕事」
③、     「上位下達、オープンな民主的な会議、ディスカッションはいまだにない」半封建的な無責任体制が続く
④、     無理が通れば道理が引っ込む。判断力、決断できない政治、無能なトップリーダーの間違った国家戦略をチェンジできない。
⑤、     トップリーダの心得「戦争だけに勇気が必要なのではない。平和のために戦うことこそ真の勇者である」(ケネディー)
 
 
以下は3/11前の2011年2月8日の『日本リーダーパワー史』の1節である。
毎日毎日、刻一刻と沈没しつつある『タイタニック・日本丸』(船底に近い5等船室の乗組員の一員)というのが私の現状認識である。借金(国債)氷山に激突し、大きな亀裂のはいった船底から海水がどんどん入ってきて5等船室も水浸しになっている。
 
不沈豪華客船『タイタニック』の前宣伝を信じ込んだばかりにほとんどが運命を船と共にした。
70年前の日本も同じ。太平洋戦争前の「世界一の海軍」「不沈戦艦大和」を信じ込んだばかりにどんな結果になったのか。
いま、国の財政赤字が930兆円を突破する世界最悪になっても、一方で、国債の95%は日本国民が保有しており、『1300兆円もの国民の預貯金も世界一だから心配ない』という政府の発表に騙されると、とんでもないことになることは国民の方がいち早く気づいている。
当時、タイタニック号には開発された無線通信が搭載されていたが、氷山にぶつかっても沈まない不沈船とおごっていた船長らは無線の使い方を理解していなかったと言われる。そのためSOSの発信も遅れてしまった。
 
毎日、毎日、国民は菅民主政権の船長以下の閣僚やこれを批判する自民党の2世議員、小粒政治家の「国家戦略なし」「リーダーシップなし」『リーダーパワー(指導力)なし』小田原評定(学芸会)をみせつけられてウンザリしている。
 
ここにおいて重要なテーマが浮かんでくる。「明治以来の日本の国家リーダーで一番リーダーシップ、リーダーパワーを発揮したのは誰なのか。」という問題である。この問題意識から始めたこの連載は私の乏しい知見と体験と独断と偏見と公正、公平も考慮したリーダー、政治家、経済人のランキングなのである。
 
山本五十六の三国同盟への反対をなぜ最後まで貫かなかった
のかー今の政治家、リーダーへの遺言
 
真珠湾攻撃1年2ヵ月前の1940年(昭和15)9月27日、日独伊三国同盟が締結された結果、日米戦争はいよいよ不可避となった。締結後に、山本は、近衛首相の招きに応じ、海相の諒解を得て、荻外荘の私邸で約二時間にわたって会談した。

日米戦争の勝敗について聞かれると「ぜひやれと言われれば、初めの1年や1年半は、存分暴れてご覧に入れます。しかし二年、三年となっては、ぜんぜん自信はありません。三国同盟ができたのは致し方がないが、こうなったなら、日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います」といったことは有名である。

 
この時、最後の元老・西園寺公望は静岡県の興津の坐漁荘で、三国同盟の成立を聞いたが、「やはり尊氏(足利)=松岡洋右をさしての言葉=が勝ったね」と他人事のようにいい、日米戦争の敗北を見通した。

側近の侍女たちに、「これでもうお前たちさえも、畳の上で死ぬことはできなくなるだろう」とつぶやいた。床の上に一日中物思いに耽り、何も語らなかった。そして2ヵ月後に90歳で亡くなった。

 
日本が太平洋戦争への道を転がり、ほぼ全員が内心では望まなかった米国との戦争に突入していった経過をみると、「決められない政治」「時流に便乗する政治」「見通しを誤った陸軍と外交」「最後まで徹底して負ける戦いはしないという海軍の徹底反対、大勇気」「命をかけても真実を報道していくという新聞の勇気の欠如」など数々の複合的な要因がある。
 
この場合も、山本も西園寺も日本での最高権力者、トップリーダーで一国の運命がその双肩にかかっていることを自覚せず、断固として三国同盟を止める勇気も行動もせず、唯々諾々(いいだくだく)と状況の悪化に身を任せている。
 
 
当時の陸海軍トップ、幹部の多くは個人的に聞くと、「日中戦争をやりながら、これ以上米英とことをかまえるべきではない」と内心は反対であり、非戦論者なのに大勢(体制、大声)ムードに乗って、会議があると、はっきりと反対意見をいう勇気のある者は小数で、ズルズルと戦争に引きづられていく、
一歩一歩のぞまぬ戦争に流されていくという「決められない政治」「正確な判断と決断」が下せずー大勢順応で「赤信号、みんなで渡ればこわくない。そして、引かれて死んじゃった」という日本病の「死にいたる病」「集団死病」に結果的になるの。玉砕、集団自決、特攻隊の賛美は武士道の精神の延長線上であり、自由、平等、人権尊重の民主主義理念とは100年以上遅れた封建思想そのものである。
 
ここでは海軍の行動形式と、その中でも最も見識もリーダーシップもあった
山本五十六は「なぜ最後まで反対を貫かなかったのか」をみていく。
 
 
 
 日独伊三国同盟を阻止するために、米内・山本・井上らのコンビ、海軍の進歩派が勇敢にたたかったは事実である。このフシズム三国同盟を締結すると、日本は米国をはじめ世界各国と戦わなければならない、天皇や山本五十六らの予想したように科学的、合理的に計量すれば、勝負は始めから判っている。
海軍が一致決即して三国同盟締結前と、日米交渉の破裂前でも戦争に反対すれば、陸軍だけでは戦争できない。たとえ、そのために、陸、海軍迎え撃つ内戦、内乱になっても、日本が大敗北するよりはましであるというのが常識的な判断ではなかろうか。
 
 
近衛首相が第二次内閣の組閣を終えると、三国同盟がすぐまた表面化して議論がわき上がった。海相の吉田善吾は山本と同期だが陸軍の横暴と、山本司令長官の強力な反対の板挟みで、ついにノイローゼで入院する。
 
山本は「日米正面衝突を回避するため、両国とも万般の策をめぐらすを要すべく、帝国としては絶対に日独同盟を締結すべきでない」と絶対反対した結局、吉田は米内や山本ほどの度胸がなく、勇敢に抵抗することができず10ヵ月後にやめる。
 
 
吉田の後に及川古志郎が海相に就任した。及川は吉田よりもさらに迫力がない。それを見越して陸軍がわざと要求してきたので一挙に三国同盟は押切られてしまった。この背景は、反対を押し切ってまで自らの信念を貫く性格ではなかった及川ら海軍首脳部が、陸軍との争いを回避したい意向を持っていたからだ。
 
豊田貞次郎海軍次官露いて、その間の事情を「日本海軍は対米備戦が不十分で、牡の中では甚だ不本意だが、国内の政拍情勢からみて、海軍だけが頑張っているわけにも行かないゆえ、賛成した」と答えた。
 
及川や豊田は、勇気と見識に欠如しており、大勢便乗そのままに陸軍に載ってしまった。

1940年(昭和十五年)九月五、六両日に、及川は海軍大臣の名において、海軍首脳を東京に招集し、三国同盟に関する最終の意見を聞いた。条約調印まで、約三週間である。

 及川はもし海軍が賛成しないとすれば、第二次近衛内閣はつぶれるほかはなく、海軍は内閣瓦解の責任はとりたくないから、三国同盟に賛成しようではないかとあいさつした。
山本連合艦隊司令長官は対米戦の不利を証明する資料を用意して会議に臨んだ。伏見宮軍令部総長、大角岑生軍事参議官および艦隊司令官らは、一人として発言する者がなかった。
 
山本は、「……昨年八月まで、私が次官を務めておった当時の、企画院の物動計画によれば、その八割は英米圏内の資材でまかなわれることになっておりました。今回三国同盟を結ぶとすれば、必然的にこれを失うはずであるが、その不足を補うために、どういう物動計画の切り替えをやられたか、この点を明確に聞かせていただき、連合艦隊の長官として安心して任務の遂行をいたしたいと存ずる次第であります」と質問した。

 及川海相は、それには一言も答えず、山本の質問を黙殺した。

 「いろいろご意見もありましょうが、先に申し上げたような次第ですから、この際は三国同盟にご賛成願いたい」と前言を繰返した。
大角は真先に、「私は賛成します」と発言し、ついで一同の出席者次々に賛成した。まことに大勢便乗の雰囲気であり、長いものに巻かれる、仕方がない、という態勢順応そのものの態度である。このあいまいな、矛盾した決定が大敗北につながる日本病である。

 会議の後で山本はさらに及川海相に食い下がって、その無責任を追究した。「事情やむを得ないものがあるので、勘弁してくれ」と及川はあやまったが、山本は「勘弁ですむか」とかみついて放さなかったという。


<これが日本病の正体である。今回の原発事故もこの通リの結果になりつつある。
ここ一番の国の運命をかけた勝負で、心にもない決定を下して、その論拠が国の敗北ではなく、内閣の倒閣と海軍がその原因となったと批判されることを忌避する責任逃れの理由だとは聞いてあきれる。
海軍の存在理由は国の安全、防衛と負ける戦争はしないということにあれば、たとえ内閣がつぶれようと、陸軍との内戦、内乱になろうとも断固戦うべきなのに、陸軍の無理押しを国の敗北を予見しなが、勇気なく追従したのである。
政治家、官僚の目的は国益、国民益を守る、奉仕sることである。断じて自己益が上ではない。ところが、
今の政治も官僚もメディアも企業も自己利益にきゅうきゅうとして、民主党益、自民党益、公明党益、各省益、企業益を公益、国益、国民益、公正、真実、正義よりも自己益を最優先して、それに目がくらみ、結局自滅していくのである。この何度死んでも直らない歴史的失敗の「日本病」が再発して、今、3度目の国難に直面している>


 原田熊雄は、三国同盟がいよいよ調印されたのを聞いた山本は、つぎのように悲憤したとのべている。


 「言語道断だ。自分の考えではアメリカと戦争することは、全世界を相手にするつもりでなければならぬ。ソ連と不可侵条約を結んでも当てになるもんじゃない。アメリカと戦争しているうち、後から出で来ないと誰が保証するか。

自分はこうなった以上最善を尽して奮闘する。そうして長門の艦上で討死するだろう。その間東京あたりは丸焼けにされ、そうして近衛なんかは、気の毒だけれども国民から八裂きにされるようなことになりはせぬか」(原田日記)と述べたというが、山本はこれだけ負けを見越した戦争にこれ以上の反対と行動がなぜできなかったのか。


そのことを考えたい。
 
 
 

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