前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本天才奇人伝②日本最初の民主主義者・中江兆民―兆民先生は伊藤、大隈ら元老連をコテンパンに罵倒す

   

日本天才奇人伝②「国会開設、議会主義の理論を
紹介した日本最初の民主主義者・中江兆民―②
                                       
<その眼中には、国家のほかは何ものも影じない。
兆民は伊藤、大隈ら元老連をコテンパンに罵倒す>

                  前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
兆民、大久保甲東(利通)に知られる
 
 兆民が青年時代の話であるが、彼は大久保利通の人物をしたっていた。どうかして会ってみたいと思ったが、いかんともその機がなかった。
 
あるときのこと、今日は大久保の邸に行ってぜひ面会しょぅと、すぐ公の邸に行き面会を求めると、御者が玄関に出て、「そんなに君が会いたいつもりなら会わしてやろう。それでは今、主人が馬車にのって出られるから、君は門外におってくれ。通りかかるとすぐ声をかければ、それを合図におれが馬を引きとめるから」といったので、兆民も大いに喜んだ。
 
門外に出て馬車の来るのを待ちかまえておると、御者は馬にむちうってやってきたから、このときぞと、「大久保公、大久保公」、とあらんかぎりの声をだして呼んだので、御者も馬を引きとめたところへ、兆民これを得たりと窓に近よって、大久保公に面談を請うた。
大久保公は彼の風采をみて、尋常ならざる者とみて、「この中にはいれ」といって、兆民を馬車に乗せていずれへか行ってしまった。これから公の知るところとなって、のち兆民はフランスに遊学を許された。
 
 
 
演壇に股引と印はんてんのいでたち
 
 明治二十二年のこと、自由民権の主唱者が大阪に会合して、慰労会を開かれた。当時、兆民は大阪東雲新聞社にいて、もっぱら自由民権を鼓吹していたから、この会の一員として席に列したが、むしろこの会の主人公といってもよかった。
やがて席が定まり各自はそれぞれ演説することになった。
 
するとスミにいた兆民が、意気揚々と演壇に上がったが、このとき場内の観衆がビックリ仰天したのは先生の服装であった。印ばんてんに腹掛け、紺股引(ズボン)という衣装で、まったく大工か、左官としか見えなかった。聴衆はこれを見て驚く者も笑う者もある。
歓声がしばらく鳴りやまなかったが、大工左官スタイルの兆民が、「諸君よ、という鶴の1声でとともに万場が静粛した。それからとうとうと自由民権の本旨を演説されたのである。
 
そこでなぜに兆民のいでたちが意表に出たかと問えば、ここが兆民の兆民たるころで、自由民権を主張する手段として、大工左官などのごとき下級の人間もまた日本国民たる以上は、民権の自由を有するものである、ということとを会得さするために、おのれがまず大工左官を形どったわけである。
 
 
親友の死去と香典
 
あるとき兆民の親友が病いにおかされて不帰の客となった。彼はこの報を聞いて、ただちに黒水引と白紙一枚を懐にして、死んだ友人宅にかけつけて未亡人に対し、いともていねいに弔辞を述べた。そのあと、未亡人に向かい、「少々お願い申したいことがあれば別間に、ご案内を頼む」とお願いした。

別間に行くと、兆民は「どうにも差しつかえなければ、かさねがさね申しわけないけれども金二両を貸してしていただけないか」と申しこんだ。

 
未亡人は場所もわきまえず、ずいぶん失礼な話と腹を立てたが、常づね夫から大変な奇人、変人と聞いていたことを思い出し、仕方ない人と二両を貸したのでる。
兆民先生は、「どうもすまぬ」といって別室におもむいたが、やがて懐中にしていた黒水引と白紙をだして、今、借りた二両をその中に包み、霊前にもどり、ふたたび未亡人に向かい、これは香典の印であるから取っていただきたいと申し出たのには、未亡人は2度びっくりである。
 
あれは中江篤介だ
 
    
 兆民の罵評は決して新聞や雑誌で試みるばかりでない。その行動についてもまた同一で、遠慮もなければ会釈もない。何ごとにもいっこう頓着しないところは、たしかに近代の豪傑と仰いでよろしいと思う。
 
兆民の眼中には、国家あるほかは何ものも影じないのである。まして今の元老や大臣などは屁とも思っていない。その証拠には生前の遺著として洛陽の紙価を狂わした『一年有半』をみてもすぐわかる。
 
あるとき、大隈〔重信〕を早稲田の邸に訪問したことがある。すると主人公の大隈伯は、ていねいに玄関に出迎えて兆民をおのれが座に通した。兆民先生、はいるかと思うと、たちまちあぐらをかき、「ナー君」と話しこんだが、それからは政府攻撃より遂には主人公の攻撃にまでかかって、論難罵倒、容易にやむけはいがなかった。
 
たまたま隣室に数名の新聞記者がいあわせたが、あまり大隈のご本尊をののしる声がするので「、彼は一体何者か?としきりにささやきつつおった。兆民が邸を辞したのを見て、「さっき来て大攻撃をしたのはだれですか」と問うたら、大隈伯いわく、あれか、あれは中江篤介だ。
 
兆民、元老連を罵倒す
 
 兆民に罵倒の二字はつきものであるから、近頃、元老株をますます罵倒して、最も惨酷な筆誅を遠慮会釈なく加えた。
 
まず伊藤博文をさしていうのに。大勲位は、まことにへんぺんたる好才子じゃ。漢学というたら悪詩をならべるだけの資本をもっておるし、洋学は日録を暗記するの下地があるし、ただこれだけでも他の元老をしのいで威張りちらすにたくさんだ。その上ちよっとごまかしをやるのに上手じゃ。
 
しかしこの人物は、おれの目からみれば書記官の才で、宰相の資ではない。その証拠にほ何度か総理大臣になったことがあっても、ただ失敗ばかりで一の成績もない。彼のもくろむところは、ちょうど下手の魚釣で、船や釣竿から
 
餌、糸までも吟味して、それから初めから魚は一つもとれない。いったい野心たくさんの、肝識たらずである.から、内閣書記官長ぐらいは適任のところじゃと評されたが、伊藤の本人が聞いたら、さぞ立腹するであろう。
 
その次ぎは、
 
 大隈重信は壮快、愛すべき男であるが、とはけっこうなほめかただが、それからがよくない。しかし決して宰相の材ではない。目先きの働きばかりあって、のちの考えがたりないから、いつも失敗だ。
もし大隈が野にあって相場師にでもなったら、かならずもってこいという人物だ。まあそうなると、糸平(貿易商の田中平八らの親分柄であろう、と酷評もはなはだしい。
 
次ぎに、
 山県有朋を短評して、徴は小吉と言い、松方正義は至愚、西郷従道は怯儒とは、あまりにひどすぎると思う。これだけは他人の著者さえ気のどくに感ずるのである。
その他の元老は筆を汚すだけ損だ。伊藤以下みんな死んでしまうことが、一日でも早ければ早いほど国益だ、と臆面もなく放談したところなどは、まことに凄い。
      
                                    (つづく)

 - 人物研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本風狂人伝(21)日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風と散歩しよう①

日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風と一緒に散歩しようね      …

<F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(205)>★『ロウワーマンハッタンのホワイトホール・ターミナルに向かい、ニューヨーク市/スタテン・アイランド行きの無料フェリーに乗船,「自由の女神」を眺めながら、マンハッタンの夜景を楽しむ』

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/04/pm8)  &nbs …

F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊻』余りにスローモーで、真実にたいする不誠実な態度こそ「死に至る日本病」

    2014/03/21  記事再録 …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(46)』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス⑧』★『外交の極致―ル大統領の私邸に招かれ、親友づきあい 』★『オイスターベイの私邸は草ぼうぼうの山』 ★『大統領にトイレを案内してもらった初の日本人!』

オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエ  &n …

no image
『リーダーシップの日本近現代史]』(24)-記事再録/日中韓/異文化理解の歴史学(1)(まとめ記事再録)『日中韓150年戦争史の原因を読み解く(連載70回中1ー20回まで)★『申報、英タイムズ、ルー・タン、ノース・チャイナ・ヘラルドなどの外国新聞の報道から読み解く』●『朝鮮半島をめぐる150年間続く紛争のルーツがここにある』

日中韓異文化理解の歴史学(1)(まとめ記事再録)『日中韓150年戦争史の原因を読 …

no image
★オンライン講座・冤罪を追及する方法論>昭和戦後最大の冤罪事件の真犯人が語る『全告白・八海事件-これが真相だ(上)』(サンデー毎日1977年9月4日掲載>

  2009/02/10   <サンデー …

★『ゴールデンウイーク中の釣りマニア用巣ごもり動画(30分)』★『5年前の鎌倉カヤック釣りバカ日記(4/26)「ファースト・ダブル・キス」で釣れ続く、わが「ゴールデン・キスウイーク」の始まり始まり』★『今や地球温暖化、海水温上昇で、 鎌倉海も魚、海藻、貝などの海生物が激減し、<死の海>に近づきつつある、さびしいね』

     2015/04/26 &nbs …

『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究④』★『明治最大の敵国<恐ロシア>に対して、明治天皇はどう対応したか』(2) 大津事件で対ロシアとの戦争危機・国難(日露戦争)を未然に防いだ 明治天皇のスピード決断、突破力に学ぶ(下)

  2019/09/21  『リーダーシップの日本 …

no image
日本リーダーパワー史(763)今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮独立党の金玉均ら」をバックアップして裏切られた結果、「脱亜論」へと一転した福沢諭吉の転換理由がよくわかる➀『金正男氏“暗殺”に「北偵察総局」関与浮上 次のターゲットに息子の名前も…』●『狂乱の正恩氏、「米中密約」でささやかれる米軍斬首作戦 正男氏毒殺の女工作員 すでに死亡情報も』

日本リーダーパワー史(763) 今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮 …

no image
『オンライン米中外交史講座』★『米中対立は軍事衝突に発展するのか?』★『130年前の日清戦争の原因と同じ』★『頑迷愚昧の一大保守国』(清国)対『軽佻浮薄の1小島夷(1小国の野蛮人、日本)と互いに嘲笑し、相互の感情は氷炭相容れず(パーセプションギャップ)が戦争に発展した』★『トランプの政策顧問で対中強硬派のピーター・ナヴァロ氏「米中もし戦わば」(戦争の地政学)も同じ結論』

2016/06/20 記事再録『リーダーシップの日本近現代史』(161)/日中北 …