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★新連載<片野 勧の戦後史レポート>①「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)①『婦人参政権の獲得 ■平和なくして平等なし』(市川房枝の活躍)

      2016/09/20

 

「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)

片野 勧(フリージャーナリスト)

『婦人参政権の獲得 平和なくして平等なし』

(市川房枝の証言)

「平等なくして平和なし、平和なくして平等なし」――。

ノンフィクション作家の高見澤たか子さんから借りたDVD『八十七歳の青春――市川房枝生涯を語る』(企画・製作 桜映画社)」を観た。彼女は柔和な表情とは裏腹に、世の中にはびこる“筋の通らない”話には激しい憤りに満ちていた。婦人参政権運動に生涯を捧げた元参院議員の故・市川房枝である。

市川さんは1893年、愛知県生まれ。教員や名古屋新聞(現中日新聞)記者を歴任。1953年の第3回参議院選挙で59歳で初当選し、女性の地位向上、平和運動、汚職追放に尽力した。5期務め、80年の参院選全国区で278万4998票を集めてトップ当選した。翌81年の在職中に87歳で死去した。

ニックネームは「野中の一本杉」

自分ひとりで放り出され、自由に自分の進むべき道を選んできたことから、ニックネームは「野中の一本杉」。また飾らない笑顔と庶民的な人柄から「しわくちゃの十円札」と呼ばれたこともあった。  1980年6月の衆参ダブル選挙で市川さんと同じ参院全国区で当選した作家の中山千夏さんの証言。

「(市川さんは)独特の肌触りの政治家でしたね。ちっとも偉そうなところがなくて、一見すると普通のおばあちゃん。でも近づくと、オーク材のような固い芯がありました。自立した個の確立が徹底していたんでしょうね」(「毎日新聞」2015/8・20夕刊)  市川さんは婦人参政権運動を展開してきたが、その原点は何か。母がよく語っていた言葉。

「おまえたちのとうさんはかんしゃく持ちで、無理ばかり言って、わたしは何度、里へ帰ろうかと思ったか知れん。けれどもお前たちがかわいいから我慢をしているんだよ。女に生まれたのが因果だからねえ。しようがない」(市川房枝随想集『野中の一本杉』新宿書房)

女に生まれてきたくて生まれてきたわけではないのに、なぜ女はそういうふうに虐げられて、いやな事も我慢して暮らさなければならないのか。この母の一言が、婦人参政権運動の道に進んだ原点だと市川さんは述懐している。

市川さんは大正8年(1919)11月、平塚らいてうと新婦人協会を創立。大正10年(1921)7月、自費で渡米。以後、約2年半在米し、働きながら婦人問題を研究。大正13年12月、婦人参政権獲得期成同盟会創立に参加し、以後、婦選運動に専念した。この時、31歳。

当時、選挙権はごく一部の人にしか、与えられていなかった。それも、決められた高額な納税額を納めているお金持ちだけ。そのために、有権者は国民のほんの数%だった。  しかし、大正14年(1925)、憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の3党による加藤高明連立内閣になると、状況が一変する。

納税額によって規制されていた制限選挙から満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられたのである。有権者は全体の約20%に上った。

その一方で、加藤内閣は外相に幣原喜重郎を据え、英米協調、中国内政不干渉、日ソ国交回復など、いわゆる幣原外交を展開。他方では男子普通選挙法を成立させ、政党政治の基礎を固めようとしていた。

「天下の悪法」治安維持法の制定

ところが、加藤内閣は普選法の成立によって労働者の力が大きくなり、社会運動が激しくなることを恐れ、普通選挙法の公布の直前に、「天下の悪法」と言われた治安維持法を制定した。  やがて日本は戦争に突入すると、治安維持法は改悪され、思想の自由が奪われることになる。自由主義者は弾圧された。

「このままじゃ、本当に日本は恐ろしいことになる」  案の定、日本は治安維持法の改正を行い、自由主義者や反戦平和を唱える人々を次々と検挙。その一方、山東出兵など露骨な中国への武力干渉を繰り返していた。こうして日本の軍国化は進み、太平洋戦争へとなだれ込んでいくのである。  市川さんは昭和20年(1945)8月15日の終戦の詔書を東京・四谷のN氏宅で聞いた。そしてポツダム宣言の次の文言に涙がこぼれたという。

「日本政府は民主的傾向を復活強化しこれが妨げとなるものを除去すべし」  いよいよ、私どもが30年間、苦闘してきた婦人にも、男子と同じ条件で参政権が与えられる時がきたと、市川さんは直感する。鳩山一郎が自由党の結成に乗り出していた時で、市川さんは鳩山夫妻に面会。話し合ったところ、賛成だから自由党の政策に加えようとの確答を得た。

同年10月6日、東久邇宮(稔彦王)内閣が辞職。9日、幣原(喜重郎)内閣が成立。11日の臨時閣議で選挙法改正について協議した結果、婦人に参政権を与えることに決定。提案したのは内相の堀切善次郎。堀切は戦前の東京市長時代から参政権運動を主導していた市川さんと交友があった仲。

その直後、GHQ(連合国軍総司令部)の最高司令官マッカーサー元帥から婦人参政権を与えよとの指示があった。こうして11月末に召集された臨時議会で可決され、12月17日に公布されたのである。  翌昭和21年(1946)4月10日の総選挙で、婦人は初めて投票し、39名の婦人議員が当選した。しかし、この日、市川さんは投票のために講演先から、わざわざ疎開地に帰ってきたのに、選挙人名簿に市川さんの名前がないために投票できなかったと、自伝に書いている。

初の女性国会議員にインタビュー

私は70年前の衆院選で初めて誕生した女性国会議員39名の中で、ただ一人、今も健在な女性に電話でインタビューした。2016年7月28日午後3時過ぎ、兵庫県宝塚市青葉台に住む佐藤(旧姓三木)きよ子さん(97)に政治と女性への思いを聞いた。  ――終戦後、女性にも参政権が与えられました。  「マッカーサーの占領政策の5大改革の1つが女性解放でした。その時、私は26歳。女性が男性と同じように堂々と意見を言えることに、身震いするほどの興奮を覚えましたね」

大きな声。はっきりした発音。記憶も衰えていない。電話口から当時の様子がビンビン響いてくる。  佐藤さんは1919年4月、大阪市の生まれ。生後6カ月後、父が結核で亡くなる。兄弟姉妹は5人。1つ、2つ違いの子どもたちばかり。5人の子どもたちを1人で育てる母の苦労を感じ取って、小学校5年生の時から率先して母親を支えた。  「おかあちゃん、家にいていいよ。姉もいたのですが、父のいない母の苦労を支えたのは私。物のない時代で大変でしたね」

――具体的に母をどう支えたのですか。

「19歳の時、母を助けたい一心で、自分にできることは何か。そう考えたのが喫茶店。でも、店を開くお金がなくてね。物件を探していたら、仲介業者がいろいろと心配してくれて……。アドバイスを受けて、店を開くことができましたよ」  場所は大阪中央区の証券取引所の近くで三越も近くにあった。  「証券取引所の方々や、買い物のお客さんたちが来てくれましてね」と、当時を振り返る。

1946年4月。佐藤さんは女性に参政権が与えられた初の衆院選に大阪1区から立候補(諸派新)した。「女性にも参政権が与えられ、せっかくのチャンスなのに、大阪で誰も名乗りを上げないのなら、私が出よう」と決意。  大阪1区からは社会党の西尾末広、共産党の志賀義雄、自由党の有田二郎などつわものが揃っていた。その中で佐藤さんは地盤も金もない選挙運動を展開した。

街には戦争で焼け出された人たちがいっぱいいた。食糧難で人々の生活は困窮を極めていた。佐藤さんの公約は「食料の確保と畳3畳の住まい」。母を支えて働いてきた、その体験がそのまま公約になった。

今も二世議員が多いが、当時もそれに劣らず多かった。定数7に81人が立つ激戦の中を佐藤さんは第7位で当選。日本政治史上、今までにない快挙と報道されたりした。  「当時はお父さんが国会議員をやっていた人とか、地域で名の売れた人とか、たくさん立候補しました。私みたいな、どこの馬の骨とも分からないような娘は誰も出ていませんでした。その私が当選したのですから、大阪中、大騒ぎ。もうびっくりでしたよ」

登院してすぐ、市川房枝さんや加藤シヅエさんら他の女性議員とGHQでマッカーサーと面会した。佐藤さんは「幼い子供たちが食べるものがなくて、困っています」と直談判。

――政治家になって、どんな法律をつくられましたか。

「生活保護法は国に提案してつくらせました。生活に困っている人のための法律です。そのほか、食料確保にも取り組みました」

――ところで、今年の参院選から「18歳選挙権」が始まりました。若い人たちに何を望みますか。佐藤さんの答え。

「私たちの時代は今の時代と違って、食べるものがなかった。しかし、今は食べるものは豊富で、若者は学問もあるし、恵まれています。あまりにも平和になっています。でも、平和に甘んじてはいけません。若い人たちに言いたいのは、憲法に保障された人権を大切にしてもらいたいということ。それから日本の置かれている国際関係はどうあるべきなのか。日本の国をよくするには、どういう働きをすればよいのか、真剣に考えてほしい」

他人任せの民主主義ではダメ

――婦人参政権から70年。女性の声は政治に届いていますか? 返ってきた言葉。

「まだ女性議員の割合は少ない。もっと増やして政策に反映させないといけませんね」  日本の国会議員で女性議員の比率は衆議院9・5%、参議院15・7%。下院で比較すると、191カ国中、156位。女性議員比率は20年前の世界平均だという(2016年1月現在)。

佐藤さんは、さらに続ける。  「女性の声が政治に届くには時間がかかるかもしれません。しかし、女性が変われば、社会が変わります。女性の権利を守るには、不断の努力が必要です。他人任せの民主主義ではダメですよ」

金のかからない理想選挙

再び、市川房枝さんの話に戻る――。戦後は終始一貫、金のかからない理想選挙(市川方式)を訴えた。「ストップ・ザ・汚職議員!」――。市民と一緒に汚職をした議員を当選させない新しい政治運動を起こした。汚職議員の落選運動である。

1979年、航空機導入をめぐる贈収賄事件が起こった。ロッキード事件とダグラス・グラマン事件である。市川さんは両社から巨額の政治資金を受け取った政治家の選挙区に乗り込み、投票しないよう有権者に訴えた。名指しされたのは田中角栄元首相や松野頼三・元防衛庁長官ら大物議員たちだ。

贈収賄事件で辞職しても、再選されてくるような選挙では、日本は滅びる――。

市川さんは汚職議員を落選させる市民運動の先頭に立った。

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