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片野勧の衝撃レポート(82)原発と国家―封印された核の真実⑭(1997~2011) 核抑止力と脱原発 ■東海再処理工場で火災・爆発事故発生ー三谷太一郎氏 (政治学者、東大法学部長、 文化勲章受章者)の証言➀昭和20年6月の岡山大空襲を9歳で体験、 九死に一生を得た。『原発事故は近代日本の挫折である』

      2016/08/21

 

片野勧の衝撃レポート(82)

原発と国家――

封印された核の真実(19972011)

核抑止力と脱原発 東海再処理工場で

火災・爆発事故発生ー三谷太一郎

(政治学者、東大法学部長、

文化勲章受章者)の証言➀

昭和20年6月の岡山大空襲を9歳で体験、

九死に一生を得た三谷氏。

■『原発事故は近代日本の挫折である』

 

 

1997年3月11日の夜、茨城県東海村にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の東海事業所再処理工場の「アスファルト固化処理施設」で火災・爆発事故が発生した。作業員10名が被曝。当初、動燃側の発表によれば、施設外への影響はほとんどないと言われていた。

 

しかし、時間の経過とともに被曝者は37人に増え、プルトニウムやウランなどの放射性物質が施設外にも流出していたことが判明。1957年に初めて「原子の火」が灯されて以来の最悪の事故となったのである。

しかし、前代未聞の事故であったにもかかわらず、それが「起こった」ことさえ、施設周辺で生活する人たちへ情報は伝わっていなかった。爆発事故を知ったのは、テレビや新聞を通じてであった。地元自治体や地域への速報体制も守られていなかったのである。

また、動燃は消火確認していないのに、事故からほぼ1カ月後、科学技術庁に確認したとの虚偽報告をしていたことも発覚。いわゆる、「10・22 水噴霧器で火は消えた」というホワイトボードに残された、この数字が虚偽報告の原因となったものだが、「10・22」という数字は火災発生施設の責任者が事故の経過を部下に説明した時刻だったのに、間違えて消火確認の時刻としたのである。

■口裏合わせた組織ぐるみの隠ぺい工作

 

実際の消火確認時刻は午前10時13分。しかし、一度、公表すれば、「訂正は難しい」というのが動燃のいつものやり方。口裏合わせた組織ぐるみの隠ぺい工作が行われていたのである。

うそがばれたら困るから、またうそをつく。そして自己正当化のためなら平気でうそをつく。しかも巧妙に、かつ隠ぺいなうそを繰り返す。この動燃の体質は他の原発事故でも何ら変わっていない。

例えば、この東海事業所再処理工場の火災・爆発事故が起こった1年数か月前の1995年12月8月午後7時47分の高速増殖炉「もんじゅ」(敦賀市)のナトリウム漏えい事故の時も組織ぐるみで隠ぺい工作を行っていたのである。

「もんじゅ」事故発生から約6時間半たった9日午前2時過ぎ、「もんじゅ」の職員が現場に入って、2台のビデオカメラを使い、合わせて約15分間にわたり、詳細に撮影。それを1分に編集して同日夕に公表した。

しかし、そのビデオにはナトリウム漏えいの配管部分や焼け落ちた空調ダクトが収録されていなかった。そのために福井県やマスコミ関係者は、「事故を小さく見せるため、意図的に肝心の部分を隠していたのでは」と大きな疑問を抱く。

そこで動燃は約4分間の映像が収録されたビデオを公表したうえで、「これでビデオは全部」と説明したのである。

しかし、これが真っ赤なうそだったのだ。すでに約15分間にわたる詳細な映像があったにもかかわらず、それを隠ぺいしていたのである。

地元住民の団体や「原発反対福井県民会議」は国が虚偽報告をしたとして、大石博理事長(2008年に死去)ほか2人を原子炉等規制法に基づいて福井地検に告訴。

その最中、ビデオ隠しの報告書作成に携わった西村成生総務部次長は宿泊していたホテルから飛び降り自殺を図ったのである。

権力スキャンダルが発覚するたびに自殺者が出るが、いつも犠牲になるのは真面目に働き、正直に生きてきた人間であったことは歴史の常。

3通の遺書が残されていたことなどから、警察は自殺と断定。死亡解剖などは行われなかった。しかし、残された遺書自体に不自然な点がいくつか見つかる。なぜ、西村氏は死に至ったのか。

その真相を明らかにするために、2004年10月、遺族側は動燃を相手取って民事訴訟を起こす。

一、二審とも原告の主張を退ける。最高裁も2012 年1月末に上告棄却し、敗訴が確定した。しかし、いくつもの「謎」は、いまも未解決のまま残されている。

このように動燃は「国策」である核燃料サイクルの推進を名目に、さまざまな事実を隠蔽し、秘密工作などを行ってきたのである。

■原発のトラブルは日常茶飯事

東海村再処理工場の火災・爆発事故後、動燃をめぐる主な出来事は以下の通り。

❶1997年4月 放射性物質漏れ事故による新型転換炉「ふげん」(敦賀市)の運転停止命令。

❷1999年9月 JCO東海事業所で臨界事故が発生し、作業員2人が死亡。

❸2003年3月 「ふげん」が運転停止、廃炉へ。

❹2007年6月 放射能汚染の報告漏れ49件が発覚。

 

話を動燃東海事業所再処理工場の火災・爆発事故に戻す。情報が地域住民に伝達されなかったこともさることながら、不思議なのは監督官庁の科学技術庁がこともあろうに、原子炉等規制法違反(虚偽報告)の疑いで動燃と同事業所の管理職を含む数人を茨城県警に告発したことである。

それを受けて、茨城県警は1997年7月10日、動燃と副所長ら6人を虚偽報告容疑で書類送検。結果は動燃と元部長にそれぞれ罰金20万円、同15万円が課せられたが、上層部の副所長らは不起訴処分になったのだ。

そもそも科学技術庁と動燃の関係は、大蔵省と銀行・証券会社のような関係であり、予算や人事面で密接な関係を続けてきた、いわば同じ穴のムジナ。動燃の人事構成、なかんずく理事や副理事長は科学技術庁からの天下りも多い。この“身内意識”が原子力行政を歪め、動燃の綱紀のゆるみにつながったことは申すまでもない。

それが、いざ放射能漏れ事故を起こすと、科学技術庁は責任を現場の動燃になすりつける。一蓮托生の犯罪なのに、動燃をスケープゴート(生け贄)にして責任を転嫁することを平気で行う科学技術庁とは一体、どういう省庁なのか。

■原発事故は近代日本の挫折

私は日本政治外交史を専門としている日本学士院会員で東京大学名誉教授の三谷太一郎さん(79)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B0%B7%E5%A4%AA%E4%B8%80%E9%83%8E

 

を東京大学の構内にある「明治新聞雑誌文庫」に訪ね、話を聞かせてもらった。今年(2016 )6月9日午後2時――。

三谷さんは地震が発生した2011年3月11日午後2時46分、家族旅行で夫人の運転で東北自動車道の那須インター近くにいた。しかし、地震の揺れは全然、気が付かなかったという。

那須インターを下りて、宿泊するホテルに着いてロビーへ行ったら、大勢の宿泊客がテレビの画面に釘付けになっていた。「東北で地震が発生した」とのアナウンスが流れていた。大津波が東北の海辺を丸ごと呑み込んだ大震災。「これは大変なことが起きた」。その時、初めて災害の大きさを知りましたと、三谷さんは語る。

そのホテルに一泊して、翌日、東京へ向かう。途中、ガソリンを補給しようと思ったが、車でごった返していたので、そのまま国道4号線で帰宅した。三谷さんは話を続ける。

 

「東日本大震災といわれるマグニチュード(M)9・0と世界の観測史上4番目の規模の大地震を知ったのは、翌日以降でした。それも、東京電力福島第1原発事故が起きるとは考えられなかったですね」

こう言って、三谷さんはつぶやく。

「この原発事故はアジア・太平洋戦争の敗戦に匹敵する近代日本の挫折を意味するものですよ」

ここまで語って、三谷さんは戦争体験を思い返していた。「昭和16年(1941)12月8日の『開戦の日』を鮮明に覚えています。なぜ、覚えているかというと、日本の真珠湾攻撃の早朝、祖母とともに岡山から東京に向かう山陽本線の寝台車の車内放送で開戦の報道が流れましたから」。

三谷さんの出身地は岡山市。当時、満5歳。

「日本は米英両軍と戦闘状態に入れり」という大本営陸海軍部発表が何を意味するのか。もちろん、5歳の少年には、その意味は分からない。しかし、祖母はこう言ったという。

「これは大変なことになった。これから日本はどうなるのか」  車内もシーンと静まり返っていた。心配そうな祖母の顔は今も目に焼き付いて忘れられないと、三谷さんは言う。

三谷さんは昭和16年4月、東京・杉並第5国民学校(現・杉並第5小学校)に入学。2年生の時に岡山に疎開し、岡山の国民学校に転校。昭和20年(1945)6月29日未明、防空壕をも貫通するほどの焼夷弾が降り注ぐ中、ひたすら走って郊外へ避難し、九死に一生を得たという。

「あの時は本当にこれで死ぬのかと思いましたよ。今、こうして生き永らえているのは奇跡としか言いようがありませんね」  事実、学校の同じクラスの友達のほぼ半数が空襲で亡くなっている。  「ですから、私にとっての戦争体験といえば、やはり6月29日の米軍機による空爆ですね」

焼夷弾におびえ、食糧難に苦しんだ少年の頃の記憶は薄らいでいない。

「実は後で知ったのですが……」。作家の永井荷風も岡山空襲に遭っているというのだ。そこで私は永井荷風著『断腸亭日乗』(岩波文庫)を立川市の図書館から借りてきて読んでみた。

「この夜二時頃岡山の町襲撃せられ火一時に四方より起れり。警報のサイレンさへ鳴りひびかず市民は睡眠中突然爆音をきいて逃げ出せしなり。余は旭川の堤を走り鉄橋に近き河原の砂上に伏して九死に一生を得たり」

焦燥感あふれる筆致で描かれている永井荷風のこの日記は、三谷さんの記憶と重なる。家々が次々に燃え上がり、どんどん焼けていく。焼け野原となった岡山市の自宅周辺。その光景は見渡す限りをがれきに覆われ、建物もまばらになった東日本大震災後の東北地方の沿岸部の光景とも重なる。

つづく

 

片野 勧

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。

『8・15戦災と3・11震災』(第3文明社、2014)

 

 - IT・マスコミ論, 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 , , , , , , , , ,

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