前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(372) 「坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」 空前絶後の参謀総長・川上操六(46)

      2015/02/22

 日本リーダーパワー史(372

『坂の上の雲』の真の主人公ーー
空前絶後の参謀総長・川上操六(
46

川上操六はドイツ・モルトケ参謀総長に弟子入りし、その戦略を

自家薬籠のものにして日清、日露戦争を勝利した。モルトケとは何者か!

         

                      前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 モルトケとはいったい何者か!

 

モルトケは(18001891)はプロシヤで没落しかけた古い貴族の家に生まれ、五十八歳で参謀総長に就任。普墺(プロシアーオーストリア)戦争で完勝し、ドイツを統一に導いた。

 ドイツ参謀本部が生まれた直接の引き金はナポレオン戦争でありその背景にあるのは徴兵令である。ナポレオンは確かに戦いの天才だった面もあるが、彼が勝った最大の理由はそれまでの傭兵制を徴兵制度に変えて何十万人という大軍隊を手足のごとく動かしたことである。

 

 ナポレオンは師団制度も考え出したのだが、その師団制度でも、ナポレオンがうまく使いこなしたのは数万にすぎない。そのため、初めのうちは勝っていたが、五十万という大軍を擁してロシアへの遠征するとなると、これはナポレオン一人の手に負えないので、いくら天才でも敗北する。優秀なスタッフが指揮官の周りにはたくさん必要となった。

ナポレオンという超リーダーに対し、訓練された均質の、質のいい将校団で対抗したのだプロイセンの参謀本部システムである。ナポレオンは、ついに最後までプロイセンには勝てなかった。

首相ビスマルク(18151898)は「ドイツ統一」の大ビジョンを掲げ、広い視野と巧みなリーダーシップにより、モルトケと協力してこの念願を達成した。


ドイツ参謀本部は、モルトケ(18001891)の時代に黄金時代を迎えるのだが、

ビスマルクという、天才としかいいようのない、すばらしいビジョンを持ったリーダーと、モルトケとスタッフという『インテリジェンス頭脳』の黄金のコンビが誕生した。これが大ドイツ統一を達成したのである。

 

 ビスマルグのビジョンは「ドイツ帝国の統一」だったが、そのためには、どうしても戦わなければならない戦争が二つあった。それは普襖戦争と普仏戦争(プロシアーフランス)だが、戦争を短期勝負で切り上げること、他の国から干渉を招かないことが最も大事であると、ビスマルグは考えた。

 

 そのためには、全部、一面戦争でなければならない。なぜなら、ドイツは、国境の障害がどこにもない平原が大部分である。東部戦線はロシア、オーストリアに開いているし、南はフランスに開いているから、多両戦争をやったのではドイツは絶対不利になる。このことをスタッフ参謀本部はよく知っていた。

だから叩く相手が決まったら、敵側が同盟を結ばないように外交綱を張りめぐらし、ドイツが勝てば第三国から干渉が入るから、干渉の入るひまのないように片づける。そして、そのために軍事面はモルトケにすべてを任された。

 

モルトケの戦略とは・・・

   兵站から第一に注目したのは技術革新であり、その最大眼目は鉄道である。陸軍省の管轄下に鉄道を敷き、来るべき普墺戦争に備えて、兵隊を自分の作戦通りに動かせるように自分で鉄道配置まで行った。国境に向かう鉄道が、オーストリアには一本しかなかったが、プロイセンは五本も作り、戦争と同時に大量派兵を可能とした。

  当時のオーストリア軍というのは、ナポレオンにも勝った強い軍隊だが、開戦して七週間でプロイセンに完敗した。こんな見事な勝ち方はナポレオン以上と言われた。

➂ 軍人はウィーンへなんなく入ったが、ビスマルクは戦争目的は十分達したので、これ以上オーストリア側を痛めつけるのはかえってマイナスになると判断した。ビスマルク、モルトケは軍隊を止め、ウィーンに入れなかった。その結果、他国の介入を未然に防ぎ、徹底して追い詰めなかったオーストリアとの関係もその後うまくいった。

モルトケは、ビスマルグが戦争に口を出すのを嫌った。モルトケはビスマルクを完全に信頼し、政治にはいっさいロをはさまない。政治で多面戦争を避け、一面戦争をさせてくれたビスマルクを尊敬していた。

⑤ 次の普仏戦争のときも、モルトケはフランス国境に向けてずらりと鉄道を敷いた。軍隊が鉄道で自由に動くときに、要塞で固定するのは愚策である、要塞戦術を否定した。

⑥ こうして普仏戦争が始まったが、今回もあまりにも完勝しすぎて、王様を捕虜にしてしまい、フランスと降参交渉をする相手がなくなってしまった。しかもパリには民兵軍がたてこもってしまった。

 ビスマルグは、イギリスやロシアの動向が気が気でなく、早く戦争を終結させたいのだが、モルトケや参謀本部スタッフは勝利に酔いしれていた。ビスマルグにとってはフランスがドイツ統一に口出ししないでくれればいいので、プロイセン軍がパリを落とさないで帰れれば、よかったのだ。

 それをパリに入ってしまったものだから、フランスのドイツに対する恨みは骨髄まで達し、結局それが第一次大戦の原因になったのである。これはモルトケの失敗ケースであった。(日本軍は日中戦争では南京を攻略して虐殺の問題を起こしたが、中国にとって首都南京が外国軍に陥落させられたのは初めてのケースであったことは、歴史の教訓事例になる)

 

以上、参考は 

『大モルトケとドイツ参謀本部』渡部昇一、『参謀型人材の研究』プレジデント、1979

『参謀学―兵法に学ぶ』大橋武夫 ビジネス社 昭和53

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『オンライン講座/日本戦争報道論②」★『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑮『 戦争も平和も「流行語」と共にくる』(下)決戦スローガンとしての『流行語』★『強制標語に対して、人々は「贅沢は敵だ」→「贅沢は素敵だ」●「欲しがりません勝つまでは」→「欲しがります勝つまでは」●「足りん足りんは工夫が足りん」→「足りん足りんは夫が足りん」とパロディ化して抵抗した』

  2014/10/18 記事再録  月刊誌『公評』<201 …

★『鎌倉で名庭園発見!』-鎌倉で『桂離宮!』を体験できる「一条恵観山荘」★『古都鎌倉とは対極の370年前の一条恵観山荘庭園(国指定重要文化財)ー京都のみやび(雅)を伝える庭園』

鎌倉で『桂離宮』を体験する「一条恵観山荘」 ーその『優美な姿に感動す」 11月1 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(176)記事再録/★「国難日本史の歴史復習問題」-「日清、日露戦争に勝利」した明治人のインテリジェンス⑥」 ◎「ロシアの無法に対し開戦準備を始めた陸軍参謀本部』★「早期開戦論唱えた外務、陸海軍人のグループが『湖月会』を結成」●『田村参謀次長は「湖月会の寄合など、茶飲み話の書生論に過ぎぬ」と一喝』

   2017/05/11 /日本リーダーパワー史(805) …

no image
知的巨人たちの百歳学(180)記事再録/「巨人政治家、芸術家たちの長寿・晩晴学③」尾崎行雄、加藤シヅエ、奥むめお、徳富蘇峰、物集高量、大野

 2012/12/31  百歳学入門(64) &n …

『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』㉕★『コロナパニックなど吹き飛ばせ』/鎌倉カヤック釣りバカ日記ー生命わきいずる海で「イワシのナブラ」を楽むー巨サバを連発したよ。

  2012/05/21  <エンジョイ …

日本リーダーパワー史(556) 「日露インテリジェンス戦争の主役」福島安正中佐⑥単騎シベリア横断、日露情報戦争の日本のモルトケ」とポーランドは絶賛

 日本リーダーパワー史(556)  「日露インテリジェンス戦争の主役」福島安正中 …

『オンライン/日本興亡史サイクルは77年間という講座②』★『明治維新から77年目の太平洋戦争敗戦が第一回目の亡国。それから77年目の今年が2回目の衰退亡国期に当たる』★『憲政の神様/尾崎行雄の遺言/『敗戦で政治家は何をすべきなのか』<1946年(昭和21)8月24日の尾崎愕堂の新憲法、民主主義についてのすばらしいスピーチ>』

2010年8月17日 /日本リーダーパワー史(87)記事転載  &nb …

no image
記事転載/1895(明治28)年1月20日付『ニューヨーク・タイムズ』 ー 『朝鮮の暴動激化―東学党,各地の村で放火,住民殺害,税務官ら焼き殺される。朝鮮王朝が行政改革を行えば日本は反乱鎮圧にあたる見込』(ソウル(朝鮮)12/12)

: 2014年11月4日/「申報」や外紙からみた「日中韓150年戦争史 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(240)/★『28年連続で増収増益を続ける超優良企業を一代で築き上げた「ニトリ」創業者・ 似鳥昭雄氏の『戦略経営』『人生哲学』 10か条に学ぶー「アベノミクス」はこれこそ「ニトリ」に学べ

  2016/05/21 日本リーダーパワー史(7 …

『Z世代への日本インテリジェンス史の研究講座』★『明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」今こそ<21世紀新グローバル主義者>出でよ』

2014/03/09日本リーダーパワー史(482)「明治大発展の国家参謀・杉山茂 …