日本リーダーパワー史(414)『魔王と呼ばれた明治維新の革命家・高杉晋作』<歴史読本(2013年1月号)に掲載>
『魔王と呼ばれた明治維新の革命家・高杉晋作』
<歴史読本(2013年1月号)に掲載>
前坂俊之(静岡県立大学名誉教授)
〔維新実現のリーダー〕
2013年は、文久三年(一八六三)六月六日の高杉晋作による奇兵隊創設から百五十年。明治維新に火をつけたのは時代の先をいっていた吉田松蔭の思想だが、その一番弟子・高杉の奇兵隊による破天荒な行動力と獅子奮迅の活躍がなければ倒幕、明治維新は実現しなかったに違いない。
英国外交官のアーネスト・サトウは高杉を「魔王」とまで評したが、日本が多事多難のいまこそ、高杉のような国難突破カのあるリーダーが待望される。

〔松陰門下の「識者」〕
高杉晋作は天保十年(一八三九)九月、長門国萩(現、山口県萩市)で百五十石の長州藩士、高杉小忠太の長男に生まれた。
剣術に熱中する乱暴な少年だったが、安政四年(一八五七)、十八歳で吉田松蔭の 「松下村塾」 に入門、久坂玄瑞とともに松門の双璧とうたわれた。
ふたりは同じ塾に通うよきライバルであり、松蔭は久坂の(才能)に対し、高杉の(見識)を愛した。
松蔭は安政元年、国禁を冒してペリーの黒船で米国密航を企てるが失敗、安政の大獄に連座し、同六年十月に処刑される。高杉は師の戦闘的精神を受け継ぎ、やがて長州藩における倒幕派の中心人物に成長していった。
文久二年五月、高杉は藩主の許可を受けて上海に渡った。そこで目にしたの
は西欧人から人間扱いされていない中国植民地の悲惨な状況で 「シナ人はほとんど外国人の使用人。日本もこのような運命に見舞われてはいけない」(上海日記)と危機感を募らせた。このとき、中国での太平天国の乱で身分や職業に関係ない国民軍が活躍していたことが、のちの奇兵隊創設のヒントとなった。
幕末の動乱が一層激化するにつれ、長州藩や全国各藩で尊王攘夷、開国左幕派の各派が入り乱れて争いがおきるようになった。日本は、外国人襲撃、要人テロが多発するいわば内戦状態に突入する。高杉も伊藤博文らとともに御殿山の「英国公使館」焼打ち事件(同十二月)を起こし、いちはやく武士のシンボルであるチョンマゲを切って断髪にするなど過激な行動を繰り返した。
〔イギリスの度肝を抜いた外交力〕
文久三年、下関海峡を通る外国船を長州藩が旗夷のもとに砲撃したことをきっかけに、翌元治元年(一八六四)八月、四カ国連合艦隊(英米仏蘭)十四隻と長州藩の間で下関戦争が勃発する。
高杉が農民や商人など武士でない人々によって組織した奇兵隊を含む長州軍が応戦したが、わずか一日で惨敗してしまう。このとき、囚われの身で牢獄にいた「エース高杉」が講和交渉役に担ぎだされる。
敵艦上での会談に、高杉は黒の烏帽子に白地のド派手な礼服を着て現れ、「まるで魔王のように倣然と構えて」(アーネスト・サトウの日記)交渉に臨んだ人びとの度肝を抜いた。
また、パークス英公使にもプレゼントの返礼に自分のフンドシを脱いで与えるなど、その豪胆ぶりは天下無類であった。
高杉は連合軍側の賠償請求を「幕府の責任だ」とはねつけ、彦島租借も断固拒否した。その芝居がかった態度と、あまりの強硬姿勢に毒気を抜かれた連合軍は彦島租借をあきらめたほど、高杉のタフネゴシェークぶりは存分に発揮された。
慶応二年(一八六六)六月の幕府の第二次長州征討では、高杉は長州藩海陸軍総提督になった。結核で喀血しながらも二隻の西洋軍艦の指揮をとる姿には鬼気せまるものがあっこれには坂本龍馬も協力して軍艦を指揮して参戦、奇襲作戦で幕府艦隊を打ち破り、小倉城を総攻撃して占領、幕府軍を蹴散らした。この敗北で幕府の威信は地に堕ち、崩壊のきっかけとなる。
高杉はみずから「東行」 「西海一狂生」と名づけたように、ニヒリズムと天衣無縫の詩人の魂、それに剛胆不敵、強靭なサムライ精神を兼ね備えた志士であった。
慶応三年四月十四日、臨終の床で「おもしろきこともなき世をおもしろく」と筆でかき、側にいた野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」とつづけると、「面白いのう」とつぶやいたまま目を閉じた。二十七年八ヵ月、疾風怒涛の人生をかけぬけた。
伊藤博文は「西郷隆盛と同じタイプの勇敢な人物で、創業的な精神に富んでいた」と評している。サトウも西郷と並んで「魔王」と評した高杉を、維新の端緒を開いた革命家として高く評価した。圧倒的に力に勝る諸外国を前にして一歩もひるまぬ強靭さと、突破力は今こそ見直されるべきだろう。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(846)★記事再録『原敬の「観光立国論』-『観光政策の根本的誤解/『観光』の意味とは・『皇太子(昭和天皇)を欧州観光に旅立たせた原敬の見識と決断力』★『日本帝王学の要諦は ①可愛い子には旅をさせよ ②獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす ③昔の武士の子は元服(14、15歳)で武者修行に出した』
2011/12/09 日本リーダーパワー史(221) <大宰相 …
-
-
日本リーダーパワー史(617)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑪日中歴史インテリジェンスの復習、5年前の民主党政権下の尖閣諸島問題での外交失敗を振り返る。 リーダーなき日本の迷走と没落、明治のリーダシップとの大違い
日本リーダーパワー史(617) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑪ 『日中 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(125)/記事再録★ 『超高齢社会日本』のシンボル・世界最長寿の彫刻家/平櫛田中翁(107歳)に学ぶ」<その気魄と禅語>『2019/10月27/日、NHKの「日曜日美術館ーわしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中」で紹介』★『百歳になった時、わしも、これから、これから、130歳までやるぞ!』と圧倒的な気魄!
2010/07/31   …
-
-
日本の〝怪物″実業家・金子直吉
n1 ―鈴木商店を日本一の商社にした「財界のナポレオン」― 静岡県立大学国際関係 …
-
-
★『オンライン講義/コスモポリタン・ジャパニーズ』◎『192,30年代に『花のパリ』でラブロマンス/芸術/パトロンの賛沢三昧に遊楽して約600億円を使い果たした空前絶後のコスモポリタン「バロン・サツマ」(薩摩治郎八)の華麗な生涯』★『1905年、日露戦争の完全勝利に驚嘆したフラン人は、日本人を見るとキス攻めにしたほどの日本ブームが起きた』
ホーム > IT・マスコミ論 > & …
-
-
日本リーダーパワー史(412 )『安倍首相が消費税値上げ決断ー今後3ヵ月(2013年末)の短期国家戦略プログラム提言』
日本リーダーパワー史(412 ) 『安倍首相が …
-
-
『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の研究講座⑤』『米中対立は台湾有事に発展するのか』『130年前の日清戦争と同じ』★『頑迷愚昧の一大保守国』(清国)対『軽佻浮薄の1小島夷(1小国の野蛮日本)と互いに嘲笑し、相互の感情は氷炭相容れず(パーセプションギャップ)が戦争に発展した』『トランプの政策顧問で対中強硬派のピーター・ナヴァロ著「米中もし戦わば」(戦争の地政学)と同じ』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/08am700) &n …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(334)-『新型コロナウイルス/パンデミックの研究①-日本でのインフルエンザの流行の最初はいつか』★『鎖国日本に異国船が近づいてきた18世紀後半から19世紀前半(天明から天保)の江戸時代後期に持ち込まれた(立川昭二「病と人間の文化史」(新潮選書)』
2020年4月22日 前坂 …
-
-
日本リーダーパワー史 ⑯ 日本のケネディー王朝・鳩山家のルーツ・鳩山和夫の研究③
日本リーダーパワー史 ⑯ 日本のケネディー王朝・鳩山家のルーツ・鳩山和夫の研究 …
-
-
「オンライン講座・大谷翔平「三刀流(投打走)」のベーブ・ルース挑戦物語⓵』★『大谷の才能を世界に最初に報道したのはニューヨークタイムズ』(2013年7/10)が日ハム・大谷投手 を取り上げて日米野球論を展開」★『NTYは日本のマスメディア、スポーツ紙の低レベルとは段違いのスポーツビジネス、リーダーシップ論、選手論を分析』』
『それから8年後、大谷は31本の本塁打を放ち、MLBのスーパースターを射止めた、 …
