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世界が尊敬した日本人(54)ー『地球環境破壊、公害と戦った父・田中正造②「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、キリスト教に入信 『谷中村滅亡史』(1907年)の最後の日まで

   

世界が尊敬した日本人(54

月刊「歴史読本」(2009年6月号掲載)

『地球環境破壊、公害と戦った父・田中正造②ー

「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、キリスト教に入信

『谷中村滅亡史』(1907年)の最後の日まで戦った。

前坂俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)

『100年前の足尾鉱毒事件(栃木)は当時、日本最大の公害であり、被害の渡良瀬川流域の谷中村は滅亡した。

20011年の福島原発事故は世界で最大級の地球環境汚染であり、政府・東電に

よる企業公害犯罪である。(避難帰還困難住民は約16万人)。

それなのに、現在の政党、政治家の中に1人として

『田中正造』的な正義の人がいないのか。

『谷中村滅亡史』1907年)の最後の日まで戦った田中翁

当時、衆参両院を通じて三十分以上の演説をする人は少なかったが、田中は一、二時間の演説はざらで、議会で一番長くしゃべる議員だった。しかも毎回、鉱毒事件一点張りなので、周囲からは「またか」と煙たがられた。

田中の演説は、初めはニコ二コとして、おじいさんが愛孫に向かって話すような態度だったが、段々、顔もゆでダコのように真っ赤になり、声も大きく、威圧し、罵り、喧嘩ごしの怒号となり、政府当局者のノド首でも締めてやろうかという激烈な調子で、眼中に大臣も次官もなく、いわんや地方の知事や小役人など屁のカッパとやり込めた。

高田早苗(1860-1938。早大総長。第2次大隈内閣文相)は、こんな思い出はなしを残している。

「田中君の議場における怒罵が議会の名物であったことは、いまの人も聞き伝えて知っているであろう。馬鹿野郎、泥棒などという悪罵を遠慮なく大臣や、政府委員や、反対党へ浴びせかけたのは、田中君が元祖である。(略) ただその方面から見れば、田中君はいかにも粗暴の人であり、短慮の人、無勘弁の人であるように見えるけれども、他の方面から観察すると、じつに細心の人であった。

(略)田中君はいっしょに地方演説に歩くと、だいたいにおいては何処も同じような演説をするのであるのに、その原稿を毎日毎日、筆を加えて工夫をこらしていくから、終にはじっに情理ともに備わり、一種特別の趣味も加わって、立派な演説となるにはしばしば驚かされた。」(高田早苗『半峰昔ばなし』早稲田大学出版部昭和2年刊)

田中正造の天皇直訴は、さすがに政府に大きいなショックを与えた。政府は、翌一九〇二年(明治三五年)三月、鉱毒調査会を設けて問題の解決に重い腰をもちあげた。鉱毒が流出するのは洪水のためだから、谷中村に遊水池を作る渡良瀬川治水計画を立てた。渡良瀬川の氾濫を防げばよいと鉱毒問題を治水問題とすりかえた。

政府はやっと思い腰をあげ、これは反対運動を抹殺するネライだったが、田中はすべてを捨てて谷中村に移り住み、反対運動の先頭に立った。

たまらない孤独感、「辛酸入佳境」

田中正造は谷中村に移り住み、政府に徹底して抵抗する態度に出た。ハ十の坂をこえた老骨にむち打ちながら、買収に切り崩されてゆく村民を回ってはげました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%B8%AD%E6%9D%91

当時の田中翁について島田宗三は「老齢の翁はずいぶんと可哀想でした。他人の村で、翁は一生懸命に働いても、大方からは一向にありがたがられもしなかったのですからね。私が、翁にたいして『田中さんの話がみんなにはわかるのでしょうか』と聞きますと、翁は元気そうに、ああ、あれだけどなっておけば、少しはきくだろう、とケロリと笑っていましたが、翁はたまらない孤独感、そんなものを感じさせました。」と回想して語る。

「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、六十二歳にして『聖書』を初めて読んでキリスト教に帰依した田中は「聖書は読むものではなく実践するものだ」と「谷中学」(谷中村の生活と連動と実践に学ぶこと)に没頭した。

田中には数多くエピソードがある。ある時、三十年連れ添った妻・かつ子に手紙を書いたところ、その名を忘れて想い出せなかったという。それほど救援連動に全身全霊で打ち込んだ「野にいる聖人」になっていた。

しかし、政府、栃木県は土地買収と移転を強行し、最後まで残った十六戸、約百人の農民たちも明治四十年六月、土地収用令で家屋を強制破壊されてしまった。

この頃、谷中村での新年会で、田中は「みんな上に昇って神様にばかりなってしまうが、僕は下の方にいて便所くみのようなことをやっている。とうてい、キリストにはなれない。まあ、かのヨハネぐらいのものでしょう」と語ったという。

この時の田中の日記には「政府と戦うべし、予は天理によりて戦うものにて、斃れても止まらざるはわが道なり」と書いた。

荒畑寒村『谷中村滅亡史』1907年)による「最後の日」 

一九〇七年(明治四十)年七月三十日、谷中村滅亡の日が来た。この日最後まで抵抗した十六戸が強制的に破壊された。

「三十日、破壊本隊は、内野字高砂茂呂松右衝門方にいたる。ときに午前八時なりき。同家は谷中村における最旧家にて、父祖伝来四百八十年の歴史を有し、現今の建物は百二十二年前の建築にかかり、本家納屋物置の三棟となりおり、谷中にはめずらしき大家なり。

松右衛門は保安課長の説諭にたいし泣いてその命に応ずべきを語り、父祖伝来の位牌を奉持し、前庭に一枚のむしろを敷き、再拝頓首して、保安課長に向かい、わが家の名誉ある歴史を語り、この家を去るの情しのびざるを訴え、これとともにその妻しまは声をあげて号泣し、吉松の長男留吉もまた祖母しまの袖をとらえてい泣し、凄惨見るにたえず。

これを見たる吉松は悲憤おくあたわず、赤裸々となり、アルコールをあおりつつ、たとえ殺すとも一歩も谷中を去るあたわず、わが家は四百余年を住みなれしものなり、法律なればとて服すあたわず、と怒号してやまず。

中津川保安課長、植松四部長等こもごもその不心得を説き聞かせしも承諾せず、法律で破壊する家なればサーベルはいらぬはずなり、サーベルを持つは殺す了簡か、殺さば殺せと絶叫し、四部長も保安課長も辟易て退却し、田中翁、木下尚江氏代わってこんこんその不心得を説き聞かせしも耳に入れわは、いまやまさに破壊さるべき他の村民また吉松をおさえ、『苦しからんが服従せよ、はじめとより泣かぬ、手向かわぬと約束せしにあらずや』と説く者も説かるるものも涙なり。

やがて吉松は岩の声をしぼり、三十余名の人夫に向かい『官の命令なればとて、もし承諾せぬに破壊せばそのままにはおかず』と絶叫すれば、人夫等は青くなりて引っこみ、田中翁は悪いことができました、と汗と涙を両手にぬぐいつつ泣いて吉松をさとし、かろうじてことなきを得たり。」(荒畑寒村『谷中村滅亡史』1907年) こうして容中村は、日本の地図から抹殺された。

正造は最後まで谷中村を離れることなく、大正二年九月、胃ガンで七十二歳で亡くなった。亡くなる数日前、病床で「現在を救い給え、ありのままを救い給え」といって意識を失った。

枕元に残されていた全財産は、ズダ袋のなかに、帝国憲法の小冊子と新約聖書一冊、石ころ数個と書きかけの原稿だけ。

田中正造は、天皇直訴事件の印象が強いため、一部には、天皇、キリスト主義者とみるむきもあるが、少数派の人権を守り、憲法の精神を強く求め、人民の抵抗権と、監督権、自治権をも主張した、明治では稀有の民主主義思想家であった。

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