前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

世界が尊敬した日本人(33)「地球を彫ったコスモポリタン「イサム・ノグチ」世界から尊敬された日本人ではなく、日本主義と戦い、 乗り越えることでコスモポリタンとなった」

   

世界が尊敬した日本人(33)

 

地球を彫ったコスモポリタン「イサム・ノグチ」

世界から尊敬された日本人ではなく、日本主義と戦い、

それを乗り越えることでコスモポリタンとなった。

前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)

太平洋戦争の敗戦直後の1947年(昭和22)、廃墟の中で茫然自失していた日本人に対してイサム・ノグチは『新しい日本人』(「ジャパンタイムズ」1947年3月27日付)で

「日本人の優れた美的感覚をいかせば、フランスがヨーロッパを圧倒しているごとく、『武器』ではなく、『文化』で日本は東洋での指導的立場を確保できる。ただし芸術は個人の才能の発露であり、ナショナリズムによって成就できない。芸術はあくまでも国際的言語でなくてはならない」

これは明治以来の日本の狭量なナショナリズムと父に代表される排他的な日本人に対する批判であったが、今から70年前にすでに『ソフトパワー(文化力)』『クール・ジャパン』を発揮せよと説いたその先見性には驚く。

イサム・ノグチは1904年(明治37)11月、日本人として初めて欧米で英語詩人として評価され、のちに慶応大英文科教授となった詩人・野口米次郎と米国人作家、教師のレオニー・ギルモアとの子として、ロサンゼルスで生まれた。米国の排日移民法の影響で、2歳で母と来日したイサムは混血児として差別され、父からは入籍してもらえず、傷心を抱いた少年期を過ごした。

2つに引き裂かれ人種的アイデンティティーが、生涯にわたるイサムの苦悩の根源となった。

1918年、母はイサムを1人で米国に帰した。苦学してコロンビア大学医学部に進学、芸術家になりたい一心で、美術学校の彫刻のクラスに通った。

ここで才能を見込まれ1927年にパリに留学、彫刻家ブランクーシの助手となり、藤田嗣治らとも交友した。

一九三〇年には、東洋の精神を求めて、中国に半年間滞在して水墨画を学び、再来日する。父米次郎と再会を果たすが、父はすでに結婚しており、2人のミゾは埋まらない。京都を訪れたイサムは埴輪や日本庭園など日本文化の真髄に魅了された。

「日本ではいつもガイジン扱い、米国では半東洋人、日系人」として、日米のはざ間で翻弄され続けたイサムの帰属する場所はどこにもなかった。

1941年(昭和16)12月、真珠湾攻撃によるに日米戦争開戦と同時に、在米日系人約13万人は強制収容所に押し込まれた。米国籍のイサムはアリゾナの収容所に自ら入り、日系人の生活環境の向上に取り組んだ。

長年にわたる父と日米への激しい愛憎と葛藤、自らのアイデンティティーを求め続けた魂の遍歴、漂泊が強烈な芸術的創造力となって彫刻にぶつけられた。

彫刻は人物の彫塑から、より大きな石の彫刻、石とステンレスを使って彫刻へ、巨大な石造のモニュメント、空間デザイン、ランドスケープに、さらに地球に、永遠のものに刻んでいく方向へと飛翔,昇華していった。

政治的な壁画「メキシコの歴史」(メキシコシティー、1936)ユネスコ本部の庭園(パリ、50)、「ビリーローズ彫刻庭園」(エレサレム、65)、「大阪万博の噴水」(70)、「イサム・ノグチ庭園美術館」(ニューヨーク、83)、

より巨大化して最後はペルーのナスカの地上絵をイメージした壮大で自然と一体感のある「モエレ沼公園」(190ヘクタール)(札幌、2005)へと発展する。モダンな数十の作品群を世界各地に作った。

この間、イサムはニューヨークや香川県牟礼にアトリエをもって、日米間を股にかけて、巨大な石の彫刻やランドスケープと同時に書、絵画、陶芸、岐阜のチョウチンにヒントを得た「あかり」の照明器具などは世界的なベストセラーとなったり、イスや机などの家具類、舞台芸術、建築デザインとあらゆるジャンルを手がけ、創造力を爆発させて世界中を股に活躍した。

数々の女性遍歴と恋愛の末、ニューヨークで、女優・山口淑子(李香蘭)と恋に落ち、1951年に2人は結婚する。鬼才・北大路魯山人とは互いの才能を認め合い、北鎌倉の魯山人邸の一隅に新婚の2人は居を構えて、イサムは陶芸にも励んだが、約2年で破局した。

晩年のイサムは1986年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレでは米国代表となり、翌年にはレーガン米大統領から国民芸術勲章を受章して、20世紀を代表する芸術家の一人として認められた。

イサムの生涯は自文化主義、ナショナリズムからはじき出され、もがき、苦しんだ末に、コスモポリタンとして東西文化、異文化を融合し、多文化主義的な多数の作品を作った。

世界から尊敬された日本人ではなく、日本主義と戦い、それを乗り越えることでコスモポリタンとなったのである。

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(947)ー『日中関係150年史』★『日中関係は友好・対立・戦争・平和・友好・対立の2度目のサイクルにある』★『日中平和友好条約締結40周年を迎えて、近くて遠い隣人と交友を振り返る」★『辛亥革命百年の連載(31回)を再録』③(16回から31回まで)

★★(再録)日中関係がギグシャクしている今だからこそ、もう1度 振り返りたいー『 …

no image
★『リーダーシップの日本近現代史』(320 )★「日英同盟(1902年(明治35年)1月締結)の影響」★『 1902年3月26日『ノース・チヤイナ・ヘラルド』 『朝鮮と日英同盟』ー『1000年の長い眠りをむさぼった朝鮮』★『北朝鮮の行動形式を100年前にズバリと指摘している』

     2016/11/20 /「日本の歴史をか …

no image
『日本作家奇人列伝(39)日本一の大量執筆作家は誰だー徳富蘇峰、山岡荘八、谷崎潤一郎、諸橋撤次、田中貢太郎、折口信夫

    2010/03/01  日本作家 …

no image
世界が尊敬した日本人―今こそ百年前に大正デモクラシーを先導した民主主義者・吉野作造から学ぶ

世界が尊敬した日本人     ―百年前に大正デモクラシーを先 …

no image
日本リーダーパワー史(482)「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」今こそ<21世紀新アジア主義者>出でよ

   日本リーダーパワー史(482) 「夢野久作と杉山3代研 …

『歴史問題人物クイズ?』★『記者会見で英語で答えられた歴代総理大臣は一体誰でしょうか?』★『初代総理大臣・伊藤博文は積極的に欧米メディアに登場して、その得意の英語力とコミュニケーション能力を発揮して、日清戦争で勝利し一躍世界から注目された日本の立場、日本人の思想について説明している。』

  2010/02/08  日本リーダー …

no image
「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(4)「柳原白蓮 炭鉱王の夫を捨てて、新しい愛人の許へ」(朝日)

  「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(4)   …

no image
 ★5日本リーダーパワー史(780)―『明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわたる対立、紛争、戦争のルーツは『朝鮮を属国化した中国」対「朝鮮を独立国と待遇した日本(当時の西欧各国)」とのパーセプション、コミュニケーションギャップの衝突である』★『  明治9年の森有礼と李鴻章の『朝鮮属国論』の外交交渉の見事なすれ違いにルーツがある』

 ★5日本リーダーパワー史(780) 明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわた …

no image
●★5『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分(9/3)』―わが 『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園です②』 金堂、不動堂、祖師堂ななどゆっくり散歩

 『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』 『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分』 …

no image
日本リーダーパワー史(871)―『慰安婦問題をめぐる日韓合意をひっくり返した韓国政府の二重外交』★『そのための歴史研究・「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実の10回連載』●『公式文書すらない日韓合意、韓国の見直しを非難する安倍首相のほうが異常で非常識』

日本リーダーパワー史(871) 北朝鮮の核ミサイル問題をめぐる危機と同時並行して …