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日本リーダーパワー史(480)日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の交渉術⑥ 『世界の金融王モルガン顧問弁護士が絶賛』

   

   日本リーダーパワー史(480)

 

<日本最強の参謀は誰か「杉山茂丸」の交渉術⑥ >

 

◎『世界の金融王モルガンの顧問弁護士・F・ジェニングは「杉山が英語が話せたら、米国で大歓迎される。彼は既成概念を超えた新しい発想の持主で、数字的具体的に、理論整然と説き、聞く者を十二分に納得させる話術の持ち主。私は今までにたくさんの日本人に会ったが彼ほどの人物には会ったことがない。

 

前坂俊之(ジャーナリスト)

 

 

  極秘に満鉄のプランを練る

 

 日露戦争で奉天会戦に勝利した日本は講和を決定し、ルーズベルト米大統領に講和斡旋を依頼した後、明治三八年(一九〇五)七月、山県有朋参謀総長が満州に渡った。奉天の総司令部に各軍司令官を集め、戦争終結の聖旨を伝えるためであった。
 

 この山県の渡満は、最高の軍事機密として厳重な籍口令が敷かれた。うっかり漏れれば、ロシア艦隊の反撃を食いかねない。

 同一四日、一行は新橋駅を発ち、神戸で偽装した御用船「河内丸」(五000トン) に乗り込んで大連に出航したが、出航間際に水上艇に乗った一人の民間人が近づいてきて、タラップからノコノコと乗り込んできた。
 

 杉山茂丸(しげまる)である。
 

乗船するや杉山は山県のケビンに入って密談となり、なかなか出てこない。他の将校たちは「いったい、何者なのか!」と、唖然となった。

 二四日、奉天の満州軍総司令部に到着すると、一行は別々に部屋割りされたが、ここでも杉山は児玉源太郎総参謀長の宿舎に泊まり込んだ。参謀本部の部下でも容易に入ることのできないところである。二人は寝食を共にしながら、ここで極秘の計画を練り上げた。

児玉と杉山は一心同体であった。
 

 児玉は杉山に日本軍占領地の全鉄道の地図、資料を見せ、その維持、管理をどうするか、基本プランの作成を指示した。

 

  杉山は二週間、不眠不休でこれを作成し、政府の出資金一億円、民間からの株式公募一億円の計二億円の資本金、鉄道、沿線付属地の炭鉱経営を含めた南満州鉄道株式会社の設立案をまとめて、山県に上申した。

 杉山こそ山県、児玉らの「知恵袋」であり、陰の軍師・大参謀、明治国家の陰のプランナーだったのである。

 

裏方に徹した「もぐら」

 

 明治政治史の中で、杉山は政治家の間を渡り歩く「策士」、大言壮語する「ホラ丸」としてしか、その存在が知られていない。自らも裏方に徹した「もぐら」と称して、多くを語っていないが、日露戦争をはじめ、明治、大正の政治の舞台裏で大きな役割を果たした。

 明治二〇年(一八八七)、二二歳の杉山は、藩閥政治の巨頭であった伊藤博文を暗殺しようと押しかけて、逆に諭されて以来、政治に開眼し、伊藤に私淑して政治の舞台裏で活躍し始める。

 

 明治三一年(一八九八)、杉山は台湾総督であった児玉源太郎と二人で「日本が真に国家として独立するには日露戦争は避けられない。国論統一のために、小党分立した政党を合同して、伊藤を党首とする。山県有朋が反対するなら、引きずり下ろす」などの密約を結び、秘密結社を作った。のちに首相となった桂太郎もその後、この秘密結社に加わっている。
 

 杉山は着々とこれを実行していく。伊藤に対して、一〇万円(今の金で約一〇億円)の政党結成資金を知り合いの実業家から工面して、ポンと提供する。この金で伊藤は明治三三年(一九〇〇)九月、政友会を組織した。

 慎重で容易に人を近づけない山県も、杉山の堂々たる弁舌、機略縦横の才能と実行力に電気に打たれたように魅了され、週二回ほど椿山荘などで杉山に会い、政治情報を杉山から聞くようになった。
 

杉山は山県と伊藤という二大巨頭らの間で情報の使い走りをしながら、ある時は「フトコロ刀」的な存在となり、政治指南役をつとめながら、人形遣いのようにたくみに巨頭連を操ったのである。

 日露戦争が迫る中で、明治三四年(一九〇一)六月、桂太郎が首相となり、開戦に向けて日英同盟を密かに進めた。逆に伊藤は日露戦争を何とか避けるようと日露協商に旅立つが、杉山は「伊藤がロシアというへソを押せば、必ず日英同盟という屁が出る」とみて、伊藤をたきつけてロシアに行かせ、日露戦争の「戦死者第一号」に祭り上げてしまう策謀をめぐらす。
 

 杉山の思惑通り、伊藤がロシアで交渉している間に日英同盟は成立し、伊藤は煮え湯を飲まされるかたちとなった。以後、桂と決定的に対立した伊藤は、日露戦争に備えた軍艦購入など軍備増強にことごとく反対し、桂は辞表を提出する事態となった。そこで杉山は伊藤の力を削ぐために一計を案じ、伊藤を枢密院議長に祭り上げることに成功した。

 

 日露開戦へ向け杉山が大きな役割を果たした一方、講和についても杉山が重要なきっかけを作っている。明治三八年三月、杉山のところに親しかった米国商社員と米新聞記者が一緒に訪ねてきて、奉天会戦後の日本側の占領計画や兵力動員などの数字を示した。ドイツ参謀本部がこの数字をつかんでいるという。
 

 驚いた杉山はただちに内容を山県に告げ、満州の児玉総参謀長あてにも「情報が外国に漏れるようでは大問題」と秘密電報を打った。山奥が参謀本部に確認すると、数字は事実であった。

 情報漏れを知った山県は「講和は今が潮時だ」と決断して、桂首相にも告げた。「勝った今が絶好の講和の時期だ」として杉山は、桂に「講和斡旋を米国に申しこめ」と献策し、講和が実現した。
 

 また、ヨーロッパでロシアを後方から撹乱するスパイ活動に成功したことでしられる明石元二郎は杉山と幼なじみで年齢も同じという大の親友であった。まず杉山は、宮崎民蔵(中国革命家・宮崎滔天の兄)をフランスに派遣してレーニンに会わせ、メッセージを持って帰った宮崎の進言で、児玉と協議してヨーロッパに送り込んだのが明石だった。
 

 日露戦争の要所要所に、杉山の巧妙な戦略の手が次々に打たれていたのである。

 杉山の長男で作家の夢野久作は「近世快人録」の中で、杉山をこう評している。
 

 「彼は目的のためには手段を選ばなかった。子分らしい子分を一人も近づけないまま、万事ただ一人の知恵と才覚で着々と成功してきた。いつも右のポケットに二、三人の百万長者を忍ばせ、左のポケットにはその時代時代の政界の大立者を四、五人も忍ばせて、『俺の道楽は政治だ』と言いながら彼一流の活躍を続けて来た」
 

 この杉山のポケットに入れられた政財界の巨頭たちは伊藤博文、山県有朋、松方正義、寺内正毅、桂太郎、児玉源太郎、明石元二郎、後藤新平らであり、実業家では藤田伝三郎らだった。

 

世界の金融王をけむに巻く

 

 明治、大正、昭和戦前を通じて最大の浪人といえば、玄洋社代表の頭山満で「魔人」として恐れられたが、杉山はその盟友として、それ以上の存在でもあった。杉山は政治家の黒子に徹して、政治、経済面で大きな足跡をのこした。 杉山は、玄洋社一流の真正直で国粋的なイデオロギーではダメだ、と一線を画していた。
 

 「毛唐の唯物功利主義的一点張りの、血も涙もない社会に、在来の仁義道徳で対抗するのは、西洋流の化学薬品に漢方で対抗するようなもの。西洋以上の権謀術策と、それ以上の惨毒な怪線を放射して対抗できるものは天下に俺一人しかいない」とも夢野に語っている。
 

 杉山はファナティックで国粋的な壮士とは全く違い、国際通であり、経済について該博な知識をもった当時、日本一のタフネゴシエイター(交渉人)であった。香港やアジアを相手に実業に携わり、特にアメリカには工業、産業の視察に前後五回にわたって訪れ、内閣嘱託として日本公債引受交渉にもあたり渡米した。
 

 児玉台湾総督の知恵袋として台湾銀行を作ったり、「日本の空を工場のエントツで真っ黒にしてみせる」といち早く工業立国論を唱え、そのための日本興業銀行の創立、鉄道の国有化に取り組むなど、先見の明があった。
 

 日本興業銀行の創設では、杉山は一片の紹介状も持たず渡米して各国の元首さえ容易に会えない世界の金融王のJP・モルガンに、単独で面会に成功した。得意の弁舌でけむに巻いて、年利三分五厘で一億五〇〇〇万ドルの外資導入の離れ業を演じた。

この間のタフネゴシエイターぶりは日本最強で、モルガンを一発でへこました。

 

 さて、JP・モーガンは祖父の財を受けて一九世紀末、アメリカ国内最大の金融財閥のトップに君臨し、当時、クリーブランド大統領を助け、アメリカ政界黒幕としても有名であった。
茂丸は、モルガンのいろいろな質問に対し的確な解答をし次のような融資の概略案が提示された。
一、工業開発会社を設立して同社の債権を発行、日本政府がその保証をする。
二、貸出金額は一億ドル以ト二億三千万ドルまでの範囲
三、貸出年限五〇年。
四、利息五%限度
五、モーガン商会宛支払利息三、五%、開発会社のマージン一、五%。
この提案に対して茂丸は深く感謝し厚く礼を述べるとともにそのコピーを頂戴したい、と申し出た。


コピーをいただきたいと言った茂丸の顔を見据えていたモルガンは突然大声でどなった

JP・モルガンがイエスと言ったのですぞ」と叫ぶと同時に興奮した様子でテーブルをドンと大きく叩いた。
思いがけないハプニングに、一瞬、部屋中が凍ったようになったが、茂丸は平気の平左で「もう一度テーブルを叩いてください」と啖呵を切った。緊張した表情のモーガンは「なぜだ」と聞き返した。

茂丸は答えた。「もう一度叩いていただいたならその音が日本にまで聞こえるのではないか、とふと思ったからです。私は日本政府とは全く係わりのない一介の観光客にしか過ぎません。

その私が世界のモルガンと呼ばれるあなたに、こうして直接お目にかかり、しかも日本国にとっては誠に有難い工業開発のための条件まで提示して頂いたわけです。私は、この有難いお話を持って早速明日にでも日本に帰ろうかと考えていた所でした。そんな気持ちの時、只今テーブルの音を聞き、そして思いました。もう一度叩いて頂いて、出来ることならその音を日本政府及び国民に聞かせたい、と。

私はあなたがイエスと言われた言葉を信ずるとか信じないとかいう資格のある男でも、立場の男でもありません。私の個人の願望としては、若し聞かせていただけるのなら、あそこにいる美人秘書のタイプライターの音を聞きたいものです。」と真剣に、程よいウイットも含めて答えた。(「杉山茂丸伝」野田美鴻著、島津書房、平成4年)

 しばらく沈黙が続いた後、モルガンは破顔一笑「オーライ」と言ってコピーを作成し、それにサインしてくれた。

モルガン商会の一室の張り詰めた空気は茂丸のくそ度胸と機智(ユーモア)あふれる見事な交渉術で一転した。馬鹿正直な安倍首相に爪の垢でも煎じたい見事な一本勝ちである。

 

杉山の交渉術、凄腕についてはモルガンの顧問弁護士のF・ジェニングが明治三二年六月、母校ハーバード大学において法学博士(名誉学位)を受けるために渡米した金子堅太郎に次のような茂丸評を寄せている。

「彼があなた(金子のこと)と同じょうに英語が話せるのなら、この国では大いに歓迎されることであろう。彼は既成概念を超えた新しい発想の持主であるようで、その発想を数字具体的に組立て、理論整然と説き来り、説き去り、聞く者をして十二分に納得せしめ得る話術の持ち主である。私は今までに沢山の日本人に会っているが彼程の人物には会ったことがない。あなたから時々米国に来るように話してくれ」(「杉山茂丸伝」


 茂丸はこのサイン入りコピーを持って帰朝したが、伊藤、山県はビックリ仰天、ぐずな松方正義蔵相が銀行家に押され「そんな安い外資が入ると、日本の銀行はつぶれる」と反対に回り、外資導入は見送られてしまった。

 結局、国内資本だけで同銀行は創設され、杉山は総裁に推されるが、「以ての外だ」と敵ってしまった。警視総監にも推されたが、生涯浪人を自任していっさい受けなかった。

 
 杉山はその国際的な見識、構想の雄大さ、機略縦横で一度しゃべりだすと、論理的に火を吐く弁舌、雄弁で相手を圧倒し、ずば抜けた交渉力で神出鬼没に活躍した。世人はそのケタ外れの、常識では理解できない大きさに「ホラ丸」と呼んだのである。
 

 後藤新平は彼の仲間であり、ケタ外れの構想力で「大風呂敷」とあだ名されたが、杉山の方が一枚も二枚も役者が上であった。

 「其日庵」庵主を号した杉山は、「その日その日を無責任にやってきて後は知らんぞ」との意味だと、ふざけて答えているが、明治国家の遺産を食いつぶして日中戦争、日米戦争へと坂道をころがっていく昭和一〇年(一九三五)七月、七一歳で亡くなった。その最期の言葉は「後のことは知らんぞ」であった。

 

 

[歴史街道]2001年1月号掲載

 

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