日本リーダーパワー史(485)幕末・明治(約60年)は「西郷隆盛・従道兄弟政権 時代」が、日本大躍進をもたらした。
2015/01/24
日本リーダーパワー史(485)
明治人物ビックリ仰天の新しい視点―
徳川幕末・明治時代(約60年)は「西郷隆盛・従道兄弟政権
時代」であったことが、日本大躍進をもたらした。
西郷隆盛は徳川幕府を倒して明治維新を達成した最大の功労者だが、
弟・従道は明治政府の要石・縁の下の力持ち(明治18年から合計15
年間)に徹し、何でもござれと大臣になり、元老たちの調整役となり、
<明治の奇跡=日清・日露戦争の勝利>を生んだ最大の
功労者なのである。
その意味で、徳川幕末から、明治時代(通算60年)は「西郷兄弟
の時代」といったほうがより適切だろうと思う。
私も従道については測りがたき怪人物、奇人、けた外れの大物で、
今ひとつ理解出来なかったが、鳥谷部のこの人物評を読んで
なるほどと了解した。
結局、日本的なリーダーシップの神髄とは隆盛の陽明学の西郷精神
であり、従道の禅的な底抜けの精神的境地なのであろう。
明治時代の派閥権力闘争の謎を解くには鳥谷部春汀著
『明治人物月旦』(博文館、1909年刊)を読まねばならない。
前坂俊之(ジャーナリスト)
鳥谷部春汀著 『明治人物月旦』(博文館、1909年刊
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=56
以下は前坂俊之著「痛快無比ニッポン超人図鑑」(2010年、新人物文庫)だが、この時に参考にしたのは鳥谷部の本の孫引き、コピー本が多いので間違いが多いがあえて掲載する。鳥谷部の原典に当たって、新しい西郷像を考えてほしい。
西郷従道-なんでもござれと引き受けた兄以上の大物大臣
西郷隆盛は知っていても、弟・従道を知る者は少ない。西郷隆盛は文字通りの巨人だが、従道も兄に劣らぬの怪物!だったという。
「馬鹿なのか、利口なのか」ぼうようとして捕えがたい、どこが偉いかわからない、無欲恬淡、天真欄漫、何でも呑み込む、推されれば陸軍中将が海軍大臣になり、さらに軍艦を知らない海軍大将になる、山県有朋からこわれれば、元帥なのに平然と内務大臣となる。平気の平左で、どこまで清濁合わせ呑む大物か、並みの人間では判断しかねるケタ外れの大器、奇人、珍人であったことだけは確かである。
その略歴をみればよくわかる。歴代内閣に重宝されて陸軍卿、文部卿、農商務卿、内務大臣三回、海軍大臣七回、陸軍大臣(兼務)一回、農商務大臣(兼務)一回を歴任したが、これまで多くの大臣を歴任した者はないが、総理大臣だけは「おいどんはその器にあらず」と固辞して決して受けなかった。
それだけに抱腹絶倒のエピソードには事欠かない。
西郷は席を和気あいあいとし周囲を和ませる人格だった。明治七年、台湾蛮地事務都督として大久保の命を受けて台湾征伐を強行した。現地で台湾原住民をまねいて晩餐した。中国製の木卓を戸外におき、豚肉の塩汁、鹿の干肉、薩摩イモなどを大皿に山ほどもって、サツマ焼酎や現地の酒で大酒盛りとなった。薩摩のイモサムライよりも、原住民のほうがよほど酒に強く台湾の歌、踊りが飛び出せば、日本側も角力甚句などを歌い、西郷も原住民と共に歌い、踏舞い足並を揃えて一緒に踊った。西郷は愛嬌のある態度と笑いで酒で、わけへだてなく接して、楽しんだ。帰国の際は、原住民は西郷にすがりつき泣きながら別れを惜しんだという。
明治11年、大久保利通が暗殺された直後の大久保邸は大勢がつめかけててんやわんやの大騒ぎであった。昼になったが食事の用意が全くなかった。そこに料理や炊きたての握り飯がど山ほどと持ち込まれた。西郷の手配であった。大久保の遭難を知ると西郷はすぐに妻女に命じ、五十人分の料理を届けさせること、また大釜を三つ大久保邸に運んで、炊き出しをすることをテキパキと指示していたのである。
太政大臣三条実美の下で文部卿に就任したとき、なにごとを聞かれても、「そのことなら田中(不二麿)大輔に話していただきたい。私は文部卿でなくて、文盲卿でござる」 といって、頭をかかえて笑っていたという。
明治18年12月、伊藤博文首相の下で、海軍大臣に就任し、翌年三月から七月まで農商務大臣を兼務したが、このとき次官の吉田清成に、「わしは農業や商売のことは、まるでわからんから、あんたの一存で、なんでもドンドンやって下さい」 といって、ハンコを渡し、本省には全くでてこなかったという。
山県内閣の内務大臣の時には、部下からなにを問われてもいっさい可否をいわず、聞き終わると、「なるほど」と答えるのみだったので「なるほど大臣」の名がつけられた。
明治初年、ヨーロッパを歴遊し、ロシアに行って、皇帝アレキサンドリアに拝謁したとき、皇帝が「日本の軍人は、何を好むか」と質問した。かれは平然として 「やはりそれは、酒と女であります」 と答えた。通訳官がそのまま言上したところ、並みいるロシア高官もあきれ果てた様子だったという。
イタリア外遊中のこと、その国の外務大臣からは、一夜宴を張られて招かれた。その時、西郷ははあいさつに立ち上がるなり、「よかよに頼む」と通訳官に一言いったきりで、席にすぐ座ってしまった。あわてた通訳官が前もって書かれていた文章を延々と読み上げてあいさつとした。日本語を知らないイタリアの高官たちは、「へえ、日本語は大したものだ、わずか一言だけにあれだけの長い、深遠な意味があるとは驚いた」 と感心しきりで、西郷への評価はうなぎのぼりだったというからおもしろい。。
大隈重信は「西郷従道は、一口にいうと、貧乏徳利のような人物だ。あの素朴な風貌で、なんでもござれと引きうける。貧乏徳利は、酒でも、酢でも、醤油でも、なにを入れても、ちゃんと納まるからな」といったという。 西郷はそういう超俗な人間だったが、それと反対な面のあったという。軍部大臣は陸海軍大中将が任ぜられたが、文官職であって、任用資格として、武官と定められたものだ。西郷はこれを知っており、他の大臣はもちろんのこと、海軍大臣として登庁するときは、軍服ではなくいつも背広服を着たという。
桂太郎内閣の組閣の時、薩長藩閥の派閥均衡を考慮して薩摩の山本権兵衛を海軍大臣にすえようとした時、山本は後輩のしかも長州山県閥の桂の風下なんかに立つのはイヤだと首をタテに振ろうとしない。これを聞いた西郷は、山本に「あんたがイヤなら、おいどんがやりもうそ」と言った。西郷のほうが山本のはるか先輩なので、山本は引き受けざるを得なくなった。
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