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野口恒のインターネット江戸学(17)江戸は意外に「実力主義」の競争社会―実力主義の戦国時代から世襲制の江戸時代へ(上)

      2015/01/01

日本再生への独創的視点<インターネット江戸学講義(17)
 
第8章 江戸は意外に「実力主義」の競争社会
実力主義の戦国時代から世襲制の江戸時代へ(上)
 
 
野口恒著(経済評論家)
 
 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など戦国武将が活躍する戦国時代は、己の知恵と力によって周りの競争相手を倒し、天下にのし上がっていく生死をかけた実力主義の時代であった。身分・家柄・血統というものがほとんど価値を持たず、己の知恵と実力だけが頼りとなる。
戦国時代は、実力のない者が人の上に立つことを許さない厳しい社会である。戦国時代の代名詞に「下克上」という言葉があるが、下克上は下位の者が上位の者を実力で倒してのし上がっていくことを指している。
 
戦国時代の下克上の始まりを代表するのが小田原の戦国武将・北条早雲である。彼の出自や家柄はまったく不明であり、己の知恵と実力で伊豆・相模の領主となり、関東の一角を成す戦国大名にのし上がった。織田信長も強烈な人物で、それまでの価値観や常識をまったく意に介さないで、大胆な発想と型破りな行動で天下を獲ろうとした。
 
そして、戦国時代の実力主義を代表する最も有名な人物が豊臣秀吉である。彼は織田信長の足軽身分の出であったが、己の知恵と機知と実力で天下獲りを果した。戦国時代は旧来の価値観や伝統が崩れ、己の知恵と実力がすべてを制する完全な実力主義の時代である。
 
ところが、関が原の戦いに勝利して徳川幕府を開いた徳川家康は、下克上に代表される戦国時代の実力主義の価値観を否定して、士農工商の「身分制」と身分・家格(家柄)の「世襲制」を、社会を安定させる支配秩序の中核とした。
 
実力のある下位の者が上位の者を倒してのし上がる“下克上の実力主義”は完全に否定され、士農工商による身分制度が固定され、しかも身分と家格は代々世襲されるものとした。徳川時代になると、社会の価値観はそれまでの実力主義から世襲主義へと180度転換したのである。とくに社会が安定してくると、実力主義は支配秩序を乱し、社会を混乱させる要因として否定されたのである。
 
 
江戸時代の世襲制、とくに武家社会では士農工商の身分制と家格(家柄のランク)の世襲制が二本柱になっている。
 
武士の家柄に生まれたものは代々武士となり、農民に生まれたものは子々孫々農民にしかなれなかった。江戸時代には、武士が百姓になったり、商人が武士になったりする極端な「身分階級の移動」が禁じられていた。しかし、江戸後期になると商品経済・貨幣経済の発達と社会変動が激しくなり、身分階級の移動も起こっていた。
 
江戸時代の武家社会では、一万石以上の石高を有する大名から、一万石以下で将軍の直臣である旗本・御家人、それに各藩内の家臣に至るまで「家格」によって役職が細かく規定されていた。そして役職は家格による世襲制によって受け継がれていた。
 
同じ直臣の旗本・御家人でも、家格が上位の旗本は官位が与えられ重職に任ぜられたが、下位の旗本は無位無官で低い役職しか与えられなかった。
 
こうした武士の役職とは別に、天文方とか火消し所とか、専門的な知識・技能を必要とする役職も世襲制によって受け継がれた。たとえば、江戸幕府の最高級の教育官である大学頭(だいがくのかみ)は、林羅山を祖とする儒学の名門・林家(りんけ)により代々世襲されていた。
 
ただし、例外的な役職もあった。三奉行(寺社奉行・勘定奉行・江戸町奉行)、京都町奉行、大坂町奉行、長崎奉行、佐渡奉行といった本当に卓越した行政能力が要求される役職は、世襲制ではなく実力本位の「任命制」が採用された。
 
それも、旗本・御家人の中から優秀な人材を選び、昌平坂学問所でしっかり学問を学ばせ、しかるべき役職に就けて実務能力を覚えさせながら、大事に育てていくという一種のエリ-ト教育が行われた。しかし、そうした能力本位の任命制が採用された役職は例外的な少数でしかなかった。大部分の役職は家格による世襲制によっていた。
 
商人社会は、男系相続なら番頭経営、女系相続なら婿養子経営
 
 武家社会は、基本的に身分・家格による世襲制によってその地位や役職が受け継がれていたが、しかしまったく能力のない者、素行の悪い放蕩者が後を継げるわけではなかった。
 
大名家は嫡子相続・世襲制の典型のように見えるが、たとえ大名家の跡取りに生まれても、本人に実力がなく、素行が悪ければ藩主になれなかったのである。もし、無能な藩主を頂いて何か不祥事でも起こせば、幕府からお家断絶か取り潰しなど厳しい処置がなされ、藩士やその家族は路頭に迷うことになった。
 
だから、藩主がぼんくらだったら、「押し込め」といって家臣たちの総意として主君を隠居させることができた。たとえば、紀州藩第8代藩主・徳川重倫は徳川御三家の当主とは到底思えないほど傍若無人で粗暴な性格で、家臣に対して何か気に食わないことがあると刀を振り回し、負傷させたことも少なくなかった。
重倫はあまりの素行の悪さのため幕府から登城停止を命じられ、30歳の若さで強制的に隠居させられた。いかに嫡子相続・世襲制の武家社会だからといって、無能で素行の悪い放蕩者までその地位や役職を継げるほど甘くはなかったのである。
 
 嫡子相続・世襲制の武家社会に対して、商人社会は実力主義で、
   男系相続の場合は番頭経営、
   女系相続の場合は婿養子経営
を採用して家督・家業の存続を図ったのである。
 
江戸時代の老舗商家(大店)では、家督・家業存続のために後継ぎに息子は禁止して実力のある番頭に経営を任せたり、優秀な者を娘と結婚させ婿養子に迎えたりして、家督・家業の存続を図ったところも多い。
 
男系相続の場合に一番避けねばならないのは、無能な息子に家督を継がせて店が傾いたり、家業が没落してしまうことである。こうしたリスクを避けるために、商人たちは「所有と経営」を分離して、当主はお店を所有するが、その経営は有能な番頭に任せてしまうことだ。
 
そのため、能力のある従業員を実力競争させて、彼らの中で一番能力のある者を番頭に抜擢して経営を任せたのである。「番頭経営」とは“実力主義と抜擢主義”によって成り立っていた。
 
これに対して、娘から娘へと資産を継承する女系相続は実力のある有能な者と当主の娘を結婚させ、婿養子に迎え入れて経営を任せる「婿養子経営」によって家督・家業の存続を図った。大坂のある老舗の商家では、代々家の跡継ぎについては次のような家訓が残っているほどだ。
 
『たとえ当家に男子が出生いたすとも、別家または養子に遣わすべし。男子相続は後代まで永く禁止し、当家相続は婿養子に限ることを、堅く定めおき候』
 
江戸の商家では、店・家業・暖簾に対する私有意識は封じられていて、それらの資産をいかに末代まで存続させるか、その一点にすべての知恵や意識が集約されていた。実力や能力のない息子を跡取りにして店や家業を破綻させ、家族・親族・従業員を路頭に迷わすことは一番悪いことだとされた。
 
番頭経営や婿養子経営といっても、家督・家業相続は店の当主や娘の一存だけで決められなかった。大店の商家は親族一族で株を持ち、一族の合意で重要事項を決めていた。さらに、親族一族の同意だけではなく、同業者仲間や同業組合などの認知も必要であった。そのため番頭や婿になる者は、単に能力が高いというだけではだめだった。店の当主や家族、従業員はもちろん、親族一門や同業者仲間にも、「彼は一人前になった。
 
後を任しても大丈夫」と認められるだけの実力があって、みんなから人格的にも信頼されていないとなれなかったのである。家督・家業を継ぐ当人には商売や経営に対して高い能力や実力が求められたが、それ以上に強く求められたのは親族一門や同業組合などから信頼されることであった。
 
番頭経営や婿養子経営は、出来の悪い男子相続による経営リスク(放漫経営・お家没落・家業破綻)を防止し、また兄弟姉妹や一門による家産分割や資産分散を抑制することで、老舗の商家(大店)が何代にも渡って存続できた最大の要因である。
三井家・住友家・鴻池家など後々まで生き残った老舗の商家は、男系相続による番頭経営か優秀な婿取り経営によって存続してきたのである。
 
 
武家社会に実力主義を導入した徳川吉宗の「足高制」
 
 本当に実力や能力が必要とされた幕府の要職は必ずしも家格による世襲制で運営されていたわけではなかった。たとえば、江戸の三奉行と呼ばれた江戸町奉行や勘定奉行は実力や能力のある人材を任命制で登用した。
 
たとえば、勘定奉行は幕府の勘定所を務める長官(現在の財務大臣に相当)できわめて高い専門知識と能力を必要とされ、3千石相当の旗本格が務める要職である。同じく江戸町奉行(江戸の行政・司法・警察を司る)も3千石相当の旗本格が務める要職で、かなり高い行政能力が必要とされた。
 
しかし、こうした幕府の要職を務まる有能な人材が家格の高い旗本格にいつもいるわけでない。それでも家格による世襲制にこだわると、勘定奉行に有能な人材を当てることができなくなり、幕府の行政がうまく機能しなくなる恐れがあった。
 
そのことにいち早く気づいた8代将軍徳川吉宗は、享保13年(1728年)に家格が低くても優秀な、有能な人材を幕府の要職に任命して、仕事のチャンスを与え、実力を発揮してもらおうと「足高制」(たしだかせい)と呼ぶ人材登用制度を導入した。
 
足高制とは江戸時代の俸禄制度であるが、幕府の要職に就く際に当人の家禄がその役高に足りない分をその在職中(任期中)に限って「足高」として支給することをいう。家禄千石の旗本が実力と実績を評価されて職禄3千石の勘定奉行や江戸町奉行に抜擢された場合、その任期中は家禄千石と職禄と家禄の差額分である2千石が支給された。
 
任期が終われば、元の家禄に戻るので、幕府は人件費の高騰を抑えることができた。足高制は家禄への増加ではなく、あくまでも個人への支給であり、しかも支給期間は任期中に限られていたため、幕府には大きな財政的負担にはならなかった。幕府は、足高制によって有能な人材を幕府要職に登用できると共に、人件費負担の軽減を図ることができたのである。
 
<足高制導入時の主な基準石高>
 
・ 御側役・留守居・大番頭-5000石
・ 書院番頭・小姓組番頭-4000石
・ 大目付・町奉行・勘定奉行・百人組頭・小普請組支配-3000石
・ 旗奉行・槍奉行・西城留守居・新番頭・作事奉行・普請奉行・小普請奉行-2000石
・ 持弓持筒頭・先手弓筒頭-1500石
・ .留守居番・目付・使番・書院番組頭・小姓組組頭・小十人頭・徒頭-1000石
 
足高制による人材登用面での効用は、極端なことをいえば本人の能力が高く実力さえあれば、最下位の足軽身分でも勘定奉行や江戸町奉行になれたことだ。実際に足軽身分から勤め上げ、実績を積んで評価され、勘定奉行に上り詰めた例もあった。足高制は世襲制の武家社会に実力主義・能力主義を導入した、画期的な人材登用制度であった。
 
 この足高制によって、徳川吉宗により江戸町奉行や勘定奉行に登用されたのが、大岡政談で有名な大岡忠相(1677~1751年)である。また荒川・多摩川の治水・補修工事などを行い、その功績が認められ、将軍吉宗に代官に登用された田中丘偶(1662~1730年)もいた。
 とくに大岡忠相は、遠国奉行の一つである伊勢の山田奉行を務めているときにその実力を認められ、まだ四十歳の若さで幕府の要職・江戸町奉行に抜擢されたのである。彼は山田奉行在職中に奉行支配の幕領と紀州徳川家領との間でしばしば起こっていた係争(訴訟)を公正に裁いたことが将軍吉宗に高く評価され、その能力を買われて江戸町奉行に抜擢された。
 
この足高制によって、農民出身の勘定奉行まで誕生した。たとえば、勘定奉行・神尾春央(1687~1753年)は、享保の改革の終盤に「胡麻と農民は絞れば絞るほど出る」とばかりに財政再建のため厳しい年貢増徴策を実行した苛斂誅求の酷吏として知られるが、彼もまた足高制によって農民の出ながら勘定奉行に登用され出世した人物である。
 
 
江戸時代後期になると、跡取りに恵まれない、生活に苦しい武士が老後の生活資金や借金返済のために武家の株を売り、また反対に武士になりたい裕福な商人や農民が武家株を買って武士になる者も出てきた。彼らは当初最下層の足軽身分から勤め上げ、その後実力を発揮して功績を積み上げ、ついには勘定奉行など幕府の要職にまで上り詰めて出世する者もいたのである。

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