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終戦70年・日本敗戦史(97)『大東亜戦争とメディアー<新聞は戦争を美化せよ>内閣情報局による情報操作の実態』⑤

      2015/06/27

      終戦70年・日本敗戦史(97

『大東亜戦争とメディアー<新聞は戦争を美化せよ>

内閣情報局による情報操作の実態』⑤

<対談>戦争とジャーナリズムについてー前坂氏に聞く 図書新聞(2001/05/05

前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)/

聞き手 米田 綱路(図書新聞編集長)

新聞は書けなかったのではなく、書かなかった、書く勇気が欠如していた

―先ごろ、山中恒さんの『新聞は戦争を美化せよ!-戦時国家情報機構史』が刊行されました。

この本を手がかりに、戦争と新聞、そしてジャーナリズムと報道のありかたなど、新聞記者を長く勤められ、『兵は凶器なり一戦争と新聞1926-1935』『言論死して国ついに亡ぶ一戦争と新聞-1936-1945』(ともに社会思想社)の御著書もある前坂さんにお話しいただきたいと思います。

まず、山中さんの『新聞は戦争を美化せよ!』について、お読みになった感想をお話しいただけませんか。

―前坂――

この本は、史料の発掘がほとんど進んでおらず、歴史として欠落していた部分を、山中さんが丹念に史料収集されて、内閣情報局がどのような言論統制の方針を持っていたのか、その結果、新聞がどのように報道してきたか、ということを対比させて書いておられますね。いままで研究がされてこなかった情報統制の実態を山中さんの本が初めて明らかにしたという点で、その功積は大きいですね。

――前坂さんは『兵は凶器なり』『言論死して国ついに亡ぶ』において、満州事変前夜から太平洋戦争敗戦までの、実際に言論統制を受けた新聞記者の方々に取材をされていますね。

そうした方々の証言による言論統制の印象と、山中さんが『新聞は戦争を美化せよ!』で史料的に明らかにされた内閣情報局の言論統制の実態とを比べて、どのようにお感じになられましたか。

―前坂―従来、戦時下のマスメディアがどういう状況にあったか、ということについていえば、ほとんど言論の抵抗らしいものはなかったわけです。

例外として5・15 事件で「福岡日日新聞」の菊竹六鼓が反軍の社説を書いたり、桐生悠々が反軍の文章を 書きました。

また、正木ひろしが「近きより」で反軍の論説を書くというように、ごく例外的な少数の個人の抵抗はありましたけれども、肝心の新聞社はどうだったかというと、軍部のテロ、暴力や右翼の圧力、言論弾圧によって、書こうにも書けなくなってしまった。

戦争中の報道は大本営発表そのままになっていった、という経緯で説明されていたわけですね。ただマスメディアがそうした経緯をたどるプロセスについては、いままでブラックボックスになっていました。

その内幕が今度の山中さんの本から、はっきり見えてくる。

内閣情報局がどのような情報操作をやったかという部分が、今まで史料的に隠蔽され、まったく明らかになっていなかったのですが、この本では、内閣情報局常任委員会の連中が毎回の討議において、どういう問題を話し合っていたかが、細かに具体的に紹介されていますね。その点は、いままでまったく知られていなかった部分です。
特に、一九四〇(昭和一五)年に内閣情報部から内閣情報局に変わるんですが、そこで内閣情報部の初代部長であった横溝光輝が、新聞統制において力を発揮し、統制を一挙に推し進めたわけです。

そのことが、『新聞は戦争を美化せよ!』で史料的に証明されています。私はその点がいちばん興味深かったですね。それから内閣情報局は、国家総動員法によって検閲面で報道を操作していくだけではなくて、新聞の形態そのもの、それから販売そのものを手中に収めることによって、新聞を政府の宣伝機関化していった。

つまり、新聞を内閣情報局の宣伝部にしていった経過が、こと細かに書かかれています。新聞社の社史で見ると、朝日新聞が最近全四巻の立派な社史を出していますけれども、その時期の報道がどうであったのか、どのようにして新聞が統制されていったのかという戦時下報道の問題について十分に検証していません。その点を『新聞は戦争を美化せよ!』は徹底して解明していますね。新聞は書けなかったのではなく、書かなかった、書く勇気が欠如していたとおもいます。

――言論の質そのものに対する統制とともに、太平洋戦争が始まって、一九四二年に内閣情報局は、新聞が「思想戦」の役割を担うものとして位置づけますね。特に、新聞は「紙による弾丸」であって、「ペンは銃剣」であり、新聞記者というのは「思想戦の兵士」であるという位置づけがなされるのですね。また、『戦争は新聞を美化せよ!』では、査閲報告によって新聞がどのように統制されていたかが、明らかにされていますね。

―前坂―査閲報告というのは、編集した紙面を持っていくまえに、その新聞が検閲に引っかからないように新聞社が部分的にチェックする、いわば思想的な校閲部を社内的に設けて、出した報告です。

一九四一年の太平洋戦争段階で、言論統制法規の数が32ぐらいあるわけですね。膨大な数の法規でがんじがらめになっており、ですから、記者の書いた文章のどの部分がどの法律に引っかかるかどうかということは、整理部の人間も、書いた記者もはっきり分らない状態です。

それを部内の人間にチェックしてもらい、それから実際に内閣情報局なり大本営の報道部に持って行くわけです。だから、内部の自己検閲の部署ですね。

――戦争の激化にともなって、用紙統制などで新聞のページ数も減っていきます。戦争末期にはぺラ1枚の2ページになるわけですが、紙面のほとんどを大本営発表の記事が占めるなかで、記者たちはどうしていたのでしょうか。

―前坂―記者の多くも召集され出征しているわけですが、「毎日新聞」で起きた、本土決戦を竹槍主義で防衛しようという陸軍のアナクロニズムの作戦を批判した記事で有名な竹槍事件でも、書いた新名丈夫記者が懲罰的に応召され、東条英機首相は「毎日」の廃刊を強く迫ります。

結局、毎日の廃刊は何とかまぬがれますが、一度、兵役免除になっていた三七歳の新名記者は再び二等兵で香川の部隊に入れられて、まきぞえをくって再召集された中年二等兵250人は全員硫黄島に送られ玉砕しています。

新名記者は何とか除隊して難を逃れましたが……。だから、新聞の編集に従事している人間は、太平洋戦争中は一挙に減っています。戦争末期の一九四四(昭和一九)、四五(昭和二〇)年頃になると、新聞も二ページですから、各県版もほとんどないに等しい状態です。

満州事変や日中戦争の時期は、まだ朝夕刊20頁ほどありましたけれども、それが激減するのは、ただ紙の問題だけではなくて、戦時下の物資欠乏にも原因がある。

そして、新聞を殺すには記事よりも紙によって締め上げる方が簡単ですから、生殺与奪の源として紙の統制に乗り出してきたのです。そして、新聞だけではなくて、「中央公論」などの雑誌も昭和19年頃には廃刊になります。

確かに、軍部のテロや言論への暴力に震え上がって書けなかったのだというのが、これまでの戦時中における新聞人の弁明、言い訳だったわけです。

しかし実際に、書けなくなったのがどの段階なのか、満州事変の段階なのか、二・二六事件の段階なのか。太平洋戦争が始まった段階では、一切合切が戦時立法によって統制され、実際百パーセント書けないようになりますが、まだ自由のあった時期、たとえば二・二六事件の頃は書ける自由がまだあったんですね。

それなのに、暴力やテロ、そして軍部におびえて、書けるのに書かなかったのではないか、書いたらやられるのではないかと恐れて過剰に自己規制して、自己萎縮して書かなかったのではないか。そうしたジャーナリズムの自己規制の方こそ問題ではないのかと私は思います。

特に二・二六事件の時には、「時事新報」は軍部批判を半年間も続けていたわけですね。けれども、恐れていた軍、右翼からの暴力や恫喝、テロはなかった。そのことから考えれば、暴力を過度に恐れて新聞は自己規制を強くやり過ぎたのではないか。

書けなかったと弁明しているけれども、実際は書かなかったのではないか、書く勇気が欠けていたのではないか、というのが、私が『兵は凶器なり』『言論死して国ついに亡ぷ』の二冊でいちばん言いたかったことなんです。

一方、経営面での新聞統制について見ると、政府の一県一紙の方針によって、全国で1422紙もあった新聞を強引に新聞統合を進めて一県一紙にし、大都市の場合も現在と同じような朝・毎・読・産経という四つの新聞に統合して、一挙に五五紙に減って、現在のような新聞体制ができたわけですね。

つまり、現在ある新聞は、太平洋戦争中の国家総動員法による新聞統制の結果なんですね。そして新聞だけではなく、ほかの業界の場合も、国家総動員法によって、政府の方針に基づき企業の合併が集中的に行われたわけです。

――新聞の自己規制の問題についてですが、前坂さんが本のなかで書いておられるように、先ほど言われた菊竹六穀の「福岡日日新聞」にしても、桐生悠々のいた「信濃毎日新聞」にしても、全国紙に比べれば規模的には一〇分の一ぐらいの小ささであったわけですね。

しかも地域により密着した、地域の事情がもろに影響する地方紙で言論の主張ができたことが、なぜ全国紙でできなかったのか。その点は依然として大きな問題であると思うのですが、前坂さんはどうお考えですか。

ジャーナリズムの報道による戦争の既成事実化

―前坂― 満州事変から日中戦争の時期においては、新聞は戦争によって発展したというとおり、当時の大新聞は戦争によって部数も増えますし、広告も増えていって、我が世の春を謳歌するわけです。

それが、太平洋戦争が始まる一九四一(昭和一六)年頃になると、統制によってがんじがらめにされる。結局、大新聞と地方の新聞との間の経営的格差でいえば、満州事変や日中戦争ごろの大新聞がどんどん発展していき、小さな新聞はますます経営難になるわけです。

その点で、中小の新聞が連合して大新聞に対抗するために、内閣情報局の統制をうまく利用したという側面があります。同盟通信の吉野伊之助らがしかけて、弱小の新聞を守るために、より言論統制を強化して全国的な大新聞の手足を経営的にも縛っていったという構図になっていきます。

そういう中で、菊竹六鼓や桐生悠々があそこまではっきりと軍部批判できたのに、なぜ「朝日新聞」はできなかったのか。販売も含めて何千人の人間が働いている新聞社の経営者として、真正面から軍部を批判することは、場合によっては会社を潰されるかもしれない。

それを避けるために、社員を路頭に迷わすわけにはいかないという経営の論理、会社の自己防衛がジャーナリズムの使命よりも最優先されて、ああいう事態になったという弁明をしているわけですね。

当時、メディアが手を組んで一斉に言論の放列を敷いたならば、軍部はそれほど恐い存在ではなかったのだということ、新聞が手を組めば、戦争を食い止めることも不可能ではなかったということを、戦後、緒方竹虎は反省の弁として述べているわけですね。

しかし、戦後の状況を見ても、新聞がじゃあ手を組めたかといえば、そういう状況には無いわけです。このあたりを見ても、ジャーナリズムとしての反省の原点が、戦後も克服されていませんね。

考えてみると、十五年戦争では国内外で数百万人が亡くなっていますが、ジャーナリストで真実を報道するために命を賭して戦って亡くなったという人間は、残念ながら一人もいないんです。ジャーナリズムの批判の剣はついにヤキが入れられず、ほんとうの真剣になることができなかった。

出版人では、横浜事件で逮捕され、獄中で拷問されて死んだ人間はいましたけれども、残念ながら新聞人には、身体を張ってまで抵抗した人間はいなかったですね。また、新聞の戦争責任について、戦後それを反省し責任をとって辞めた人も少数しかいない現状だったんです。

――新聞は戦争によって発展すると言われましたが、大量の従軍記者を派遣し、技術的にも南京事件で写真電送がはじめて登場するわけですね。そうしたかたちで、新聞において速報性が主軸となって、開戦スクープのように、戦争勃発が部数拡大の絶好のチャンスとなっていったわけですね。

そして、前坂さんが本のなかで書いておられるように、客観報道が既成事実を次々と追認していくという格好になっていくわけですね。こうした構図は、一貫してずっと今まで続いているように思えるのですがーーー

つづく

 - 健康長寿

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