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「日本スタートアップ・ユニコーン史」★『アメリカ流の経営学を翻訳・マネする前に、明治のスタートアップ起業者魂に学ぼう』★『グリコの創業者 江崎利一(97歳)『 「私の座右銘は、事業奉仕即幸福!。事業を道楽化し、死ぬまで働き続け、学び続け、息が切れたら事業の墓場に眠る」』

      2024/09/18

 /百歳学入門(35)記事再録再編集

長寿経営者の健康名言・グリコの創業者 江崎利一(97歳)

 

        健康法に奇策はない

        事業を道楽にし、死ぬまで働き学び続けて

        息がきれたら事業の墓場に眠る。

江崎の経営哲学④ 面倒をいとわないと、成功はあり得ない

健康哲学⓹ 噛めば噛むほどよい。

                前坂俊之(ジャーナリスト)

グリコ創業者・江崎利一(えざきりいち)1882・12・23~1980・2・2 佐賀県生まれ。家業は薬種業。一九二二大正十こ年、江崎グリコを創立。九十七歳。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B4%8E%E5%88%A9%E4%B8%80

家族が多く家も貧しく、子供のころは体も小柄で病弱だった。父の死で十九歳のとき家

業の薬種商を継ぐが、生活は苦しかった。ある日、生まれ故郷の有明海で、カキの加工場

で捨てられているカキの煮汁を見て、それに含まれるグリコーゲンの企業化を思いついた。

一九二一(大正十)年、大阪に出て、江崎グリコを創立した。

「薬(グリコーゲン) よりも保健栄養剤の方が有望」といわれて、キャラメルの製造に転換した。

「一粒300メートル」「一粒で二度おいしい」 のヒットCMで、グリコキャラメルは市場を席巻した。

1945年(昭和20年)、戦後、大阪工場を焼失したが、再建に努め、『アーモンドチョコ』『ワンタッチカレー』など新商品を次々に開発し、食品業界の大手にのし上がった。

1951年(昭和26)、69歳の時、跡継ぐぎの長男に先立たれる大不幸に落ちた。失意のどん底につき落とされた。親類からは「事業をこれ以上広げずに縮小したら」と忠告された。

長年の親友で十歳年下の松下幸之助に相談すると「グリコはあなた一人のものではなく、日本のグリコでっせ。気の毒だが息子さんの死にくよくよしなさんな。私が応援する」と励まされて、奮い立った。

孫が一人前になるまでオーナー経営者としてガンバルと誓った。70、80歳代の20年間以上第一線でガンバリ続けて、一九七三(昭和四十八)年、九十一歳の誕生日にやっと社長から会長に退いた。しかし、毎日午前九時には出社して会議に出席、食品の専門、研究書には目を通して、生涯研究を怠らなかった。

九十四歳のときの自伝に、

「健康法に奇策はない、平凡なことを一つ一つ、積み重ねていくだけである」として、

①栄養のバランスのとれた食事をとり、よく噛むことだ。トウフでも牛乳でも念入りに噛む。

②もう一つは精神を気楽にすること。

③難しい問題も、熟考する時間を決め、延々とのばきない。

④就寝する時間がくれば、すっかり切り替えてぐっすり安眠する

と自らの健康法を披露した。

 

江崎は健康について次のように書いている。

「健康はこれを失ってから、その価値を発見するといわれている。健康なときには、かえって健康の有難さはよくわからない。健康とはもともと、病気をしないということだけではない。身心共にもっともよい状態にあるのでなければならぬ。

健康な人は必ず明るい人生観を持ち、事実を事実として常に正しく見る。そして自己をも、他をもあざむかない。困難にあってもいたずらに心痛せず、静かに解決打開の方法を講ずる。失敗してもくじけず・その中に貴い教えを発見し、それを再起の踏台にして立ち上がる。あるいは、他人の批判を受けても、確固たる自信を失うことがない。

健康は人生最大の資産であり、資本である。病気は時としてさけられないが、たとえ虫歯1本でも、早期発見、早期治療が何よりも肝要である。

しかも私の第一とする健康法は、毎日の仕事に励み・仕事に興味を持ち、心身をこれにうちこむことである。」       

 

江崎の経営哲学① 商売の成功の秘訣は2×2=5,6である。

「江崎の二にんが五」という有名な言葉がある。

二×二=四では大きな成功をおさめられない。努力に努力を重ね、常識を破って大成功

をおさめるには二×二=四ではなく、五、六にしなければならない。

二×二=五、六にするために、グリコはオマケをつけた。1927年(昭和二)頃から、

はじめは美術印刷のカードを入れていたが、本格的なオマケサービスとして豆オモチャを

入れた。単に景品だったオマケを商品の性格の中にとけ込ませたのが成功の秘訣であった。

「1粒二百メートル」のグリコの有名な標語は、江崎のすぐれた観察力とアイデアだった。

子供たちがいつもかけっこをしている。ゴールインする時、両手をあげてさっそうとして

いる。「これだ!」と子供向きの商標に取り入れた。

さらに念を入れ、ゾウ、花、ペンギン、ハトなどの絵とランニングをまぜ、子供たちに

一番いいのを選んでもらった。

江崎の経営哲学②

下から積み上げるよりも、山頂からころがせ

 

無名だったグリコを一躍有名にしたのは「三越」での販売だった。

江崎は一流商品になるべきグリコを一流店の「三越」からぜひ発売してもらおうと決意

した。

しかし、三越が全く無名のグリコを簡単に販売してくれるはずはない。

江崎は三越にお百度を踏んだ。断られても、断られても根比べで、何度も何度も三越に

ぜひ置いてほしいと頼みに行った。「下から石を積み上げて山頂に達するより、逆に山頂

から石をころがした方が勝負は早い」。これが江崎の持論。

ついに三越が根負けして、大正十一年二月十一日に売場に並べてくれることになった。

江崎はこの日の感激を永久に忘れない。

この日、二月十一日をグリコは創立記念日にしてスタート、今日の「グリコ」を築いた

のである。

江崎の経営哲学③ 必死では生ぬるい、決死でいけ

 

江崎はそれまで蓄えた金を資本金にして、「江崎合名会社」を設立した。そこで売り出したのが、グリコーゲン入りの菓子。しかし、商売はズブの素人であったため、全く売れない。

二年目に入っても売り上げは伸びず、資金は減るばかりであった。

思案にくれた江崎は、家の前の橋の欄干に寄り掛かって、事業の前途を考えた。そのう

ち「このまま身投げしたら苦しまないですむ」との思いが頭をかすめた。しかし次の瞬間、

気を取り直し、「死んだ気でやればできないことはない。死ぬことぐらいは、いつでもで

きる。必死では生ぬるい、決死で行け」と自分自身を励ました。

次の日から、生まれ変わったように、猛烈に仕事に取り組んだ。

そして、独創的な宣伝方法を思いつき、グリコの名が全国に広まり、急速に売り上げを

伸ばしていった。

江崎の経営哲学④  面倒をいとわないと、成功はあり得ない

江崎は商売についてこう書いている。

「商売は儲けたり、儲けさせたりの仕事である。売ったり買ったり、利便を図ったり、

図ってもらったりの相互利益である。そこで立派な商売人といえば、結局立派な社会への

奉仕人というわけにもなる。

奉仕による相互利益こそは商売の神髄であり、要諦であろう。儲けようと思ってやる商

売にはおのずと限度がある。あくまで社会の要求に沿うような、奉仕の精神で打ち込めば、

必ずその事業は大成するに違いない」

その商売を成功させるためには「人のやらない面倒なことをやらなければ、商売は成功

せんよ」と次のようにも述べている。

「面倒な仕事だとか、これは出来ないとか、簡単に諦めず、工夫に工夫を重ね、粘り強く

取り組むことだ。面倒の中にこそ、商売のチャンスが隠されている」と。

健康哲学⓹ 噛めば噛むほどよい。

白米食はロに入れた喰べ初めはうまいが、長く噛んでいると、噛めば噛むほどまずくなる。玄米は、これに反して、噛めば噛むほど味が出てきて、栄養的にも格段のちがいがある。

むろん、よく噛むこと自体に健康上の大きな利点もあるのだが、私はよく噛まねばならぬもの、また噛めば噛むほど味が建てくるような食物をえらぶことが、健康上により一層大きな意義をもつように考冬える。

そこで、私はつねに美味を求めず栄養を求め、単純を避けて混食につとめることをもって一種の健康法としてきた。栄養本位の調理ではその材料にいろいろなものを混ぜる。とくに新鮮な野菜はこれを重視し、毎日かならず五種以上を用いるように心がけている。これはけっして贅沢ではない。例えば大根なら曹通に切ってすてる青葉を一種にかぞえて料理させる。ほかのものも同様で、いきおいコワイものザツなものをよく噛んで食べることになる。これがまたおいしく、まことによろしいのだ。

 自叙伝的な述書『両道ひとすじの記』は95歳の時に出版したというからほんとの長寿大経営者である。次のような言葉で結んでいる。

「私の座右銘は、事業奉仕即幸福!-。事業を道楽化し、死ぬまで働き続け、学び続け、息が切れたら事業の墓場に眠る

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, IT・マスコミ論

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