前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代のための百歳学入門』★『知的巨人の百歳学(149)-失明を克服し世界一の『大漢和辞典』(全13巻)編纂に生涯を尽くした漢学者/諸橋徹次(99歳)」★『学問の大道は、読むべきものを読み、学ぶべきものを学んでから、本格的な研究に入らなければならぬ』

      2024/08/21

   知的巨人の百歳学(149)記事再録

『大漢和辞典』(全13巻)編纂に生涯を尽くした諸橋徹次(99歳)

諸橋轍次(もろはしてつじ)は、わが国を代表する世界的漢学者。最晩年に至るまで書斎を離れることなく、学問一筋に生き、その名を不朽にとどめた。晩年の号は「侠我以老人」(いつがいろうじん・天の神は、自分をのんびりさせるために老境をもたらす、の意)。

「大漢和辞典」は字数五十二万余語を収め漢字辞典としては中国の「康煕字典」(こうきじてん)」、「侃文韻府」を上回り、国語、英語で字数を上回るのはわずかに米国の「新ウェブスター」(五十五万語)のみ。

諸橋が大修館書店から『大漢和辞典』編纂の依頼を受けたのが一九二五(大正十四)年。完成には実に十八年にわたる長い歳月を要して、初版第一巻が発行されたのは一九四三(昭和18)年で、諸橋はすでに還暦(六十歳)のなっていた。ところが、第二巻を印刷中の昭和二〇年三月、米軍のB29 の東京大空襲により、印刷用の版すべてが灰燼に帰してしまった。

同年十月、諸橋は東京高等師範・東京文理科大学を退官。時に六十三歳。しかし、手塩にかけた門弟の戦死や自身の右目の失明、空襲による『大漢和辞典』の校正刷りの焼失など次々と不幸に襲われ、気の萎えた諸橋は「わが天命なり」と慨嘆し、あきらめかけていた。

諸橋自身、「左眼もほとんど文字が見えない状態に陥った。心はあせっても整理は遅々として進まない」(初版第一巻刊刊行時の序文)と『大漢和辞典』の持続は不可能と思われた。

そんな失意の底で、山梨県にある都留文科短期大学の初代学長に就任してほしいとの懇請があった。諸橋は一時は固辞したが、承諾。同大の建学精神を『詩経』小雅の「菁菁者莪」の詩に基づいて、「菁菁(せいが)育才」と決めた。

「莪」は、和名「つのよもぎ」という植物、「菁菁」は青々と同じで、植物が勢い良いく生い茂る様子を形容した言葉であり、「菁莪育才」の四字には、「つのよもぎが勢いよく成長するように学生が成長して欲しい」との願いを込めた。人材を教育することを楽しみ、高い識見と広い視野に立つ教育者および有為な社会人の育成を教育を建学の理念とした。

これと並行し、諸橋はライフワークの『大漢和辞典』の完成に向けてわずかに残っていた薄くて、目に見えないような校正版を元に執念で再編集に着手、弟子に漢字のつくり、へんを読ませて校正を続けて何とか完成にこぎつけた。

一九五五(昭和30)十一月に第一巻を出し、以後、三~六カ月に一冊の割合で予定どおり発刊、六五年五月に『索引』が完成して『大漢和辞典』(全十三巻)がついに完結した。このとき、諸橋はすでに七十二歳になっていたが、その後も修訂作業を続け、百歳近くになって、『大漢和辞典』の修訂版を刊行した。そのときに語ったのが次の言葉である。

  • 「学問の大道を歩む限り、読むべきものを読み、学ぶべきものを学んでから、本格的な研究に入らなければならぬ。漢文学ではそれがもっとも大切である」。諸橋の座右の銘は「行不由径」(行くに径(こみち)由らず/急がず、あわてず公明正大な大道を闊歩せよ)[との意。『大漢和辞典』という息の長い超大作を見事に完成させた根底には、「行くに径に由らず」、一歩一歩、着実に公明正大な大道を歩む信念があったからだろう。

一九六四年(昭和39)三月、八十二歳の春、第一回卒業生を見送ると、惜しまれながら同大学も退任した。翌年、『大漢和辞典』(全十三巻)の完成によって文化勲章を受章した。

この世界的な大学者は日常生活はまるでダメで、ガスや電気の栓一つつけられなかった、という。記憶力抜群と思いきや、全く逆で〝物忘れの天才〟だった。(注・筆者がこの原稿を書いたのは75歳の時だが、物忘れ、記憶、名前の間違い、スマホ忘れの頻度はますますひどくなってきた。五感(眼、耳、鼻、触覚など)の老化現象は年齢とともにひどくなってくる。若い時には気づかないが、年としとって初めて体験し愕然とする。諸橋は認知症ではないが、万人共通の老化現象は止めることはできなかったのであろう。

諸橋は研究の合間に散歩をするのが趣味だったが、ある時、散歩に行く途中でたまたま顔見知りの人に会った。ニコニコしてあいさつするので、こちらも答えた。その人は一緒に歩きながら、さかんに時候のあいさつや世間話をする。諸橋は何者か思い出せない。相づちを打ちながら、とうとう家の前まで来て、言わないでもいいのに「ここで失礼しますが、お宅はどちらでしたか」とたずねると、「私はお隣りですよ」とその人はゲラゲラ笑い出した。

下駄、帽子、ネクタイ、羽織まで間違えて、人のものを持ち帰ることはしばしば。先輩教授宅に届けものを持参して、降りの家に誤って持っていったり、嘉納治五郎を訪れた時、用件をすませて表に出るとどうも頭が寒い。帽子を忘れた。とって返すと、先生はまだ玄関におり「どうした」「イヤ、帽子を忘れまして」と言うと、先生は笑いながら「君、手に持っているじゃないか」などの思わず吹き出しそうなエピソードを残している。

生まれ故郷に一千万円を寄付

1968年(昭和43)、諸橋は、生まれ故郷の新潟県下田村に蔵書3000余冊と百万円を寄贈。また昭和49年、九十二歳を迎えた諸橋は、村のために使ってほしいと一千万円を寄付した。村では「諸橋奨学基金」を創設し、その運用益から毎年、十数名の高校生に奨学金を給付した。

1982年(同57)六月四日、諸橋の百歳の誕生日を祝って、下田村の皆川村長がお祝いに参上した折、諸橋はベッドから起き上がり、弱々しかったが、はっきりした口調で、「下田は年々発展している由、まことにうれしい。もう一度、行きたいと思うのだが・・。夢に出て来るのは、今も古里のことだけだ」と語った。

そして、臨終間近の諸橋は、「私の心は、すでに古里の庭月にある。私の心からの願いは、両親と一緒に眠りたい。ただ、それだけだ」と家族にしっかりした口調で語ったという。諸橋は同年十二月八日午前九時、家族に看取られながら永眠した。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊼★『児玉源太郎のインテリジェンス』★『袁世凱と太いパイプを持つ青木宣純大佐に満州馬賊団を起して鉄道破壊のゲリラ部隊の創設を指示』●『青木大佐と袁世凱の深い関係』

  ★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した 明治人のリーダーパワー,リス …

お笑い日本文学史『文芸春秋編」②「ノーベル賞作家・川端康成は借金の天才だよ」

お笑い日本文学史『文芸春秋編」② ●「ノーベル賞作家・川端康成は借金の天才だよ」 …

『Z世代のための帝王学の研究①』★『天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて、6月22日から8日間,イギリスを公式訪問される。」★『歴代天皇で最初に外国訪問をされたのは昭和天皇が皇太子(19歳)時代の1921年(大正10)3月から、約半年間にわたってヨーロッパを視察された』

天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて国際親善のため、6月22日から8日 …

「Z世代のためのウクライナ戦争講座」★「ウクライナ戦争は120年前の日露戦争と全く同じというニュース⑨」「開戦1ゕ月前の『米ニューヨーク・タイムズ』の報道」』★『日本はいずれ国運をかけてロシアと戦わなければならず,シベリア鉄道がまだ十分に開発されていない現在が,勝てる可能性が高いと見ている』

     2017/08/19『日本戦争 …

no image
★5 日本リーダーパワー史(754)–『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争を英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は どう報道したか」②(11-20回)★『 戦争とは外交の一手段。<恫喝、罵倒、脅迫、強圧のケンカ外交で相手は参ると思って、日本を侮ったロシアの油断大敵>対<日本の礼を尽くしてオモテナシ、臥薪嘗胆、無言・沈黙・治にいて乱を忘れず、天機至れば『一閃居合斬りも辞さぬ』とのサムライ外交との決戦が日露戦争で、両国の戦略論、パーセプションギャップ(認識ギャップ、思い違い)をよく示している。』

  日本リーダーパワー史(754) 『世界史の中の『日露戦争』ー (英国『タイム …

no image
『オンライン講座/ハリウッドを制したイケメン日本人俳優・早川雪洲とは何者か?』★『ハリウッドの王者』となった早川雪洲は一転、排日移民法の成立で米国から追われた』★『「働き中毒」で米国になじまなかった「出稼ぎ労働者の日本人移民」は 「排日移民法、排日土地法」の成立で米国から追放された』②

  2015/12/16 記事再録 決定版・20世紀/世界が …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(130)/記事再録★『 陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均の 『大東亜戦争敗戦の大原因』を反省する②』★「陸海軍の対立、分裂」「作戦可能の限度を超える」 「精神主義の偏重」「慈悲心の欠如」 「日清日露戦争と日中戦争の違い」「戦陣訓の反省」

「陸海軍の対立、分裂」「作戦可能の限度を超える」 「精神主義の偏重」「慈悲心の欠 …

『オンライン現代史講座/『日本が世界に先駆けて『奴隷解放』に取り組んで勝利したマリア・ルス号事件(明治5年7月)を指揮した」『150年前の日本と中国―副島種臣外務卿のインテリジェンス』

      2019/04/08日本リーダーパワー …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉔ 西欧列強下の『中国,日本,朝鮮の対立と戦争』(下)(英タイムズ)

  『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓のパーセプ …

no image
百歳学入門⑬ <日本超高齢社会>の過去とは③・・・ <創造力は年齢に関係なし、世界の天才の年齢調べは>

百歳学入門(13)  <日本超高齢社会>の過去とは③・・・<創造力は年 …