『 Z世代のためのス-ローライフの元祖・熊谷守一(97歳)の研究講座②』★『文化勲章のもらい方ー文化勲章は大嫌いと断った「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉』
私は新聞記者時代に春秋の叙勲の取材を何度かしたことがある。主に政治家、経済人、公務員、各種団体の長など,功なりとげた人物が年功序列的に、国から褒章が出るわけだが、もらった人は『ありがたがる人半分』、あとは「さしてありがたくもなく、ただし断るわけにもいかず」といった感じであった。
自由を信条としている知識人、学者、芸術院会員の中にも『学士院会員』「芸術院会員」になるために、運動し、裏から手を回すひともあるらしいが、まして文化勲章ともなると、熱心に運動してでも欲しがる人が多いといわれる。
福沢諭吉の『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』を至言と心得え、このあとに「天は人の上に人をのせて、人を造る」などと放吟したものだが、福沢の「独立自尊」の精神こそ、自らの信条として、「強く、正しく、美しく」人生を生きたいと願いながら、トボトボ、フラフラ、ずっこけながら歩んで来たが、今や日暮れて道遠しで、タイムアウトに寸前である。
そんなわけで、熊谷翁の生き方にますます共感する。
元祖ス-ローライフの達人・「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)③
『(文化)勲章もきらいだが、ハカマも大きらいだ。ハカマがきらいだから、正月もきらいだという。かしこまること、あらたまること、晴れがましいこと、そんなことは一切きらい』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/18517.html
この国の文化風景の中で、熊谷翁は全く稀有な超俗な人、純粋無垢なそれこそ『強く、貧しく、美しい』稀有な人であろう。まさしく、奇人,稀人ナンバーワンである。
文か勲章といえば、もう1人の奇人、超俗の人、永井荷風にふれないわけにはいかない。
荷風の文化勲章受賞は昭和二十七年だった。理由は「温雅な詩情と高邁な文明批評と透徹した現実鑑賞のニ面が備わる多数の創作を出し、江戸文学の研究に新分野を拓き、外国文学の移植に業績をあげ、近代史上に独自の巨歩を残した」ということだった。
日本風狂人伝(23) 日本『バガボンド』ー永井荷風散人とひそやかに野垂れ死に ③
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3635.html
日本風狂人伝(22)日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風と楽しく 野垂れ死に ②
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3636.html
当時、千葉県市川に住んでいた荷風は、新聞記者にこう言っている。
「そんなことウソだろう。勲章なんてうれしくない。感想なんかないよ」(「読売新聞夕刊」昭和27年10月21日)
「うれしいかって~ それはうれしいが、受賞に行くにも焼けて洋服(モーエソグ)も黒いクツもないから夕方デパートに行って注文するよ。借りて行くわけにもいかないからね。賞金は貯蓄しておいて生活のために使うよ。生活に追われながらいいものは書けぬからね」
(「朝日新聞千葉版」昭和27年10月21日)
以下、濱川博「現代のアウトサイダー」浩文社、昭和50年3月刊によると、こう書いている。
芸術院会員を断った荷風のことだから、文化勲章も一蹴するのでは……。当時の文部官僚も、世間のおおかたもそう見ていた。最初は文部省の受賞候補者リストにも上っていなかった。
下駄ばきで浅草のストリップ劇場をうろつく『四畳半襖の下張』の作者に、頭のかたい官僚には、受賞の対象と考えられなかったのだろう。しかし、選考委員の間で強く荷風を推す意見が出て、受賞が決ったといういきさつがある。
「文学は糊口の道でもなければ、栄達の道でもない」と言った荷風の勲章ぎらい、官僚ぎらいは有名だった。北原武夫は、荷風の受賞をこう書いている。
荷風氏が勲章をもらったことは、大いに驚嘆に値する。恐らくだれしも荷風氏は勲章などは辞退するであろうと考えていたに違いない。もちろん筆者もそう考えていた一人である。
文学的価値から言えば、現代日本文学を圧する至宝であって、当然勲章に値するものではあるが、作風から言って勲章をやるぞなど言われたら、ふふんと冷笑するはずだと、だれしも考えるからである。
……伝え聞くところによると、勲章をもらった理由について、荷風氏は〝お金がもらえますからね″といって笑って答えたという。永井荷風勲章受賞の珍事を、荷風文学化した至妙の一言である。荷風氏の文学精神はやはりまだ衰えてはいない。
(「東京新聞」昭和27年10月22日)
荷風はこのとき72歳。後輩の志賀直哉や、谷崎潤一郎よりも遅い受賞であった。荷風散人と熊谷守一の二人の超俗的勲章ばなしは、どんな名優の名演技も、はるかに及ばない至芸というほかはない。
話を熊谷守一に戻す。
熊谷翁は幼少のころから「偉くなる」ことに反発してきた。自伝的エッセー『へたも絵のうち』に小学校時代の思い出が記されている。
先生が一生懸命しゃべっていても、私は窓の外ばかりながめている。雲が流れて微妙に変化する様子だとか、木の葉がヒラヒラ落ちるのだとかを、あきもせずにじっとながめているのです。
じっさい、先生の話よりも、そちらの方がよほど面白かった。先生はしょっちゅう偉くなれ、偉くなれといっていました。しかし、私はそのころから人を押しのけて前に出るのが大きらいでした。人と比べてそれよりも前の方に出ようというのがイヤなのです。
偉くなれ、偉くなれといっても、みんなが偉くなってしまったらどうするんだと子供心に思ったものです」
木村定三氏は『熊谷守一作品撰集』に「熊谷さんの人間像」を次のように書いている。
『熊谷さんの物の考え方も、こと芸術に関しては、人間の上に権威者としての人間を認めないのである。神や仏から〝お前は偉いから褒美をやろう″といわれたならば、熊谷さんも有難くもらうであろうが、同じ人間から〝お前は偉いから褒美をやろう″といわれても少しも有難いという気になれないのである。』どこまでも精神の自由を貫こうとする熊谷さんの面目がここにある。
(以上は濱川博「現代のアウトサイダー」浩文社、昭和50年3月刊から引用させていただいた)
関連記事
-
-
世界リーダーパワー史(928)-『「アメリカ・ファースト」から「トランプ・ファーストへ」」★『トランプの仕掛ける世界貿易戦争勃発』、第一ターゲットは対中国、第2ターゲットはEU・NATO同盟国、日本も第3ターゲットに?』★『1945年後の米国1国支配の国際秩序の崩壊へ』―「トランプ・ファースト」へ
米中貿易関税戦争勃発―「トランプ・ファースト」へ コミー前FBI長 …
-
-
『Youtube鎌倉カヤック・フィッシングチャンネル・10周年記念トップ10①』>『かって鎌倉海は豊穣の海だった』★『鎌倉沖海上でカヤックフィッシング<ナブラの山をシイラ爆食>★『 厳冬の鎌倉海のカヤックフィッシングでヒラメをゲット!と思いきや大カサゴ!』
鎌倉沖海上でカヤックフィッシング<ナブラの山をシイラ爆食>(200 …
-
-
鎌倉材木座海水浴場は大にぎわい(23年7月30日)湘南随一のロングビーチ海水浴場だよ
鎌倉材木座海水浴場は大にぎわい(23年7月30日)湘南随一のロングビーチ海水浴場 …
-
-
『Z世代のための<憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論⑦」の講義⑮』★『本邦の朝鮮に対して施すべき政策を論ず』★『朝鮮の独立を認め、日本を敵視せず、トルコ、ベトナム、清仏戦争の失敗に学ばねば、清国は滅亡する(尾崎の予言)』
2018/02/14 『本邦の …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ(74)』●「日本の死に至る総無責任病」ー「ノー」を突きつけた市民の良識(検察審査会)
『F国際ビジネスマンのワールド …
-
-
「Z世代への遺言」★「日本を救った奇跡の男ー鈴木貫太郎首相①』★『昭和天皇の「聖断』を阿吽の呼吸でくみ取り、『玄黙戦略」でわずか4ヵ月で80年前終戦を実現』★『太平洋は神がくれた平和の海でトレード(貿易)のためのもの。これを戦争の海に使ったならば、両国ともに天罰を受ける』
2024/08/16 記事転載再編集」 …
-
-
<まとめ>日本最強の外交官・金子堅太郎ーハーバード大同窓生ルーズベルト米大統領を説得して いかに日露戦争を有利に進めたか
<まとめ>日本最強の外交官・金子堅太郎について①― 金子堅太郎はハーバード大学同 …
-
-
『Z世代のための 百歳学入門』(2010/01/25 )★『<日本超高齢社会>の現実と過去と未来②』 ★『人生は長短ではない。「千の風になって」の「私は墓にはいない、眠ってなんかいません」のように、命はすべて有限で、時間の長短はあれどいつかは死んで行く。肉体は滅んでも、その精神は永遠に生き続けるのです』
2010/01/25 百歳学入門⑩記事再録・編集 &n …
-
-
速報(397)『日本のメルトダウン』『3・11から丸2年』事故1週間後から反原発ブログを立ち上げたが、その連載20回分を振り返る』①
速報(397)『日本のメルトダウン』 …
-
-
『Z世代のための日中韓外交史講座⑧』★『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉓ 西欧列強下の『中国,日本,朝鮮の対立と戦争』(上)(英タイムズ)」★『朝鮮争奪戦の内幕、西欧列強の砲艦外交、策略と陰謀と暗躍の外交裏面史」をえぐっており、「日中韓戦争史」を知る上では必読の記事』
2015/01/01『日中韓150年戦争史』㉓記事再録編集 日中1 …

