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片野勧の衝撃レポート(58)戦後70年-原発と国家「封印された核の真実③隠されたヒロシマ・ナガサキ①」

   

片野勧の衝撃レポート(58)

 戦後70年-原発と国家<1945 ~52>

封印された核の真実③ 

隠されたヒロシマ・ナガサキ①


広島に世界初の原爆が投下された

1945年8月6日午前2時45分。「エノラ・ゲイ」号はテニアン島を離陸した。硫黄島上空で左旋回したのち、原爆を搭載したB29の搭乗員たちが“ヒロヒト・ハイウエイ”と呼んでいた硫黄島上空から本土上空へ侵入して、同日午前8時15分、広島に世界初の原子爆弾を投下した。広島の町は熱線と衝撃波によって壊滅した。翌8月7日、ニューヨーク・タイムズはこう書いた。  「原爆第一弾日本に投下。破壊威力はTNT火薬2万トンにおなじ」  ところが、日本の新聞は違った。  「広島を焼爆 六日七時五十分ごろB-29二機は広島市に侵入、焼夷弾と爆弾をもって同市付近を攻撃、このため同市付近は若干の損害をこうむった模様である(大阪)」  続いて7日の3時半、大本営は「一、昨八月六日広島市は敵B-29少数機の攻撃により相当な被害を生じたり。二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも、詳細は目下調査中なり」と発表した。

つまり、広島に原爆が投下されてから31時間半たって、“新型爆弾”と発表したのである。理化学研究所の仁科芳雄博士は広島の被爆状況を軍に詳しく説明したが、当時の内閣や軍はその事実を握り潰した。放射能による被ばくを隠すためだった。
それは大量殺戮兵器の原爆が落とされたことが分かれば、国民が戦意喪失することを恐れたからだ。また日本は絶対負けることがないと言われていた、いわゆる不敗神話である。しかし、負けたとなれば、軍や内閣のメンツにかかわる。
だから、当時の大本営は「若干の損害を被った」と発表した。この不敗神話の思想は現代にも温存されていると言ってよい。基本的に何も変わっていない。それは想像を絶する放射線被ばくにさらされ、「絶対安全神話」が崩壊した福島第1原発事故を見れば、明らかであろう。
8月15。「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る」という天皇放送で、ようやく原爆であることを認めたのである。8月6日から15日まで9日間あったが、その間、8月9日に長崎に原爆が投下され、地方の中小都市も毎晩、空襲で焼かれていた。もし、8月7日に原爆と分かって、それを発表してすぐ降伏していたら、多くの生命と財産は助かったに違いない。

「ドーン」という轟音で飛び起きた

8・6原爆投下。広島市民にとって、その時からすべてが始まった。福島第1原発から約28キロの南相馬市鹿島区大内に住む岡実さん(89)はその時、19歳。爆心地から2キロの広島市南区の旧陸軍船舶通信補充隊(通称・暁部隊)の兵舎の2階で寝ていた。
岡さんは昭和20年(1945)4月24日ごろ、広島の船舶通信補充隊第16710部隊に現役召集され入隊したばかりだった。通信の幹部候補生で毎日、モールス信号の訓練に励んでいた。(以下、拙著『8・15戦災と3・11震災』第三文明社を参照)
8・6。この日は連日の防空壕づくりで疲れ切っていたので、午前中は就寝休暇だった。兵舎は2階建てで1部屋定員75人程度。ベッドは狭く、幅50センチぐらい。「ピカッ」と光って、「ドーン」という轟音で飛び起きたが、兵舎は吹き飛ばされた。
瓦がガラガラと崩れた。目の前は土煙で見えない。下着姿で裸足のまま、近くの比治山へ逃げた。焼けたがれきを裸足で踏み越えた。
「兵隊さん、助けて。兵隊さん、水、水……」
髪の毛が抜け、男女の区別がつかない小さな子どもたちが、消え入るような声を出していた姿はいまも目に焼き付いています、と語った。
四囲を見渡すと、地上も空も真っ黒い不気味な雲ができていた。「キノコ雲」である。岡さんは死体の搬送や負傷者の救助に駆り出された。

原爆特有の「ぶらぶら病」に襲われた

8・15終戦。天皇の玉音放送は無線機を通して聞いた。部隊は9月20日に解散。9月下旬に故郷の南相馬市に戻ったが、1年間は体がだるくて倦怠感に襲われた。原爆特有の「ぶらぶら病」である。
「内部被ばく」――放射性物質を体内に取り込み、長時間にわたって身体の内部から放射線を浴びることである。救援活動や肉親捜しなどで被爆地に入って被爆した人も残留放射線などで被爆したと考えられている。
しかし、岡さんは幸いにもその後、体には異常はなく、5年後に酪農を始めた。その2年後の昭和27年に結婚し、3人の子どもにも恵まれた。後遺症を恐れていたが、その喜びは想像以上に大きかった。2世検診でも異常なしで孫も7人。7年前にはひ孫が生まれた。
「でも、当時は不安で結婚した時、妻には被爆のことは伏せていたんですよ」
“隠れ被爆者”――。岡さんだけでなく、多くの被爆者は結婚の時、そのことを語っていない。たとえ配偶者には打ち明けても、子どもには隠し続けた。それが被爆者の人生観となっていたのだろう。
当時、原爆の意味も分からず、「紫斑が出た」といった症状を目の当たりにした人たちの間に、「被爆者に触ると、うつる」という偏見と誤解が生まれた。人権にかかわる精神的被害である。同じことが福島第1原発事故でも見られた。
福島県から避難してきた子どもたちが、公園で遊んでいると、「放射能が怖い」と言って露骨に避けられた。タクシーの乗車や病院での診察を拒否された人もいた。「あの人はフクシマの被ばく者」というレッテルが「差別」という目に見えない深刻な事態を生んだのである。

6000人の被爆者を診てきた老医師

現在、埼玉県に住む肥田舜太郎医師は広島市駐在の軍医だった。当時、28歳。原爆が投下されたとき、たまたま急患の往診で爆心地からおよそ6キロ離れた戸(へ)坂村(さかむら)にいたため、奇跡的に生き延びた。
被爆直後から被爆者の治療に当たった。それ以来、6000人の被爆者を診てきた。そこで見たものは、おびただしい凄惨な死だった。目から、鼻から、肛門から、だーっと出血して血の海になる。そして死んでいく。直接被爆していないのに、どうして目尻や鼻から血を流し、頭をなでると毛が抜けるのか。その原因が分からない――。
「医師として言いようのない恐怖を感じていました。これが内部被ばくによる晩発性障害だと知ったのは、原爆投下から30年も経ってからのことです」
それは1976年にアメリカのピッツバーグ大学医学部放射線科のスターングラス教授から頂いた『Low-level radiation』(邦訳、『死にすぎた赤ん坊――低レベル放射線の恐怖』)という著書からだった。この本の中から、たとえ微量の放射線でも、それが肉体から放射されると、精子、卵子、胎児、乳児、老人に吸収されて大きな障害を引き起こすことを知ったのである。
なぜ、原爆の本当の恐ろしさが知らされていないのか。肥田医師の証言――。「それはアメリカが終戦直後から軍の機密として医師や被爆者に沈黙を強いて、世界に知らせてこなかったからです」と。
さらに肥田医師は、いつ発症するか分からない「内部被ばく」こそ核の最大の罪。深刻な放射能汚染を引き起こした福島第1原発事故も、怖いのは内部被ばくであると言う。福島事故後、現在98歳の肥田医師は全国150カ所以上を回り、内部被ばくの危険性を訴えている。「ヒロシマ、ナガサキの悲劇を再びフクシマでも繰り返してはならぬ。それが医師としての務めです」と言いながら。

日本に君臨した男マッカーサー

「核の恐怖」――。破壊力はもちろん、何十年にもわたって人々を苦しめ続けてきた放射能汚染。しかし、先にも述べたように日本は戦意喪失を恐れ、原爆の脅威を隠した。一方、「核の恐怖」を隠そうとしたのは、原爆を投下したアメリカも同じだった。それは国際的非難を恐れて、被爆の実態を隠したのである。
ダグラス・マッカーサー。日本に進駐した時、すでに65歳。余人ならば退役の身でありながら、占領下日本に君臨した男である。1945年8月30日、神奈川県厚木海軍飛行場に降り立ったマッカーサーは、日本全国のお役人を集めて、こう言った。
「自分が、ただ今から日本を占領して国民を支配する。……(中略)天皇も総理大臣も一切権限はない」
そして9月2日に降伏文書の調印を終えて占領が始まると、今度は広島にきて次のように言い放った。
「原爆で被害を受けた人間は、自分が見た、経験した、聞いた、その被害の現状について、一切話してはならぬ」「書いても、写真を撮っても、絵にしてもいけない。違反した者は厳罰に処す」
つまり、親子だろうが、夫婦だろうが、しゃべっちゃいけないというのだ。なぜなら、「お前たちの受けた被害は、それが痛みであれ、火傷(やけど)であれ、病気であれ、怪我であれ、すべては米軍の機密である」と。

 

 - 現代史研究

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