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『オンライン/渋沢栄一講座』★経済最高リーダー・渋沢栄一の『道徳経済合一主義の経営哲学に学べ』<晩年は社会慈善公益事業に財産を還元せよ>

   

日本リーダーパワー史(88回)

    記事再録

 
 
  前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
渋沢栄一ときいて、古いと感じる人こそ古いのです。不易流行です。リーマンショック以降、アングロサクソン流の強欲資本主義、企業のCEOが年間ボーナスを何百億もフトコロにいれる利益至上のぶったくり資本主義こそ糾弾され問題となったのです。
ここで、強欲資本主義を否定する21世紀の新しい資本主義の再生は一体可能かーという問題提議に対して、渋沢栄一の「論語とソロバン」の道徳経済合一主義が注目されているのです。資本主義と社会主義と倫理主義がミックスされた西欧ではなくアジアでうまれた仏教資本主義といってもよい「渋沢経済哲学」は今ナウいテーマなのです。もっともっと進化させましょう。
それと、渋沢は91歳と言う経済人ではもっとも長寿な経済人であり、晩年に社会、慈善事業に全財産を投げ出しています。三菱、三井のような財閥を作ろうと思えば渋沢財閥はすぐ簡単にできましたが、企業の社会的な責任を自覚していた渋沢は、子孫に美田は残さずで、渋沢財閥は作りませんでした。われわれ団塊世代の人間にとって大きなテーマである晩年をどう生きるかにも示唆を与えてくれます。
3流4流の小粒のリーダーしかいなくなった現在の日本、大人の真に老成した智慧をもち、社会の手本となるような長老がいなくなった今の日本で、過去150年の歴史の中で、手本となり尊敬すべき経済の最高、最大のトップリーダーが渋沢栄一なのです。
 
 
今、日本は21世紀の世界のグロバリゼーションの大波にほんろうされ沈没寸前ですが、もう一度スタート地点にもどってどこまで流されたのか、振り返るべきですね。
現在日本のルーツを明治維新にさかのぼって、政治、経済、社会のリーダーがどのような哲学、思想をもって、なぜ立ちあがったのかをもう一度再検討することが必要です。坂本竜馬や西郷隆盛、吉田松陰、福沢諭吉たちが封建制度に沈滞していた徳川幕藩体制をチェンジしたが、その後の明治政府の「富国強兵」「殖産振興」の先進国をめざした道で、経済のトップリーダーとなったのは渋沢栄一です。
 
渋沢は「わが国の近代資本主義を築き上げた人物」「日本資本主義の父」「日本株式会社のゴットファーザー」であり、営利事業約五〇〇、社会事業などの非営利事業は約六〇〇にのぼり、彼の息のかからぬ事業はなかった。
 渋沢は、幕府に仕えたあと、慶応三年、徳川昭武に随行して渡欧。帰国後、株式会社の前身である合本組織の商法会所を静岡に設立。明治二年大蔵省に入り、大蔵大丞となったが、明治六年に退官して実業界に入った。
 
 同年、第一国立銀行(後の第一銀行)を設立、近代的な金融、信用制度の確立に尽力した。翌七年には抄紙会社 (後の王子製紙)、〓ハ年には共同運輸(後の日本郵船)、日本鉄道会社(JRの前身)、サッポロビールのほか、セメント、ガス、土木、印刷、製油、製糸などあら起業に関係した。明治四二年に財界引退を声明。以後はもっぱら社会事業、慈善事業に全力を注ぎ1身1家の富の蓄積を考えず、社会、国家の繁栄を念頭に置いた。ソロバン片手に論語の精神で取組んだ。91歳で亡くなった。
 
「右にソロバン左に論語」「道徳経済合一主義」
 
この言葉は有名で、明治、大正を通じて一つの格言になったほどだ。渋沢は孔子の「論語」の熱心な信奉者であり、また実践家として彼の右に出るものはなかった。
渋沢はフロックコートのポケットに、いつも小さな「論語」の本を入れており、ちょっとした時間があれば、そのポロポロになった「論語」を読み返していた。
「論語とソロバンは一つである。道徳と経済は一体である。義の中に利を求め、利の中に義を行う、これこそ其の実業である。正しい事業を行い、適当の手段によって得た個人の利益は、公益と同じである」
事業の成立には、①国家社会に有益なこと、②担当者に人を得ること、③それ自体で儲かること~の三点をあげ、渋沢は「こんなに儲かります」という事業には決まって「国家社会に役立つか」と質し、「こんなに有意義です」という会社には「それだけではいけない。どれだけ儲かるか」と必ず念を押し、「論語」と「ソロバン」を一致させた。
大正5年、渋沢は『論語と算盤』を著し、その中で「道徳経済合一説」という理念を打ち出した「論語」の思想から倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に渋沢自身もそれを実践した。『論語と算盤』にはその理念が端的に次のように述べられている。「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」「道徳と離れた欺瞞、不道徳な商才は、真の商才ではない」
 
人間の本当の評価は晩年で決まる 渋沢は還暦60歳から古希70歳を過ぎて数百にのぼる企業、団体での活動を打ち切って、社会事業、慈善事業、社会貢献事業、民間外交にも努力し、日米親善のため、三度もアメリカを訪ねた。晩年の活動を「ソロバンから論語」に移したのである。日本の企業家で渋沢ほど独自の経済哲学をもって、倫理的な経済実践をおこなった経済リーダーはいない。今の日本は超高齢化社会となり、晩年を如何に生きるべきかを考えている人が多いで渋沢は絶好のお手本である。    

その渋沢は言う
「人の生涯をしてた重からしめるか、軽からしめるかは、一にその晩年にある。人は晩年が立派でありさえすれば、若いうちに多少の欠点があっても、世間はこれを許してもくれる。立派な晩年の生活によって、若いうちの欠点失策は、帳消しにすることができるが、いかに若いうちが立派であっても、晩年がよくなければ、その人はついに芳しからぬ人で終わってしまうものである。〝天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ″と」
77歳で実業界から引退し、余生は社会公共事業に専念した。
 
 渋沢は大正五年(一九一六)七十七歳の時に、第一銀行の頭取を辞してすべて実業界から引退し、余生は社会公共事業に専念した。
 渋沢が社会公共事業に熱心であったのは、若い頃に学び、彼の生涯を貫いた論語の教えと、母親のえいの影響が大きかったといわれる。彼は五歳の時に父親の市郎右衛門から読書を授けられ、七歳の時には従兄の尾崎惇忠のもとに通って論語や四書五経などの中国の古典や日本外史などを学んだ。
 彼の生握を貫いているヒューマニズムの精神や現実的な合理的思想は、意外にも幼い頃に学んだ論語や中国古典からの影響が大きい。母親のえいは並はずれて優しい親切な人であったといわれ、慈悲深い逸話が多く残されている。
 
 渋沢の関係した多くの社会公共事業の、ナち、彼が一番力を注いだのは東京の養育院の仕事だった。彼は明治七年、三十五歳のとき、東京府からの要請で「東京市養育院」を設立し、以来九十二歳の天寿を全うするまで、五十六年間も熱心に養育院の院長を務めた。養育院も身寄りのない子供や老人を救済し、養う施設である。彼は養育院の運営に自分でお金を出すだけでなく、人に出させることにも熱心であった。
 
「私には、事業を楽しむ癖がある。これまで種々の社会事業に奔走し、寄付金集めをやってきたが、また渋沢の寄付取りかと、しかめっ面をする金持ちもいたらしい。こう思われてもあまり良い気分ではないが、私はちっとも苦痛とは思わない。これは私が社会事業のために尽力するのを無上の楽しみにしているからである。もし、これを楽しみにしてかからなければ、とても寄付金集めで駆け回れるものではない」と彼は語っている。
 
何度も大病を患う
 
 渋沢は生来、身体は丈夫で健康に恵まれていた。晩年に、健康長寿の秘訣を聞かれたとき、彼は「書をたしなむことと、国際交流である」と語っている。健康のため、晩年まで書をたしなみ、直筆による書簡や掛け軸なども多い。
 
 彼は身体丈夫で健康のため節制に務めていたが、それでも長い生涯の内には何度も大きな闘病経験をしている。不思議なことに、彼は戦争のあるたびに大病を患い、それを克服している。明治二十七年日清戦争のときに頬の辺りに痛ができたが、外国人医師による手術で克服し、明治三十七年の日露戦争のときには肺炎を患い、重態に陥ったが、やがて健康を回復した。
 
 昭和六年(一九三一)九月の満州事変のときは腸閉塞を患い手術を受け、健康を回復するかに思われたが、気管支炎などを併発して次第に衰弱していった。数日間昏睡状態が続いたが、同年十一月八日には奇跡的に意識が回復した。
その時、彼は好きな中国の詩人陶淵明の「帰去来辞」 の一節、一節を口ずさみながら、周囲の人たちに暗諭して聞かせたという。そして、渋沢は十一月十一日午前一時五十分に永眠した。享年九十一歳であった。看病していた者はみんな号泣したという。
 
老人になっても楽隠居をして休養するなど絶対にするな
 
 渋沢は八十七歳のとき、新聞のインタビューで健康法を聞かれて、次のように答えています。
「若返って元気になるには、不断の活動が大切です。つねに計画を立て、六十から九十のあいだに実行することです。同時に節制も大事で、活動が過度にならないように注意しなければなりません。活動と節制とが、車の両輪のように調和してこそ、元気の要素がえられるのです。
 
 また精神的に、憂いかあってはいけません。現状に満足し、穏健で平和な毎日を送る。イギリスの学者は、この活動、節制、平和が完全に行われたら、
人間は百四十歳まで生きられると言っています。煩悩、苦悩、すべて快活に愉快にというのが、わたしの秘訣です。酒は飲まない、たばこは三十三年前に
やめ、食物に好き嫌いはない。暇を見て経書(儒学の経典)を読むくらいですね」
 
渋沢の九十のときの日課を見てみると、午前六時から七時に起床。午前八時から八時半に朝食。午前九時から十一時まで読書し、午後は仕事で外出。昼食はとらない。午後五時から六時に帰邸し、午後六時から七時に夕食。食後は十時まで読書して、十時から十一時までに就寝する。ちなみに渋沢は、昼寝、仮眠などをいっさいしなかったそうです。
 
「老人になれば、楽隠居をして休養するなどということは、絶対にしてはいけません。逆に、死ぬまで活動をやめないという覚悟が必要なのです」
 渋沢栄一が生涯現役でいられたのは、健康にたいする心遣いのほかに、こうした老いに負けない気力、気迫があったからに違いありません。
 

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

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