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<日本最強の外交官・金子堅太郎③>『ルーズベルト米大統領、全米を説得したーその驚異の外交力の秘密』

      2015/01/19

日本最強の外交官・金子堅太郎③
―「坂の上の雲の真実」ー
『ルーズベルト米大統領、全米を説得したー
金子堅太郎の驚異の外交力の秘密③』
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
以下は金子堅太郎の『日露戦役秘録』(1929年(昭和4)>の紹介である。
ルーズベルトとの交渉成功の中に外交の要諦は示されている
金子はルーズベルト大統領とはハーバードの同窓生だが、学部も違い大学時代には付き合いはなかった。ルーズベルトが海軍次官から政治家となって活躍していたころに知り合いハーバード同窓生、同じ政治家として意気投合、互いに尊敬する親友となった。その親友が米大統領になったのだから、このパイプは強力である。
    個人の付き合いも、政治家同士、国の付き合いも要は同じである。人間関係の良し悪しで決まってくる。この場合の外交の要諦は「良き友を持てと言うこと。
    2つめは『敵を知り、己れをしれば百戦危うからず』(孫子)も外交の要諦である。忍者さながらにわずか1名の随行員ともに、なんらの武器弾薬も持たず、単身で大アメリカに渡り、その弁舌と英知によって大統領からアメリカ国民を日本の味方につけようと言うまさに大役者であり大説得者である。
    その恐るべき知恵と大陸を駆けめぐる行動力だ。
    そのアメリカの歴史と成り立ち、移民による多民族国家の風土、国民性をよく知っており、それにもづいての勉強し研究したこと。その戦略が成功した。
    卓越した英語力とスピーチで広報外交の成功した。金子は18才の時に米国に留学してハーバード大に進みその英語力は傑出していた。高校では卒業生代表でスピーチしたという優等生で、渡米後、彼は、その博識と機智とに加えて、抜群の英語と巧みな演説方法を駆使して説得にあたった。
    ハーバード人脈を最大限活用したこと主として同国の知識層の多く居住する東部を活動地域にした。
    アメリカ人のフェア、半官びいきに訴えた。アメリカの国民性、対人意識の根底には、フェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアソダードッグ観(負け犬に対する同情心)があり、それに訴えたのである。
 
 
 
●ル大統領だけでなく、ヘイ外務大臣、海軍大臣とも旧知の仲
 
 それから公使に連れられて外務大臣のジョン・へイ氏に会った。ジョン・へイに会ったときに、私は日本にいる米国公使グリスカム氏からジョン・へイ氏に宛てた紹介状をもらって行った。会ってすぐにその書状を示した。ジョン・へイ氏はこれを受けとったままそこにおいて開いて見ようともしない。一体外国に行って紹介状を持って行けば、その書状を見てこの人はどういう人だということを知って、それから言葉を交すのが恒例になっている。しかるに私が持って行ったアメリカ公使のグリスカム氏の紹介状を見ずにそこにおいて、私の顔をしげしげと見ている。

 「貴下は紹介状の要はないではございませんか。紹介状は持ってくるには及ばぬじゃありませんか。」と言う。
さあびっくりした。
「じっは私は甚だ記憶に乏しいが、貴下には未だ会ったことはないと思うから、紹介状をもらって来ました。」
「貴下はご承知ではあるまいが、私は貴下にはすでに十四、五年前に会っている。その頃私は微々たる新聞記者であったから、貴下の脳裏には残らなかったろうけれども、私のほうでは貴下をよく知っている。」
私は又びっくりした。
「私はヘンリー・アダムス氏のところで貴下にお会いした。そのとき貴下は各国の議院制度を調べにおいでになって、ヨーロッパを回って帰りにワシントンにおいでになった。そうして親友のヘンリー・アダムス氏のところの晩餐会で私はお会いしました。」
この言葉を聞くや私は直覚して旧時面会したことを思い出し、
「それじゃ貴下はかってリンカーンの秘書官として南北戦争中大統領リンカーンの側におった縁故によりリンカーンの伝をお書きになられたあのお方ですか。」
「それです。私はあのとき新聞記者であったけれども、リンカーン伝を書いておったアダムス氏の晩餐会で、貴下といろいろ日本の憲法のことや米国議会の話をした旧友じゃないか。紹介状を持って来るに及ばぬ。」
と言う。なるほどそれならば添書は要らぬわけである。それからいろいろ話をしたところが外務大臣へイが言うことが面白い。 「一体今度の日露の戦争は、日本がアメリカのために戦っていると言ってもよい。」
 「それはどういうわけか。」と聞くと、
 「私は外務大臣として支那に向っては門戸開放、機会均等ということを宣言した。
それをロシアが門戸開放をせずして満洲には外国人を入れぬ。満洲においては機会均等ではない。
満洲はロシアの勢力範囲として、アメリカの商人も入れない。しかして日本は満洲もやはり支那の一部であるから、門戸開放をしろ、機会均等をしろという。この結果が、今日の戦争になったのである。つまりアメリカの政策を日本が維持するがための戦であるといってもよいから、今度の戦争はアメリカ人が日本にお礼を言わなければならぬ。のみならず日米の政策が今度の戦については一致しているから、アメリカは日本に同情を寄せることは疑いない。」
 かように外務大臣が言ったので、これまた私に非常な声援を与えた。そこでこれもまたただちに暗号電報で小村外務大臣に通報した。
 それから今度は海軍大臣に会いました。もちろん陸軍大臣のタフトとは、従前米国にいたとき、たびたび会っている。しかのみならずフィリッピン総督として往来するときに日本に立ち寄ったから、そのとき日本でもたびたび会ったので、これは会う必要はない。海軍大臣に面会するために高平公使に連れられて海軍省に行った。そうしたところが「これが海軍大臣」「これが金子」と高平公使が紹介すると、海軍大臣が私の顔を見て、
 「君は俺を忘れたか。」と言う。
「私は君を知らないと思う。」
 「君と俺はハーバードの法科大学で同級生じゃなかったか。それを忘れたか。」
 「あのときビレー・ムーデーという跛足(びっこ)のムーデーがいたことは知っている。」
 「その跛足のムーデーが俺だ。」と言った。
 跛足のムーデーと言われるわけは、ムーデーはその頃ベースボールのチャンピオンであったが、石の膝頭を打って非常な怪我をしてから、足が不自由になって、学校にくるのに松葉杖をついてやってきておったから「跛足のムーデー」と言っていた。
 「今見れば君は足を引かないではないか。」
 「それは昔の事だ。今はなおってこのとおりだ。」
と言って膝をたたいて見せた。
 「それならばこれから俺は君にいろいろ声援してもらいたいことがある。」
というようなわけでありました。
 
◎外交の基本―真に頼るところのものはその国の親友
 
 こういうように旧友を外務大臣に持ち、又海軍大臣に持っておったのは、非常に私には大きな力であったのです。このとき私は、外交はいかに日本で偉い人でも、その使命を持って行く外国に友達がなかったならばけっしてうまくいかないということをつくづく感じ、友達がなくして素手で外国に行っても雄弁を発揮して、俺は日本では元老だ、大臣だといっていばってみたところが三文の値打もない。真に頼るところのものはその国の親友であることを痛感した。
 ある日、さきに外務大臣が話した旧友のヘンリー・アダムスが私を晩餐に招待して、大勢の友人に紹介した。そのときこの人の言ったことを皆さんに知らせたい。
ヘンリー・アダムスという人は、先祖が二代大統領になったジョン・アダムスとジョン・クインゼ、アダムスである。ヘンリーはこの名門の子孫であります。しかして彼は外交官になったことはないが、外交問題に精通した学者である。外務大臣ジョン・へイの知恵袋といわれている人である。彼の言うところによれば今度の戦争は全くロシアの宮中の大官と、陸海軍の軍人とが結託して朝鮮を取ろうという策で、この戦が画策されたのだ。
それのみならず宮中の大官は、皇帝・皇后の信任を得て宮中に勢力のあるベゾブラゾフと軍人とを結託せしめて、実際、兵を一万を満洲に送れば五万も送ったように言って日本を恫喝し、恐喝手段で日本を屈伏させようという政策をとっている。又、軍艦にしたところで、日本を脅威するために旅順に送るのである。これただ恐喝手段で刃に血ぬらずして、朝鮮を取ろうというのが彼らの策略である。それゆえに日本が朝鮮を渡してよろしく願いますといって平和を乞わなければ、とうてい日露の問題は解決しない。
のみならず旅順にいる極東の大守アレキシーフという人は、宮中に非常に勢力のある人で、又貴族の仲間にも勢力のある海軍大将である。これが旅順に頑張っている。事実このアレキシーフの政略は、恐喝手段を以て海軍なり陸軍なりで、いざと言えば戦さをすると恐喝したならば、日本はひと縮みになるから、それで行けると思ったのがこの人の政策である。
ところが国交断絶するや否、仁川港においてワリヤークその他の軍艦が日本の軍艦のために打沈められたという電報が来て、ロシアの宮中の大官も、皇帝も皇后もことごとく恐怖の念に侵されて、非常に驚いた。
こんなに負ける積りはない。戦をせずして、恐喝手段でおどすつもりでおったのが本当の戦争になった。そのときの宮中の驚きというものは非常なものであったということをこの人から聞いた。
また彼は語を続けて一ヵ年この戦が続けば、ロシアは必ず内から壊れてくる。東洋に行っている兵士も本気に戦さするつもりで行っているのじゃない。恫喝手段の道具になって行っているのであるから、一ヵ年日本が頑張っていれば、きっとセント・ペテルスブルグから内輪割れがする。今日、仁川の戦でワリヤークが沈んだのでロシアは、あたかも大きな鯨が大洋において漁師の銛(もり)を頭に突きこまれたようなものである。まだ死んではおらぬが、今や七転八倒の苦しみをしている。一年我慢しなさい。そうすれば必ずフィンランド、あの方面から内乱が起って、とうとうロシアの方から講和談判をしなければならぬようになるから、そのことはいま私が貴下に言っておくからよく記憶してもらいたい。

 
●内乱寸前のロシア、挙国一致の日本が勝つ
 
 又聞くところによれば、日本は今度の戦について上は天皇陛下から下は匹夫匹婦にいたるまで、挙国一致で戦をしていると。これに反してロシアは挙国一致でない。あたかも内乱の起るような国にして人心も離散している。ゆえに今度の戦争は日本が小国といえども勝つにきまっていると私は思っている。
これは我輩の独断ではない。我輩はヨーロッパの形勢ことに日露の形勢は数年間研究した。ロシアの人にも会って聞き、ロシアの内情も詳しく調べ、日本の事情も調べている。
挙国一致の日本が勝つにきまっている。しかし勝つことは勝つが、ここに一つ日本政府に忠告したいことがある。そのことはロシアは先年ユダヤ人をキシネフ〈モルトバ〉その他で虐殺している。ところがヨーロッパのユダヤ人は吝嗇(りんしよく)で金持で、金権を握っている。ロシアは軍費を今はフランスから借りているけれども、これは長くは続かない。そうすると結局、フランス,イギリス,ドイツにいるユダヤ人から借りなければならぬから、早く日本政府ではユダヤ人を懐柔して、金権を握っているユダヤ人に対してロシアに金を貸すなということをいえと彼は忠告した。
これがすなわちシフというユダヤ人がヨーロッパにおいて、高橋是清と談判して、第一公債・第二の公債をシフの手を経て募集したことと符合している。日露戦争についてはユダヤ人はロシアには一文も貸していない。ユダヤ人がロシア人に貸さないのに反して日本には莫大な軍費を貸した。これはユダヤ人がロシアにおいて非常な虐待を受けた復讐であろうと思う。
 なお日本に忠告したいことがある。それは早くフィンランド、及びスエーデンの地方に日本から密使を送ってフィンランド人をおだて、スエーデン人を扇動してかの地方に内乱を起させ、そうしてロシアの背後を衝け、シベリアに兵を送ろうとしても、フィンランド・スエーデンの国境に内乱が起れば、そのほうに兵をやらなければならぬから日本とフィンランドと両方に兵を分割して送ることはロシアの痛手である。そうすればロシアに内乱が必ず起る。
その扇動の費用は二、三百万円もあったらよかろうと思う。軍艦一隻沈めたと思えば安いものじゃないか。海戦をせずしてロシアに騒動を起させうるならば、軍艦一隻の値段は安いものじゃ、二、三百万円使って、早くあそこに密使をやってかきまわせ、ということをヘンリー・アダムスが私に言った。しかのみならずどうか日本政府にこのことを言ってもらいたい、と申しまから、私はただちにこのことを詳しく書面にしたためて桂総理大臣小村外務大臣連名にて郵送した。
その後各方面の報告によれば公使栗野慎一郎がロシアを引揚げると同時に、公使館付の陸軍の中佐をしていた明石元二郎という人を、フランスに滞在させて、フィンランド、スエーデン、ノルウェーに手を回して、いろいろかきまわしたということを聞きました。そのことは明石元二郎氏の伝にも書いてある。この献策をしたのはヘンリー・アダムスが私に会って言ったのが初めである。
 
◎ルーズベルト大統領以下全員が日本へ同情
 
 まずかくのごとくワシントンに行ってみると、大統領・外務大臣・海軍大臣、それから外務大臣の知恵袋といわれるヘンリー・アダムスも、かくの如く日本に同情を寄せているということは、じつはサンフランシスコに上陸したときとは、まるっきり違う。又日本を出るとき、伊藤公に今度のアメリカの使命は私は成功の見込なしといったけれども、これだけの同情者を得たのは、非常に私をして力強く思わせた。ここに一、二面白い話をいたしましょう。
 広瀬中佐が旅順の港口に船を沈めたことが、ドシドシ電報で米国に来て新聞紙に載る。一八八八年にスペインとアメリカが戦争をしたときにキューバの港の入口に船を沈めてスペインの軍艦を封鎖し、アメリカの海岸を荒らさぬようにしたのが、アメリカの海軍大佐のホブスンである。
そこで同じく旅順の港口に船を沈めた広瀬中佐は、わがアメリカのホブスンの故知を学んでやっているから、アメリカが日本に教えたのであるということを得意になって書き立て、広瀬中佐の旅順港口に船を沈没せしめたのは、あたかも米国の戦策をやったように喜んでいる。
手前味噌ではあるけれども、これは日本にとってはよい宣伝であって日本に同情を寄せることとなった。
 それから私は一夜友人に誘われてワシントンの芝居を見に行った。幕間に幕が下りる。そうするとその幕の中央にロシアの皇帝の半身像が大きな形で緞帳(どんちょう)に写る。幻燈でロシアの皇帝の半身像が鍛帳一杯に見えると、見物人は「引っ込めろ」「引き下ろせ」と異口同音に言って、靴でフロアーをドタドタさせて引っ込めろと言う。そこで引っ込める。というように少しも喝采しない。ロシア皇帝は非常に不評判である。
そしてその次にぽっと出たのが、わが天皇陛下の半身像。すると満場拍手喝釆で、万歳万歳といって、耳をもつんざくほどの歓声が湧いた。
してみるとワシントンの普通の芝居小屋の見物人も、日本に同情を寄せているということを見たときには、私は非常に嬉しかった。
 これから先は政治論でも何でもない。又見かけますと御婦人もいらっしゃるようですから、御婦人に私は聞いてもらいたいことがある。それは四月六日にワシントンでウオルダーという非常な金持ちの後家さんが私の友人の大審院の判事ホームスを通して、私を晩餐会に招きたいから来てくれろと言いました。この後家さんには二人の美人の娘さんがありましてワシントンの交際社会では有名な人達であった。けれども女のことだから、男の紹介なしでは私を案内することができぬので、ホームス氏を通して私に晩餐に来てくれろと言ったわけである。私はどん人でも招かれれば喜んで行くと返事した。その晩の食後に総領娘が私に聞きたいことがあるという。

 
★ロシア軍隊と日本軍隊の違い
 
 「じっはこの二、三週間前、ある晩餐会でロシアの大使カシニー伯に会った。ところがロシァの大使が列座の人びとに向かって言うのに『戦争は始まったが、日本の陸軍などというものは、ロシアの陸軍に比較するととても敵対はできない。見ていてご覧なさい、一、二ヵ月のうちには、日本の軍隊は可哀そうだが皆全滅する。そのわけはロシアの軍隊の訓練というものはこうである。
野営をしているときでも、又兵営にいるときでも士官と兵卒とは殆ど親子兄弟のごとく親密である。皆車座となってウオッカという酒を飲んで、階級的の差別はない。兵卒が唄を歌えば、士官が楽器を鳴らす、独りで踊るもあれば、相携えて舞いまわるもあり、その団らんの愉快なことは世界各国の軍隊に類はない。
しかしこの軍隊にいったん進軍の命令が下って、敵に向ったならば、殆ど別人のごとく兵卒は猛獣のごとくなって、いかなる敵といえども蹴飛ばして行く。その勇猛なことは平時団らんして愉快に酒を飲み歌いつ舞いつしたときと、まるっきり変ったものである。見ていて御覧なさい。今度日本の軍隊を追いまくるのはわけない』とごう然として言った。
私は真実日本に同情を寄せている一人でありますが、この言を聞いて日本の兵隊が負けはせぬかと心配でならぬから、貴下を御招待して日本の軍隊はどういうふうに訓練をなされているのかこの猛獣のどときロシア兵に当らなければならぬので定めて困難でありましょうが、どういう訓練法になっておりますか。」
と単刀直入に質問を発してきた。
一座の面々はこの突然の質問にいかに私が答えると私の顔を見つめていた。そこで私は当意即妙という筆法で、ただちに答えた。
 「いかにもロシアの兵隊の訓練はそういう情況であることを私もかねて聞いているが、しかし日本の軍隊の訓練はそれとは少し違う。日本の軍隊は兵営において毎朝訓練をする前に集合ラッパを吹く。
そうすると兵隊が一小隊ずつ調練場に並ぶ。そうして少尉が剣を抜き、その前に立って号令をかける。『気を付け、本官がこの剣を抜いて命令するのは、天皇陛下の命令と心得ろ。この剣は、天皇陛下を代表するものである。わが天皇陛下の軍隊は我輩この剣を握って号令することはすべて陛下の命令と心得て、いかなることを命令するとも必ずこれに服従せよ。
もし戦場において我輩が鉄砲の弾丸で倒れたならば、下士官ただちにこの剣を取って号令せよ。もし又下士官が戦死したならば兵卒これに代れ。一兵死せば一卒これに代り、かくして代り代りに最後の兵卒にいたってこの剣を握って地に倒れて死ぬのが日本の軍隊の精神である』とこういう具合に日本では軍隊を訓練している。皆さん日露の両国、どっちが勝つでしょうか。」と言うと、列座の人びと一斉に手を打って、「日本が勝つにきまっています。」と言った。
このことについて私は米国から帰ってきて一言言っておかねばいかぬと思って、寺内陸軍大臣に会って
 「俺はアメリカにおいて日本軍隊の訓練法を聞かれたのでかくかくと答えた。もし俺がうそをついたということになってはまことに困るから君に一つ確かめるがどうだ。」と言って、前に述べた当意即妙の答弁を話した。
ところが、「それはじつにそのとおりだ。君の言ったとおりの精神で軍隊を訓練している。」「そうか、それで俺も安心した。」と言いました。
 
●金子はニューヨークを根拠地に活動
 
それから、私はどこに根拠地にしようか、ワシントンにしようか、ニユーヨークにしようか、といろいろ考えました。ワシントンを根拠地に定めると私の挙動を各国の外交官が偵察する。ルーズベルト氏に会えばすぐそのことが何であったかと探る。そうなればルーズベルト氏にも気の毒である。又私の背後にはいろいろな探偵がつきまとうから、外交官のいるワシントンはよろしくないと思ったので、結局ニューヨークを根拠地にすることに決した。ここに根拠を据えて、東西南北に活動しようということに決めた。
ある日ルーズベルトに会って、
 「僕もいままでワシントンにおったが、今後はニューヨークを根拠地にしようと思う。」
 「それがよかろうと思う。君が僕のところにくると、ロシアの大使やフランスの大使が来て、金子はどういう話をしたかと言って、うるさくて仕方がない。ニューヨークにいても電報もあり、また電話で話もできるから用事は弁ぜられる。ワシントンにいることは君のためにもならぬし、又僕のためにもならぬから、ニューヨークに行ったほうがよかろう。」
ということになりまして・私はワシントンを去ってニューヨークに参りました。そうしてニューヨークを中心として多方面に活動致しました。

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