『オンライン百歳学講座/天才老人になる方法➂』★『日本最長寿といわれる徳川家三代指南役・南光坊天海(108歳?)の養生訓ー上野公園内の「墓碑」で長寿健康を祈る―『 養生法・長命には粗食、正直、湯、陀羅尼(だらに)、御下風(ごかふう)あそばさるべし。』★『養生訓「気は長く 勤めは固く 色うすく 食細うして 心ひろかれ」
知的巨人たちの百歳学(174)記事再録/日本最長寿の徳川家三代指南役・南光坊天海(108歳)の養生訓ー上野公園内の「墓碑」で長寿健康を祈る―
2015/02/05/百歳学入門(102)再録
日本最長寿の徳川家三代の指南役・南光坊天海(108歳)の養生訓
東京・上野公園の「天海の墓碑」にお参りして長寿健康を祈るー
前坂 俊之(ジャーナリスト)
5年前の2010年夏の夜の怪談話を覚えていますか。
―100歳以上の所在不明者が数百人にものぼるというミステリーニュースがありました。「日本は世界一の超高齢社会」です。この時の女性の平均寿命は85歳で世界一、男性は七十九歳で世界4位。65歳以上が全人口の23%にも達する世界一の超老人社会。豊かで長生きできる長寿健康社会の底を割ってみれば、悲しい哀しい老人残酷物語が秘められているのです。「姥捨(おばす)て山」の現代版です。
映画「楢山節考」(今村昌平監督・1983年のカンヌ国際映画祭グランプリ)をごらんになられましたか。「姥捨(おばす)て」の世界の徳川時代からずっと続いていたのです。日本人が自分たちの歴史を知らないだけ、「捨て去られる孤独死老人」に眼をそむけているだけの話です。
食べるものが少ない、東北などは凶作でコメができないと途端に口減らしが激増しました。老人を捨てるだけではなく、「口減らし」として、小学生、中学生の2男3男以下の男子は、貴重な労働力として奉公に出されたり、女の子は芸者として花街、公娼街に10円から2,30円で人身売買、身売りされていた暗い歴史があったのです。
戦後の高度経済成長と世界第2、第3の経済大国、さらには「老老介護」「認認介護」(認知症の老人が認知症の90、100歳代の親を介護)となった現在でも、一皮むけばこの「姥捨(おばす)て」の意識が強く残っているのです。100歳越えの人口が約四万人を突破したといえども、それは行政の上げ底の生存を確認していない架空の数字であったこと、
子供たち(6,70代の老人となった)にとっても、100歳越えた親がどこに行こうが、早く死んでもらいたい「姥捨(おばす)て」の意識から、行方不明になってもほったらかしで、また親の年金を自分のものにしていたことが今回、図らずも暴露されたのです。ではこの問題を残された世代はどのように理解し、行動すべきなのでしょうか。
今回のテーマです。
80,90歳まで強い自覚をもって生涯現役で元気に、寝たきりや認知症にならないように強く生きなければ、誰もが「姥捨(おばす)て」にされる運命にあると言うことです。
それを避けるためにも百歳長寿生涯現役の達人たちの生き方、健康法、養生法を学ぶことが大切です。
日本で徳川時代に百三十歳(?)までいきたといわれる日本最長寿は南光坊天海(てんかい)です。実際の年齢は不明ですが(天文(1536年)? – 寛永20年(1643)10月2日(百八歳)ともいわれています。
徳川3代指南役で108歳(?)の天海大僧正の毛髪塔≪上野公園内)
① 養生法・長命には粗食、正直、湯、陀羅尼(だらに)、御下風(ごかふう)あそばさるべし。
南光坊天海は安土桃山・江戸初期の天台宗の僧侶で、徳川家康が六十二歳で天下取りに成功したのは、天海という知恵袋のおかげといわれる。七十五歳で没した家康よりもさらに三十三年も長生きし、百八歳で大往生した。一説には百三十歳まで生きたといわれる。
平均年齢が四十歳とされる当時にあっては驚異の長命である。この長寿によって家康・秀忠・家光の徳川三代に仕えて、「陰の宰相」として政務を動かした。いわば徳川幕府二百五十年の基礎を築いた陰の人物である。家康を久能山から日光に改葬した際、幕閣(ばっかく)の全員が「大明神」の神号を主張する中で、天海ひとり「権現」を譲らず、「東照宮大権現」となった。二代・秀忠のとき、上野に東叡寛永寺を開いた。
その長寿の秘訣を聞かれて、次の二つの歌を詠んだ。
② 養生訓「気は長く 勤めは固く 色うすく 食細うして 心ひろかれ」
③ 養生訓「粗食、正直、日湯(ひゆ)陀羅尼(だらに) 御下風あそばさるべし
つまり、「あせらず気を長く持って、仕事はしっかりこなして、色欲をおさえて、食事は腹八分に心はゆったり保て」ということである。
また、長生きには粗食であること、美食、飽食がいちばん悪い。自分の気持ちに正直に、ストレスをためない、日湯とは毎日風呂に入ること、「陀羅尼」とはお経を唱えること、毎日声を出してお経を唱える、腹式呼吸が健康によい。
別に「だらり」で、睾丸(こうがん)が悠然とだらりと垂れ下がった状態、ストレスがないことが健康の秘訣との説もある。「
下風」とは「オナラ」のことで、人に遠慮せず「プリプリ」と放屁すべし。快便、快屁こそ天海流の長寿法なのである。この教えを守ってか、家康も七十五歳の長寿を保った。
④ 納豆などの健脳食を食べて、物事を大局的、健脳食で物事を対極的、長期的に判断する知恵袋となる
福島県会津生まれの天海は、地元の人が常食していた納豆が大好物。食事は僧侶となりゴマ、昆布、こんにゃく、豆腐、納豆汁、野菜を中心にした玄米食の精進料理だった。
家康が好んだ駿河湾のアマダイで食中毒になり寝込んだ際も、天海は納豆汁をすすめた。それに、クコ飯も好んで食べていたといわれる。クコはビタミン、ルチンなどを多く含み、疲労回復、強壮強精の効果がある漢方薬。天海の超人的な不老長寿の脳を活性化したのはこの「健脳食」ではないかと見られている。
為政者は長期的な判断力を養成せよ
あるとき、三代将軍・家光の御前で柿をいただいた天海は、食べたあと、その種をフトコロに入れた。家光が「何にするのか」と問うと、「持ち帰って植す」と答えた。家光があきれた様子で「高齢の者には無益のことじゃ」と言うと、「天下国家を治める御方そのような性急なお考えではこまります。いずれこの柿の生長するのをご覧に入れましよう」と答えた。そして数年後、天海がたくさんの柿を献上したところ、家光は「どこの産物か」と開いた。「これは御前から賜った柿の種が大きくなって実ったものです」と答えると、家光や同席していた者は感嘆しきりだったという。
また、あるとき、家光が、江戸城中に火事の危険があるというので、使者を立てて、天海に防火の祈痔を依頼した。この少し前にも将軍家から「若君御誕生」 のご祈祷の頼みがあって、その祈祷中であった。
天海は使者に「若宮御誕生、今度は火災の予防とあっては、一つの心を二通りには使われません。お城はもし焼失しても、建て直しができますが、若様がお生まれにならなければ、天下の安危にもかかわります。二つの軽重を考えますと、火災の祈藤はできませぬ」と断った。天海の見識に家光の信頼は一層増した。
ここで、日本人を長寿にした大豆食品の解説です
日本人を長寿の秘訣は、古くから日本人がいろいろな形でたべてきた「大豆食品」にある。豆腐、納豆、お味噌汁など大豆をもとの食品を好んで食べる。大豆食品にはイソフラボンといっう女性ホルモンのエストロゲンと構造がよく似ている物質が含まれている。乳がん、卵巣がん、子宮がん、前立腺がんなどの発生を抑え、乳がんの発生率は欧米の五分の一です。大豆イソフラボンは腸内細菌の働で、腸内で「エクオール」という物質に変化することがわかり、エクオールは強いがん予防効果を持っているのです。
また、大豆食品はたんばく質、食物繊維、ビタミンE、カルシウムやマグネシウムを多く含む本当の「健康食品」です。しかも、植物性たんぱくなのでコレステロールは含まれていないのです。
勝海舟の『氷川清話』からの南光坊天海の人物像についての談話
非凡な奴であったらしい。あれが今暫く頭を円くせなかったなら、きっと家康公に向って弓をひいたであらう。あの男はもと、宗家の葦名家が滅亡した為に流浪落塊して、とうとう叡山の坊主になり、そこで非常に苦学したるものだが、一朝、家康公の知遇に感激してからは、赤心を捧げて徳川氏の為に画策経営の労を執ったのだ。
なかなか今時のぐうたら書生が、十分の学資がありながら、それで何事をも仕出来さないで、空しく一生を過ごしてしまふのとは、頭から較べものにならない。ところで家康公が天海をなぜ用いられたかといふことについては、おれに一説がある。それは外でもないが、家康公が幼少の時に今川家の人質となって、駿河の臨済寺で読み書きの稽古をせられたが、その寺の住職は、余程な高僧であったと見えて、始終、今川家の枢機に参与して、今川家の為には随分功労があったらしい。
家康公は、明け暮れそれをみて居られたから、出家といふものは、政治上至極大切なものだといふお考が、深く脳髄にしみ込んで居たに相違ない。
そこで彼の天海の非凡な坊主であることを見ぬかれて、あの通り重く用いられたのだ。三代将軍が、沢庵和尚を座右に置かれて、始終民間の事情や何かを聞くいて居られたのも、つまり家康公が、天海におけるのと同じ筆法だ。
それはさて置き、天海はあれ程の人物であって、そしてあれ程重く家康公に用いられたとすれば、天海の事蹟というものが、それ相応には伝はって居なければならないのに、それが一向歴史にも載っていないのは、何故だらうと疑うものがあるかも知れない。
が、しかしその伝はっていないのが、即ち天海の天海たる所以なのだ。今日やった事を直ぐに明日、しかも針ほどの事を棒の様や吹聴するのが今時のはやりだが、天海などのはそれと違って、家康公の枢機に参与しても、どんな事を計画したのか、世間へは少しも吹聴しない。この吹聴しない、少しも分らない底に、叩くと何だか大きく響くものがあるのだ。そこが即ちえらいというものよ。
沢庵和尚はもとは一個の雲水僧で、六十余州を遍歴して、各地の民情風俗に通じていた。そこで三代将軍にも用いられたのだが。その凡人でなかったことは、和尚を推挙した人のえらかったので分る。その人は誰かというと、外でもない柳生但馬守なのだ。
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