前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの日本近現代史』(174)記事再録/★『三浦雄一郎氏(85)のエベレスト登頂法②』『老人への固定観念を自ら打ち破る』★『両足に10キロの重りを付け、これに25キロのリュックを常に背負うトレーニング開始』★『「可能性の遺伝子」のスイッチを決して切らない』●『運動をはじめるのに「遅すぎる年齢」はない』

   

 

  知的巨人の百歳学(116)記事再録

『三浦雄一郎氏(85)のエベレスト登頂法』 

三浦雄一郎氏、エベレストに登頂、史上最高齢80歳の夢実現

http://www.sankei.com/life/news/130523/lif1305230020-n1.html

三浦雄一郎氏 世界最年長登頂し8201m滑降へ

[2018年1月30日

https://www.nikkansports.com/sports/news/201801300000276.html

三浦雄一郎さんが世界七大陸の最高峰でスキー滑降を成し遂げたのが1985年、53歳の時。

そのあと、達成感から気が抜けてしまったのか運動をやめた。近くの「飲み放題食べ放題」の焼き肉店で腹いっぱい食い飲む不摂生な生活が続き、気がついたら体重は九〇キロ近くも増え、生活習慣病的な「おデブちゃん」となり果てた。

六十代になった頃、狭心症の発作に襲われ入院し、本人は死ぬかとおもった、という。

65歳の時の健康診断では身長164センチ、体重85キロ、血圧95~155、体脂肪率39・5パーセントの完全な肥満型となっていた。

そのころ、一緒に生活していた90歳を過ぎた父・敬三さんはまだまだ夢を追って、挑戦を続けていた。

スーパーおじいちゃん″の異名をとっていた敬三さんは、77歳の喜寿を迎えた際にキリマンジャロ登頂に成功、88歳の米寿ではヨーロッパ屈指のオートルート(山岳スキールート、全長120キロ)完全踏破に成功していた。

三浦さんが65歳になった1998年ごろには、敬三さんは5年後の白寿(99歳)でモンブラン山系最長のバレーブランシュ氷河(全長24キロ)をスキーで滑降する計画に挑戦するとして、日々トレーニングにはげんでいた。

三浦さんは父の100歳を前にしての衰えることのないチャレンジ精神に心を打たれ,自らの不甲斐なさを悔いた。

ちなみに敬三さんはこの後、モンブランスキー滑降にも成功し、100歳を過ぎても、まだまだ年間120日以上もスキーを滑っていた。

2004年7月には、トレ-ニング中に転倒して、鎖骨を折ったが、これまた1から出直トレーニングをはじめた。この時の敬三さんの足の骨密度はなんと60代だった、というから驚く。

三浦さんは父親と比べて我が身を深く反省した。「おれも病気を治して、世界一の山一エベレストを70歳で挑戦してみよう」とやる気にスイッチが入った。

早速、トレーニングのつもりで家のそばの藻岩山(500m)に上ったが、足は痙攣するし、息切れ不整脈で脂汗が出るわで登れなかった。

「六十五歳で五〇〇メートルの山を登れなかったじいさんが8848メートルのエベレストを登れ走ら、こんな面白いことはない」と、生来楽天家の三浦さんは「プラス思考」で走り出した。

当時のエベレスト登頂者の死亡率は14%で、これは20-40代のベテランの登山家での数字で、70歳でのエベレスト登頂の死亡率はどのくらいになるのか、70歳の挑戦は初めてで、大きなニュースになった。

三浦さんは片足5キロ、両方10キロ、これに25キロのリュックサックを背負って歩くトレーニングから始めた。

人間は何歳になっても筋力や体力を向上させることができる。いくら歳をとっていても運動するのに遅すぎることはない。

「人は1日寝たきりでいると筋力が3パーセント低下し、1か月何もしないと30パーセントもの筋肉が落ちる。逆に効果的な運動を半年続けると、5歳若返る。1年続けると、10歳若返る」と三浦さんは言う。

三浦さんは当初は25キロほどの荷物を背負って登れなかった藻岩山にも、半年後には1時間ほどでのぼるようになった。めきめき体力、筋力は回復し、そして1年後には血糖値などのすべての数値もよくなってきた。

狭心症など全部直った。ひざは人工関節にしなさいというのが、足首に重りをつけて歩いているうちに、筋肉がついて半月板も復活して痛みも完全に取れた。エベレスト登頂ごろの骨密度はなんと23歳となっていた。

長寿学入門(217)-『三浦雄一郎氏(85)のエベレスト登頂法②』★『老人への固定観念を自ら打ち破る』★『両足に10キロの重りを付け、これに25キロのリュックを常に背負うトレーニング開始』★『「可能性の遺伝子」のスイッチを決して切らない』●『運動をはじめるのに「遅すぎる年齢」はない』

老人への固定観念を自ら打ち破れ

➀ 60歳を過ぎたら「定年」「引退する歳」「老人ホームの心配をするような歳」という固定観念に縛られて、自分の年齢を考えて、消極的になってはいけない。

②70歳でエベレスト登頂に成功することができたのは、こうした老人のイメージ・固定観念を打ちやぶる精神的なスイッチをオンにして、肉体的なアクション、トレーニングに取り組んだのです。

③65歳で5年後の70歳でエベレスト登頂を果たすという目標を立て、外出時には常に両足に重りを付け足5キロ、両方10キロ、これに25キロ20 kg近いリュックを常に背負うというトレーニングを再開しました。

④このチャレンジのスイッチをいれたのは父親と息子です。父・敬三は、77歳の喜寿でキリマンジャロ登頂を成し遂げ、88歳の米寿でヨーロッパ屈指のオートルート・全長120キロ)完全踏破に成功し、〝スーパーおじいちゃんとして有名でした。

⑤三浦さんが65歳になった1998年には、5年後の白寿(99歳)での目標をモンブラン山系最長のバレーブランシュ氷河(全長24キロ)のスキー滑降の挑戦を目標に、日々トレーニングにはげんでいたのです。このオヤジの頑張りを見て、私の心にスイッチが入りました。

⑥ また、次男の豪太はそのころ、日本モーグル界のパイオニアとしてワールドカップを転戦。日本代表として94年にはリレハンメル・オリンピックに、98年には長野オリンピックにも出場して、トップスキーヤーとして世界を飛び回っていました。身近な人を格好の〝ライバル″にして、頑張ったのです。

2003年5月世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たすことができ、同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も達成したのです。

⑦「可能性の遺伝子」のスイッチを決して切らない

父の敬三は100歳を過ぎても、年間120日以上もスキーを滑っていた。

「101歳という年齢の三浦敬三」が生きているのではなく、「三浦敬三という男がたまたま101歳になっただけだ」と考えているからです。

⑧「60歳が引退する年だなんて、人生を勝手に決めつけるんじゃない」と私は決意し、自分の「可能性の遺伝子」のスイッチを1つずっ入れたのです。

➈運動をはじめるのに「遅すぎる年齢」はない。

スポーツ医学の研究結果によると、人は1日寝たきりでいると筋力が3パーセント低下し、1か月何もしないと30パーセントもの筋肉が落ちてしまうそうです。逆に効果的な運動を半年続けると、5歳若返るといわれています。

 


86歳三浦雄一郎さんの次なる挑戦は・・・・南米最高峰登頂・滑降へ

https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20181203-OYT1T50069.html

 - 人物研究, 健康長寿, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑧」★「日本史最大の国難・太平洋戦争敗戦からGHQ「日本占領」と「単独講和」を乗り越えて戦後日本の基礎を築いた吉田茂首相の<国難逆転突破力>③』★『ダレス米国務長官の強硬な再軍備要求を断固拒否した吉田茂のリーダーシップ・外交術を学べ(田中角栄の証言)』

   2016/02/1/日本リーダーパワー史(662)記事 …

『リーダーシップ・無料電子図書館を読む』―宰相「伊藤博文公」(国民新聞編、1930年刊、94頁)

『リーダーシップ・無料電子図書館を読む』― 「知行合一」『文武両道』で鍛錬し、書 …

『チコちゃんに叱られた‼』★『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)』★『九十、百歳/生涯現役・臨終定年の勉強法を見習えじゃ』★「少くして学べば、則ち壮にしてなす。壮にして学べば、則ち老ゆとも衰へず。老いて学べば、則ち死すとも朽ちず」(佐藤一斎)』

  2018/12/26  知的巨人の百 …

no image
日本メルトダウン,カウントダウン(905)「舛添問題は金にケチな人格などではない。 政治家に一番必要な『危機管理能力」の全くない東大(無灯台)組が 『無防備都市・TOKYO」のトップに居座っていること」★『政府は約3千億円を つぎ込み熊本地震まで38年間の『 巨大地震』の予知に全部失敗した<ロバート・ゲラー東京大学理学系教授の 正論>』

  日本メルトダウン,カウントダウン(905) ①舛添問題は金にケチな人格などで …

『Z世代への百歳学入門』ー「最後の元老・西園寺公望(92歳)-フランス留学10年の歴代宰相では最高のコスモポリタン、晩年長寿の達人の健康十訓」★『 まあ生きてはいるがね、涙が出る、はなが出る、いくじがなくなって、 これも自然でしかだがない』

     2013/08/16 百歳学入 …

『10年前の鎌倉海は豊穣の海、海水温上昇で、今は『死の海へ』★『オンライン10年前動画/鎌倉カヤックつりバカ日記』★『『すごいアタリ!、何度も突っ込み、大カワハギ27センチでした』★『ついにやったぜ、巨大ホウボウ50㎝をゲット』★『鎌倉カヤック釣りバカ日記(6/11)ーカワハギが釣れて、釣れて困るの巻よ③』

倉カヤックつりバカ日記ーついにやったぜ、巨大ホウボウ50㎝をゲット   …

『Z世代のための百歳女性学入門」★「女性芸術家の長寿/晩晴学」★『日本舞踊家の武原はん(95歳)は日本の代表的美人』★『「心で舞う」「思い出の心で舞う」『百歳まで踊りたい。舞いとすじを極めたい。踊りに完成はありません。死ぬまで厳しい稽古です』

武原はんは(1903明治36-1998、平成10年)の95歳。日本舞踊家山村流地 …

知的巨人たちの百歳学(112)「日本開国の父・福沢諭吉」寿命の長さ【長寿】ですべて良しとせず、平生の心身の働きを大にして、寿量(生涯の質量)を多くせよ。

          知的巨人たちの百歳学(112) 「日本開国の父・福沢諭吉(6 …

no image
『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分(9/3)』―わが 『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園③』1150年前に建てられた5重塔(国宝)の燦然と輝く、建築美の極致

    2016/09/30 &nbsp …

no image
人気リクエスト記事再録 『百歳学入門(186 )』-百歳長寿社会へのお手本『世界ベストの画家・葛飾北斎(90歳)の創造力、晩年学こそ長寿力』★『北斎こそ世界を席巻した「ジャポニズム」「ジャパンアニメ」「ジャパンクール」の元祖である』

2011年1月15日執筆<超高齢社会のモデル> 世界ベストの画家・葛飾北斎―90 …