前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門⑥<クイズ>日本の代表的長寿経営者は誰か<高度経済成長の立役者は長寿経営者たちです>③

   

 
百歳学入門⑥<クイズ>日本の代表的長寿経営者は誰か③?

<高度経済成長の立役者になった長寿経営者たち>
                 
前坂 俊之
             静岡県立大学名誉教授)
 
 
今では忘れられていますが、昭和30年代に“財界の重鎮”として活躍した原安三郎(1884 – 1982)98歳は日本化薬社長、日本化学工業協会会長などを歴任し、数多くの経営不振の会社を再建し、「会社再建の名医」と称された。
原は六十歳すぎてからは義理、見栄、メンツなどで頭や身体を使わぬこと。少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことはあえて行なわないこと。いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静にこれを迎え、判断し、処理すること」などを心構えに、次のようなビジネス長寿10ヵ条を実践しており大いに参考になりますね。
 
    時間は短かくても、よく眠れ。
    食事は少なくせよ。朝はパンとオーミルと野菜と牛乳。昼はヌキ。夕食は米食を二椀。
    酒、タバコは飲まない。
    物事をすべてその場で処理せよ。
    心配はしても心痛するな。
    決して物にとらわれるな、物に支配されるな。
    六十歳すぎると義理や見栄、メンツで頭や身体を使わぬこと。少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことをあえてするな。
    会合や人の依頼も気特にそわぬことはドシドシ断われ。
    物事を正直に、いつも良心にてらして遺憾のないように。
    思いついたことは遠慮しないでドシドシしゃべれ。
 
いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静に対応し、判断することが大切といっていますね。リーダーには参考になる言葉ですね』
 
 
『昭和の実業家でベスト3に入るのは松下幸之助(1894 – 1989、94歳)でしょう。裸一貫、丁稚奉公からたたき上げて 松下電器産業を一代で世界的大企業に築き上げた彼の成功の秘訣が「病弱だったこと。それが成功の最大の要因です」というのは意外ですね。
八人兄弟姉妹の三男の末子として生まれたが、八人のうち六人までが亡くなる貧困の家庭で育ち、40代まで生きられないと覚悟していた。病弱なため、会社をやめ独立して商売を始め、“人を使い、育てて、活かす”マネージメントに力を注いだ。「私が健康だったら、仕事も自分でやろうとして、そこそこの成功で終わったでしょう」と語っています。
『経営の神様』といわれた松下は1973年80歳で、現役引退し、相談役に。85歳のとき、世界的にも珍しい政治家養成が学校の「松下政経塾」を設立した。
異例の長寿になったのも 幼少から病弱のため、健康管理には最善を尽くしことで、晩年は松下病院の中にある社宅で寝起きして、必要なときに会社に通っていたといいます。
「自分の先天的強弱度をよく自覚し、これに順応した生活態度を持つことが一番健康な生活である」と言ってるのは、うなづけますね』
 
 
『金融界ではスルガ銀行の創業者・岡野 喜太郎は101歳、百歳の銀行家はもう1一人「みちのく銀行の」唐牛 敏世99歳がそうだよ。かれも100歳まで頭取として仕事をしていて、話題となっているね。大物では日本興銀の財界の鞍馬天狗といわれた中山素平も99歳ですよ、100歳までのもう一歩』
 
・ メザシの土光さん91歳は質素がムネ
 
『東芝社長、第4代経団連会長に就任し、「ミスター合理化、財界の荒法師、行革の鬼」といわれた土光敏夫(1896-1988、91歳)はその簡素な生活と、「夕食はメザシに梅干」 という質素な食事ぶりで世間には「メザシの土光」 のイメージが定着しましたね。
 彼はもともと健康管理には人一倍注意していて、早寝早起きに心がけ、散歩を欠かさなかった。毎朝四時に起床、食事はメザシと麦飯、自宅でつくった大根やキャベツなど野菜を
食べ、きわめて質素。自宅の応接間にはエアコンはなく、夏は扇風機、冬はストーブと、私生活でもムダ排除・経費削減に努めた。収入のほとんどを母親の創立した学校に寄付していたといいますから、立派です。
経団連会長のとき、経団連の階段のエレベ-タ-は来客用の一基だけを稼働させ、残りは停止させ自分の接待はすべて断り、地方出張もすべて日帰りで行った。85歳で臨時行政改革審議会の会長を務め、行政改革の率先垂範し、生涯現役でそれを貫いた。彼のような財界トップはその後は出ていませんね』
 
『なるほどね、土光さんと並ぶ異色の経済人は全日空社長だった岡崎嘉平太(1897 – 1989)92歳ではないでしょうか。彼は日中国交正常化のために101回も訪中して、1人で民間外交を手がけて、日中関係を修復させた。経済人以上の政治家そのもの。こんな経営者が今や全くいなくなってしまったね。今後、逆転した日中関係が心配です。とにかく大人の風貌を持つ、日本では数少ない哲学をもった大人物ですね』
 
・岡崎嘉平太92歳は政治家以上の哲学をもった経営者
 
『その座右銘は「限界に挑む」です。「若いうちに自分の体力、精神力、知力の限界までに何度も挑戦しておれば、より遠くまでいける」。体力の限界に挑戦すれば、精神力の練磨も同時に行われる。若いときから夜行会を組織して、夜間に眠らず八十㌔もの徒歩旅行をしたこともあり、生涯歩け歩けを続けた。『頭もからだも足から衰える。よく歩くことこそ健康長寿の原理』だと。日中国交回復も彼が何十回も歩いて歩いて往復して、地固めした上にやっと出来たものなんですね』
 
『美智子皇后の実父である正田英三郎(1903―1999、95歳)、祖父の 日清製粉グループ本社の創業者・正田貞一郎1870―1961、91歳)ともに長寿なんですね。正田貞一郎は年をとると、「夜の会合に出ない。食事も腹八分で、小食」を実践し、「規則正しい生活」をすることという』
 
2016年の夏のオリンピックの東京誘致が動き出していますが、1964年の東京オリンピック組織委会長で安川電機社長、日本原電初代社長などを歴任した安川第五郎(1886―1976、90歳)は尺八が趣味。精神を統一するために毎朝食前に二尺五寸の長い尺八を思い切り吹いた。しばらくすると無我の境に入る。これストレス発散に大いに効果があったらしい』
 
 
「瀬島龍三95歳、久原 房之助、岩佐凱実、田中勇ら各95歳、江戸 英雄、務臺 光雄94歳、若尾 逸平92歳、石井 光次郎92歳、大谷竹次郎92歳ら、長寿経済人もたくさんいますね、こうした長寿力が日本経済発展の活力になったことは間違いない」
 

 - 健康長寿 , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(721)『強中国夢』(中華思想単独覇権主義)をめざす習近平共産党政権は「近代中国の父・孫文」の『覇道より王道をめざせ」という日本への遺言を読み直さねばならない。<孫文「大アジア主義」の演説全文を再録>②

   日本リーダーパワー史(721) (再録)日本リーダーパワー史(204)『辛 …

★『湘南海山ぶらぶら動画日記』★『2月18日夕方、クリーンな富士山のサンセットを見ようと久しぶりに葉山森戸海岸、石原裕次郎の記念碑までぶらり散歩したよ。かくも美しき世界に心癒される』』

湘南海山ぶらぶら日記         葉 …

no image
百歳学入門(78)「鎌倉アホ仙人の「生き急ぎ、死に急げ!日記」◎「鎌倉古寺―<金剛力士像>をぶらぶら散歩もおもしろい、

 百歳学入門(78) 「鎌倉アホ仙人の「生き急ぎ、死に急げ!日記」 ▼ …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑲『開戦3ゕ月前の『英タイムズ』の報道-『満州撤退の最終期限10月8日が過ぎたが,ロシアは過去3年間と 変わらず満州に居座り続けた』●『ロシアは満州全体をおさえ、その前進運動をさらに朝鮮に拡大、竜岩浦に軍事基地をつくった。』●『日本は平和的な措置をとり.難局において,また紛争の長期化を通じ,日本は自制を保ち続けてきたが,これは日本が大国になって以来の最も称賛すべき特徴だ。』

 『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑲   1903(明治36) …

「鎌倉ウィングサーフィンチャンネル(2023年3月9日午後5時半)-夕陽に向かって海面をトビウオとなって飛翔するウィングサーフィンは超楽しいね

ウインドサーフィンの次世代・ウィングサーフィンが鎌倉材木座、由比ガ浜でも最新流行 …

no image
知的巨人たちの百歳学(111)-明治の大学者/物集高見、高量(106歳)の大百科事典『群書索引』『広文庫』の奇跡の長寿物語➂→「(人間に必要なのは)健康とおかねと学問・修養の三つでしょうね。若い時は学問が一番、次がおかね。健康のことなんかあまり考えないの。中年になると一番はなんといってもおかね。二番が健康、学問なんかどうでもいいとなる。そして年取ると・・・」

物集は膨大な日記を書いている。 それは「百歳は折り返し点」の自伝の「年表の総まく …

no image
冬の鎌倉・最後の紅葉ー鎌倉駅東口から約10分の妙本寺は知られざる名刹、落葉の絶景ピークは正月まで(12/22)

  ◎≪冬の鎌倉・最後の紅葉ー鎌倉駅東口から約10分 の妙本寺は知られ …

『オンライン100歳学講座』★ 『日本一の大百科事典『群書索引』『広文庫』を出版した物集高量(朝日新聞記者、106歳)の回想録」★『大隈重信の思い出話』★『大隈さんはいつも「わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る、と話していたよ』

  国語学者・物集高量(106歳)の思い出話は超リアルだよ。 大隈さん …

『Z世代への昭和史・国難突破力講座㉑』★『昭和経済大国』を築いた男・松下幸之助(94歳)の「健康長寿経営法」★『病弱だったことが成功の最大の要因。健康だったら、 仕事も自分でやろうとして、そこそこの成功で終わっていたかもしれない』

2015/11/12/知的巨人たちの百歳学(140)記事再録・再編集  松下電器 …

『オンライン講座/日米戦争開戦の真珠湾攻撃から80年⑪』★『 国難突破法の研⑪』★『近衛文麿首相は「戦争は私には自信がない。自信のある人にやってもらいたい」と発言。東條は「自信がないとは何事ですか!、人間、たまには清水の舞台から目をつむって飛び降りることも必要だ」と優柔不断な近衛首相を罵った』

2019/10/05 リーダーシップの日本近現代史』(79) 2004年5月 / …