前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳生涯現役入門(179)-『晩年の達人/渋沢栄一(91歳)④』★『不断の活動が必要で、計画を立て60から90まで活動する』●『煩悶、苦悩すべて快活に愉快に、これが私の秘訣です。』★『90歳から屈身運動(スクワット)をはじめ、1日3時間以上読書を続けていた』

   

                         百歳生涯現役入門(179)-

『晩年の達人/渋沢栄一(91歳)④』

渋沢翁は1926年(大正153月の報知新聞の記事「私の長寿法」にはこう書いている。

 「87歳(かぞえ)の老体を朝7時から夜12時まで(中略)外相官邸、帝国ホテル、議会、何々会場、やっと夕刻にカブト橋の渋沢事務所でお目にかかる。

死ぬまで生きていたい。生きられるだけ生きたいと存じます。それについては私は近頃、英人ラブソン・スミス氏の健康法を読んですっかり感心してその通りを実行しています。

スミス流を学んでの渋沢栄一の『私の健康法9ゕ条』は次の通りである。

  • 不断の活動が必要である。計画を立てて60から90まで活動するがいい。
  • 第二には節制である。活動が無理になり、過度になるのは注意せねばならぬ。
  • 活動と節制とが車の両輪のように調和する時、元気の要素が生まれる。しかし、真の健康法はかくの如く外形的な事ばかりでは駄目で、精神が大切だ。
  • 人事を尽くして天命をまつ。平和そして満足が何より必要であろう。
  • 活動、節制、平和が完全に行なわれたら人間は140歳までは生きられる。
  • 煩悶、苦悩すべて快活に愉快にこれが私の秘訣です。
  • 酒は飲まぬ。タバコは33年前に止めた。食物にえり好みはない。
  • わずかの時間をぬすんでは経書(四書五経)を読む。
  • かくてニコ二コたる童顔にはあくまでも幸福と健康があふれる。

ーーーーーーー

また、同年10月の時事新報に「渋沢流健康法」という見出しで、次のように書いた。

「西欧では健全なる精神は健全なる身体に宿るというが、自分の経験ではそれは逆であって、精神の直きものこそ健康であると信じている。このほど、自宅で102歳の翁と大倉喜七郎翁と自分が会見した翁三人の合計年齢は279歳であった。

その時の感想も矢張り60以後の健康法は精神の持ち方一つにあると思った。

(中略)色々の養生法もあろうがそれは末の問題である。人口問題などから邪魔にされようがされまいが、人はどうせ年をとる運命に置かれている。老境に臨んでの無病息災こそ望ましいもので、自分は90歳までに、まだ三年あるからなお今後、長寿法を研究して紹介したい」とある。

 そして、昭和3年ごろから毎朝必ず、屈身運動(スクワット)をはじめだした。

 昭和510月、九〇歳の時、亡くなる一年前である。「健康時代」性生活問題号には主治医の林正道氏が「日常生活と健康」と題して渋沢について記事を書いている。その小見出し等を拾うと、

渋沢翁は91歳(かぞえ)とは思えぬ若々しさ

○冬に弱く、夏に強い先生

○死生の間を往来せられた

○血圧が非常に低い

〇一日殆ど2食

○先生の楽しみの第一は読書

○決して他人を叱らない

○先生の日課

○齢よりは確かに30歳はお若い。強いて老境を求めれば薄くなった半白の頭髪と義歯くらいである。新聞のルビを読むことができ、隣室の私語も決してもらさないほど敏感さである。

一度興に乗れば一日1000字位かかれるのは雑作なく、感興至ればとうとう数千言書いても殆ど疲労を感ぜられない時もある。(下略)」

そのころの1日のスケジュールは、相変わらず超多忙で、規則正しい。

 日課は、起床午前6時より7時。朝浴(夕浴は殆どとられない)

 朝食  午前8時より同830

 読書(又は音読、聴取、接客、筆硯)午前9時より同11時

 中食(この3ヵ年来、自発的に廃止。倭に紅茶、菓子。たまたま午餐会などに臨まれる時は僅かにスープをとられるだけである)

 帰邸 午後5時より同6

 夕食 午後6時より7

 読書(音読、聴取)午後7時―10時(何んと毎日3時間の読書を続けていた)

 就寝 午後10時より同11時(昼間仮眠、昼寝は絶対取られず。多少の発熱位では端座して静養される)以上」

食事は70歳代では3回だったが、このころからは2回となる。

「朝食はパン五片(半斤の三分の一)、鶏卵二個(半働)、オートミール一合(牛乳1合)、コーヒ一椀、果物。夕食、飯二椀、吸物一椀、魚一皿(塩焼、煮魚、刺身、酢の物、あるいはテンプラ等肉類は稀に用いられる)、野菜一皿(ナス、大根、サトイモなどを好まる)、果物、以上」

この翌年、最後まで生涯現役で精力的に社会貢献事業に携わり、ピンコロで大往生を遂げた。

――――――――――――――

「社会事業は私の使命である」との晩年のモットーは

最後まで、渋沢の信念そのものだった。アメリカで日米の外交問題についてスピーチした際も、「次回ここに来るときは棺を一緒に乗せてくるかもしれない、それでも私は必要とあらば参ります」と断固たる決意を語っている。

昭和に入り、日米関係がますます険悪化する中で、日米協会会長役をつとめた渋沢は、老体にムチ打って民間外交を推進したのである。

渋沢こそ真の民主主義者、平和主義者である。

 

「民の力を結集して震災復興を」

日本経済の父 渋沢栄一が挑んだ復興事業

http://godo1949.blog.fc2.com/blog-entry-16.html?sp

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『オンライン講座/日本戦争報道論③』<イラク戦争報道を回顧する>―『戦争報道を検証する』戦争報道命題5か条『戦争は謀略、ウソの発表、プロパガンダによって引き起こされる』★『戦争の最初の犠牲者は真実(メディア)である。メディアは戦争 を美化し、戦争美談が捏造される。』

 2003年 12月5日記事再録 <イラク戦争から1年> 前坂 俊之( …

 日本リーダーパワー史(824)『日本は今、「第3の国難<日本沈没>の危機にある。』 ★『明治の奇跡・日露戦争を勝利のスーパープロデューサーは児玉源太郎である』★『「国難にわれ1人立たん」の決意で参謀本部をになった児玉の責任感こそ見習うべきで時であろう。』

 日本リーダーパワー史(824)『明治裏面史』 ★   ①   明治の奇跡・日露 …

no image
記事再録/2008年3月15日/『藤田嗣治とパリの女たち』①「最初の結婚は美術教師・鴇田登美子、2度目は「モンパルナスの大姉御」のフェルナンド・バレー、3度目は「ユキ」と名づけた美しく繊細な21歳のリュシー・バドゥ』★『夜は『エ・コールド・パリ』の仲間たちと乱ちきパーティーで「フーフー(お調子者)」といわれたほど奇行乱行をしながら、昼間は、毎日14時間以上もキャンバスと格闘していた

    2008年3月15日 藤田嗣治とパリの女たち     …

『Z世代のための米大統領選挙連続講座⑧』★『米大統領選挙・激戦州でハリス氏僅差でトランプ氏上回る」★『トランプ氏の終身大統領の野望!?』

ブルームバーグ(7月31日)によると、ハリス副大統領が激戦7州の有権者支持率で共 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(38)記事再録/『東西冷戦の産物として生れた現行憲法➂』★『 2月 13日、日本側にGHQ案を提出、驚愕する日本政府 』★『予期していなかった憲法草案の突然の提示に日本側は驚愕した。松本蒸治国務相、吉田茂外相らは恐る恐る頁をめくると、天皇はシンボルだとか、戦争放棄とか、一院制などの条項にダブルショックを受けた。』

日本リーダーパワー史(356)                &nbs …

『Z世代への遺言』★『大阪地検特捜部の証拠改ざん事件参考・再録『冤罪でなぜ警察・検事・判事は処罰されないのか』

2010/10/07  再録『冤罪でなぜ警察・検事・判事は処罰されない …

no image
『リーダーシップの世界日本近現代史』(283)★『新型コロナウイルス戦争について歴史的に参考にすべき日本インテリジェンス』★『日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(22) 『川上操六は日清戦争は避けがたいと予測、荒尾精の日清貿易研究所を設立しで情報部員を多数養成して開戦に備えた』

    2015/12/27日本リーダーパワー史( …

no image
速報(125)『孫正義氏「自然財団」理事長にスウェーデン・エネ庁長官』『福島原発周辺居住の45%の子供が内部被ばく』

速報(125)『日本のメルトダウン』      『 …

no image
日本リーダーパワー史(955)大隈重信の人格と人心収攬術、談話と交際の名人、125歳まで長生きするという智慧

日本リーダーパワー史(955) 物集高見(107歳)の思い出話は超リアルだよ。 …

「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑫」★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の<長寿逆転・不屈突破力>が『世界第2の経済大国』の基礎を作った』★『人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる』★『葬儀、法要は一切不要」との遺書』★『生きているうち鬼といわれても、死んで仏となり返さん』

  ★「松永の先見性が見事に当たり、神武景気、家電ブームへ「高度経済成 …