『 新選/ニッポン奇人・畸人・稀人・変人・伝伝伝』 『幻想文学の先駆者・泉鏡花の奇行、お笑いエピソード』③『お手製の罫紙については、エピソードがある。』★『ウサギ狂の鏡花』●『尾崎紅葉夫婦は、彼れをネズミという愛称で呼んでいたらしい』
『 新選/ニッポン奇人・畸人・貴人・稀人・伝伝伝』
『幻想文学の先駆者・泉鏡花の奇行、お笑いエピソード』③
鏡花の原稿は、必ず半紙と極まったもので、半紙を二つ折にして、その間にお手製の罫紙を鋏み、これもお婆さんの遺愛の、極めて小さな硯で、克明に墨を磨って、毛筆で鏡花一流の華奢な文字で書き続ける。・・
お手製の罫紙については、エピソードがある。
『沈鐘』を合訳している時分のこと、ある時、鏡花が、血相変えて、逗子から大森の拙宅(登張竹風宅〉へ飛び込んで来た。
「どうしたのだ」と聞くと、「いや、どうもこうも、大変なことが起こった。あの、君も御承知の愛用罫紙が粉失したのだ。嬶左衛門(これは鏡花君の口癖である)も、血眼になって、家中をごった返して捜索したが見つからない。
もしかすると、『沈鐘」の原稿の中に入れたままで、君のところへ送ったのではないかと思って、罷り出たのだがね」と御意ある。
『沈鐘」の原稿は、もう既にやまと新聞に廻わして、私の手許にはなかったので、「それでは僕は、これからすぐ、新聞社へ行って、調べて来よう」ということになり、鏡花は鏡花で、最近博文館の『文芸倶楽部」へ短篇を送っているから、その方を調べることになって、
同道して出京し、新橋で別れて、双方取り調べた末、「文芸倶楽部』への原稿の終わりの一枚に、一緒に綴り込められていたことが分明して、罫紙一枚が御無事御帰還のめでたい首尾となって、鏡花の愁眉はじめて打ち開けた次第。
その当時のうれしそうな顔色、今もって忘れられない。他人から見れば、新しい罫紙に鋏みかえたら、よかりそうに思われるのであるが、ここがすなわち鏡花式で、この罫紙でないと、一言半句も筆が動かないというのだから摩訶不思議である戸張竹風「明治時代の思ひ出」『中央公論』昭和九年六月号)
逗子にいた泉鏡花の家の前を通りかかったから、その書斎へ、長谷川二葉亭(四迷)を引っ張り込んだ。
春ではあるが、寒い日であった。御用邸道に面した、いわば長屋建の家で、さしたる設備があるわけもなく、六畳間の表二階が、主人公の書斎であった。
その時、鏡花は、本棚から不似合な洋書を取り出して、「これは戦争から帰った男が、分捕品だといってくれたのですが、まだ何の書だか、読んでもらったことがありません」といって、二葉亭の前に差し置いた。
そうしたら、「これは経済学の本です」と宣告されて、主人はもちろん私(坂元雪鳥)まで唖然たらざるを得なかった。
(坂元雪鳥「書斎の思い出」『書斎』大正十五年二月号所載)
ウサギ狂の鏡花
驚いたのは、この室の兎(うさぎ)だった。
違棚にも、本箱の上にも、小机の上にも、数限りなく、耳をつっ立て、眼をくるくるさせて、かしこまっている。手焙(てあぶり)がある、状差しがある、文鎮がある、香水の瓶がある、勿論おもちゃは大勢である。
陶器のもある、木彫のもある、土細工もある、紙細工もある、水晶のもある、、ガラスのもある、あらゆる種類の兎公だ。『女仙前記』や『後朝川』のような兎の働く小説のあるのも無理はない。
先生(鏡花)はステッキの頭にさえ、小林雪岱さんの図案にもとづく銀の兎を附けて、散歩のお伴を仰せつける。
先生は話上手だ。少しかすれた声が座談には持って来いで、紅葉先生(尾崎)御在世の頃のことをおたずねすると、当時の文壇の有様や、作者の話をして下さる。
水府の箱を膝のところへ引きつけて、合間合間に吸われるが、とんと吸殻む灰に落して、煙管を手から離す時は、必ずその吸口に、千代紙で掃えた赤ン坊の小指ほどの筒をかぶせる。これもやはりばい菌よけで、あえで煙草と限らず、鉄瓶の口にもかぶせてある。もとより奥さんのお細工である。
お茶を飲む分量にも驚いた。焙じた番茶の色も冴えたのを、幾度となく女中が運んで来る。少しおかわりの時がたつと、先生は大きな声で催促なさる。
もっともこの番茶の焙じ方は、奥さんが自得なすった秘訣があるらしく、先生の御自慢である。誰れがまねをしても、その色と香とを出すことは出来ない。(水上瀧太郎薯「貝殻追放第一)
泉鏡花で思い出したが、尾崎紅葉先生御夫婦の間では、彼れをネズミという愛称で呼んでいたらしい。
右か左かの額の髪を、長く伸ばすのがあの人の癖で、それが汗などのために、ぴたりと前額に貼りづくことがある。全体が額の大きな人だからね。
それが縁なしの、厚い大きな近眼鏡と相応して、何となく鼠の額に似た感じを与えるのだ。
いつか横寺町で、家庭的会食の時、奥さんがうっかり口をとらせて、「ネズミさん」と呼んで、先生にぐっと睨まれたことがある。
僕等はとうに気がついていたのであるが、そんなことをいったら、あの男、どんなに厭がるか知れないから、わざと知らぬふりをして済ました。
泉は、きっと、今に知らずにいますよ。(真山青果霜「風菓先生酔中語」『真山青果随筆選集』第三巻)
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