前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<歴史張本人・坂西利八郎の日中歴史認識>講義⑦」「ソ連は簡単に『モンゴル』を手に入れ中国へも手を伸ばした」

      2015/01/01

  

日中両国民必読の歴史の張本人が語る

「目からウロコの<日中歴史認識>講義」⑦

 

袁世凱の政治・軍事顧問となった坂西利八郎

(在中国25年)が「ソ連は簡単に『モンゴル』を手に

入れ支那にも魔の手を伸ばした」と語る

 

以下は坂西利八郎が1927年(昭和二)二月十八日に「大阪毎日新聞社講堂」
で行った講演の全文。<「日中友好の捨石、秘録 土肥原賢二」芙蓉書房 
昭和
47年」に収録>

 

 

 

 

「ソ連は簡単に外豪古(「モンゴル」を手に入れた)

 

 

 二十年前から今日にいたる支那の状況は、ただ今まで述べた通りであります。

支那の今日の乱脈と困惑とを来した原因は、北京では軍閥に政治的主義がなくて、ただ地盤を拡張し、自分の兵隊を養うがために、ある土地を占めるということのために他を顧みざるためであり、南方では三民主義というイカサマ主義を振廻して、これで地盤を紘げるために騒ぐためである。南北人ともに、国民のために何等いいことをするとか、いい政治を布かんがために戦っているのではないからといわれるのであります。

 

その上、教育が停滞し、思想が変化し、国民は何等か頼。になるものを求めんとして悶えている現状である。それはちょうど溺れるものがワラをも択ばざると同じ心理である。私は、この点を日本国民はよく考えなければならんと思う。

 

 かの赤(ソ連の共産主義)は、支那国民がこの状況である際に、たくさんな金、もしくは沢山な兵器を与えると唱えて支那に臨んでいるのであります。しかも、この赤はヨーロッパにおいては、西の方イギリスに向ってしばしば侵入を試みたがなかなか歯が立たない。東の方では、我国に向っても、いろいろな手段で宜伝をやっておりますけれども、お気の毒ながら我国には歯が立たないのであります。

 

そこで彼(ソビエト)は、東西の両翼以外、どっかの弱点に向って侵入口を見つけようとするのは当然で、コーカサス、トルコ、トルキスタン、すべての地方に矢を向けて見ましたが、或は成功し、或はしくじり、遂に支那という国にぶつかって見た。ところが、何の苦もなく外蒙古(モンゴル)だけは手に入れることが出来た。

 

この外蒙古(モンゴル)は、地図を披いて御覧になれば判るが、支那本部よりも総面積においてむしろ大きいのであります。ただ地殻は広いが人民は少ない。文化も開けていない、智恵が足らないために、マンマと真赤にされてしまいました。

 

真赤というのは、どういうことかといえば、外蒙古の中央政府すなわちその政府、組織は全くソヴィエト政府と同じ委員制度となり、赤の監視人がついて独立が失われたことであります。

 

よく申しますゲー・べー・ウ、平和警察と申しますのが、今の蒙古の政治をちゃんと監視している。

さらに甚しきは、この外蒙の国境の要点すなわち通路には、ロシアの監視人が蒙古の兵隊の中に一人二人ずつまじっております。もっとも今日となっては蒙古人も目覚めて来て、これは大変だと思っているけれども、もうミイラ取りがミイラになってしまったのでその窮地から脱することを能くしないのであります。

 

 しかるに外蒙古は、日本との距離が非常に遠いので日本人はみな平気な顔をしています。イギリスや、アメリカは猶更のこと、平気な顔をしている。しかし考えて見れば外蒙古と日本との間には、遂に東蒙古と満州とあるだけで、その次はも早や我国であります。風の吹き廻しで対岸の火事の火の粉が、いつ日本に飛んで釆んとも限らない。

 

ましてや、この対岸の火事というのは、力を以て防ぐことの出来ない思想的のもので百万里の距離ありとも防ぐことは出来ない。それに支那は今まで申上げたような内乱のために非常に弱っており、その人民は将に溺れんとしてワラをも探しているのであるから、容易に彼のために乗ぜられたのであるが、しかも幸なるかな、赤はまだ上海まで来ぬ問に追っ払われた。

 

さすが、国民党も日が覚めて共産党を追い出した。ポロジンという人も、やっとのことで本国に帰ったのであります。

併しながら、その当時は、ロシアに幹部派と非幹部派との争いがありまして、トロッキー一派とスターリン一派と喧嘩しておりました際で、一時支那から手を引かねばならない事情もあったようですが、その後再び支那に手を出きぬとは限らぬのであります。でなくとも、この対岸の火災というものは、決して消えるどころでなく、外蒙古は真赤に焼けつつあり、もし飛火がすると丁度昨年末の広東事件のように、油断をすればすぐそこにソヴィユト政府みたいなものが出来るのであります。

 

で、われわれは、この点を深く警戒し、単に日本にあって警戒するのみならず、進んでいってこの火事を消すか、少くとも支那国民をしてこれを消させるかして、その火が支那本土に蔓延しないように、すなわち現に溺れんとしている国民に、ワラでなくして立派な救いの船を与えることが出来たならば、私は極上の策であると思うのであります。

 

                        つづく

 

 

 - 現代史研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(858)ー来年1月からNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まる。国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。

日本リーダーパワー史(858) 国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。 …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(20 )尖閣問題で一触即発!『尖閣事態、米国識者は日本の国家危機とみている』●『中国の脅威で必要性高まる改憲 アジア専門家が指摘 古森義久』●『「尖閣諸島」…中国の傍若無人ぶり強い姿勢で報道する』●『中国はなぜ尖閣で不可解な挑発行動をエスカレートさせるのか』●『米外交専門誌「尖閣で日中衝突なら中国が5日間で勝つ」』

   日中北朝鮮150年戦争史(20 ) 尖閣問題、中国の主張には2つの誤りがあ …

no image
日本リーダーパワー史(762)名門「東芝」の150年歴史は「名門」から「迷門」、「瞑門」へ 『墓銘碑』経営の鬼・土光敏夫の経営行動指針100語を読む② ー『やるべきことが決まったならば執念をもってとことんまで押しっめよ。問題は能力の限界ではなく執念の欠如である』 ★『六〇点主義で速決せよ。決断はタイムリーになせ。決めるべきときに決めぬのは度しがたい失敗だ』

  日本リーダーパワー史(762)   名門「東芝」の150年歴史は「名門」から …

no image
『日本敗戦史』㊵徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたか』⑥「国民総ざんげ論」の東久邇首相の施政方針演説(9/5)を批判」

 『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㊵ 『来年は太平洋戦争敗戦から70年目―『日本近 …

no image
日本メルトダウン脱出法(800)「視点:米景気悲観は無用、株高継続の根拠=武者陵司氏」●「京都市の大胆な実験」●「「民泊」拡大が暗示するのは、銀行のない未来」

     日本メルトダウン脱出法(800) 視点:米景気悲観は無用、株高継続の根 …

日本リーダーパワー史(597)『安倍・歴史外交への教訓(4)日清、日露戦争での勝利の方程式を作った『空前絶後の名将』川上操六のインテリジェンスに学ぶ-

  日本リーダーパワー史(597) 『安倍・歴史外交への教訓(4) 日 …

no image
日本興亡学入門②『グロバリゼーションで総敗北するガラパゴス・ジャパン』

日本興亡学入門 ②                                …

no image
知的巨人の百歳学(156)記事再録/ 百歳学入門(155)文化勲章のもらい方ー文化勲章は大嫌いと断った「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉

    2016/07/22 &nbsp …

no image
記事再録/知的巨人たちの百歳学(136)-『酒で蘇生した「酒仙」横山大観(89)の「死而不亡者寿」(死して滅びざるもの寿)

  2015/08/30 /「百歳・生き方・死に方-臨終学入 …

『Z世代のための初代総理大臣・伊藤博文の明治維新講座』★『○<切腹覚悟でイギリスに密航し、ロンドン大学に留学して、西欧文明に衝撃を受けて攘夷から開国派に180度転換、アジア全土が植民地支配を受ける中で、唯一独立を保ち西欧列強の仲間入りを果たした>』

明治時代は<伊藤時代>といって過言ではない。  &nbsp …