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高杉晋吾レポート⑯7月末の新潟県集中豪雨被害ルポ(下) 被災から身を守る住民の力、 脱ダムへ!治水政策の転換を!③

      2015/01/02

高杉晋吾レポート⑯
7月末の新潟県集中豪雨被害のルポルタ―ジュ(下)

ダムは現代集中豪雨には役立たず、被害
激増の元凶。被災から身を守る住民の力、
脱ダムへ!治水政策の転換を!③

 
 高杉晋吾(フリージャナリスト)
 
 
7・13水害後の様々な行政行動と市民
 
一つは、2004年7月13日の水害後に三条市民からとられた水害に関するアンケートの内容だ。アンケートに対する意見は1500人近い回答が寄せられている。
この内容は
「治水のために作られた笠堀ダムと大谷ダムが洪水から自分たちを守ってくれると信じてきたが、実際は守ってくれないどころか、激しい放水によって、洪水を激化して市民に甚大な被害を与えた」、というダム批判である。
 
また、「この水害の際にとられた当時の市長など行政責任者の洪水警報措置や、避難措置の無責任さと無能さに対する怒り」である。
このアンケートのほとんどは、行政の治水政策に対する激烈きわまる批判に満ちている。現在の福島第一原発に対する怒りが、2011年9月19日の6万人大集会に象徴される国民的怒りに結実した事実に極めて似ている。
 
二つ目は、その後、この批判を受けて、県による五十嵐川河川改修計画によって行われた由利町付近の住民立ち退きの実行結果である。
私たちが見た五十嵐川と信濃川合流点の由利町等付近の河川改修と住民立ち退きの成果が、洪水に対する五十嵐川の治水効果を高めたという住民の信頼回復効果は決して見逃せない。
 
数十軒、数百軒の立ち退きを求め実行した県の英断は、政界や財界、官界の下請けのようなお役人の有様を徹底して批判している私にも、果断な行為であり、成果だと理解できる。私はこの河川改修効果を目指した行政の最近にない努力に惜しみのない拍手を送る。この成果は、決して過小評価してはならず、大きく評価すべきだと思う。
しかし間違えてはならない重要な観点がある。
 
この行政の努力は効果を上げたが、この効果は『ダムが洪水から住民を守る』とダム建設一点張りで山林の保水力整備や、河川改修を怠った「ダム至上主義」の効果では全くないという事実である。住民の命を守ることを優先し、住民の意見に従った河川整備事業を治水史上初めて県が行なった。これは歴史始まって以来の住民主体の事業が行われた点でも、ダム至上主義が克服された点でも画期的な成果であった。だが、その成果であることをいまだに県も意識していない。
 
私の見解では、住民の意見による河川整備こそは、今回の大洪水の中で最も重視しなければならない総括点ではないか?河川整備と森林保水力の再生を住民の意見にしたがって進めると、ダムなどはなくても大半の洪水を防ぐことが出来る。そのことを忘れると、ダムは依然として有害な結果を齎し続けるだろう。
 
芳賀誠一氏、夫婦で営々と築き上げた工場、一億五千万円の被害
 
午前8時半、宿泊した新幹線燕三条駅前のホテルニューグリーン燕三条を芳賀三男さんの車で出発した。国道289号線を東へ。石上大橋を渡る。
この付近も今回、2011年7月末の大水害でかなりな浸水があった。だが河川改修のおかげで大被害は免れた。
南四日町の芳賀誠一氏の工場は低湿地であるために被害を受けた。南四日町は五十嵐川から、約一キロほど離れた信越本線三条駅付近の町である。此処も長年にわたって夫婦で築き上げた工場が水浸しになった。被害額は一億三千万円だという。
 
 
洪水多発のデルタ地帯、景観の岩山、八木が鼻
 
江口、萩堀上流、道の駅漢学の里を目指して島田町、由利町、等、立ち退きをした地域を対岸に眺めながら、芳賀三男さんの車で一路289号線を東へ。やがて国道東三条駅付近で南下する。諏訪地区の渡良瀬橋鉄橋の橋脚には洪水で流された流木が巻きついてコンクリートの円柱の下部に引っかかっている。
土手の下には大きな土嚢が並べて積まれ、土手は崩壊し、河川は砂利が流出して岩盤がむき出しになっている。
午前9時、 フード工房ゆうこ、五十嵐ゆう子《090―4955―1353、三条市曲谷644》さんに紹介されて「下田直販所」三条市庭付434―1、(0256―47―2230)に、近藤洋子(ひろこ)さんを訪問した。
 
この地域の説明をしておこう。
五十嵐川は福島県会津郡只見町、新潟県三条市と魚沼市との境目付近にある守門岳の東北東4キロ付近《《越後三山国定公園》に水源がある。
この水源9キロ下流に大谷ダムがある。笠堀ダムは大谷ダムの東北東2キロ余、五十嵐川から分かれた支流笠堀川に設置されている。
笠堀川と五十嵐川が合流したあたりの新丹楓橋(しんたんぷきょう)から下流は曲がりくねりながらも北北西に下る。そして、五十嵐川は東から流れてきた駒出川に合流し、そこでほとんどゆるいL字型に左折する。
そこは長野という地区であり、此処が駒出川と五十嵐川、ほとんど同じ場所の少し西に守門川が五十嵐川に合流する。このほかにも北五百(きたいも)川、南五百(みなみいも)川等もこの長野という地点で合流し、県の水位観測点があるいわばデルタ地帯なのである。
このあたりに八木が鼻という平地にいきなり険しい崖を持った岩山が天狗の鼻のようにそびえたっている。
 
それらの極めて特徴を持った山や川の光景がこの長野地区の特徴を引き出している。観光的には素晴らしい光景を持った地域であるが、いかにも水害多発地帯の光景でもある。そのすぐ下流に『漢学下田の里』(後述)があり、其の下流1キロメートルあたりに鶴亀橋がある。これらの幾つもの川が五十嵐川北側の岸にぶつかるのであるから素人眼にも水害を予想させる地形である。
これらの地形が起こす水害を二つのダムで防ぐことが出来るのだというのが新潟県のダム建設の理由であった。
 
白鳥の里森町、「用水路危険の予感が当たった」
 
9時に20分ほど遅れて、道の駅『漢学の里しただ』に着いた。この道の駅は普通の道の駅ではあるが、駅名が風変りであるだけではなく、広い敷地内にアカデミックな雰囲気を漂わせる「漢学の里」という茶褐色の立派な建築がある。
 
これは下田が大漢和辞典の編纂者である諸橋轍次博士の生家であることを顕彰して建てられた「諸橋轍次記念館」である。この記念館のネーミングが単なる観光誘致や買い物客の単純な慾に働きかける浅い名前付けではないので、却って観光客の興味を深めている。
此処の事務室で私を近藤洋子(ひろこ)さんに紹介してくれたフード工房ゆうこ《新潟名物「笹団子」にエコの新風を吹き込んだ脱サラ《不動産事業》の五十嵐裕子さんに会った。この笹団子は草餅ではなくゴボウを砕いて入れた餅などを工夫した、これ又,とてもおいしいが一風変わった個性派でエコな笹団子を作りだし発展している。
 
私が、下田に何とか人脈を求めてインターネットをひいた結果、下田のフード工房ゆうこを探り当てたのである。
その結果、五十嵐ゆう子さんにご紹介いただいたのが、今回の調査で最高のコーデイネーターとなった近藤洋子さんである。名刺の肩書をみると下田郷地域コーデイネーター、余暇ナビゲーターとある。地域の人々を結びつける興味深い仕事だ。
近藤さんの車で早速、小島文男さんを森町集会所に訪れた。
 
① am9,10, 森町集会場、小島文男氏
小島さんは森町自治会の会長であり、五十嵐川漁業協同組合の総代だ。小島さんは五十嵐川の鶴亀橋付近には集まる白鳥の餌付け等の世話をしている白鳥を愛する会の代表でもある。白鳥の餌付けは五十嵐川、鶴亀橋のすぐ下流右岸でやっているが、この絵付の小屋も水害で流されてしまった。
白鳥餌付け小屋があった跡付近の五十嵐川の岸辺は、激しい洪水でテトラポットが流されて、漂着し、ガシャガシャに叩きつけられ堆積しているように見える。
こういう光景を見ながら、漢学下田の里についた。五十嵐ゆう子さんに挨拶。近藤洋子さんに紹介される。あわただしく小島文男さんが待つ森町集会所に向けて出発した。
森町の集会所は五十嵐川にかかる鶴亀橋の右岸、白鳥の餌付けを小島さんがやっていた小屋の裏手にあった。餌付けをやっていた小屋付近には大量の土嚢が積まれている。
 和室で卓を挟んで、恰幅の良い小島さんは柔和に語る。
 
噴流する土砂、風圧が主婦を弾き飛ばした
 
「森町には、右岸の四キロくらい東から、新しく作られた農業用の牛野尾用水路が流れて入ってきます。その用水路が、豪雨で溢れるんです。百年に一回の増水を考えて作られた水路だったんですけど、竣工式が行われた去年の12月にやったら、今年の六月に水害で溢れた。用水路を、やっと復旧したら、今回の水害でまたあふれました。」
 
 小島さんは洪水の場合、牛野尾用水路が危険だと感じていた。
 森町では沢から増水した場合、住居地区に流れず、守門川に流れるように状況に応じて開閉されるようにいくつかの堰が作られている。
小島さんは増水し始めた用水路の水が守門川に流れるように堰のゲートを開け始めたが、増水が激しく、手に負えないようになってきた。
 
小島さんは、山沿いの危険個所の住民への避難を伝えて歩いた。
一軒の危険個所の住宅に駆けつけたときである。背後の沢でめりめりっと木の裂ける音や岩や立ち木や土砂が崩れる轟音がした。
その家の中に主婦がいることが分かっていたので小島さんらは大声で「逃げろ!」と叫んだが、山の崩れる音で、叫び声はかき消された。
家の中にいた主婦も山の轟音に気がついて、玄関から走り出した。その時である。彼女が山の方を振り返ると、巨大な山が、木立のまま、噴煙としぶきを上げて、ものすごい勢いで崩れてきた。次の瞬間、彼女はその土砂崩壊の風圧で弾き飛ばされ、小島さんの近くまで飛んできて肩を激しく打った。その人家は土砂が流れ込んで押しつぶされた。彼女の隣家も周辺の家も土砂で押しつぶされた。
 
危険個所の住民は、動けない年よりを背負って、すべてこの森公町集会所に逃げ込んだ。
「ここまで来ることが出来ない人は、比較的安全な雑貨屋さんや、自治会の役員の家に避難しました」
私たちは森公民館を辞して、鶴亀橋を渡って左岸に出た。左岸では、先ほど小島さんが話した「沢が土砂崩れで家がつぶされ、主婦が一命を取り留めた」という「つぶされた家」がみえた。
その前には大きな土嚢が並べられて、二軒の家が背後から噴流となった土砂に押しつぶされ、土下座するように建物は挫屈し、屋根がひしゃげた形で地面に屑折れているのがみえた。
 
家の近くに行くと、屋根が地面にくっついて背後からつぶされている。屋根と地面にくっついた僅かな隙間から農業用のトラクターが泥まみれで押しつぶされているのが覗き見えているのが悲惨である。私はこの悲惨さに『ああ、これは!っ』と云ったきり声を失った。小島さんの話を私自身が現場で確認させられたのである。

 

「住宅が流されるぞ!守れ!」重機の総動員、住民の力
 
私たちは午前10時半頃、牛野尾地区副自治会長の熊倉直信さんを訪れた。お逢いした場所は牛野尾ふれあいセンターという集会所である。
牛野尾地区は、魚沼市と三条市の境界にある守門岳《1637メートル》から五十嵐川に向けて北に流れる守門川左岸の地域である。大谷ダムから約4キロメートルの地点だ。
私が感動させられたのは、都会と違う住民の協力の力である。その住民の力を洪水のさなかにまとめ上げた熊倉さんの地域リーダーとしての献身ぶりにも圧倒される。
だまって聞いていた近藤洋子さんは、私の顔を見ていたずらそうに笑って言った。
『ねえ高杉さん。このあたりのお年寄りは並みのお年寄りとは違いますよ。農業で鍛えていますからねえ!』
 
近藤さんによれば、この地域では80歳に近い人も水田の作業を日常的に行っている。老人といえども農作業で鍛えた人が多いのである。私は「寝たきり」とか、杖をついて歩いている年寄りのイメージがあったのだが、ここでは、そんなイメージは通用しないようだ。だが、住民たちの一致した協力と、緊急時の熊倉さんのような実質的なリーダーの存在が緊急事態における地域住民の災害時における鍵である。私にも、そのことが痛感された。熊倉さんたちにとって困ったのは洪水によって、あらゆる情報が途絶えたことである。
守門川沿いの牛野尾より上流の集落は、濁沢、早水、律谷、遅場等である。それらの集落は洪水時には牛野尾以外は停電し闇の中であった。
 
「電気がない。電話が通じない.食べ物、灯火、紙おむつ、ミルク、トイレットペーパー、衛生用品、介護を要する老人の数。これらを人数掛ける七日分を自分が自衛隊県の供給を求めなければならなかったですよ。携帯も中継基地が壊れて通じない。住民が直面しているすべての問題が私の所に集中してくるんですよ。結局は私の体重は洪水が終わった一週間で7キロ以上は減っていましたよ。健康診断をしたほうが良い、と言われて病院で測ったら何と7キロもやせている。私はびっくりして『体重計が壊れているんじゃないか?』と聞いたら看護婦さんが『大丈夫ですよ。体重計は壊れていません』っていうんです」
 
農業で鍛え上げられた住民の底力、洪水時にも発揮!
 
熊倉さんも水田で鍛えた体と渋い声で笑いながら話す。
「自衛隊による緊急物資の支援を求めたいんですが、何がいくらいるかが集約できないんです。皆、私の携帯に全部連絡が来る。三時までに要るものをまとめてくれと。」
熊倉さんは農協で営業指導をやっていた。だから若い時代は10キロの山道を往復するをということもたびたびあった。災害で夜中じゅう回って歩くなどという経験はしばしばであった。熊倉さんはこうして集落の間のつながりを作ってきた。そのことが洪水時に役立った。
 
重機のすべてが動員された。雪掻きの除雪機さえも、道路に流れ込んだ土砂を排除するのに使った。7月29日から30日まで熊倉さんは歩き回り、訪ね歩き、動き回り、休む暇もなかった。
道路の土砂排除、倒木が倒れこむのを除去する、年寄りの救出等で森地区26軒の中から24―5人が総動員で押し寄せる洪水から住民を守る活動に懸命になっていた。
25―6人の人々が避難、土砂排除、防水などに総動員で当たった。一軒で三人もの人が出た家もある。電線はぶら下がっている。杉の木が本道に横たわっている。水路がふさがって、そこからあふれ出た水が浸水を起こす。
こういう危険な状態が続いた。まず道路の確保が29日の豪雨の中で続いた。30日も大きな土砂崩壊が続いた。炊き出しは熊倉さんの家で朝から主婦たちが集まって行なった。
災害時にも地域の人々は熊倉さんを頼りに、経験を買って熊倉さんの『何時までにこうしてくださいよ』という指示の通りに動いた。
『今回の災害では、隣の早水《牛野尾の南側、守門川の上流右岸、大谷ダムの西3キロ。》の集落で
『人家が土砂で押し流された。今にも倒壊しそうだ。農車も車庫もみな流された。でも住宅だけは守りたいから、重機を何とかしてくれ』
 
と救いを求めてきました。
熊倉さんが指示して、うちで近辺にあった重機を集めた。
「私が重機の責任を持つ」と重機を集めて早水に送った。役所と土木業者の社長が協力してくれた。
所が、重機がずぶずぶと泥に埋まって動けなくなる。だから遅場《早水より守門川沿い四キロ上流の集落》に有った洪水対策で作業中の重機を「緊急事態だから回してくれ」と緊急に送ってもらった。
その結果は危なかった住宅も助かった。動かした重機は『大型ダンプ二台、二トンダンプ一台、『後はおれが責任を持つからとにかく動かせる重機は皆持ってこい』とやった。県の土木の方には「動員した重機の責任はおれが持つ。こういう作業で緊急だ。業者の名前で対処する。作業状況については写真で全部撮っておく。牛野尾で作業やったことにして、上の二集落の緊急救援事業をやりましたよ」。
 
五十嵐川周辺の山林が荒れ保水力を失っている
 
私は熊倉さんの緊急時のリードぶりと周辺住民の協力体制に感嘆しながら言った。
『ボスではなく、住民の命や生活を具体的に守るをリーダーというものは必要なんですね』と。
牛野尾地区を去るとき、私は、熊倉氏に聞いた。ここでの水害は、ダムの存在が大きく悪影響しているのではないかと。私は大谷ダムで下田の住民でもある職員に聞いた話を思い出していた。
『ダムの放流や但し書き操作がなければ此処まで急激な溢水は起きなかったのではないか?そういう意見もあるがどう思いますか』
 
熊倉さんは言った。
「ダムの問題もあるんです。でも、私の経験では、土砂崩れが多い理由は山林に人の手が入らないということが大きいと感じますね。この地区で被害が大きかったのですが、昔、炭焼きや柴刈で樹木が更新されているときはああいう被害はなかったんです」。
彼は昔の牛野尾を懐かしむように話し続ける。
「木が枯れそうになっても更新されないで大きいが弱くなっているのに、間伐されないで、再生されないで頭でっかちになって根っこがやられる。そして倒木してしまう。今回の洪水被害はそういう問題が大きいんじゃないかと思います。そして根っこが守っていた地盤が崩れる。この地区で一番被害が大きかったところは、山林の手入れがされていないところですね」。
熊倉さんは、今の時代に森林に人の手が入らず整備がなされていない点を指摘した。
「守門川沿いに遡上してゆくと長野温泉の上流からずーっと山が動いて《崩れて》いるんですわ。それは何でかというと、いままで木が薪炭や間伐で再生されていた時は根が守っていた時です。平場ならば杉林なんかの根の浅い樹木でやられるんですが、守門川周辺では雑木なんですが、樹齢が高くなって再生されないで、根が地盤を守れない。根が再生されないから::。昔は一〇年、一五年で樹木は更新されていたんですがね」
私も全く同感であった。
『私らが子供の時代には、豪雨があっても守門川沿いの山道は崩れないで保たれていましからね』
 
新しい治水には、新しい観点での治水政策が必要である。
山林の保水力、保水力に応じた木の種類の更新、保水力の更新と同時に、河川拡幅や浚渫等河川改修が必要である。集中豪雨の激化と激増の時代には、「よくよく必要である」と住民が求める場合以外ではダムは必要がない。必要がないばかりか有害である。
守門川の直ぐ東方には、大谷ダムと笠堀ダムがあって、洪水時にはとんでもない量の放水を周辺地域の叩きつけているのである。
 
嵐渓荘のつり橋は流され、旅館も洪水に浸かったが、地域の人々は嵐渓荘の
復活に全力を挙げた。9月15日午後2時、山田宏高、有限会社藤兵衛工房社長
 
午後二時、藤兵衛工房の山田高宏社長《55歳》に会う。彼とともに下田の長野にある嵐渓荘に向かう。嵐渓荘は、今回の洪水で床上浸水の大被害を受けた。この旅館は三階建ての古典的な和風建築物の素晴らしさを持っていて、多くの観光客の憧憬の的であるが地元の人々の観光の象徴のような誇りでもある。
 
だから地元の人たちが、嵐渓荘の内部を貫く用水路が土砂で埋まったときに、依頼したわけでもないのに、村の衆が20人も来て埋まった泥を取り除き、トン袋《おおきな土嚢》を百体も積み上げ、洪水で休館に追い込まれた嵐渓荘が僅かに一週間休んだだけで開館した。此処にも洪水を防ぐ力は『村の衆』の力だと痛感させるものがある。
嵐渓荘の庭園は五十嵐川の右岸に直面している。川の対岸と庭園はつり橋で結ばれていたが、つり橋は無残に流されて姿はない。つり橋を吊っていたワイヤーがさびついて無残に引きちぎられ庭園に残骸をさらしている。
 
山田氏は、上京して内装の仕事をしながら、地元に帰り、内装の仕事をしながら、傍ら五十嵐川の河川浄化に取り組んだ。その結果、五十嵐川の汚濁の原因が笠堀ダム、o大谷ダムにあると痛感し、ダム問題で有名な新潟大学の大熊孝名誉教授と出会い、今では「死んだ五十嵐川を蘇らせる」という考え方に立っている。
 
山田さんは大谷ダムこそ五十嵐川が汚濁した原因であると断言した。
「この川を見てください。妙な青い色をしているでしょう。この嫌な青さは、健康な色ではないね。化膿した色だ。病的な膿の色だね」
「膿の色」とは無気味な五十嵐川の現実をみる者にとって至って素直な表現である。実際、車窓から左側に見える五十嵐川は嫌な緑色をして流れている。
大谷ダムに再度向かう。八木鼻の断崖が正面に見える。
「大谷ダムは、五十嵐川が死んだ川になる原因を作ったダムです」
昨日会った大谷ダム職員の暗い顔を思い出した。
「三条市は一生懸命にこの地域の観光開発を言っているんだけどね。施設作って、人材を育てて、ソフトを作るけど、川が死んでいたら何もならないですよ」
 
山田さんは遠慮なく言う。かなり鋭い批判である。
 塩の淵という集落に、市が作ったカヌーの施設があった。施設の名前は環境整備協力協会という団体が作った『ウオータープレイ、カワセミ』という木造ロッジ風の施設である。
 河原に出てみる。
『ダムが出来る前はこのあたりはとてもきれいな清流だったんです。ダムができたための嫌な色をした濁流になってしまったんですね。』
『カワセミ』の敷地の吊り橋が洪水で無残に流されている。まさにダムが殺した五十嵐川である。
「笠堀ダムが出来たら水害は無くなると県は大宣伝をしたが、毎年毎年、洪水が続いている。新潟県は前回の洪水で批判を受けて、今回の洪水では河川の改修をした。氏被害は少なかった。しかしダムは問題だ」  
 
《未完》

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