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日本リーダーパワー史(211)<無責任国家・日本の死にいたる病>―<良心の政治家はいないのか>ー『福島原発事故』で

      2015/01/01

 
日本リーダーパワー史(211)
 
<無責任国家・日本の死にいたる病>
―<良心の政治家はいないのか>ー
『3/11福島原発事故で、政治家はなぜ責任を取ら
ないかー太平洋戦争の政治家の戦争責任とを比較
する②』
 
 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
 

☆今回の3/11以来の福島事故の責任についての『第3の敗戦』に当たって、民主党、自民党
の政治家、東電、経産省、保安院の責任を徹底して追及せねばならない。『第2の敗戦』で見せた政治家、
軍人の責任の取り方を歴史比較検証している。3・11以降すでに9ヵ月になるが、

国会では別の問題へ関心が移りつつある。日本においてはいつも国がひっくりかえるような重大

事件、戦争、事故の責任が徹底して追及し、責任者を処罰した例は少ない。太平洋戦争の戦争責
任について国、国民による追及もなされなかった。
以下に紹介するのは、太平洋戦争終結3ヵ月後に国会で追及された政治家の戦争責任の質問である。
太平洋戦争の戦争責任を原発事故に置き換えれば、大変示唆に富んだ内容である。
国策遂行という点では戦争も原発推進もおなじである。それが未曾有の大失敗となった。
その原因解明も責任者の追及も進んでいない。原因の徹底解明により、責任の所在が明らかになるが
捜査機関でも国政レベルでも進んでいない。マスメディアでの追及も弱い。
民主主義の要諦は三権分立であり、政治のチェックは司法が、行政のチェックは政治が正義と公正に
基づいて行わねばならない。この日本リーダーパワー史でも何件か歴史的な国策遂行の過誤
を取り上げたが、三権分立が機能せず、
失敗隠しと責任逃れ、不正の横行がそのまま許されている。良心のない政治家と国民のための役人では
なく害人、正義を追及しない司法関係者(裁判官、検事、警察官)、腰抜けのマスコミが多すぎる。明治の朝鮮
王妃暗殺事件(全員免訴)、田中義一内閣での張作霖爆殺事件(これを軍法会議でキチンとさばいておれば、
満州事変の暴発はなかった)、戦後もたくさんあるが順次この中で取り上げていく。

 

 
『近衛、東条の手先をつとめたのは誰れか』―『議員の戦争責任に関す
る決議案』の賛成討論(昭和
2012月1日、第89議会で)
衆議院議員・水谷長三郎の演説>
 
 
 
 そうして、憲法上謳われました<議院は選挙法の定むるところにより、公選せられたる議員をもって組織す>というあの条文は、ついに一片のホゴとなり、一片の空文となったのであります。
かようにして生まれました。私がいうのではございませぬ。世間がいうところの官選議員を引きずり回しまして、翼賛成政治会、大日本政治会の幹部諸君が、いかなる議会運営を、戦時中なされたかということにつきましては、世人のいうところの、官選読会というこの言葉が、端的に表わしておろうと、私は思うのでございます。
 
 たとえば戦時刑事特別法(註、戦時中の悪法、水谷はこれに反対して闘った)の修正案が議会に提出されました時に、巽賛政治会の幹部諸君は、いかなる態度をとられたでありましょうか。
 
議員の生命である、政策批判の自由をさえ奪うところの法案にたいして、彼等は、院内外の世論を無視して、東条に屈服し、ついに、言論の府、衆議院をして、ナチスばりの単なる拍手議員に転落さしたのは、はたして誰れの罪であるか。彼等幹部諸君の、ただ大臣にさえなればよい。
 
そのためには、議会政治がどうなろうと、オレの知ったことではないと、いわぬばかりの政治的無信念、政治的無節操の数々の行為は、ここに、いちいち拾いあげるいとまもなければ、酔狂も断じてありませぬ。ただ、彼等幹部諸君にして、一片の政治的良心のカケラさえあるならば、あえて本院において、このような決議文を、提出されるのを待つまでもなく、オレこそ議会人として戦争責任者だと、一人や二人ぐらい、名乗って出ても、鷺も烏も笑わないと、私は思うのであります。(拍手)
 
 あるいは、人はいうかも知れませぬ。戦時中、政府と協力して、議会の指導に当ることは、政治家として当然の職務であるというかも知れませぬ。しかしながら諸君、協力はあくまで協力でなければなりませぬ。それは追随とちがいますし、また盲従ともちがいます。
 
いわんや進歩党の決議案にある〝阿付策応〟とも断じて違うのであります。東条内閣と翼賛政会(註、翼賛政治会の略)との幹部の間に、はたして協力が行なわれておったか、それとも、ただ命令と服従だけしかなかったかどうかということは、今日にいたっては、三歳の童子といえども、わかりきった事実であろうと思うのでございます。
 
 
諸君、あの昭和二十年十一月二十八日付きの、都下の某新聞を読んで御覧になるがよい。<ここでも拍手せよ、子供だまし、喝釆強要の東条演説、政務官のイスもタライ回し>という記事を、お読みになった方があろうと思うのでございます。
 
わずかに一名の代表質問さえ、その演説内容は近衛、東条の手先をつとめたのは誰か事前に政府側で検閲されまして、-片々たる陸軍大佐ぐらいに検閲されまして、気に人らぬところはどしどし削ってしまわれ、そうして最後は独自の演説ではない、官製の原稿が、はじめて朗読されることを、許可されるという仕組みになっておったこと、これに反して東条の演説は、東条自ら演説の草稿の、急所々々に○じるしをつけて、拍手を強要した事実、そうしてこ絶えず、星野(直樹)内閣書記官長、あるいは某無任所国務大臣が、ヒナ壇からズヅとにらして、拍手の成績をば、いちいち採点しておったという事実、こんなところに軍閥官僚の手先となった、旧異翼賛会、旧日政会の幹部の、はたした役割の一端が現われている。(拍手)
 
             ヽ
 重ねえいいう。これがはたして協力か。それとも軍閥の、単なる手先の盲従か、三歳の童子といえども、わかりきった事実である。(拍手)近衛(文麿)が現われれば、近衛の手先となり、東条が現われれば、東条の手先となって、治安維持会の旗をふってきたのが、彼等幹部ではなかったか。ここで敗戦を機会にして、治安維持会の旗ふりどもが、責任をとるのは、これは当然のことであると、私は思うのでございます。(拍手)自由党の提案は、<この際速かに、その責任を痛感して、自ら進退を決すべし>というように、なっているのでございますが、わが日本社会党としてはい・そんな生まぬるいことではダメだ、柏手が悪い、自業自得とはいえ、今日軍閥、財閥などが、どんな日に遭っているか。軍閥でもない、職業軍人でもない、ハガキ一枚が生命といわれた、ただの兵隊さんでさえ、恩給までも樺にふらねばならない時期ではないか。それだのに議会だけが、こんな生まぬるい自粛決議だけで、大事終れりとするようなことがあれば、それこそ私は、思わざる結果を招来することは、火を見るよりも明らかであろうと、思うのであります。
 
 わが日本社会党は、前に述べたような人は、少くとも終生公民権を停止してふたたび政治の場面に登場することまかり相成らぬと、禁止すべLと、われわれほ要求する次第でございます。
(拍手)弊原内閣のごとき性格の内閣においてさえ、組閣に当り、その閣員たるべき者の資格といたしまして、過去十年間、責任の立場に立たなかった者と、限定したようでございますが、わが日本社会党といたしましては、大東亜戦争は、日支事変の延長であり、日支事変はまた、満州事変の発展にほかならないものでありますが故に、満州事変以来、衆議院議員といたしまして、大臣をやった者、あるいはこれを補助する内閣書記官長、法制局長官、情報局総裁、および、わが国政党を解消せしめて、議会政治を骨抜きにいたしました大政翼賛会、虞賛壮年団の発案者、創設者、これらの人々もまた当然、責任を負わねばならないと、われわれは主張するのでございます。(拍手)
 
 それでは諸君、さきに述べました議会人以外の議会人は、この戦争にたいして、何等の責任もないのか。そんな卑怯な、恥知らずのことを、私は断じていうものではございませぬ。全議員はそれぞれの立場におきまして、程度の差こそあれ、戦争にたいしまして、当然責任を負わねばならないことは、いうまでもないのでございます。しかし、議員全体は、戦争にたいして連帯責任である。
 
平等に責任を負わねばならぬという考え方にたいしましては、私は遺憾がら、同意することはできないのでございます。(『恥知らず』の声、議場騒然)さきに申しましたように、翼賛団体から指導された一代議士、あるいは、そういう幹部に反抗いたしまして、戦時中、比較的、良心的な議会行動をしてきた老らが、同じ政治上の責任を、負わねばならぬと、われわれは考えておらないのでございます。
 
 さきに〝恥知らず″という声をいただきましたが、私は断じて言う。たとえばお気の毒であるが、前田米蔵君(翼賛政治会の大幹部)と水谷長三郎とが、同じ責任を負わねはならぬと、断じてわれわれはいうものではない。(拍手)そこに、何らかの線を引きまして、議会の責任のケジメをつけてもらいたいとは、これは偽らない国民の気特ではないでしょうか。
 
もしも一部の総懺悔論者のいうように、議会全体が責任を負うべきものであり、しかしてきたるべき総選挙において、国民の審判を受けてよいんだというようにいたしまして、軍は退き、官僚の一部も退陣し、財閥、民間の掃導者もまた統々と、責任をとっている現時におきまして、ひとり議会のみ総懺悔、全議員全責任の名の下におきまして、ずるずるべったりに、この議会を無為にしてすごさんか、議会政治の信任は地を払い、政治の民主主義化は、まずその第一歩において、思わざる蹉跌に到着すると、私は思うのでございます。(拍手)
 
 最後に、私ら議員一同といたしましては、国民諸君の納得し得べき、適当の機会におきまして、国民諸君の納得し得べき、適当の態度をとるべきものであるということは、ここにいうまでもございませぬ。しかしあえていう。我見一同の責任と、先に申しましたような立場の人々の責任とは、あくまで、別個のものであるというのが、私の偽らざる、良心的確信にはかならないのでございます。(拍手)
 
 以上私は、本間題にたいしまする社会党の立場を明らかにし、自由党の提出すする議案に賛成し、遺憾ながら進歩党の議案のごとく、顧みて他をいう、天に向かってツバをするような、恥を知らない議案には、断固として、反対するものであります(拍手)」
 
 当時の衆議院の勢力分野は、進歩党が圧倒的に多く、自由党、社会党の議席数は微々たるも のであった。したがって、この戦争責任追及の決議案も、進歩党案が可決されたことはいうまでもない。
 この議会では、これらの戦争責任論をよそに、さっさと辞表を提出して、辞めた議員が十八人もいた。その中には蠟山政道、井野碩哉などがいた。
 水谷の演説にあるとおり、戦時中の議員の多くは、寂極的に政府に協力して、戦争遂行につとめたが、一部には消極的に政府に抵抗していた議員もいた。鳩山一郎とか、水谷長二郎らは、その数少ないうちの一人であった。しかし水谷は、積極的に戦争に反対しなかったということを、たえず心になやんでいた。そのことは、たとえは、戦後十四年も過ぎ〝すでに戦後ではない〟といわれる時代が来ていたのに、彼は議員在職二十五年の表彰を受けた席上(昭和三十四年四月一日の本会議)、こうあいさつしている。
 
丁・…この間、わが国は革命的な激動期でございまして、満州事変、日中事変を経て、ついに太平洋戦争に突入し、有史以来初めての、無条件降伏のうき目を見ました。私としては、およはずながら平和にして、良心的な民主社会主義者として、終婚いたしましたが、それも、しょせんは〝風にそよぐ一本の葦″に過ぎず、戦前、戦中の政治家として、たとえ戦犯、追放にならず鱒といえども、戦争にたいする責任は、甘んじて受けなければなりません。(拍手)われわれは断じて〝この道はいつか来む道″のあやまちを、ふたたびくり返してはなりません(拍手)……」
 
 衆義院の本会場で「自分も戦争の責任はある」といいきれる政治家はそんなにいない。水谷こそは、良心のある政治家の一人であった。
 
 水谷長三郎は京都大学を出て、河上輩博士の門に、マルクス経済学を学び、弁護士を開業、昭和三年、普選第一回の選挙に、京都第一区から、労働農民党所属候補として立ち、第四位で当遺した。時に三十歳、全国最年少議員であった。
後に労農大衆党、全国大衆党、社会大衆党と移り、昭和十五年、斎藤隆夫代議士の除名に反対して、社会大衆党から除名された。戦後は日本社会党の創立に関係し、片山内閣、芦田内閣の商工大臣をつとめたが、三十五年民社党の
 結成されるにおよんで、同党に移った。同年十一月の総遍挙で、第四位で当選したが、同十二月、病のため死去した。
 
 彼は、日本の社会主義運動の草分けの一人であり、しかも、片山哲、西尾末広などとともに、議会主義に立脚した社会主義者であった。
 
<参考・・『抵抗の記録』中正雄著(東潮社、昭和41年刊)より>

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