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<最強の外交官・金子堅太郎⑧>『外交の極致―ル大統領の私邸に招かれ、親友づきあい、トイレを案内してもらった日本人!』

      2015/01/01

<日本最強の外交官・金子堅太郎⑧>
 「坂の上の雲の真実」ー
外交の極致―ル大統領の私邸に招かれ、親友づきあい
ーオイスターベイの私宅は草ぼうぼうの山。
★大統領にトイレを案内してもらった初の日本人!』⑧
 
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
以下は金子堅太郎の『日露戦役秘録』(1929年(昭和4)、博文館>の紹介である.
 
ルーズベルトとの交渉成功の中に外交の要諦は示されている
① 金子はルーズベルト大統領とはハーバードの同窓生だが、学部も違い大学時代には付き合いはなかった。ルーズベルトが海軍次官から政治家となって活躍していたころに知り合いハーバード同窓生、同じ政治家として意気投合、互いに尊敬する親友となった。その親友が米大統領になったのだから、このパイプは強力である。
② 個人の付き合いも、政治家同士、国の付き合いも要は同じである。人間関係の良し悪しで決まってくる。この場合の外交の要諦は「良き友を持てと言うこと。
③ 2つめは『敵を知り、己れをしれば百戦危うからず』(孫子)も外交の要諦である。忍者さながらにわずか1名の随行員ともに、なんらの武器弾薬も持たず、単身で大アメリカに渡り、その弁舌と英知によって大統領からアメリカ国民を日本の味方につけようと言うまさに大役者であり大説得者である。
④ その恐るべき知恵と大陸を駆けめぐる行動力だ。
⑤ そのアメリカの歴史と成り立ち、移民による多民族国家の風土、国民性をよく知っており、それにもづいての勉強し研究したこと。その戦略が成功した。
⑥ 卓越した英語力とスピーチで広報外交の成功した。金子は18才の時に米国に留学してハーバード大に進みその英語力は傑出していた。高校では卒業生代表でスピーチしたという優等生で、渡米後、彼は、その博識と機智とに加えて、抜群の英語と巧みな演説方法を駆使して説得にあたった。
⑦ ハーバード人脈を最大限活用したこと主として同国の知識層の多く居住する東部を活動地域にした。
⑦    アメリカ人のフェア、半官びいきに訴えた。アメリカの国民性、対人意識の根底には、フェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアソダードッグ観(負け犬に対する同情心)があり、それに訴えたのである。
 

◎馬車の御者まで日本側に同情!
 
 ちょっとここで面白い話がありますから申し上げますが、東郷艦隊の大勝利が明らかになった後のある日のこと、私がニューヨークの晩餐会によばれて、十一時半頃大分満腹であったから、運動かたがた歩こうと思って、常用の馬車を返してフィフス・アベニューを歩いていた。
ところが辻待の馬車の御者が自分の馬車に是非乗ってくれと言う。
 
 「おれは今夜腹が張っているから運動のために歩くのだ。」
 「そうおっしゃらず是非乗って下さい、どこまででもよい、貴方のお望みのところまで行きます。」
 「それでもおれは運動のために歩きたいのだからさ」
 こう言ったが御者はなかなか承知しない。
 「実は東郷艦隊の大勝利があって、我々御者仲間では、日本人を載せた御者でないと幅が利かぬから、どこまででもよい、ただでのせるから是非乗って下さい。」
 
と言ってどうしても私をさえぎって承知しない。そこで私は考えた。

御者がかくまで日本に同情を寄せているのに、それに乗らないのも折角の同情を無にするわけであると思って、私は宿屋まで乗った。そうして宿屋に着いたとき、大低このくらいと思って懐中から金を出して渡すと、それはただで乗ってもらったのだから戴きませぬと言う。

 「まあ、そう言うな。これは馬車代ではない。お前帰ったら仲間の者とシャンペンを抜いて、日本のために万才を唱えてくれよ。」
 「それならば頂戴する。」
と言いました。こういう有様が当時のアメリカ人の日本人に対する同情である。
 
これから講和談判になります。六月七日にルーズベルトが会いたいからというので会いに行くと、例の通り会えば昼食を一緒に食う。それから二階に行っていろいろ話をした。そうすると大統領が、もう今度はロシアも大分弱っている。そこでロシア大使のカシニーに、もうこうなった以上は速やかに平和のために、人道のために、又ロシアのためにも、ここで講和談判をするほううがよいと思う。
 
このまま戦えばハルビンは無論、ウラジオストックもシベリアの東部も日本に取られてしまうから、速やかに講和談判をしたらよかろう。どうかロシア皇帝に貴官からその旨を電報にて伝奏してくれとカシニーに頼んだけれども一向返事を持ってこないから、セント・ペテルスプルグに駐在するアメリカの大使マイヤーに電報を打って、ロシア皇帝に謁見して余の電報についてどういう意向かを聞くように命じた。
 
よってマイヤーからだんだん聞いたところが、ワシントン駐在のロシア大使のカシニーからロシア皇帝が受け取った電報は、余が同大使に談じたる意見とは余程違っていて、余が言った通りロシア皇帝には言っておらぬことを発見したから、そこで今度はカシニーを経由せずただちにマイヤー大使を通じて講和談判の勧告をしてみようと思うが、もしロシアがよろしいと同意してきた際は日本も講和談判に同意してくれるかどうか、君の意見はどうだ、と聞きましたから、私は、日本政府は同意すると思う。
 
★ルーズベルト大統領、講和に乗りだすーサハリンを取れ
 
これまで君が日本のために働いてくれたことでもあり、又旅順・奉天・バルチック艦隊の戦の有様もあの通りであったから、もうここで日本も講和談判をするのが至当である。
 
ゆえに君に対して必ず日本政府は同意すると思う。そうかそれではこれからロシアの方に交渉してみよう。というので、ついにロシア皇帝にじかにマイヤー大使から言ったところが、ロシア皇帝は「自分から講和談判をしようということは提議せぬ。」「しからば他人が勧告したらば御同意なさるか。」と聞いたらば「それならばする。」という返事であった。そこでルーズベルト言うには「ロシアはこの通り、他人が発議すれば講和をするというのであるから、ぼくが講和の勧告者になろう。」と決心し、日露両国に勧告状を同時に出すことにした。
 
元来この勧告状はワシントンに駐在しているカシニー大使に渡して本国に送ってもらうのが順序であるけれども、カシニーがぼくの言うことを改ざんする疑念があるからロシア駐在のマイヤー大使をもってロシアに勧告することにした。そうして日本に対してはこの国にいる高平公使を経なければならぬが、日露両国に対して同様の方法をとって東京駐在のグリスカム公使をして同時にこの勧告状を日本政府に提出せしめるつもりである。これを見てくれと言って私にその勧告状を見せた。
 
それを私が一読すると実に名文である。
 「どうだ、まだ何か加えることがあるか。もし君に意見があって加えることがあれば何でも望みしだい書き込む。」と言った。
 「もうこれ以上に望みはない。実に事理明せき論理整然、全く間然するところはない。この文章は殆んど日本のために書いたようにみえる。」と私は皮肉なことまでも言った。
 「それでは直ちに発送しよう。」
と言ってそれを公文に書かせて両国に送った。これは六月の八日である。これ全くルーズベルトの偉いところであると私は思う。このときルーズベルトは私に向かい、
 「さていよいよ講和談判になるものとみて、君に忠告することがある。ロシアに対しこれまで何べん講和談判のことを言ってもロシアの領地は日本軍が占領しておらぬからと言って拒絶した。そこでただいまから二個旅団の軍隊と砲艦二隻をもって樺太(サハリン)を取れ。早く彼の領土を占領せよ、
 
講和談判にならぬ前に今のうちならばよいから早く樺太を取れということを君から日本政府に言ってくれよ。」
と言うので、六月八日にその旨を政府に通報した。帰朝後当局者より聞くところによれば、その頃、廟議は樺太を取るや否やについてよほど議論があって長らく決まらずにいたが、或る日にわかに廟議が決まって混成旅団一箇、砲艦二隻を樺太に出発せしめた。旅団が樺太に上陸した日は七月八日で、丁度ルーズベルトが私に忠告してより一箇月後のことです。
 
 さて講和談判の開始と決まったが、誰がロシアから全権委員として来るかと思っていると、イタリー駐在の大使のネルドルラが来るとか、誰が来るとかいう噂があったが、いずれも固辞して行こうとは言わぬ、最後にいよいよウィッテが来ることになった。これより先カシニーはアメリカの評判が悪いから呼び戻されて、ローゼンがアメリカ駐在の大使になった。
 
●講和全権委員が決まる、開催場所の難航
 
この人は日露開戦のとき最後の引揚まで東京に駐在した人である。そうしてこの人がウィッテとともに全権委員となった。このときルーズベルトが私を招んでウィッテが来る以上は、日本からも第一流の政治家が来なければいかぬ。ウィッテはロシア第一流の政治家であるから、日本でこれに対抗する人は伊藤侯である。

伊藤侯に今度はご出馬なさるように君から電報を打てと言いました。それで私が答えて言うのに、

 「それはいかぬ。伊藤侯は二月四日の御前会議のときに、陛下からこの戦争中は伊藤は東京を離れず、朕が左右にあって外交及び国務を補佐せよというど沙汰があったから、伊藤侯は来られない。ぼくが電報を打っても駄目である」と言ったのですが、その後小村外務大臣と高平公使が全権委員になった。
 さてルーズベルトの勧告状の終りに、両国が勧告に応じて講和談判を開くということになれば、その場所は自分が周旋してもよろしいから御下命相成りたいと書いてあったから、ロシアも日本も場所の選定をルーズベルトに一任した。
 
これは私に関する話だからあまり言いたくないけれども、実際の話であるから申します。さてルーズベルトに場所を決めてくれよと日露両国から頼んできたからどこにしようかという相談が私にあった。それで私は、アメリカの大統領が幹旋して講和談判を開くのであるから、アメリカが一番よいと思う。とこう言った。そうすると、それはもっともではあるけれども一応両国の意見を聞いてみようと言ってロシアの意見を聞いたところが、ロシア政府はパリーと言い、日本の意見を聞いたところが日本政府はチーフーか山海関と言ってなかなか開きがある。
 
そこでルーズベルトが私を招いていわく、「ぼくの考えではハーグがよかろうと思う。ハーグは万国平和会議のあったところであるし、ハーグならばロシアも同意すると思うから、日本もどうかハーグに同意をしてもらいたいが君の意見はどうだ。」とよって私は、
 
 「それはいかぬ、そもそも勝った日本がわざわざヨーロッパまで行って講和談判をするという例は今までないではないか。負けた国が勝った国か、又はその近方まで来るのが当然である。現に日清戦争には支那が負けたから馬関に来て講和談判をした。勝った国がはるばるハーグまででかけて談判するということは不同意である。やはりアメリカがよい。アメリカならば両国の中程だからロシアも出てくる。日本も出てくる。いわゆる相引だ。」
 
 「それではどこにするか。」
 「やはりアメリカがよかろう。」
と私はアメリカを主張した。ところがルーズベルトが言うには、「アメリカに決めることはぼくが困る。」と言った。
 
 「なぜ困るのか。」
 「どうも世の中ではぼくが今度の講和談判の周旋をしたから、ルーズベルトが自己の名誉のためにアメリカに決めたのだと言われるから、そういう悪評をぼくは受けたくない。それゆえにアメリカ以外に定めたい。」
 
 「それは君に不似合なことを言う。そう思う者があるかもしれぬが、アメリカで開くのが当然と考える。よく考えてみたまえ、アメリカの建国以来百三十年の間に世界にだれが名高いかと言えば、まず建国の初めジョージ・ワシントンが出て北米合衆国を建設し、続いてエイブラハム・リンカーンが出て奴隷解放を実行したこの二人あるのみ。
 
しかしそれは米国の内政の事だ。世界に向ってアメリカの名声を発揚したのは、君が今度の日露戦争の調停者として初めて世界に名を挙げたのではないか。それゆえに君が自分の膝元で講和談判を開くのは当り前と思う。

のみならずぼくは君と同窓の友人である。友人としてこういう名誉の転げてきたのを取り逃すというのははなはだ残念に思う。他人がどういうふうに言おうが、かまわぬではないか。アメリカに決めるがよい。」

 「よし分かった。それではアメリカにする。-と言ってアメリカに決まった。それからアメリカといってもどこにするか。

ワシントンは暑中は非常に暑い。あそこにしようかここにしようかと詮議の結果、結局ポーツマスに決めた。あそこは軍港であるから第一新聞記者の取締りにもよい、第二には兵隊が立番しているから両国の全権に危害を加えるような者を取り締ることもできる。
そうしてかの地は涼しいところであるというのでポーツマスに決めました。そしてロシアからはウィッテ、日本からは小村外務大臣が、おのおのアメリカに向ってくるということになった。それまでに大統領は度々面会して講和の条件につき協議いたしました。

 

ル大統領の私邸に招かれ、親友づきあいー
オイスターベイの私宅は草ぼうぼうの山に
 
 これは余事でございますけれども、ちょっとルーズベルトはいかなる人であるかということをど列席のお方々に報告したいと思う。

あるとき官邸で食事のときにルーズベルトが言うには

 「君とはほとんど二年ばかりここで交際しているが、君はまだ本当のルーズベルトを知らぬ」「それはどういうわけか」
 
 「ここは大統領の官邸である。官邸におけるぼくは北米合衆国一億二千万の人民の主権者であるから、多少辺幅も飾らなければならぬ、体裁も整えなければならぬ。君がぼくの本性をみるにはこの大統領官邸にいるルーズベルトではいかん。ぼくのオイスター・ベイの私宅に一晩泊りに来て、ぼくの家に寝てぼくと一緒に飯を食いたまえ。そうするとルーズベルトはどういう人間だということが分かる。ぜひ来たまえ。」
 
 「それでは喜んで行こう。」
という約束をした。その後七月七日泊りがけにて私邸に来てくれという電信が来ましたから私はその日の午後にニューヨークから汽車に乗ってオイスター・ベイに行った。そうしたらば、ステーションにルーズベルトの常用の馬車が待っていた。
 
それに乗って行くとオイスター・ベイはロング・アイランドの田舎でサイド・ウォーク(歩道)もない、補装道路もないひどいところである。そうして野原の草ぼうぼうたるところを上って行くと、小山がある。これが有名なるサガモーア・ヒルである。
 
その絶頂にルーズベルトの家が垣もなければ境界もなく野原の草ぼうぼうたるところに建っている。その粗末な木造の家に馬車が着いた。ここにその家の構造をちょっと申しますがまず玄関を入ると、中には幅一間半ばかりの廊下があって、その右が書斎で左が応接の間になっている。
 
その応接間の外に縁側(ベランダ)があってその向うが傾斜したる芝生になっている。そうしてその廊下の突当りが広いホールになっている。これはルーズベルトが大統領になった後、夏の間、各国の大使、公使が信任状を捧呈するとき在来の狭い応接間ではいかぬから、建増しをしたものでその左右にはいろいろの武器や狩猟にて得たる獣類の頭や角が飾ってある。

その横に小さな食堂があるのみ。その晩の食事には男子は例によって燕尾服(えんびふく=タキシード)を着けました。大抵上流社会では夜分家庭で食事をするときでも燕尾服を着るのであります。ここに列席したる人びとはルーズベルト及び夫人、ルーズベルトの妹のロビンソン夫人、その他は子供等で全く家族的の晩餐であった。

 
 
★夕食は魚フライ、牛肉ロースの質素なもの
 
大統領の御馳走であるから晩餐は定めしいろいろな美味が出るだろうと思っているに大いに相違して、スープが出て、次に魚のフライと牛肉のロースとのみにて、後はプディングと果物、ただそれだけでまことに質素なものである。使っている家僕(かぼく=しもべ)は黒人で、アメリカ人は使わない。これはアメリカ人は給料が高いからである。
 
食事が済んでコーヒーは応接間で飲もうと言って応接間に入った。応接間に入ると真中にテーブルが一個あって、その上に石油ランプが一つあるー(明治三十八〈1905〉年の頃ですが)ガスも使っていなければ電気はもちろんない。

私の東京一番町の家では既に電気をつけていたのに、ルーベルトの邸宅ではまだ太古の石油ランプを用いてそれもただ1個である。その丸テーブルを中心にして、ルーズベルト及び夫人と私と三人寄っていろいろの四方山話(よもやまばなし)をした。夫人は何をしているかとみると編物をしている。大統領の奥さんが編物をしている。

 「貴女は何をなさっているのですか。」と聞くと、
 「これは子供たちの靴下です。子供たちの靴下はみな私が編みます。」
と言う。一国の元首の夫人”(First Lady of the Nation)が子供の靴下を編んでいる。ここで我々三人がいろいろの話をして十時頃になった。そうすると夫人が、
 「私はこれからご免をこうむって休みます。」
 
と言って窓の戸締りを始めました。このときボーイも女中も主人にかまわず先に自分の部屋に行って寝ている。日本ではお客様や主人の寝るまでは下女も下男も寝ないのに、アメリカでは自分の仕事が済めば、自分の部屋に行って先に寝てしまう。夫人が再び
 「私は少しお先にご免をこうむります。」
と言ったとき、ルーズベルトいわく、
 「自分は少し金子男と要談をするから書斎に行く。」
 
と言ったところが夫人がロウソク立て二個を持ってきて大統領と私に与えた。あなた方はご承知でありましょうが、二、三十年前に日本の車夫部屋などにもありましたが、ブリキで製造したるローソク立てと同一のものである。これにマッチを添えて我々両人に与えてテーブルの上の石油ランプを消し自分も一つのローソク立てに火をつけてグッドナイト(さようなら)と言って二階にある自分の寝室に行った。

 

それからルーズベルトと私は与えられたるブリキのローソク立てを持って書斉に入って講和談判のことに関し協議して一時過ぎになった。それからルーズベルトが、君の寝室に案内しようと言ってローソクに火をつけ先に立って二階に上って
 「これが君の寝室である。」
 
と言った。これをみると内部はすべて今から五、六十年前の植民地時代の有様でその片隅に高い木造の寝台がある。他の一方には洗面台の上にピッチャーがおいてある。栓をひねって水が出る近世的の物ではない。それからルーズベルトが寝台の中に手を突っ込み、
 「毛布が一枚より外ない。ここは夜中にひょっとすると寒くなる、風邪を引くといけないから、もう一枚持ってこよう。」
 
と言って出て行った。やがてローソク立てを右の手に持ち、左の手に毛布を引っ抱えて、やっさやっさと言って二階に上って来て
 「これを足元の方におくから寒くなったら掛けなさい、これで大抵用事は済んだ……あっ!忘れた。大事なことを忘れた。便所を教えてない。これは大事なことである。夜中に君が起きてもどこにあるかを知らないと大変である。ちょっと案内しよう。」
 
と言って、ローソク立てを手に持って二階を下り、長い廊下を歩いて隅の方に行って、 「ここが便所である、この内にはきれいなタオルがある、又石けんもある。」
と言って引出しを示し、再び寝室に戻り、 「これで何もかも用は済んだからお休みなさい。」
と言って握手して室を出て行った。
 
●●大統領にトイレを案内してもらった初めての日本人!?
 
それから私は寝て考えるのに、日本人六千万人多しといえども、一国の主権者に便所まで案内させたのは、おそらくおれ一人だろうと思った。(笑声・拍手)昼は官邸において大統領を向うへ回して国事を談じ、夜はその私邸において大統領に便所の案内をさせる。実に私は幸福な日本人だとそのとき思った(笑声・拍手)。
 
 翌朝の食事中にも又面白い話があった。大統領が私に向っていうには、
 「ぼくは日本の武士というものを非常に尊敬しているが、日本の武士の生活はどのくらいの金があったらよいか。」
と聞いた。

そこで私は、

 「日本の封建時代の武士というものは、国主の下にある家老から下小禄の士族まであるから、これは大変な差がある。そうして三万石ぐらいから二人扶持と六石の蔵米取の士族まであるから、その身分の高下に応じて生活費の多少がある。
 
しかし普通の士族は概して第一に自分の地位に相当する大小の刀二本、鎧一領、そうして正月元日とか式日に登城して国主に拝礼する麻裃(あさかみしも=和服における男子正装の一種)、冠婚葬祭に列する身分相当の服装、第二に子供の教育、女は女に相当の教育、男は男に相当の教育をする費用が要る、第三に一家二年間の食料被服の費用。この三つの課目が武士の費用である。」
と答えたところが大統領が言うには
 
「それはぼくのと同じである。ぼくは我が身分相当の暮しをするだけの費用より外は必要は
ない。あたかも君の国の武士の生活費とよく似ている。しかし君の話によるとぼくは日本の武士より一つの費目が多い。
それはどうかというと、君の言う身分相当の費用、子女の教育費、家族の食料被服費の三項目の外に、ぼくには第四項目がある。これは医者の診察料と薬代である。日本の武士は病気をしないか。診察料は払わないか、薬代はどうするか。」
と反問された。
 
 「それはごもっともであるが、封建時代の医者というものも国主から世禄をもらっているから診察料も薬代も要らない。士族で病気にかかった者は医者のところに駆け込めばすべてただである。薬代もただなら診察料もただである。」
すると、
 「そうか、アメリカもそういうふうにしたいね。」というような笑い話を重ねました。
 それから大統領の一家族とともに、近傍の原野を散歩しながらいろいろ面白い話をなし終日静養してニューヨークに帰り、すぐ前夜と翌朝の談話を暗号電報にて政府に報告しました。
 

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