世界史の中の『日露戦争』⑯『日露戦争―日本の先制攻撃、水雷攻撃の教訓』『タイムズ』1904年2月22日
英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」
は「日露戦争をどう報道したか」⑯
『日露戦争―日本の先制攻撃、水雷攻撃の教訓』
<開戦14日目>—『タイムズ』1904(明治37)年2月22日
<インテリジェンスの教科書としての日露戦争>―
この記事を読んでの筆者のコメント
① このタイムズ記者の軍事外交歴史についての知識の豊富さと他国の戦争の戦略、作戦を自国の教訓とするグローバルな思考力である。
② ちょうどこの日(16日)にテレビではハワイで行われた「日米島嶼上陸共同軍事訓練」を批判的に論評していたが、日本のメディア、ジャーナリストとの軍事的、国際外交的な知識との圧倒的な差を感じる。
③ この記事では「日本の先制攻撃を評価し、水雷艇の攻撃」も称賛している。緒戦の勝利、攻撃成功が勝敗を大きく左右することは歴史の常識だが、イギリスを興したネルソン提督、ドレイクを引き合いに出して日露戦争を論じている点に「タイムズ」のインテリジェンスを強く感じた。
④ 一国平和主義、いまや一国衰退主義に陥っている日本、日本メディアにとって、これまたこの日、16日早朝に見た「コンフェデレーションカップ」のサッカー、日本ブラジル戦の完敗(3-0)を見たが、この記事の指摘が図星と感じた。
⑤ 日露戦争で示した日本のトップのリーダーシップと軍人の攻撃精神(得点能力)、先制攻撃、スピード攻撃、沈没撃沈がなぜできたのか、考える必要がある。日本人の欠点、日本のあらゆる点に表れている日本病といっていいサッカーの体質―(日本サッカーの横パス・スローモーパスサッカー、攻撃精神の欠如、シュートをうっても力のないひょろひょろシュート、キーパーの正面しか打てないなど、10年前から指摘されている点が一向に改善できない)
⑥ プロ野球の公式球がいつの間にか飛ぶ球にすり替えられていた問題で、加藤コミッショナーの「知らなかった」「謝罪しない」「責任はない」「一転、申し訳なかった」などとのドタバタ劇にも日本病末期患者を診る思いだった。
⑦ 加藤氏は言うまでもなく元在米駐日大使で、外務省のトップであった。日本を代表する外交官、トップリーダーの異文化コミュニケーションの専門家が、あの幼稚なコメント、記者の質問に論理的、合理的な納得のいく説明ができない低レベルである。これが外交交渉で、相手国に論理的な話ができていたのかーと疑われる対応である。
⑧ 明治のトップリーダーのリーダーシップ、敢闘精神と外交説得能力の高さ(金子賢太郎らのケースほか)と比べると、日本を興した明治の先人と日本をつぶしつつある昭和のリーダー、国民の差を痛切に感じながら、この記事を読んだ。
われわれが現在得ている知識は不十分なものではあるが.ロシアと日本の戦争の序盤を特徴づけ,両交戦国のうち用心を怠らず準備を整えていた方の国(日本)にかくも決定的な緒戦の優位を与えた一連の大事件から,多くの考察が浮かび上がってくる。詳細はまだ不確かで,はっきりしないが,3つの大まかな事実は議論の余地なく明らかで,教訓に富んでいる。
まず第1に,旅順に対する日本軍の魚雷攻撃は実現可能な最も早い
時点に実施され,目覚ましい成功を収めた。
第2に,引き続いて翌日には,沖合の日本艦隊が短時間だが効果的な攻撃を射程内のロシア艦艇に加えた。
第3に,旅順の機雷原は今までのところ攻撃側よりも旅順を守る側にとって危険であることが判明した。
現在の情報によれば,これら3つのできごとのうち1番目と3番目からはあまり新事実を引き出すことはできないようだ。魚雷攻撃の発展の歴史をたどった者にとって驚くべきことではないが,水雷艇は機会があれば必ずそれを生かすので,結果としてスティーブンソンが牛と鉄道列車を引合いに出して述べたように,攻撃される側は「きわめて困った」状態になる。
だれにとっても明らかだが,露出した錨地に停泊している艦隊は,たとえあらゆる可能な手段を講じて有効な防御を図ったとしても-それがロシア艦隊に当てはまるとはとても思えないが-仕事をよく心得た水雷士官にとっては願ったりかなったりの目標となるだろう。
発射された魚雷の数は,航行不能になるなどの損傷を受けたロシア艦の数を大幅に上回ったもようだが,それは予想されたことに過ぎない。戦闘でも,あるいは射撃訓練ですら,銃砲に百発百中を期待する者はいない。発射された魚雷がことごとく命中することも,ましてすべて目標の艦船を破壊することも期待するには及ばない。
しかし魚雷が命中したときの打撃は致命的なものなので,外れた魚雷が相当な数に上っても,命中した魚雷が1発あれば全体としてそれを無視できるのだ。
多くの海軍評論家にとってこれは目新しい結論ではないが,海軍の経験が乏しい他の論客は,これについてしばしば強い異議を唱えた。だが,実地の戦闘が再度この論争に決着をつけて,前者の説の正しさが証明されたようだ。一方,海軍評論家の中には,旅順の大砲に援謹された停泊中のロシア艦艇を日本艦隊が攻撃した大胆不敵な行動にいささか違和感を覚えた者もいるかもしれない。
この攻撃は本格的なものではなく,確かに長い射程で行われたが,しかし「1門の陸砲は1隻の軍艦に匹敵する」という非常に古いことわざがある。
配置,設計,装備,要員がよろしきを得た地上の要塞と海上の軍艦との間で戦闘が行われたのなら,このことわざは相変わらず当てはまるだろう。だがわれわれの見た例では,明らかに日本の攻撃の目的は旅順を陥落させることではなく,ロシアの防御施設からの攻撃によって攻撃側の艦艇がある程度損害を受けるのを覚悟のうえで,有効射程の中に見つけた一部のロシア艦艇を戦闘不能にして,相対的優位以上のものを確保することだった。
これは達成され,苦労はむだにならなかった。ファラガットがモー
ビルの要塞を通過する危険を計算に入れていたように,明らかに日本の提督も危険を計算に入れていた。
この戦闘は艦隊と要塞が直接対戦したらどちらが強いかを証明するものではない。ただ明らかになったのは,要塞に援護されている艦艇であっても,手際よく指揮された艦隊が沖から長い射程で攻撃すれば多大の損害を受けるが,攻撃側はそれに相応した損害を受けない可能性がある′ということだ。
しかしこれは目新しくはない。「勇気は正しく侮りはむなしい」は,少なくともリビウスの時代以来の戦争の格言である。
日本の緒戦の勝利によって示された一般的で重要な教訓も,大いに時宜にかなってはいるが,実際は少しも目新しくない。つまり,他の条件が等い、か,ほぼ等しければ,海上での戦争では先手必勝だということだ。
緒戦を失った者は物質面の力を半分を失い,かけがえのない精神的確信の蓄えを半分以上失う。マバン大佐によれば,ネルソンは順風の好機を逃したり,時間を浪費したりすることは決してなかったという。
ネルソン自身,5分の違いが勝敗の分れ目になり得ると,ある折に述べているし,彼は常にそれを原則にして行動した。それより200年以上前にドレークは同じことを言った。「地の利と時の利を得れば半分勝利したことになる。これを失えば取返しがつかない」。
日本人は,きわめて古いが決して時代遅れにならないこの教訓を心に刻んでいる。彼らが示した鮮やかですばらしい実例を無視しないことが,特にわが国に要請される。戦争が到来するとき,それは
たぶん夜中の泥棒のようになんの予告もなしに到来するのではなく,遅滞なく周到な準備を整えて到来するのだ。わが国の防衛力を机上で計算して,国際紛争で考えられるすべての緊急事態に十分対処できると確信しても,準備が整う前に最初の攻撃を受けて力関係の致命的な逆転を許してしまってはなんにもならない。地上での不用意とその惨憺たる結果をわが国は南アフリカで体験している。
わが国は陸軍の建直しにようやく着手したところだ。この仕事を成し遂げる時間さえあれば,われわれはついには陸軍省に,戦争に対する実務的な適応性を備えた知的な有機体のごときものを,断片的で一貫性のない改革でいっそう悪化した混乱の中から育て上げるだろう。
しかしわれわれは陸軍省だけに改革をとどめてはならない。その偉大な手本である海軍は,備えがあり,効率がよく,あれこれの緊急
事態を戦略的見地から確実に把握することができて,それが当座はどんなにかけ離れたものに見えようとも戦術的な備えを怠らないとの高い評価を得ているが,海軍省がその評価に常に応えるように,われわれは気を配らなければならない。
こうして初めて,いざとなったときに,「事件が発生する前にそれを予期する聡明さ」のおかげでわが国は即座に断固として的確な先手を打つことができ,計り知れない有利な立場に立っことができるだろう。もちろん,イギリス艦隊が,決定的な時と場所において,
運命の2月8日の旅順のロシア艦隊のように備えを欠いているか,あるいは備えていても配置を誤.るとはまず考えられない。
イギリスの海軍士官がいざというとき.に「うんざり」していることはよもやあるまいと信頼してもよいだろう。したがって,以上のことは,あのできごとの本当の教訓ではない。われわれにとっての戒めは,ロシア艦隊の不用意ではなく.日本艦隊の手回しのよさと,それが即座に機先を制したことだ。ドレークはこの教訓を300年以
上前に述べているが,その言葉は問題の核心を突いている。「スペイン軍の大がかりな準備は,陛下次第で速やかに阻止することができます。軍隊を派遣して,わが国からはるかに遠く,スペインの海岸に近いところで戦えばよいのです。こうすれば,陛下と国民の損失はそれだけ少なく,敵はずっと大きな損失を被るでしょう」
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