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日本一の「徳川時代」授業②福沢諭吉が語る「中津藩で体験した封建日本の差別構造の実態」(「旧藩情」)②

   

 


日本一の「徳川時代の日本史」授業②

 

「門閥制度は親の仇でござる」と明治維新の立役者・

福沢諭吉の語る「中津藩で体験した封建日本の

差別構造の実態」(「旧藩情」)を読み解く

 

前坂俊之(ジャーナリスト)

 

徳川封建時代の武士はどのような社会、政治。経済環境の中で、

生活をしていたのか、福沢諭吉の「旧藩情」を読み解く②

 

 

在野の歴史家・白柳秀湖、(明治171884年ー昭和251950年)

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9F%B3%E7%A7%80%E6%B9%96

は福沢諭吉の『旧藩情』を明治維新がなぜ起こったかを読み解く、最大のカギであるとしている、

 

明治文学全集77巻「明治史論集①」の解説「明治の史論家」のなかで、福沢の史論を分析し、
『旧藩情』を明治期最初の史論として激賞している。

福沢諭吉の著作について

  その膨大な立論を通じて、一言半句でも、社合の事物に対し、是非善悪の観

念を以て判断を下していない。彼は社会百般の事物、殊にその時々の新しい事物を観るに常に歴史の因縁を以てしている。彼の事物の見方は常に史論的であった。

  彼の史論家としての業績は明治十年五月に発刊された『嘼藩情(旧藩事情)』がある。明治史壇の最初の階級闘争史観である。

  『旧藩情』では、徳川時代を通じての自らの出身地である中津藩の統治体制、武士の置かれた環境、政治、経済、社会的状況、上下関係などを詳細に分析している。

  中津藩に於いて藩士が上下二つの階級に分れていたことを事実について詳細に説明したものである。この階級が厳重な身分の相異に基いて定められた官職の世襲制度であることを明かにし、立身出世も、その身分の範囲内においては許されたけれども、身分の垣を越えては許されなかったということを、格式とか、俸禄(給与)とか、教育とか、言語風俗とかいうものについて手に取る如く説明している。

  そればかりではない、著者はこのような上土と下士との間における身分上の甚しい乖離は、ひとり中津藩ばかりでなく、各藩ともにひとしくあったことで、上土階級の下士階級に対する必要を超えた理由なき侮辱と凌辱、差別とは、産業の進歩と共に下士階級の経済上の実力が加はつて行くにつれて、その上士階級に対する反抗となって現われていることまでも説明して居る。

  福沢によると、中津藩にもその傾向はないではなかつたが、幸か不幸か、他藩において見る如く、その衝突が激化されずして止んだ。著者は中津藩に於ける上士階級と下士階級との衝突が、なぜ他藩において見たように激化されずに止んだかということに対して著者一流の見解を下しておる。

 

福沢諭吉の「旧藩情」の現代訳です

 
「旧藩情」➁


 旧中津奥平藩士の数は上は大臣より、下は帯刀の者といわれるものもの約千五百名。その身分、役名を精細に分ければ、百余の多きに分類されるが、これを大別して二等に分つのがわかりやすい。すなわち上等は儒者、

http://kotobank.jp/word/%E5%84%92%E8%80%85

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99

医師、

 

小姓組

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A7%93%E7%B5%84

より大臣

http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E8%87%A3

http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/yakusyoku.htm

 

に至り、下等は祐筆、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E7%AD%86

 

中小姓

http://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%B0%8F%E5%A7%93

http://www.weblio.jp/content/%E4%B8%AD%E5%B0%8F%E5%A7%93

 

旧厩(うまや)格

http://kotobank.jp/word/%E5%8E%A9

 

供小姓、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A7%93

 

小役人格

http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E5%BD%B9%E4%BA%BA

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/82420/m0u/

 

より、足軽

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD

http://www.m-network.com/sengoku/ashigaru/a02.html

http://kotobank.jp/word/%E8%B6%B3%E8%BB%BD

 

帯刀の者

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%97%E5%AD%97%E5%B8%AF%E5%88%80

http://kotobank.jp/word/%E5%B8%AF%E5%88%80

 

に至り、その数の割合、上等は約下等の三分一である。

 

上等の内にて大臣と小姓組とを比較し、下等の内にて祐筆と足軽とを比較すれば、その身分の相違は大きいが、あきらかに上下両等の間は厳然と区分けされている事実がある。

その事実とは何か


① 第一、下等士族は何らの功績あっても、何らの才能があっても、決して上等の席に昇進するを許されない。稀に祐筆などに立身して小姓組に入たる例もなくはないが、徳川時代の二百五十年の間、たったの三、五名に過ぎない。

そのため下等士族は、その下等中の黜陟ちゅっちょく)=〔「黜」は退ける意,「陟」はすすめる意〕官位を下げることと上げること=に心を関して昇進を求めても、上等に入ることはできない階級社会なので、その望みを最初から断絶して、その気持ちは飛ぶ能力のある鳥が飛ぶことを断念しているようなものであった。

 

また前に指摘しているが、大臣と小姓組との身分は大に異なるようにみえる、小姓組が立身して用人となる例は珍らしくない。大臣の二、三男が家を分てば必ず小姓組になるので、結局、大臣も小姓組も同一種の士族といわざるをえない。


 また、下等の中小姓と足軽との間にもはなはだしき区別があるが、足軽が小役人に立身して、また中小姓となるは甚だ簡単なのである。それだけではなく、百姓が中間

http://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E9%96%93

http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/tyugen.htm

 

となり、中間が小頭

http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%A0%AD

 

となり、小頭の子が小役人となれば、すなわち下等士族中に恥かしからぬ地位を占めることができる。

 

また足軽は一般に上等士族に対して、下座とて

http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8B%E5%BA%A7

 

雨中、往来に行逢うとき下駄を脱いで、路傍に平伏する決まりである。

 

足軽以上、小役人格の者にても、大臣に逢えば「下座平伏」をしなければならない。啻(ただ=単)に大臣のみならず、上士の用人役たる者に対しても、同様の礼をしなければならない。

また下士が上士の家に行けば、次の間より挨拶して後に同間に入り、上士が下士の家に行けば、座敷まで刀を持ち込むのが定めである。

 

 また文通に竪様、美様

http://www.weblio.jp/content/%E7%BE%8E%E6%A7%98

平様、殿付け等の区別あって、決してこれを変えてはいけない。

 

また言葉の称呼にも、長少の別なく(年齢に関係なく)子供までも、上士の者が下士に対して「貴様」(きさま)

http://gogen-allguide.com/ki/kisama.html

 

といえば、下士は上士に向って「あなた」といい、「来やれ」(来なさい)といえば、「御いでなさい」といい、足軽が平士に対し、徒士

http://kotobank.jp/word/%E5%BE%92%E5%A3%AB

 

が大臣に対しては、直にその名をいうことは許さず、一様に「旦那様」と呼んで、その交際は正しく主僕の関係であった。

 

また上士の家には玄関敷台を構えて、下士にはこれを許さず。上士は騎馬し、下士は徒歩し、上士には猪狩川狩(イノシシ狩りや川の漁業権)を与えて、下士にはこれを許さなかった。

 

このほかにも、文学は下士のやることではないとして、表向の願を以って他国に遊学を希望しても認めなかった。


 これ等の件は数多い。到底、上下両等の士族は各その等類の内に些少の分別あるとはいえ、動かすことができないわけではなかった。独り上等と下等との大分界(大差別)は、ほとんど人為のものとは思われず、天然の法則のごとくにして、これを怪しむ者はなかった。(その出生によって権利を異にしたのである)

 

                                続く

 - 現代史研究 , , , , , , , , , ,

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