前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの日本近現代史』(271)★『日本敗戦(1945/8/15)の日、斬殺された森近衛師団長の遺言<なぜ日本は敗れたのかー日本降伏の原因>★『日本陸軍(日本の国家システム中枢/最大/最強の中央官僚制度の欠陥)の発足から滅亡までを 日露戦争まで遡って考えないと敗戦の原因は見えない』★『この日本軍の宿病ともいうべき近代合理的精神の欠如、秘密隠ぺい主義、敗因の研究をしない体質はその後の日本の官僚制度、政治制度、国民、政治家、官僚も払拭できず、現在の日本沈没に至っている』

   

  /日本リーダーパワー史(39)

 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
1945(昭和20)年8月15日、日本は降伏した。この前日、陸軍省の幕僚や近衛師団の若手参謀がクーデター未遂事件(宮城事件)をおこし、近衛師団長の森赳(たけし)中将に畑中健二少佐らが降伏に断固反対して決起をうながしたが、森師団長が拒否すると、畑中少佐は発砲し、森師団長は斬殺された。
 
この森中将は陸軍最後の逸材だった。明治27年(1984)、高知生まれで生まれで、陸士第28期。秋山好古が興した騎兵科出身である。森は日露戦争には従軍していないが、陸軍大学校戦史教官(騎兵大佐)時代に、日露戦役における第三軍(乃木軍)の運用について、旅順要塞の攻略戦、奉天会戦の包囲作戦の両作戦などの図上研究や満州での約二週間にわたる実地教育を生徒に教えており、透徹した戦史観の持ち主として周囲から一目置かれていた。参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、関東軍参謀、第6軍、第19軍参謀長として南方戦線にいた。
 
 昭和二十年三月、いよいよ敗戦は決定的となってきた。陸軍は最悪事態を予想し、帝都の治安と宮城守護のため、その人物、識見から南方戦線にいた近衛師団長を抜擢された。島貫節重・大本営陸軍参謀(中佐)34歳は森の陸大教官当時の教え子であり、いよいよ8月に入り、最後の瞬間が迫ってきた段階で、広島原爆投下のあとに、森近衛師団長を防空壕内の師団司令部に数回訪ね、一、二時間、時局と陸軍の明治以来の作戦の総括を論じたことがあった。
この時以来、30数年後に島貫中佐は日露戦争を戦略面から分析した「福島安正と単騎シべリア横断」(原書房、1979年)「戦略日露戦争(上下)」(原書房、1980年刊)なる名著をモノにしている。
 
 島貫は日本の決定的な敗北を目前に控えて、森に尋ねた。
 
「私は満州事変、支那事変、大東亜戦争と連続十余年従軍し、今最後になってみて、満州事変までは概して正しい行き方であったと思いますが、いかがでしょうか」
 「君は満州事変では第一線の小・中隊長として活躍していたのでそう考えるのだ。特に支那事変以降は逐次、軍の中枢部に勤務して戦争全般を観て実態を知るようになったから、満州事変までは正しかったがその後は駄目だったと信じているのであろう。しかし満州事変以前の陸軍のあり方についても今後はその真相を、しっかりと検討しないと、何が今日の最悪事態を招くようになったのか原因の追求ができないように思う」と指摘した。(「戦略日露戦争(下)」(516P)
 
森中将はさらに続けてこう述べた。
 
 「結局において日露戦争まで遡って考えないと、最も控え目な結論さえも出てこない」と、日本陸軍の発足から滅亡までを総括した。
 
①  明治陸軍は明治十年の西南役当時は明治建軍の後始末に追われ、明治十五年軍人勅諭下賜によって初めて近代国家の軍の基礎が発足した。
 
②  大山陸軍卿が川上操六、桂太郎の両大佐以下に命じて 欧州視察をさせ、その結果、兵制をドイツに見習うことに決め、日清戦争を予期して明治十八年、初めて対外防衛に着手した。ドイツのメッケル少佐から兵制・編成・戦術等の基本について教わった。
 
③  そして十年後の明治二十七年日清戦争となったが、これは清国軍が余りに旧態依然の無力、徴兵制による近代軍でなかったので日本の肉弾、体当たりの特攻精神に、逃げるばかりで清国は負けてしまっただけであった。日本軍が強かったというよりも、清国軍が弱すぎたのである。
 
④ この頃早やロシヤのシべリヤ鉄道敷設宣言があって、めざす国防の相手はロシャであることが判り、内地では八甲田山の雪中行軍や小川原湖の氷上通過訓練などすべて満州の冬期極寒に堪えてロシャ軍に打ち勝つための訓練に熱中していた。
 
⑤ しかし防寒装備を例にとってみても準備や研究は出来ておらず、兵器、弾薬、軍備はどんなに急いでも限度があり、西欧列強程度の近代国防態勢に追いつくまでには相当、の期間を要するというのが実態だった。
 
⑥ ところがひとたび日露戦争に勝利すると、それが本当の実力で勝ったのだと錯覚を起こし、一躍、五大強国にのし上がったように思いあがった。当時の世界情勢がいかに日露戦争に影響し、日本に有利に作用したかの認識もなく、そのため今後の日本をどのようにしたらよいかという真面目な考え方は排斥されてしまった。日露戦争の成果の上にあぐらをかいた連中のためにせっかくの成果も喰いつぶされてしまった。
 
⑦ 満州事変などは日露戦争後、25年もたったの1931年(昭和六年)に勃発したがすでに末期的症状で、陸軍が政府を引きずりまわし、陸軍中央部は関東軍に引っかけられ、関東軍司令官は石原作戦参謀(中佐)に追随するなど下剋上もはなはだしく、テンでバラバラでこれではとうてい国家戦略、国家政策などはないに等しい。
 
⑧ 日露戦争をはじめ、各戦争、出兵についての戦略情報が軍の徹底した秘密主義のため余りにも秘密され、閉鎖的な扱いを受けて、その史実、記録等の文献も全く整備されていない。ここに日本軍の非近代的な後進性と無知の欠陥が包蔵されている。
 
⑨ 大正時代になって日露戦史に関する普及と研究の必要が叫ばれ、参諜本部戦史課を中心にして「日露陸戦新史」の編集が試みられた。
そして大正十二年頃までに当時生存中の従軍将校全員から従軍体験記を掟出させて協力を乞い、また物故された重要人物の手記等をも参考にして、従来知らされなかった新しい記録を相当盛り込み、しかも一般の人々にも判り易く簡潔に記述するといった適切な試みであった。
 
⑩ 大正十二年といえば関東大震災の年だが、二十年前の日露戦争を考え直してみようとすることは大いに意義があり、当時の戦史謀勤務の沼田多稼蔵大尉(陸士第二十四期、後に陸軍中将で終戦)は、この「日露陸戦新史」は立派な編集原稿が完成していた。
 
⑪ ところが残念ながら最後の公刊の段階で、従来と同じく軍の機密保持と称して、せっかくの記録の中から機密事項の大部分が削除されてしまった。それでも従来の公刊日露戦史よりは、邁かに簡潔にまとめてあり、一時は若い将校たちからも愛読されていたが、その後は絶版となった。今次、敗戦の憂き目をみて初めて事の真実を悟った状況であった。いかに秘密一点張りの頑迷固ろうな非近代的な無知によって、日本軍の進歩改善が阻害されていたかが判る。
 
以上のような内容を島貫に語ったという。((「同書」(518-519P)
 
森中将はこの数日後に自らの部下たちによって殺害されてしまう。森の遺言ともいうべきこの日本陸軍の反省の弁を聞くにつけ、この日本軍の宿病ともいうべき近代合理的精神の欠如、秘密隠ぺい主義、敗因の研究をしない体質はその後の日本の官僚制度、政治制度、国民、政治家、官僚も含めて全く払しょくされることなく同じ体質が続いていることに愕然とする。
1990年以降の失った20年からいよいよ「第2の敗戦」がカウントダウンしている今こそ再考すべきであろう。 <関連記事>             

『東條開戦内閣の嶋田繁太郎海相の敗戦の弁』
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/901

 

●「山本五十六のインテリジェンス」http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=439 ●「太平洋戦争と新聞の戦争責任」-徳富蘇峰の敗戦の弁ーhttp://maesaka-toshiyuki.com/detail/393             

●『尾崎行雄の遺言」-http://maesaka-toshiyuki.com/detail/496

●『尾崎行雄の敗戦で政治家は何をすべきなのか」http://maesaka-toshiyuki.com/detail/480

<以下は『敗戦の日』日本のリーダーはどう行動したか』-の研究です。

●国難リテラシー11945年8月15日の日本⑤http://maesaka-toshiyuki.com/detail/674

●国難リテラシー11945年8月15日の日本④http://maesaka-toshiyuki.com/detail/670
●国難リテラシー11945年8月15日の日本③http://maesaka-toshiyuki.com/detail/668

●国難リテラシー11945年8月15日の日本②http://maesaka-toshiyuki.com/detail/665
●国難リテラシー11945年8月15日の日本①http://maesaka-toshiyuki.com/detail/664

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(308)★関 牧翁の言葉「よく生きることは、よく死ぬこと」★『一休さんの遣偈は勇ましい』★『明治の三舟とよばれた勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の坐禅』

関 牧翁のことば「よく生きることは、よく死ぬこと」 関牧翁(せき ぼくおう、19 …

no image
 日本リーダーパワー史(753)–『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争を英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は どう報道したか」を検証する①(20回連載)」★『6ヵ月間のロシアの異常な脅迫、挑発に、世界も驚く模範的な礼儀と忍耐で我慢し続けてきた 日本がついに起った。英米両国は日本を支持する」』

 日本リーダーパワー史(753)– 『日本戦争外交史の研究』 世界史の中の『日露 …

no image
『オンライン講座/国難突破学入門』★『ロケットの父・糸川英夫いわく」★『なぜ事故は起きたのか(WHY)ではなく「事故収束」「復興・再生」の「HOW TO」ばかりの大合唱で、これが第2,3の敗戦につながる』②『すべての生物は逆境の時だけに成長する』★『過去と未来をつなげるのが哲学であり、新しい科学(応用や改良ではなく基礎科学)だとすれば、 それをもたない民族には未来がない』

  2011/05/18  日本リーダーパワー史(153)記事転載 3 …

no image
『2022年はどうなるのか講座(下)/2022年1月15日まで分析)』★『コロナエンデミックから世界大変動の第2幕へ』★『2022年も米中覇権争いは続く。』★『日米戦争80年目の教訓』★『無責任な近衛首相の辞任!』★『CO2とEV世界戦の2022年』★『』出遅れる日本勢は大丈夫か?

前坂俊之(ジャーナリスト) 22年も米中覇権争いは続く。 「米民主主義国グループ …

no image
日本風狂人伝(27) ウナギ狂で老らくの恋におぼれた斎藤茂吉

日本風狂人伝(27) ウナギ狂で老らくの恋におぼれた斎藤茂吉           …

no image
森田実氏が書評で絶賛した新刊紹介『8・15戦災と3・11震災―なぜ悲劇は繰り返されるのか』(片野勧著、第三文明社刊)

          &nbsp …

no image
日本の最先端技術「見える化」チャンネル/『文字から音声認識の時代へ』★『AI・人工知能EXPO2019(4/5)』-TISの「業務用スマートスピーカーによる音声文字起こし、スマホで会議録、報告書がサクサクできる』

日本の最先端技術「見える化」チャンネル AI・人工知能EXPO2019(4/5) …

no image
速報(431)『日本のメルトダウン』『日本とアベノミクス(下)国家主義者か、国際主義者か」「橋下発言」はアメリカからどう見えるか』

  速報(431)『日本のメルトダウン』   ●『 …

no image
日本メルトダウン(946)『ランド研がリアルに予測、米中戦争はこうして起きる、発端は尖閣紛争?日本の動きが決着を左右する(古森義久)』●『“歴史に名を残す”ために尖閣を狙う習近平 「中華民族の偉大な復興」のための3つの課題とは』●『ナチスに酷似する中国、宥和では悲劇再現も フィリピンの知恵に学び毅然とした対応を』●『パキスタンも陥落、次々に潜水艦を輸出する中国 国家戦略に基づいて兵器を輸出、片や日本は?』

  日本メルトダウン(946) ランド研がリアルに予測、米中戦争はこうして起きる …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㊲」★『明石元二郎のインテリジェンスが日露戦争をコントロールした』★『情報戦争としての日露戦争』

インテリジェンス(智慧・スパイ・謀略)が戦争をコントロールする ところで、ロシア …