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『私が取材した世界が尊敬した日本人⑱ 1億の『インド・カースト』(不可触民)を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺師』★『インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と山際素男先生」(増田政巳氏(編集者)』

   

日本リーダーパワー史⑱再録

『現代の聖者』『奇跡の男』ここにあり

前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
2009年6月に書いた記事。
                    

人口約11億人、世界第2の大国インドの経済躍進が世界から注目されているが、国内的にはヒンズー教のカースト制度により、数億人の不可触民が動物以下の差別と貧困と屈辱にあえいでいる。40年前にインドに渡った若き日本人僧侶が「不可触民を救え」と立ち上がり、今や信者は一億人を超える仏教界最高指導者に上りつめ、お釈迦様の仏教遺跡を取り戻す運動を指導していると聞けば、ビックリ仰天だが、この「奇跡の男」こそ佐々井秀嶺(74)である。

 

「日本のODAを足しても佐々井師1人の業績にかなわない」とジャーナリスト・山本宗補が指摘するそのカリスマ指導者は40年ぶりの最初で最後の里帰りをして、故郷の岡山を中心に約3ヵ月全国説教行脚をした。
 

6月7日,東京最終講演会が東京・護国寺であった。境内は約5百人以上であふれんばかり。朱色の法衣の佐々井師は浅黒い顔に眼光けいけい、阿修羅のような顔立ち。一度口開けば辺りを圧する大音声で、浪々とよどみなく約1時間半にわたって不可触民を奴隷以下に虐待差別するヒンズー教をきびしく批判、人を救うのが宗教者の務めとし、各宗教の連帯を力強く訴えた。

佐々井秀頼は昭和10年(1935)8月、岡山県新見市で左官の長男に生まれた。

早熟な少年で、色欲、女性関係で悩み出奔、放浪、自殺未遂を繰り返しながら25歳で出家、30歳でタイに留学後、インド仏教発祥の地ラージキルへ渡った。ここで日本へ帰国する最後の夜、お告げを受けた。夢に中で白髪白髭の老人があらわれ「南天竜宮へ行け。なんじの法城はわが法城なり」と

南天竜とはインド中央部のナグプール(龍宮)のことであり、出かけてみると夢の老人は「アンベードカル博士」(1891年―1956年、インド憲法の父で、ガンジーと並び称される人物不可触民出身で仏教再興運動の創設者)と分かった。1968年、33歳の時である。

 

以後、博士が仏教再興運動を起こしたこの地に住んで不可触民と生活を共にしながら救済運動に立ち上がり断食行、団扇太鼓と「南無妙法蓮華経」を唱え布教と修行を積み、お寺も作った。仏教とアンベードカルの教えを実践し、そのうち博士の後継者として周囲も認める指導者となった。

ヒンズー教から改宗する信者が数千万人もの大勢力になるにつれ、内外の宗教組織からの強烈な反発が訪れた。
1987年7月、佐々井は不法滞在で逮捕されたが、「釈放し、国籍を与えよ」とナグプールでは大規模な市民抗議集会が起こり、1ヵ月で60万人もの署名が集まった。                                  

仏教徒の強烈な抗議でラジブ・ガンジー首相は88年4月、正式に市民権を与え「アーリヤ・ナーガルジュナ」(聖樹の意味)のインド僧名を送り、名実ともにインド仏教界最高指導者に。

佐々井がインド国内で一躍有名人となったのは「大菩薩寺奪還闘争」からである。大菩薩寺とはお釈迦さまが悟りを開いた場所で、仏教遺跡の中でも最も尊い所だが、ヒンズ―教徒に占拠、管理されていた。1992年から佐々井は『殺されてもよい』の覚悟のもとに陣頭指揮でトラックに分乗して中央、州政府、各都市を数千キロにわたってデモ行進し、各地で激しい奪回運動を展開した。

そのせいもあってか、大菩薩寺跡は2002年に世界文化遺産に登録された。2003年、佐々井は政府の「インド少数宗教委員会仏教代表」(副大臣級)に指名され、仏教布教と「シュリーマン」のように発掘に両車輪で取組んでいる。

『破天』(山際素男著、光文社新書)という佐々井の伝記がある。青春期の色欲、煩悩、自殺、野たれ死行からインド仏教界の頂点に立つ、その人生は破天荒で波乱万丈の菩薩道そのものである。「私は求道者。寺などいらぬ。最後はとぼとぼ歩いて、道端で石にけつまずいて草の中で死ねれば本望です」という。

 

日本リーダーパワー史(30)インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と山際素男先生 <増田政巳氏(編集者)>

日本リーダーパワー史(30)
 
インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と山際素男先生
 
    増田政巳氏(編集者)

 

インドに建つ碑

 
柿色の僧衣をまとい素足にサンダルをひっかけて、ひとり飄然と降り立った早朝の成田空港から、都心に向かう車が高層ビル群に近づいてくると、佐々井秀嶺師は、のしかかってくる威圧的なコンクリートの塊から身をかわすように手をかざし、驚嘆とも悲鳴ともつかない声をあげたそうである。
そして「物ばかりで、東京から人が消えたのか?」とつぶやいた。迎えの若い同乗者は「ここは高速道路だから、人は歩いていません」と答えたという。
 
 佐々井秀嶺師が、日本の土を踏んだその足で向かったのは、東京の西端に位置する高尾山の薬王院であった。
一九六五年(昭和四十)、当時の薬王院貫首・山本秀順上人の命をうけてタイ留学へ旅立ってから、一度として日本に戻ることなく、およそ四十五年が経っていた。
 
日本は、とくに東京は大きく変わった。高度経済成長期がはじまったばかりの当時の街並みを偲ぶよすがはほとんどない。
そして、佐々井秀嶺師の境遇もまた激変していた。
 

タイからインドへ求道の場を移した留学僧は、仏教生誕の地の惨憺たる現状に当惑した。インドでは仏教はほぼ壊滅し、釈迦が悟りをひらいたというブッダガヤの大菩提寺はヒンズー教徒に支配され、最大の庇護者であったマガダ国王ビンビサーラの王舎城ラージギルに残る釈迦の遺跡は荒涼とした姿をさらし、霊鷲山に連なる山頂で日本山妙法寺がささやかな宝塔を建設しているだけであった。


インドの仏教は、仏教徒はどこへ行ったのか
失意のうちに帰国を決意した夜、夢枕にあらわれた龍樹菩薩に導かれて、佐々井秀嶺師は中央インドのナグプールという未知の町に流れ着いた。
奇しくもそこは、独立後の初代法務大臣をつとめインド憲法の起草者であるアンベードカル博士が、一九五六年に五十万の不可触民同胞とともに仏教への改宗式を挙行した仏教再興運動発祥の地であったのである。それは、インド史上に記憶されるべき、三千年にわたるヒンズー教の呪縛からの民衆の大脱走のはじまりの瞬間であった。
この地で佐々井師は、仏教に、生きる灯火を見出す人々に初めて出会ったのである。
そこから、アンベードカル博士の死後、分裂し衰退していた仏教再興に向けた、佐々井師のいのちをかけた獅子奮迅のたたかいがはじまる。
石もて追われるような出発から民衆の導師への半世紀におよぶ活躍の模様は、山際素男著『破天――インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(光文社新書)に詳しい。
いまやインド仏教徒は、一億五千万にのぼると言われる。そのほとんどが、東洋の果てからやってきたこの異邦人を敬愛し、アンベードカル博士の衣鉢を継ぐ大指導者として信奉しているのだ。
しかし、佐々井師の偉業が日本に知られることはあまりない。小さなそして一見複雑そうな理由はいくつか考えられるが、その根底には、この桁外れの壮大な物語をすなおに受容する精神の想像力が現代人には失われてしまっているということがあるのであろう、とわたしには思われる。
 
日本への帰国にあたって佐々井師は、なによりも早く恩師・山本秀順上人の墓前に額ずいて、四十五年間の無音を詫び、自らの大業を墓石にささやきかけるようにひそやかな声で語りかけたにちがいない。
 
佐々井師が日本での出会いや再会を楽しみにし、支援へのお礼や報告をしたい人たちのなかのひとりに山際素男さんがいる。
山際さんは、作家・翻訳家としてたくさんの著作を遺して、佐々井師の帰国の二カ月前に世を去った。わたしは、処女作の時からの付き合いで、よく酒を酌み交わした。
青壮年期の力にみなぎった佐々井師が、ナグプールの街を法華太鼓を打ちながら歩きまわり、人びとに受け入れられ、しだいに尊崇を獲得していくころから、山際さんはたびたび佐々井師のもとを訪れては行動をともにし、その破天荒ともいえる一途な布教活動を激励しつづけた。
そのころ、佐々井師を真に理解し注目した日本人は仏教界を含めて、山際さんをおいて、ひとりとしていなかったと思う。
 
晩年は心臓病をわずらって体調がすぐれなかったが、ご自宅近くの西武線玉川上水駅前のうなぎ屋や喫茶店でときどき会った。山際さんは、ながく念願してきた佐々井秀嶺師帰国の話を聞くと、すこし不自由になった口調で、佐々井師を生きて迎えることのできる感動を涙とともに語った。
しかし、日本での再会はわずかな時間のいたずらでかなわなかった。
佐々井師は、日本滞在のひとときをさいて山際さんの霊のために自らの手で法要をとりおこない、遺骨をインドに持ち帰った。そして、ナグプールの地に埋葬し傍らに石碑を建てることを計画して、その碑文をわたしに書くように要請した。
わたしはのちに、後掲のような文章を佐々井師のもとに送った。
 
若者をはじめ、そのエネルギーに触れた人びとに旋風を巻き起こし、ふたたび日本に戻ることはないと言い残して、二カ月余りののちインドに帰っていった佐々井師は、ナグプールにあるインドラ寺の私室に腰を据える暇もなく布教のためにニューデリーをはじめインド中を飛び廻っていると、しばらくして、同行している若い日本人僧のひとりから便りが届いた。
 
    *  *  *

山際素男先生の碑

「最も深い真実は、最も深い苦悩と、その苦悩との誠実な闘いを通してしか生まれえないものであろう。インド仏教徒、不可触民の人びとは、その意味において最も人間的真実を語る資格を持ち、語りうる人びとではないだろうか。          山際素男」

 
山際素男先生(一九二九―二〇〇九年)は、現代日本の作家であり、翻訳家であった。
著書として『不可触民』『不可触民の道』『不可触民と現代インド』『インド群盗伝』『チベット問題』(以上、ノンフィクション)、『カーリー女神の戦士』(小説)などがあり、翻訳書として『アンベードカルの生涯』『ダライ・ラマ自伝』『マハーバーラタ 全9巻』があるなど、多数の著作品を残した。
 

先生はインド国立パトナ大学、ビスババラティ大学へ留学するなど、はやくからインドへの関心をもちつづけたが、インド社会の中・上流階層との交流のなかからは、自らが求めているインドに出会えないことを知った。疑問と煩悶ののちに、インド社会の最底辺に位置しヒンズー教徒でありながら他のすべてのヒンズー教徒から差別され、三千年にわたって非人間的な境遇を強いられた「不可触民」や、その桎梏からの解放をめざす活動家らとの交流をとおして、悠久の大地に生きつづけてきた民衆の、もうひとつのインドに出会ったのである。そして、その深い感動を多くの作品に書きとどめた。

「不可触民」の現実は、今なお苛酷な状態にあるが、そこには、あらゆる邪悪に取り囲まれ、飢えと貧窮にさいなまれる日常にあっても、残酷と憐れみ、罪と敬虔、激しい憎しみと深い愛といったアンビバレンツで非合理な世界からこそ生れる豊かな人間性と篤い宗教性が生き生きと躍動しているのだった。
 
その宗教性の極北に日本人僧・佐々井秀嶺師の存在がある。「不可触民」のただなかでともに生活し苦悩し、インド仏教徒の大指導者として半世紀にわたり身命を賭して活動する師との親交は、先生にインドと日本をつなぐ精神的な強い絆を確信させた。
そして、インド仏教再興の父・アンベードカル博士の主著『ブッダとそのダンマ』を翻訳し、佐々井秀嶺師の波乱に富んだ半生をえがいた『破天――インド仏教徒の頂点に立つ日本人』を著して、その偉業を日本に初めて紹介したのである。
 
私たちは、先生の遺志が、インド・日本両国の心ある人びとによって引き継がれることを信じて疑わない。
その業績を永く記憶にとどめるために、山際素男先生の魂を育み愛したインドの地に、佐々井秀嶺師のお力によって、この碑は建立された。
 
二〇〇九年九月    増田政巳

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