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『130年前の中国「ロックオン」の「高陞号(こうしょう)撃沈」で日清戦争が始まった」★『「東郷平八郎の撃沈は正当」―ロンドン・タイムスの一声に鎮まる』

   

  2016/10/03 日中北朝鮮150年戦争史(36)記事再編集

前坂俊之(静岡県立大学名誉教授)

12月6日午後、中国軍機が自衛隊機に対して2回にわたって火器管制のレーダー照射の「ロックオン」を行った。日本政府は①戦闘機から戦闘機に照射をしている②1回目は約3分、2回目は約30分と照射時間が長時間であることなどで偶発的衝突への危険が非常に高いと危惧して、中国側に強く抗議した。「ロックオン」とは武力行使のサインで、火器管制レーダー(FCR)を照射して、ミサイルなどの兵器の目標を追尾し、発射準備を完了する。いわば「ピストルの引き金に指をかけた状態」をさす。この「ロックオン」から偶発戦争が起こる危険性が高い。

130年前の日清戦争開戦直後の「高陞号事件」での東郷平八郎(当時は浪速の艦長)の行動は、現代の「ロックオン」やその後の攻撃決定に至るプロセスと、いくつかの重要な点で類似性がある。ただし、この事例は魚雷による攻撃決定であり、戦闘機同士ではなく、情報伝達も手旗信号、照明ライトの点滅という旧式技術でのやり取りで「攻撃の意思表示」「敵対行動の確認」「最終的な攻撃決断」というプロセスを分析する上で非常に参考になる。

 日清戦争発生当時の日本、清国の国力差、経済力差では清国のGDPは世界一で、日本のGDPは清のGDPの5分の一。GDPが世界に占める割合は、清が176%、日本は3・5%であった。
海軍の戦力差で見ると、黄海で戦った清国の北洋水師と日本の連合艦隊では、北洋水師は軍艦が十八隻、連合艦隊の軍艦は十四隻、日本の連合艦隊は軽火力兵器と速射砲でわずかに優勢。陸軍兵力は清国の陸軍100万人にたいして日本の陸軍は5分の1の20万人である。今と同じ「ハードパワー(軍事力」、「ミドルパワー」(経済力)では中国が圧倒的に強く「ソフトパワー(文化力)」では日本が勝っている状態である。

明治天皇の宣戦の詔勅を渙発は1894年(明治27)8月1日のことだが、1週間前の「豊島沖海戦」によって事実上の戦争状態に入った。

7月23日、九州・佐世保軍港で樺山資紀軍令部長の見守る中、連合艦隊の主力22隻は清国艦隊、運送船の撃破に向けて出動した。

第一遊撃隊の巡洋艦「吉野」「秋津洲」「浪速」は決められていた戦法の単縦陣を組み、牙山沖の豊島(ほうとう)に向かった。

途中、25日午前7時ごろ、清国巡洋艦艦「済遠」「広乙」に遭遇した。宣戦布告前なので警戒しながらも航行中、約3キロに接近した時、「済遠」の砲口から巨煙が吐き出された。礼砲と思っていると実弾が飛び込んで来て、いきなり砲撃戦が始まった。

この結果、事実上の戦争状態に突入した。

両軍とも初めての対外海戦なので、追いつ追われつの1時間20分にわたる大激戦を展開した結果、「済遠」は難を免れて威海衛に帰ったが、「広乙」は座礁した。同9時ごろ、「操江」と英国ジャーデン・マジソン会社所有の旅客貨物船「高陞号」(こうしょうごう)とが、この開戦を知らずにやって来た。

高陞号」は清国にチャーターされ、清国兵1100人をのせ、大砲14門など武器を積んで牙山に輸送中であった。

巡洋艦「浪速」(艦長は東郷平八郎大佐)は国際法にのっとって「高陞号」に停船を命じ、英語達者の人見分隊長を派遣して臨検したところ、英国人船長は、船籍載貨書類一切を示し、船内に清兵一千人余、大砲十四門、弾薬を積んであることを素直に認めたが、清国兵が英国人船長に青竜刀や銃を突きつけて脅迫して「離船」させなかった。

そこで「浪速」艦長は信号を掲げ、「ただちに抜錨して、本艦に続航せよ」とだ捕を命じた。すると英船長から、「清国軍隊はわれを擁して太沽港への帰航をせまり、貴艦への続航は不可能」という信号があった。

そこで「浪速」は英船長に対し、「ただちに船を見捨てよ」と信号すると、「端艇の派遣を乞う」との応答があった。

清国兵は船長以下に銃口を突きつけて脅し、日本に応ずるならば、ただちに射殺する勢いなので、臨検中の人見大尉は急ぎ帰って、殺気みなぎる状態を報告した。

4時間にわたって「ボートの派遣こう」、「浪速」艦長は「ボート送りがたきにより、貴君は、すみやかに船を見捨てよ」と信号し、船長から「清兵われを阻む」と答えたのに対し、ふたたび、「即時船を去るべし」と信号旗のやりとりで押問答の末、

ついに「浪速」艦上に赤旗が高く掲げられた。

「これから砲撃を開始す、危険なり」という意味の戦時国際法による意思表示で、世界ではB旗とよばれる「生命的危険」信号であった。

「高陞号」の撃沈者は『浪速』艦長の東郷平八郎大佐(日露戦争では連合艦隊司令長官)であった。

砲術長広瀬勝比古大尉は、おどろいて東郷艦長の顔をみた。顔には微笑さえあった。やがて英船長も船から飛び込んで、少々は泳いだころをみはからい、右舷魚雷一本と、右舷の八〇年式六インチ砲を発射するよう命令した。

射程九百メートル、初弾一発で「高陞号」の機関室に命中して、船はたちまち沈んだ。「浪速」はボートを急派して、英国人ウォルズウェー船長を救いあげた。清国兵の大部分は船と運命をともにした。

豊島沖海戦は初の外国艦隊との近代的な海戦となったが、清国側の済遠が逸走、広乙は沈没。日本側は被害なしの一方的な勝利に終わった。

以上が、事件の概要だった。

ところが第一報を聞いた伊藤博文首相は真っ青になった。「東郷の行為ですべてが台無しになった。東郷を軍法会議にかけろ!英国や西欧列強が戦争に介入してくる」と陸奥宗光外相とともに震え上がった。

気の早い新聞は、即時陳謝、賠償の手続きを論じた。外務省はとりあえず三番町の英公使館を訪問して、遺憾の意を表するとともに、早急の調査善処を申し出るという始末である。

日本と対照的に清国側は大喜びした。李鴻章以下が、『緒戦好運来』と喜んだのはもちろんだが、艦隊根拠地の威海衛の将校たちの歓びは、イギリスが清国の味方にくわわったような祝杯騒ぎとなった。

一方ロンドンでは、外相キンバレー伯が青木公使を外務省に呼び出し、「貴国海軍将校の行動によって生じたる英国民の

生命財産の損害に対して、貴国政府は賠償の責任がある」と警告すると同時に、東洋艦隊司令長官フリーマントル中将を日本艦隊根拠地に伊東司令長官を訪問させ、厳重抗議を申し入れた。

英国ジャーナリズムも「野蛮人の暴行を禁止せよ」 「極東の無法国に警告せよ」などと、センセイショナルに報道がされた。

ところが、「浪速」東郷艦長のみが平然とかまえていた。東郷は英国に7年間留学し、商船学校で国際法をみっちり勉強してきたのを知る山本権兵衛海相も「何かわけがあったのでしょう」と同様に平然としていた。

「東郷平八郎の撃沈は正当」―ロンドン・タイムスの一声に鎮まる

事件から3日目。国際法の権威ウェストレーキとホーランドの両博士は『ロンドン・タイムス紙』に寄稿し、戦時国際法のいかなる条文に照らしても、日本軍艦「浪速」艦長のとった処置は、適法にして一点の非難すべきところがないと論評した。『ロンドン・タイムス』もただちに社説をかかげ、両博士の説を引用するかたわら、くわしく「浪速」艦の行動を解説し、日本の海軍と同艦長とが国際法的基づいた行動をしたとを称賛した。

タイムスの一論が掲載されると、反日の言論はピタリと消えてしまった。

もともと「浪速」艦長・東郷平八郎大佐は明治四年から八年間も英国に留学、もっぱら、商船ウオースター号、バンプシフ号で訓練を受ける一方、商船学校で国際法と海商法の勉強をみっちりつんだ。当時、世界一の海軍大国イギリスは、英国海軍兵学校の門を、アジアで開国したばかりの三等国日本の士官には開いていなかった。

そのため、東郷はやむを得ず商船学校で八年間も苦労した結果が、国際法の日本の第一人者となっていたのが、なんとも幸運であった。撃沈された「高陞号」英船長ウォルズウェーは、同商船学校で東郷より二期後輩であったというのからまさしく奇縁である。

こうして、東郷平八郎の名は世界に轟き一躍、有名になり、伊藤博文以下、日本の朝野は一安心したのである。

<参考文献は伊藤正徳の「大海軍を想う」文芸春秋社(1962)>

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

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