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地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『リーダーシップの日本近現代史』(87)記事再録/★『単に金もうけだけの頭の経済人はゴマンとおり、少しも偉くない。本当に偉いのは儲けた金をいかに遣ったかである。儲けた金のすべてを社会に還元するといって数百億円以上を社会貢献、フィランソロフィーに遣いきったクラレ創業者・大原孫三郎こそ日本一の財界人だよ①

   

    日本リーダーパワー史(280)

<クイズー日本で最も偉かった財界人は一体誰か? ① >

 
                     前坂 俊之(ジャーナリスト)      

   <以下は 書いた。>

① 今、世界は大恐慌の前夜の崖っぷちにある。この世界大恐慌の原因はウオール街発の米国流の金融資本主義、強欲資本主義の自爆金融テロである。
② 過剰流動性という名の大量のマネー爆弾が日本、EU、中国に投下され、バブルを増幅し破裂した。
③ 今、この強欲・強盗資本主義の終焉を迎えている。
④ 次なる世界の経済基軸―次世代資本主義は公的・社会的自由資本主義以外にはありえない。
⑤ その先駆例は日本にある。100年前の大正デモクラシー当時の大原孫三郎の挑戦に「明日のヒント」がある。

 

 

『黎明を駆け抜けた世界的なメッセ王』大原孫三郎の生涯①
月刊『サンサーラ』1991年5月号掲載

 

目下、私の書斎での毎日の日課といえば数万冊に膨れ上がって、歩く場所もないほどの蔵書の山の整理である。これまで半世紀にわたって書いてきたスクラップや雑誌原稿、新聞記事もどんどん処分している。

そんな作業の中で、『大原孫三郎』について1991年にある雑誌に書いた茶色に変色した記事が出てきた。今や『大原孫三郎』は世界的な存在となっているが、ちょうど20年前のバブルの絶頂期に警鐘を鳴らす意味で書いたこの原稿をあらためて読みなおしてみると、いくつかの歴史的教訓が含まれていて、大いに役に立つとおもわれる。その意味で、以下に原文のままで紹介します。

 

 
『二十一世紀の経営哲学をもった巨人』~大原孫三郎の生涯―       

企業の文化事業が喧しい昨今、世界にも類をみないメセナ企業経営者が日本にもいた。彼は外圧をはねのけ、無-文になるまで先駆的な研究に資金を提供し続けた。
<志>を失なった企業が余りに多い。<志>を失なった経営者といいかえてもよい、昨年(1990)の住友銀行,イトマン事件はその象徴的な事件といえる。 もともと、住友グループの中興の祖といわれる広瀬宰平(1828-1914)は明治十五年(1882)に住友家憲を定めたが、その中で「浮利二走ツテ軽進スベカラズ」ときびしく戒めていた。もうかれば何にでも手を出すという「金もうけ主義」を排し、社会のために役立つ仕事を堅実に行うというのが本来の住友精神であった。ところが、今回の事件で責任をとって辞任した磯田一郎住銀会長のやり方は全く逆であった。
『向うキズは問わない』と浮利を貪欲に追求した。住友精神からの完全な逸脱であった。
 
そこには企業のトップとして、最低限必要な企業倫理、社会的責任の自覚、志が全く欠如していたといえる。ただし、この間のバブル経済の膨張で、大なり小なり各企業とも財テクに血まなこになってきていた。先を争ってもうけ主義に走り、サラリーマンが一生真面目に働いても家1軒買えないという、世界にも例のないバカげた地価の異常高騰と大きな資産格差をもたらした。この結果、国際的には深刻な経済摩擦を引き起こし、国内的には企業戦士として二十四時間拘束されたサラリーマンは家庭や地域社会を顧みるヒマがなく、コミュ-ニーティは崩壊寸前という事態を招いている。
 
 日本の企業の活動は地域社会とは隔絶した形で存在し、企業の繁栄は直接的な社会、人間の豊かさに直結せず、逆に社会を崩壊させるという敵対関係にある。こうした反省から、このところ「企業メセナ」(企業の文化的支援)「コーポレット・シチズンシップ」(企業市民)「フィランソロピー」(企業の社会的貢献)という言葉がクローズアップされている。従来のもうけ主義一本ヤリから、利益をいかに社会に還元するか、ということにやっと目が向きはじめたのである。
 
 米国やヨーロッパで各企業が熱心に取組んでいる文化的助成、ボランティア、寄付、社会的貢献などのパトロン的役割を企業が果たすことだが、何も欧米にすべてのモデルがあるわけではなく、日本でも偉大な先駆者がいたことがすっかり忘れ去られている。
 大正、昭和戦前に活躍した倉敷紡績などの経営者・大原孫三郎(一八八〇-一九四三)が二十一世紀の経営哲学を先取りした巨人として今よみがえりつつある。志を持った経営者とは一体何か。大原孫三郎から学ぶ点は余りに多い。
 
もうけをすべて文化事業につぎ込む       

 東京から新幹線で約四時間半(1991年当時)岡山県倉敷駅から十分ほど歩くと、町並みは一変する。倉敷川に沿って、江戸、明治の面影を残す土蔵や白壁の建物が並ぶ。その中心に大原美術館の西洋建築や考古館、民芸館、赤レンガの壁が落ちついた感じの「倉敷アイビースクエア」と続く歴史的な景観地区である。このゾーンだけが時間が停止したかのような錯覚さえ覚える。 
 
 この倉敷を大原美術館や美しい蔵の町として知っている人は多いが、倉敷が倉敷紡績によって発展した町であり、その倉紡を明治、大正に地方の一企業から日本を代表する企業に成長させたのが大原孫三郎という志を持った経営者であることを知っている人は少ない。
 明治、大正、昭和戦前を通じて大原孫三郎の存在は実業家としてみれば岩崎弥太郎、安田善次郎、武藤山治ほどに巨大ではない。中央から離れた岡山での活動が中心であったためだ。しかし、大正中期には一大紡績ブームを背景に倉紡を日本屈指の紡績会社にのし上げ中国合同銀行(現・中国銀行)、中国水力電気(中国電力)、中国民報(山陽新聞)など幅広く岡山県下で事業をおこし、大阪以西、関西では最有力の実業家となった。
 
 ヤり手の実業家として、数多くの実業を成功させ、大原は屈指の資産家になったが、それだけなら、世にざらにある成功物語の一つである。 大原にはもう一つの顔があった。彼の真骨頂は実秦家と同時に社会事業家であり、教育家であり、文化の偉大なパトロンでもあったことである。大原はもうけた金のすべてを社会、文化的な事業につぎ込んだ日本の実業家の中で唯一といってよい巨人であった。今でいう「企業メセナ」の先駆者であった。
 
 大原孫三郎は明治十三年(一八八〇)に倉敷に生まれた。大原家は代々倉敷、児島などに六百へタタールの田畑を持つ大地主で、父親の孝四部は倉紡社長、倉敷銀行頭取を兼ねていた。孫三郎は東京専門学校(現・早大)を卒業、明治三十九年(一九〇六)に二十六歳で倉紡社長になった。昭和十六年、長男総一郎に社長の座を譲った時には、会社の資本金は四十万円から三千五百万円に、三万錘の設備は六十万錘にふくれ上がり、全国十数ヵ所に工場を持つわが国屈指の紡績企業に発展させた。
 
従業員の幸福なくして事業の繁栄はない 
 大原は東京専門学校に在学中に、足尾銅山事件で現地におもむくなど社会問題に深い関心を寄せていた。明治を代表する社会事業家で岡山孤児院を作ったキリスト教者の石井十次との出会いが、孫三郎のその後の生き方を決めた。
 
 石井は一時、千二百人の孤児を保護し、独力で救済事業を行っていたが、大原はその人道主義に深く感銘した。石井から「聖書」を読むことを勧められ「報徳記」(二宮尊徳)と「聖書」の2冊の読書が若き日の孫三郎の思想の骨格を形成した。
 大原は二十一歳の時、自らの使命を次のように日記に書いた。恵まれた資産家に生まれ、財産について罪悪感を持っていた孫三郎がその後、偉大なパトロンになる使命、金銭観がここに要約されている。
「余(私)の天職のために、この財産は与えられたのである。即ち、これは余の一生の間、その天職を全うすべく神より貸し与えられたもの。余がこの資産を与えられたのは、余のためにあらず、世界のためである。余はその世界に与えられた金をもって、神の御心により働く」
 大原は「従業員の幸福なくして、事業の繁栄はない」と考えて、人道的な労務管理、経営を行いながら、社会、教育、文化事業に積極的に取組んだのである。明治、大正の紡績工場の職場環境は「女工哀史」に象徴されるように劣悪を極めていた。女子従業員は千人以上おり、寄宿舎は大部屋で伝染病が蔓延し、風紀も乱れていた。大原は個室形成で分散型の宿舎で、女工たちが個人的、家庭的な生活ができるように切り換える当時では驚くべき先駆的な取組みをおこなった。
 
 さらに、教育する必要性を感じ、倉紡内に「職工教育部」を設置、一万円を寄付して「倉敷奨学会」を設立、育英事業も逸早く行った。 今、はやりの豪華な社宅ブームとは違い、いかに人道的な生活を保障していくかを孫三郎は考えた。今(1990年)との対比でいえば、企業や自治体のセミナーが大はやりだが、明治に初めて企業セミナーを最初におこなったのは孫三郎であった。       

企業セミナーの先駆者 
 明治三十五年(一九〇二)、二十二歳の時、「倉敷日曜講演」を始めた。一切の費用は大原がポケットマネーで負担し、中央から徳富猪一郎、新渡戸稲造、安部磯雄らの一流の知識人を招き、倉敷の小学校を会場に講演会を行った。遠くは関西方面からも多数が詰めかけ約七百人の会場はいつも満員だった。
 
 この講演会は大正十四年まで二十四年間も続き、七十六回開催した。孫三郎は講義録を無料で印刷して入場者や各学校にも配った。歴史家の山路愛山は「文部省より早く、大原氏が通俗教育に着手した。個人が政府より進歩している事例である」と賞讃した。 岡山孤児院は一時、千二百人の孤児を保護する当時、日本最大の孤児院だったが、孫三郎は師と仰ぐ石井との深い結びつきによって「第二の天職」か、というほど打ち込んだ。財政的支援はもちろん、大正三年(一九一四)には同院長に就任し、物心両面から応援したのである。
 
大原は自のやり方を「人道主義」「教育主義」と呼んだが、大正デモクラシーの影響がその思想に色濃かった。倉紡の社員間では「大原社長の労働理想主義」と呼んだ。当時、ライバルであった鐘紡の武藤山治は「温情主義」を唱えたが、大原はこれと一線を画すため、大正十年ごろからは「人格主義」を用いて、労働者一人一人の人格の尊厳を認める経営者を志向した。
 

こうした考え方から、1918年(大正七)、孫三郎は近代的な大病院の計画を決意した。すでに従業員、家族は一万人を超えており、工場の小さな医局だけでは間に合わなかったのである。
                                                                       つづく

 

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