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「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(4)「柳原白蓮 炭鉱王の夫を捨てて、新しい愛人の許へ」(朝日)

      2015/01/01

 


「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮
事件(4)

 


NHK
連続ドラマ「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件は

どう描かれたか・

柳原白蓮事件は大正デモクラシーのエポックを告げる事件である。

明治維新後、一応士農工商は廃止され、四民平等になったとはいえ、

実質上は天皇制の立憲華族主義の実態、日本の旧弊の家族制度、

男尊女卑、女性差別、公娼制度、男女自由恋愛の御法度など

封建的身分制度、きびしい男女差別、女性の非参政権は

1945年(昭和20)8月の全面敗戦によって、米国に大改革される

までは、日本人の手によって民主化、獲得することは

できなかったのである。

「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件では、日本の

近代的な負の部分、柳原白蓮が戦ってきた封建的な

男女差別、身分制度、公娼制度、女性の就職口といえば

女工哀史か、女給や女中位しかななかった影の部分に

このドラマはほとんど光を当てていない。

BSによる海外のドキュメンタリーやドラマ
と比較するとNHKや韓国ドラマもそうだが。ディレクター

に歴史的、民主的な的な視点が欠落しているの

ではないかと思う。

華族とはいえ妾の子にうまれて「不幸な差別された人生を

送った柳原白蓮は大正デモクラシーの一端に触れて、社会の影

で抹殺されていた男女差別の実態、人権蹂躙に

目覚めて、西欧社会ではすでに獲得されていた

人間の平等、自由、権利の主張に立ち上がったのである。

当時の新聞、資料でその影の部分をそのまま紹介する。

 

柳原白蓮

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E7%99%BD%E8%93%AE

 

白蓮事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%93%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

‘<1921年(大正101022日「東京朝日」>

 

柳原白蓮  炭鉱王の夫を捨てて、新しい愛人の許へ

 

同棲十年の良人を捨てて

 

 その美しさと金の力とから筑紫の女王とまで謳われ、新しき女流歌人としては白蓮女史で通った伊藤燁子(あきこ)は、過日来、良人伝右衛門氏と相携えて上京、日本橋数寄屋町島屋旅館に滞在していたが二十日年前九時三十分東京駅発の特急列車で良人伝右衛門氏を一足先に郷里福岡に送り帰らしめるとともに、自分は旅館へも帰らずどこかえ姿を隠してしまった。

 

この不思議なる行動の裏面を各方面に亘って調査すると、そこには驚くべき近代的戯曲の場景(シーン)が傷ましくも展開していたのである。

 

 

 悩みの生に新しく得た愛人宮崎籠介君

 

 歌集「踏絵」の一巻や「凡帳の蔭」や、さては「幻の華」の作者として一代の歌人白蓮女史-それは知らるる筑紫の国の女王として、九州福岡の炭鉱王百万長者・伊藤伝右衛門紙の夫人子の名である。

 

 

歌集全巻教育首の歌を通じて迸(ほとばし)る沈痛哀怨の情緒は、ことごとくこの世の悩ましい「生」に対す呪咀の結晶と見れば見られよう。これら久しく求めて求め得なかった心の満足と、覚めようともて覚め得ず柔肌の胸の奥深く潜在して居た心の閃きとは、いま卒然ともて夫人が十年伝統の襖悩に覆いつつまれ来たった殻を破ってしまった。

 

 

 

子夫人はついに堪えかねて老いたる伝右衛門氏の許を去ることになり、若い新しい愛人を求め初めて生の明るさに向かった。

 夫人は数日前、夫伝右衛門氏と連れだって九州から上京し、いつも定宿として居る日本橋の島屋旅館に、その美もい彫刻のような姿を伝右衛門氏の側に見せて居た。今度の上京は子夫人の近親で溝る入江為守子爵が東宮侍従長として渡欧の大任を果たした慶に来たのだと云っているが、それはともあれ夫人はこれを「伊藤」姓の名残りとして、つい一昨日や伝右衛門氏と別るることになった。

 

 

夫人が名も富も閥も軽々と捨てて求め得た愛の対象は誰であろう。

それは悶えの裡に慌しくも若さの過ぎた38歳の自分より6つも年少、支那浪人として聞こえた市外高田町三六二、宮崎滔天氏の息で弁護士法学士宮崎龍介君であった。夫人がこうしなければならぬように運命ずけらるるに至ったのには、ただ行き詰まるべき当然の筋途を辿ったものだとは、子夫人白身が云っている言葉である。

 

柳原二位局の姪に当りへ.系統幾代の脈菅には尊いゆかりの血汐も流るる名門柳原伯爵家の姫と生れて、貴族院議員当主義光伯の妹、それは良人としてはあまり一に老い過ぎた、

そして無学な伝右衛刊氏であるとしても、百万長者の黄金の国に住まう豪奢な生活をわれから脱却して、弁護士としても開業早々の貧しさ支那浪人の子に熱烈な愛着を傾けたことは、あまりに奇しき運命のあざないであった。夫人が突然身を隠したに就いては宮崎君と諒解のあること勿論であろう。

 

金の力に引かれつつ再婚の筑紫へ

 

 

こうした神の手すさびのような運命の萌しは、しかし二十年の昔に培われて居たのである。深窓に育まれた子姫は、十六の若さに京都上賀茂の北小路子爵家に話があって、処女の誇りをそこに捨てて輿入れしたのである。

 

そして翌る十七の春には一子功光を儲けて、早くも母と呼ばるる身になったが、故あって北小路家を去らねばならぬ事におった。人妻としての経験の所有者であり、子を捨てた母ともての憂愁の心持ちは「それを忍ぶに余りに若き時代であったので、ただその頃を、涙にひたりながら淋しい生の執着にひかれていた。

 

その間には麻布の英和女学校に通い、佐佐木信綱博士の竹柏園に歌の門をたたいて寂蓼から襲いくる尽せぬ悲しさをば慰めて居た。まこと白蓮の名にふさわしい、花ながらうら淋しい明け暮れであった。

 

『十五過ぎ泪の色も紅うなりて われたらちねを怨みまつりし」とか「殊さらに黒き花などかざしたる己が十六涙の日記」とかは夫人がその頃の環境にひしひしと迫り来たった心持ちを詠んだ告白で

あった。

 

七年の月日、歓楽も喜悦も夫人の周囲から忘れたよう遠ざかって行った。

そのうちにも春は急ぎ早やに経って、垂れ籠めて居る夫人の周囲をいくたびかめぐってって行った。二十七歳の春、哀れは過ぐる明治四十四年であった。姉と呼ばるる柳原伯夫人はな子濯ぎ出戻りの身を日ねもす歌にのみ明け暮す子の上に注ぐ同情は極めて淡いものであった。伯爵家の姻戚某子爵家の口添えで二度目の人妻たるべく筑紫に落ちたのも、伯爵夫人から切り出したものであった。

 

坑夫土がりの夫伝右衛門氏は五十二歳、子は二十七歳、名門に生れて才気換発の美しき新夫人は、眼にほとんど一丁字ない老年の男子にその生を托したのである。

山と積まれた千両箱の富の力に伯爵家の心も動かされたと云われる。結納金二万円なり、そういった噂が燕の飛ぶようにも似て、南かち北へ、北から南へ伝わった。

 

冷たい涙の同棲十年の生活

 

金に飽かせて贅を極めた筑前幸袋の本邸、博多に「あかがね御殿」、の名も高い天神町の別邸、湯の町にある別府の別荘、若く美もしい子夫人を得た伝右衛門氏は、さながら花の香りに陶酔する熊蜂のようにそこここと廻り歩いて、歓喜の中に浸って居た。しかし子夫人の顔にはつゆ笑いの糸の解(ほぐ)れを見たこともなかった。月

の半ば幸袋の本邸に、あとの半ばを銅(あかがね)御殿に、たまさか別府の湯の町に、美しい姿を見せては不足もない月日を送って居ても胸は氷のように冷たく凍てついて居た。

 

噂のように、富の力に圧しつけられた人身御供のいたいけな儀牲を悲しんだのであろう。子夫人もともすれば沸くような胸の高鳴る青春の頃は過ぎたせしても、夫伝右衛門氏との三十歳の差異はあまりに距離があり過ぎた。

 

貴族と平民との階級

 

まだ当時、子夫人もそうした思想に.囚われて居た。無学、没趣味、野卑の外は夫人の目にも心にも何物も映らなかった。

夫人が伝右衛門氏に嫁いで後にすべ.すべてのもの皆、ことどとく意想の外に出でた。

夫人が十六の春の人生の旅立ちに.深手を負うた悩ましいその後の話としては、媒介ロ(なこうどぐち)は強いられたる二万円の外に多少の明るい希望を点したのは争われなかった

「伝右衛門氏至って品行方正である。養子もない。夫人の自由も尊重しよう」そういって入った伊藤家の生活は、まず数多い美しい女中の伝右衛門氏の側離れじとかしつくのに驚いた。

品行方正の家に妾があり、さらに京の祇園にも妾が囲われてあった。娘には夫人とはたった四つ違いの養子があったのも意外であった。財産に対して養子と娘とは夫人の心持ちを猜疑するような極端な所有慾、炭鉱王の夫人として貴族の家に生れた身にあてがわるる月々の手当が五十円ポッキリ、身の廻りのものすべ.てこの五十円で済まさねばならぬ不自由さを舐めた。

 

伝右衛門氏は恐ろしく干渉した。ある時は女中の前に夫人をいささかの事から叱って、昔の鉱(あかね)掘るに鍛えたサザエのような拳が、夫人の豊頬に触れなんとしたこともあった。

耐えがたき夫人はある夜密かに家を抜け出でて、筑豊線の鉄道線路をば恐怖におののきつつ逍遥(さまよ)うたこともある。この時はさすがの伝右衛門氏も周章狼狙したと云って居る。

こんなことがあっても、実家の柳原伯や清浦子爵なども、このいたいけこの犠牲の解放には力頼みとはならなかった。

 

それに伝右衛門氏の淫蕩的な心持ちは止みそうもなく、つい近頃と博多の花柳界に一、二の名花として聞えた中検の芸妓屋玉川の抱妓ふな子(加藤てい)と呼ぶ二十歳になる若いのを根引きした。

 

表向きは白蓮夫人の根引きとするも、それはいうまでもない伝右衛門氏の侍女である。このために惜し気もなく大枚四千円を投じた伝右衛門氏の心は、白蓮夫人の決意を堅めしめた近因でもあろう

 

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