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日本リーダーパワー史(210)<無責任国家・日本の死に至る病>『3・11福島原発事故で、政治家はなぜ責任を取らないか』

      2015/01/01

 
日本リーダーパワー史(210)
 
<無責任国家・日本の死に至る病>
『3・11福島原発事故で、政治家はなぜ責任を取らないかー
太平洋戦争での政治家の戦争責任とを比較する①』

 
 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
 
☆今回の3/11以来の福島事故の責任についての『第3の敗戦』に当たって、民主党、自民党
の政治家、東電、経産省、保安院の責任を徹底して追及せねばならない。『第2の敗戦』で見
せた政治家、軍人の責任の取り方を歴史比較検証している。
3・11以降すでに9ヵ月になるが、
国会では別の問題へ関心が移りつつある。日本においてはいつも国がひっくりかえるような重大
事件、戦争、事故の責任が徹底して追及し、責任者を処罰した例は少ない。太平洋戦争の戦争責
任についえの国、国民による追及もなされなかった。
以下に紹介するのは、太平洋戦争終結3ヵ月後に国会で追及された政治家の戦争責任の質問である。
太平洋戦争の戦争責任を原発事故に置き換えれば、大変示唆に富んだ内容である。

国策遂行という点では戦争も原発推進もおなじである。それが未曾有の大失敗となった。
その原因解明も責任者の追及も進んでいない。原因の徹底解明により、責任の所在が明らか
になるが捜査機関でも国政レベルでも進んでいない。
マスメディアでの追及も弱い。

民主主義の要諦は三権分立であり、政治のチェックは司法が、行政のチェックは政治が正義と
公正に基づいて行わねばならない。この日本リーダーパワー史でも何件か歴史的な国策遂行
の過誤を取り上げたが、三権分立が機能せず、
失敗隠しと責任逃れ、不正の横行がそのまま許されている。
良心のない政治家と国民のための役人ではなく害人、正義を追及しない司法関係者
(裁判官、検事、警察官)、腰抜けのマスコミが多すぎる。明治の朝鮮王妃暗殺事件(全員免訴)、
田中義一内閣での張作霖爆殺事件(これを軍法会議でキチンとさばいておれば、満州事変の暴発は
なかった)、戦後もたくさんあるが順次この中で取り上げていく。

 

 
 
『近衛、東条の手先をつとめたのは誰れか』―『議員の戦争責任に関する
決議案』の賛成討論(昭和
2012月1日、第89議会で)
 
 
                    衆議院議員・水谷長三郎
 
終戦後の二回目の議会、第89帝国議会がひらかれたのは、昭和二十年十一月二十六日であった。この議会で問題になったものに、戦時中の議員の戦争責任があった。当時すでに財界や言論界では、自ら戦争責任を痛感して、第一線を退く者が統出していた。しかし、政界では、戦争責任を感じて、議員辞退を申し出る者は、わずかであった。しかも戦時中の政府に迎合して、漬極的に戦争遂行に協力した幹部議員のある者は、自邸にこもって天下の形勢を観望して日和見をきめこんでいたり、新しい時代の.バスに乗り遅れまいとのあさましい有様であった。
 政界はすでに新しい胎動にはいっていた。戦時中、軍部から自由主義政治家のレッテルを貼られ、その活動を封じられていた鳩山一郎は、いち早く自由党を結成してこの議会に臨んでいた。戦前、社会民衆党、日本労働党など、無産階級に属していた議員は、打って一丸とする日本社会党を結成していた。
一方戦時中、翼賛政治会(後に大日本政治会)に属し、戦争遂行に協力した多くの議員は、いまさら自由党にも走れず日本本社会党にも行けず、その結果進歩党を組織して、これに拠っていた。衆議院の過半数は、もちろん進歩党であった。
 
議員の戦争責任については、まず自由党から『議員の戦争責任に関する決議案』が提出され、次いで進歩党から〝戦争責任に関する決議案〟が提出された。
 
自由党は『ポツダム宣言受諾以来、わが戦争責任については、深甚なる反省が加えられ、すでに軍部、財界および言論界は、相次いで自粛の実を示すのとき、独り政界のみ、てんとして反省の実なきは、真に遺憾にたえず。国民を代表して、範を天下に示すべき衆議院が、この際戦争責任を明確にせずして、議案の議事を進むるごときは、断じて許すべからざること。大東亜戦争開始以来、政府と表裏一体となりて、戦時議会の指導に当れる者は、この際すみやかに、その責任を痛感して、自ら進退を決すべし』
 というのであった。
 
進歩党案ほ『……今次敗戦のよってきたるところを観ずるに、軍閥官僚の専悪にもとずくこと、もとより論なしといえども、彼等に阿付策応し、ついに国家国民を戦争遂行に駆りたる政界、財界、思想界の一部人士の責任も、またまぬかるべからざるところなり。われら職に立法の府に連なる者も、また静かに過去の行蔵を反省し、深く自粛自戒し、新日本建設に邁進せざるべからず』
 
 というもので、自由党案が、戦争協力者に対し、ハッキリと『その責任を痛感して、自ら進退を決すべし』。進歩党案は『政界、財界、思想界の一部人士の責任も、またまぬかるべからざるところなり』と一応追及の形をとっただけで、いつか、『新日本建設に邁進せざるべからず』と、問題の処理はスリ替えられてしまっていた。この辺に、進歩党の結成当時の性格が、よく現われていた。
 
 この二つの戦争責任追及の決議案は、十二月一日の衆議院本会議に上程されたが、日本社会党は、自由党提案の決議案に賛成して、水谷長三郎をその討論に立てた。
 水谷が戦時中の抑圧から解放されて、思いきって胸中にたまっていたものを、ぶちまけたのが、その賛成討論である。
 
「私は日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題となっておりまする、自由党提出にかかる議員の戦争責任に関する決議案にたいしまして、賛成の意見を述べんとするものであります。
 まず私は、われわれがこの間題を論議するに当りまして、われわれはいかなる心構えをもってこの間題を論議しなければならないか、ということについて、一言申しあげておきたいと存じます。われわれがこの間題を諭ずるに当りまして、注意せねばならぬことは、断じて主観的な立場でにおいて、議論をしてはならないということであります。
真実に日本の将来を認識いたしまして、平和的、文化的、民主的国家として、ふたたび祖国日本が、起ちあがるためには、この戦争に対する責任が、明確にせられまして、政治にたいする国民の全信頼が、回復しなければ、清新日
本の確立は、断じてなしえないと思う次第であります。(拍手)

 したがってわれわれは、この戦争におきまして、いやしくも政治家といたしましては、お互いに戦争中の自己行動にたいしまして、厳粛なる自己批判と反省がなされ、きわめて謙虚な気持をもって、この問題を取り扱われねばならぬということは、いうまでもございませぬ。
 
いま一つわれわれが考えなくてはならないことは、われわれが敗戦国民の側におきまて、これが戦争責任者である、これが戦争犯罪人であるという見方と、戦勝国である連合国総司令部が見る戦争責任者、戦争犯罪人と見る間には、そうとうの相違があるということも、またやむを得ない次第であります。
 
連合国最高司令部は、われわれが、欲すると欲せざるとにかかわらず、その独自の立場におきまして、また、その支配権を掌握する立場におきまして、しかも、日本全国民が、納得してくれるような方法におきまして、この間題を取り扱わねばならないと、私は、思うのでございます。(拍手)

 世間では、戦争責任者、敗戦責任者、戦争犯罪者という、この三つの言葉をば、ハッキリ区別して、用いられておらない傾きがありますが、私の考えますところによると、
①戦争責任者とは、この無謀なる戦争を挑発し、帝国主義的侵略の野望を満たそうとした者。
②敗戦責任者とは、拙劣なる戦争指導によりまして、敗戦の結果を導いた者。
③戦争犯罪者とは、戦争中または敗戦のどさくさまざれに乗じて、その地位を不当に利用して、悪事を働いた者であろう
―と、私は思うのでございます。
しかも、この三つの場合におきまして、その筆頭にあげる者は、いうまでもなく軍閥にはかならないのでございまするが、その他の官僚、資本家、思想界、言論界等々の責任者も、その責任を取らねばならないことは、いうまでもございませぬ。
ただ私らはここに、議会政治家といたしまして、戦争責任を考える場合におきましては、いやしくも政治家といたしまして、軍閥と結合し、この無暴なる戦争を惹起し、拙劣な戦争据導に追随し、あまつさえ戦時中自己の地位を不当に利用して、悪事を働きました政治家のごときは、その罪断じて許すべきではないと思うのであります。(拍手)

 このようなモノサシを持ちまして臨む時、まず議会政治家として、責任を取るべきものといたしまして、さきに自由党の決裁乗にありまするように、大東亜戦争開始以来、政府と表裏一体となって、戦時銭金の指導に当れる者うんぬんありまするこれをば、もっと具体的に.バーッキリ申しますれば、その一は、巽賛選挙推薦母体(註、昭和十七年春の東条内閣の下における総選挙に際し、政府の意を受けて、御用候補者を推薫した翼賛政治体制協畿会)の構成員であった者、これが一つであります。

 さらに、もう1つは、翼賛政治会(註、戦時下の衆載院畿員を、半強制的に結集した団体)、誠大日本政治会(註、翼賛政治会の後身)の常任総務以上たりし者、これが、その2であります。

 
二つのものをば、まず第一にわれわれが、指を屈するということは、議会人、誰れの目から見ましても、もっとも妥当なところではなかろうかと、私は思うのでございます。
 
翼賛選挙、名はまことに立派でございましたが、実はわが国憲政史上、空前絶後のベラボウな選挙であったことは、ここに多くの言葉を費やす必要はございませぬ。一方では、挙国一致、挙国一致と、挙国一致を強要しておきながら、他方におきましては、候補者を推薦、非推薦の二色に分けまして、あたかも非推薦の候補者ならびにそれに投票した者を、非国民扱いにいたしまして、国内分裂、国内摩擦をひき起した罪は、断じて容赦はできないと思うのでございます。(拍手)
 
                           (つづく)
 
 

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