世界史の中の『日露戦争』⑬ ー 英国『タイムズ』の『極東の戦争(日露戦争)の教訓』明治37年2月18日付
英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タ
イムズ」は「日露戦争をどう報道したか」⑬
『極東の戦争(日露戦争)の教訓』
<インテリジェンスの教科書としての日露戦争>―
<英国『タイムズ』1904(明治37)年2月18日<開戦10日目>—
この記事はタイムズ記者がいかに鋭い軍事、外交通であり、高い見識を持っていたかを示している。
記事のポイントは
① 日本を軽く見た大国ロシアの致命的な油断、日本の先制攻撃は問題なし
② 「国家の大義にとって勝利することがきわめて重要で決定的ならば,それは国際法とキリスト教道徳の抑止力をすべて踏みにじる十分な理由となる」との卓見を述べている。
③ フランスの外交当局と陸海軍との間では外国との交渉が危機的な段階に達したら,外交当局は「政治的緊張状態の時期」が到来したことを陸軍と海軍に知らせて注意を喚起しなくてはならないーとの合意があり、イギリスもこれを導入せよと論じている。
④結論としては日露戦争緒戦でいち早く制海権を握った日本側の先制攻撃の軍事作戦、外交、インテリジェンスを高く評価し、ロシアの失敗の轍を踏まないように自国に警告している。
イギリスの覇権獲得には軍事力、経済力と同時にこうした軍事外交国際ジャーナリストを世界に張り巡らせていた当時、世界一の「タイムズ」の情報分析力が大きく貢献している。
日露戦争では陸海軍のチームプレーと伊藤博文らのシビリアンコントロールが見事に一致して、勝利をつかんだが、日中戦争、太平洋戦争での日本の陸海軍のいがみ合い、対立、分裂、抗争は史上最悪といってよく、統帥権をタテに外交、首相にも情報を秘匿して伝えないという軍閥政治の弊害が大敗北につながった。100年前のタイムズからみると、日露戦争が世界の中でどのようにみられていたかよくわかる。
いまだに、憲法や安保問題で、空虚で不毛な論議を続けている日本にとって、目からうろこの記事である。
ロシアが戦闘に備えていなかった結果,太平洋艦隊がきわめて恐るべき災難に見舞われたので,われわれは戦闘の合間を利用して,まだ記憶に新しい1899年のできごとを振り返り,わが国は,同様の災難に対処するために本気で武装しているだろうかと自問するのが有益だろう。
旅順のロシア軍司令官の不注意には弁解の余地がないが,海からの奇襲が行われた決定的な原因は,ロシア皇帝の顧問団がしかるべき注意を実戦部隊に与えなかったことにあるのは明らかだ。ロシア軍の配置のすべては,安心しきった心の表れだった。戦艦の主力戦隊は露出した沖の錨地に停泊していた。戦闘の前日の本紙で報じられたように,そこは攻撃目標として絶好の場所だった。済物浦の護衛艦は孤立して,支援部隊からはるかに離れた場所で,のどかにいかりを下ろしていた。
よそでは義勇艦隊の汽船やその他のロシア艦船が,まるで日本が存在しなくなったかのように通常の任務を遂行していた。今月8日夜の攻撃の報告がペテルプルグに達して初めて,ロシアの皇帝の宣言の言葉を借りれば「朕は日本の挑戦に武力で応じるようにと直ちに命じた」。
この子供っぽい思い込みは全く正当化できない。交渉の方向が戦争の勃発へますます傾いているのは日ごとに明らかになっていた。また5日に粟野氏は.日本の意図に一切疑問の余地を残さないような通告を行った。この通告は率直明快だった。
これが6日の政府公報で公表された後,粟野日本公使は退去した。ロシアが不満を言える唯一の点は,攻撃目標と,作戦が開始される正確な時刻を栗野氏が教えなかったことだ。そうするのは平和時の演習では慣例だが,それは戦争ではない。しかし,なんの変化もなく,命令は下されず,理解できないほど致命的な無頓着さで,大帝国は攻撃されるのを待っていた。長く待つ必要はなかった。
地上の奇襲作戦が,攻撃を受けた部分以外の部隊へ影響が及ぶことはめったにない。
国軍は国土の広い地域に展開するので,軍事作戦の最終的な結果が作戦部隊の一部の運命によって必ず大きく左右されるわけではないからだ。しかし海上では事情が異なる。戦闘が始まる前に5分間の油断があれば,制海権を握るか失うかの分れ目となることがある。
数日前,ロシア太平洋艦隊は敵と比較して11対14でわずかに劣勢ではあったが,就役中の最良のロシア戦艦の大半を擁していた。大胆で激しい戦いによって偉大な勝利を収めるか,それとも立派な最期を遂げるか,いずれかでありたいと切望することができた。しかし今,この艦隊は手の施しようのない残骸となり,その最良の艦は動きのとれない船体を旅順の泥土や暗礁に横たえ,他の艦は沈没し,炎上し,損傷し,あるいは破壊された。勝利は得られなかった。敵艦を1隻も沈めなかった。ヴァリャーグ以外は立派な最期を遂げなかった。
結果は惨憺たるもので,海上の備えを怠った影響は広範囲に及んでいる。「陸の軍隊しか持たない者は片手だけで戦う。艦隊を持っ者は両手で戦う」と,ロシア海軍の父,ピョートル大帝は言った。自ら愛した海軍に降りかかった災難を知って彼は墓の中で展転反側するに違いない。
これは1つの艦隊の損失,威信の失墜.制海権の喪失だけでなく,国家の片手がもぎ取られたことを意味し,陸軍が,当然あてにできたその支えが失われたためにきわめて不利な立場に立たされたことを意味する。
1億3000万人の陸軍帝国が1つの軍を失っても,それは1つの軍の損失以上のものではない。兵士は取り換えることができ,損失は取り返すことができる。しかし失った艦船は,戦争が異例に長引いたとしても,その戦争中に取り換えることはできない。ロシアはそうではないが,たとえ国
2月8日の日本の攻撃は,行動を起こす意図を表明してから丸3日たっており,例外であるとも,伝統と前例からの逸脱であるとも思うどころか,わが国が戦わなくてはならない次の海上戦争で,もしわが国の敵がその意図を公表する3日後ではなく3日前に攻撃しないとすれば,わが国はついていると見るべきだ。
国家の大義にとって勝利することがきわめて重要で決定的ならば,それは国際法とキリスト教道徳の抑止力をすべて踏みにじる十分な理由となる。
シノペ,コペンハーゲン-名高い法律家や学者が,緑のベーズで覆ったテーブルを囲んで国家的な激情の働きを押さえるための歯止め策を提案し.あるいは取り決めたが,それらをすっかり台なしにする行動が実施され,活動が遂行された例はいくつあることか。
そこで,海軍の奇癖を受ける深刻な危険を最小限にとどめるか,または全く取り除くような規則を統治制度の中に設けることは可能かどうかか問題となる。
政治的に見れば,ロシアと日本は条件が同じだった。一方の国には立法府が存在せず,他方の国では立法府の意見が採用されないからだ。したがって.専制国家と戦う民主国家にとって当然不利な点は問題にならなかった。一方の国の政府が自発的に開戦を宣言して交戦する権限を持っていて,他方の国は議会を召集し,国費の支出を議決し,その法案を上院へ上程し,最後に国家元首の承認を得なければならないとしたら.両国のうちの後者が戦争の不意の勃発以前はほとんど非武装状態に置かれているのは全く明らかだ。
これが理由で,1875年2月25日のフランス憲法は第3条で「共和国大統領は(中略)武力を行使する権限を有する」と定めている。続いてこの条項は,両院の同意なしに戦争を宣言することはできないと述べているものの,国民の安全のために必要な手段で奇襲に対抗して国家を守る大統領の義務と権利を弱めるようなことは,何も語られず,行われなかった。
さらに,きわめて重要な合意がフランスの外交当局と陸海軍との間でずっと以前に達成された。この合意によると,外国との交渉が危機的な段階に達したら,外交当局は「政治的緊張状態の時期」が到来したことを陸軍と海軍に知らせて注意を喚起しなくてはならない。すると,防御手段を講ずる責任を該当する当局が引き受けるので,ロシアを見舞ったような災難の危険は回避される。
われわれはフランス民主政治のこの確立された慣行以上のものを必要としないが,確かにこれだけは必要とする。国家の安全のための規則として,これが最低条件だ。
もちろん,高官たちの無能の埋合せはあり得ない。神々は愚かさと戦うが,もちろんそれはむだなことだ。しかし,ともかく神々は戦うのだ。イギリスの制度では,国家の安全は首相の良識に大きく左右される。われわれは四苦八苦して改革を達成しようとしているが,改革の一部,それも重要な部分は,国防委員長の地位が確立し,防衛問題で首相の良識の守護者となることだろう。
これはなかなかのものだが,まだ十分ではない。首相は良識があればそれを自分で守るだろうが,良識がなければ,だれも首相に代わって良識を守ることができないからだ。
戦争の際に旅順のような災難がわれわれに降りかからないようにするには,フランスの慣例を採用するのがいちばんだ。つまり,交渉がわが国の外国との関係を危うくするほどの状態に至った場合,国防委員会へ事実を伝達することを,外務省の権利と義務として規定する。そして次に,必要な予防措置を世界中で実施するように実戦部隊に指令することを国防委員会の任務とする。
他の方法によっては,個人的な失敗の危険性は,首相の失敗にせよ,閣僚の失敗にせよ,減らすことができない。この方法によってのみ,国家の安全を維持する任務を託された組織を自動的に動かすことができる。われわれが要求するのは,偉大な国益,とりわけ陸海軍の利益を無能な者が危険にさらすことのないようにすることだ。
陸海軍が無能な外交と政治の犠牲になった実例をわれわれは見たばかりだ。
これは,ロシアにとっては1つの艦隊の損失だが,イギリスにとっては1つの帝国の損失を意味することになろう。
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