「日本リーダーパワー史①―山本権兵衛のリーダーパワーに学べ」
<2009、06,17>
「日本リーダーパワー史①―山本権兵衛のリーダーパワーに学べ」
–「坂の上の雲」のリーダー論・東郷平八郎を抜擢した理由――
前坂 俊之
(静岡県立大学国際関係学部・前教授)
今、日本社会は極端なリーダー不足に陥っています。それが日本社会の閉そく感となり、政治、経済、外交の不振につながり、国際社会での日本の地位の大幅な低下となっているのです。
また、これまで国民が営々と働いて蓄えた膨大な貿易黒字を自民党・官僚行政が無駄な公共事業、経済再建という名のもとに大量の国債を発行して、先進国の中では最悪の800兆円をこえる巨大な財政赤字を作ってしまった。国家倒産・日本沈没を招いている最大の責任者は政治家であり、2世3世4世とまるで封建時代のかわらぬ当選回数の多いだけの、実力のない、無能な世襲議員が自民党の3割を占めるという異常事態になっているのです。
民主主義社会とは封建的な身分社会ではなく、家柄、世襲、学歴で判断されるのではなく、本人の実力、能力、結果によって評価されるものです。建前は一応、民主主義国を標榜している日本は結局、真の民主主義国にはほど遠い「世界の非常識の永田町、霞が関」が60年以上も続いているのです。
それはまさしく日本社会から封建制度の残滓が完全に払しょくされていないということです。政治家という社会、国家のためのリーダーパワーが一番必要な人間が、なんと無能、無責任な2代目、3代目に占められ「売家と唐様で書く三代目」の状態になっているのです。グローバルな企業のトップは実力で勝負の世界ですし、もちろん世襲社長などありえません。
おなじく国際政治の舞台で国益をかけて競争、格闘している政治家が勝負に負けない強い「リーダーシップ」によって、選ばれるのではなく、税金泥棒(国会議員は国家公務員とおなじ)と同じ、家業と誤解している世襲議員によって、のんきに国会で下手な田舎芝居に興じているのですから、国家は崩壊し、社会は混乱するのは当たり前です。
今こそ、明治のリーダーパワーに学ぶ必要があります。日本を興した山本権兵衛の人材抜擢術と決断力、実行力を学びたいと思います。以下は伊藤正徳「大海軍を想う」(光人社版、昭和56年刊)の「山本権兵衛の出現-大海軍は山本がつくった説」からの引用です。
伊藤正徳は時事新報の記者、編集局長を歴任、戦前の軍事記者の第一人者です。日本陸軍、海軍にもっとも精通した記者として、数多くの政治、外交、軍事の通史を執筆しており、日本のリーダーパワー史を勉強するには格好のテキストになっているので、通読をお勧めしたいと思います。以下、伊藤の「山本権兵衛の出現」です。
● 山本権兵衛が日本海軍建設の父
日本海軍は山本権兵衛がつくった、という説に反対する人はないであろう。海軍の提督何百、なかには山本を非難する者も少なくないであろうが、しかし、彼が海軍建設の第一人者であるという事実にたいしてはみな無条件に承認している。
さらに筆者の調査にして、いちじるしく誤らないならば、日清戦争も、日露戦争も、五十%とまでは山本の力で勝ったといっても、過言ではないほどの功績を海軍に残している。その二回にわたる総理大臣時代の施政にたいしては、筆者にも異説はあるが、その三十年にわたる海軍の建設と指導の功労にたいしては、完全に頭を下げざるを得ない。大海軍を語る前提は、いかに省略しても、数項目を彼の政治力と統制力と、豪胆と精智とがうんだ事実にふれないわけにはいかないのである。そうして、それはすでに高陛号撃沈事件からつながるのである。●予備役編入寸前の東郷平八郎を救う
まず山本が、東郷大佐の予備役没落を救い出して「浪速」に乗せたことから語ろう。東郷元帥といえば、山本権兵衛、加藤友三郎とともに、日本海軍の三祖と呼んで何人も異議のない提督であるが、明治21年から26年にわたって健康すぐれず、大佐で鮎の予定だった。すなわち、明治26年11月の予備役編入のリストには、末尾に東郷平八郎の名がのっていた。これは「こんにゃく版」と通称された整理供補の名簿で、凡才や病身者は大佐どまり。大佐で整理するには、とくに海軍大臣の承認を得る必要上、リストをつくって提出する習慣であった。そのとき、整理される十六人の末尾に東郷平八郎もいたわけだ。
海相西郷従道は、部下の海軍主事(高級副官)の山本を呼び、二人でリストを検討し、赤鉛筆で順々に○印をつけていったが、最後に東郷のところへくると、山本が、「この男はもう少し様子を見ましよう」とすすめた。西郷は、「よかろう、どこかはめておくところはないか」と人事局長にたずねた。局長が考えていると、山本が、あたかも任命するような口ぶりで、「横須賀につないである『浪速』へでも乗せておこう」といった。同艦は当時、予備艦としてつながれていた。東郷は、その艦長の辞令をもらって、首をつないだのであった。
翌年、日清戦争になると、「浪速」は第一遊撃隊の前線に編入されて出陣し、たちまち、豊島沖の事件を起こした次第である。事件がいちおう片づいた直後、山本高級副官は「浪速」の帰国を命じ、東郷を招致して当時の実相を聴取したのち、かかる場合に処すべき艦長の心がまえについて、懇々と注意をあたえている。
山本にしたがえば、軍艦は日本帝国の一部を海上に浮かべたものだ。その艦長は天皇陛下の代理だ。天皇は敵を沈めるだけが能でなく、その一段上のことを考えるものだ。沈めるだけなら水兵にでもできる。それらを全部助けて、わがものと化するのが天皇の道である。高陛号はまるまる分捕ってしまえば満点だったと思う。それが艦長の最高の腕というものだ - と。
●東郷を叱る

ところが東郷は、「あの場合、あれ以外には方法がない。今後とも同一のケースに出会えば、私は撃沈するつもりである」と主張して、なかなか頑強である。そこで山本は、「撃沈した勇気は大いにみとめる。が、僕なら撃沈する前に、英国の国旗をおろすことを命ずるが、君はどうしたか」とただした。東郷も、これにはまいった。頭をかいて、「じつは、それを人見に命じてボートを出したのだが、同大尉が先方に行って告げることを忘れてしまった。まことに残念なことをした」と苦笑した。
もともと、東郷を整理のリストから消させたのは山本であり、西郷海相も樺山軍令部長も、山本の意見はほとんど100パーセント容認した実情は、のちに幾多の事例についてあさらかとなるが、そうした関係で、彼は東郷を良将にしこむ牡でいたのだ。そこで、結論して言う。「孫子兵法の筆法でいけば、戦時、敵の船舶を分捕るものは上なり、これを撃沈するものは中なり、これを逃がすものは下なり、ということになる」と。東郷は中等の点数をつけられたが、それでも気が晴れて別れた。
舞台はまわって日露戦争となった。だれが連合艦隊長官の重責をになうかが全軍の話題となったとき、何人も予想しなかった東郷平八郎が抜擢されたのは(このときも予備役編入の第一候補と定評されていた)、万人の驚きであった。が、山本海相にとっては当然の判断で、すでに十年前の高陛号事件当時からの予定の任命であったのだ。温顔にかくされた「不屈の闘志」を、前記の会談において発見していたのである。
余談になるが、日本海海戦大捷の後、連合権嫁は露国バルチック艦隊を撃滅して凱旋してきた。敵艦を浦塩に入れてしまったら、日露戦争の勝敗は不明に陥る一戦であったから、一日の海戦に全艦全弾を撃ちつくす激闘が展開され、敵艦はあいつ相次いで対馬水道に沈められた。残った数艦は戦力つきて降伏した。その中に旗艦「ニコライ一世」があった。東郷は、倭巡「磐手」にこれを曳航させて凱旋してきた。佐世保軍港は、もとより歓迎で黒山の人である。艦隊投錨するとき、軍艦旗は奏楽りにおろされた。敵の巨艦「ニコライ一世」 「アプラキシソ」 「セニヤーウィソ」各艦の艦上には、ロシアの軍艦旗を半旗とし、その上に高く旭日旗を掲げておいた。それをおろそうとするや、めずらしくも東郷長官が怒った。
●「あれはおろしては相成らぬ」と。
かくて分捕艦の艦上には二旗の軍艦旗が残って、戦利品の所在を明らかにした。
東郷はこれを幾万の歓迎人に見せようとする稚気からではなく、「敵艦船を分捕るものは上なり」といった山本の訓言にこたえ、これを山本海相への手土産に持参したという気拝は、十年前を知る人のみが想定しうる秘話の一つであった。
<連載>
第1回 「空前絶後の完勝の日露戦争―山本権兵衛のリーダーパワーに学べ」
<2009、03,01>
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